「プーチン考」ーー独裁者プーチンの足跡。

<ウクライナの首都キーウでは28日、ロシアによる大規模な攻撃があり、子どもを含む少なくとも22人が死亡しました。キーウへの大規模攻撃は先月末以来で、ウクライナやヨーロッパ側は、ロシアが停戦などの交渉に応じる姿勢がないことのあらわれだとして非難を強めています。
 ウクライナ空軍によりますと、27日夜から28日朝にかけてウクライナの各地でロシア軍によるミサイル31発と無人機598機を使った大規模な攻撃があり、このうちキーウの当局は、子どもを含む少なくとも22人が死亡したと発表しました。
 攻撃を受けたキーウの中心部では、建物の窓ガラスが割れたり、がれきが散乱したりしていて、重機を使った撤去作業が続けられていました。
 また、EU=ヨーロッパ連合は28日、キーウにある代表部からおよそ50メートル離れた場所に2発のミサイルが命中し、建物が被害にあったと明らかにしました。
 フォンデアライエン委員長は「激しい憤りを覚える」と述べ、EUとしてロシアへの圧力を強めるため新たな制裁を準備していることを強調しました。
 また、イギリスの文化交流機関「ブリティッシュ・カウンシル」の責任者は、キーウ市内の建物が被害を受け、1人がけがをしたとSNSで明らかにしました。
 キーウでは、先月末に30人以上が死亡する大規模攻撃がありましたが、米ロ首脳会談やアメリカとウクライナ、それにヨーロッパの首脳などによる会合が行われた今月は攻撃の回数は減る傾向にありました。
 一連の会合以降、ロシアは、自分たちの主張を尊重すべきだと強調するなどして、ウクライナとの首脳会談に向けた調整は進んでいません。
 こうした中で起きた今回の攻撃について、ウクライナやヨーロッパ側は、ロシアが停戦などの交渉に応じる姿勢がないことのあらわれだとして非難を強めています。

キーウ中心部市民 “あまりにもつらく 大きな苦痛”
 ミサイル攻撃があったキーウ中心部の地区では、広範囲にわたって建物などに被害が出て、重機を使って割れた窓ガラスやがれきを撤去する作業が行われていました。
 子どもたち向けのボランティア施設も被害を受けました。
 施設を運営しているルサーナさん(24)は、朝のニュースで建物が被害を受けたことを知り、夫と急いで車で出勤したということです。
 防犯カメラが捉えた当時の映像には、ミサイル攻撃の激しい衝撃によって家具や物が倒れたり、書類が散乱したりする様子がうつっていました。
 ルサーナさんは、「破壊された建物などを見た時は泣いていました。これからどうすればいいか分かりません。みんな、この戦争を終わらせたいと強く願っています。あまりにもつらく、大きな苦痛だからです」と話していました。
 また、住んでいるアパートがミサイル攻撃を受けたという31歳の男性は、「恐ろしい光景でした。午前5時半ごろに2度の爆発がありました。窓は吹き飛び、私はベッドから投げ出されました。ロシア軍の攻撃は非常に腹立たしいです」と話していました。

各国首脳が相次いでロシアを非難
 ロシア軍によるキーウへの攻撃を受けて、各国などの首脳が相次いでロシアを非難しています。
 このうちNATO=北大西洋条約機構のルッテ事務総長は「私たちがトランプ大統領を支援し、この戦争を終わらせようと試みている間に、プーチン氏は罪のない民間人への攻撃を続けている。私たちはプーチン氏を甘くみてはいけない」と述べました。
 また、イギリスのスターマー首相はSNSに投稿し「プーチン氏は子どもや民間人を殺害し、平和への希望を破壊している」として非難しました。
 フランスのマクロン大統領はSNSに「これがロシアの考える平和だ。住宅地や民間インフラが意図的に狙われた。フランスは、これらの無意味で残酷な攻撃を 最も強い言葉で非難する」と投稿しました。

ロシア国防省 “攻撃の目的は達成された”
 ロシア国防省は28日、今回のウクライナに対する攻撃について、軍事産業の施設や軍用飛行場への極超音速ミサイルだとする「キンジャール」や無人機などを使った「一斉攻撃」だったとした上で攻撃の目的は達成されたと発表しました。
 また、ロシア大統領府のペスコフ報道官は28日、記者団に対し「ウクライナ側によるロシアの民間インフラへの攻撃が頻繁に行われているのはご存じのとおりだ。ロシア軍も自分たちの任務を遂行している」と述べ、ロシア各地の石油関連施設などに対して相次いでいるウクライナによる攻撃への報復だと示唆しました。
 その上で「ロシアは政治的、外交的手段によってわれわれの目標を達成するため、交渉プロセスを継続することへの関心を持ち続けている」とも述べ、ウクライナ情勢をめぐるアメリカなどとの交渉には前向きだと主張しました。

国連グテーレス事務総長“国際人道法に違反” 声明を発表
 国連のグテーレス事務総長は28日、ロシアによるウクライナの首都キーウへの大規模な攻撃について、「民間人や民間インフラに対する攻撃は国際人道法に違反するもので容認できず、ただちに停止しなければならない」と非難する声明を発表しました。

米報道官“トランプ大統領 不満に感じていた”
 アメリカ・ホワイトハウスのレビット報道官は、28日、記者会見で「トランプ大統領とこの件について話した。不満に感じていたが驚いてはいなかった。この2つの国は長いあいだ戦争状態にある」と述べました。
 その上で「両国ともにこの戦争をみずから終わらせる用意ができていないのだろう。トランプ大統領は、終わらせたいと思っているが、両国の指導者がそれを望まなければならない」と述べました>(以上「NHK」より引用)




ロシアによる大規模攻撃 キーウで子ども含む22人死亡」との見出しに怒りを禁じえない。プーチンは「勝てない戦争」に対して、停戦よりも「戦争の持続」を選択した。それは独裁者として当然の選択だ。彼にとって自分自身以外の人の命などまったく気にしてないからだ。
 彼にとって最も好ましいのはクレムリンの奥の間で「安全」に独裁者として「暖衣飽食の暮らし」がいつまでも続くことだ。ロシア国民が物価高騰や20%もの高金利で苦しもうと、どうでも良い。ただただご機嫌取りの取り巻きに囲まれて、一着70万円以上の仕立てた背広を着て飽食の暮らしさえできれば良い。古今東西、独裁者とはそれだけの人物でしかない。

 プーチンはトランプ氏が提案した停戦協議の席に着くのを拒否して、その代わりにウクライナの首都キーウの民間施設にミサイルを撃ち込んだ。これがプーチンの正体だ。戦争犯罪人になろうとも、独裁者の地位には決して手放せない魔力がある。もちろんプーチンは悪魔と取引してでも、独裁者であり続けようとするだろう。
 プーチンの生い立ちを見ると決して恵まれた家庭で育ったわけではない。彼はレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で生まれた。父親は軍人で戦争で重傷を負っ。母親はドイツ軍の包囲網を生き延びたが、餓死寸前だったと言われている。そして、兄は戦争中に死亡んでいる。つまりプーチンは熾烈な対独レニングラード攻防戦の傷あとが大きい地域で生まれ育った。だからこそプーチン氏は対独戦で勝利した祖国への思いがとても強いのだろう。また、どれだけの犠牲を払ってでも勝たなければならない、という勝利への執着があるのではないだろうか。

 長じてプーチンはKGBに就職したが、決して出世人生を歩んだわけではない。KGBでは優秀な人材は西側諸国に赴任するがプーチンが赴任したのは東ドイツで、しかもベルリンではなくドレスデンだった。当時のドイツは民主主義陣営の西ドイツと共産主義陣営の東ドイツに分かれていた。1990年10月3日東西ドイツが統一したが、その際プーチンは国が崩壊するのを目の当たりにしたはずだ。
 プーチンは東ドイツの崩壊と旧ソビエトの崩壊と、国家の崩壊を2度経験している。1回目の「ベルリンの壁崩壊」により、プーチンは故郷のサンクトペテルブルクに戻り、KGBに所属しながら、母校レニングラード大学で国際関係担当の学長補佐として働きいている。これはKGBの経歴としては失脚に等しい。東ドイツの崩壊によりプーチン氏の同僚はモスクワの本局に戻っているが、その時のプーチンは出世の道からも外れている。

 大学勤務の頃、プーチンはすでに結婚し2人の子供もいた。旧ソビエト末期は自国の通貨ルーブルに対してドルが価値を持つようになっていたため、給料だけでは家族を養うことは出来なかったようだ。そのためプーチンは「白タク」のタクシーの運転手もしていたという。当時は、白タクで稼ぐというのがもっとも簡単な方法だったようだ。サンクトペテルブルクにはドイツ人の観光客がたくさん来ていたが、ドイツ語の堪能なプーチンが白タクをしながら外貨を稼いだのは自然な流れだった。
 KGBでは出世コースからは外れ、サンクトペテルブルクで暮していたプーチンの転機になったのはソビエトの崩壊だ。ソビエトが一気に崩壊に向かう時期、プーチンはレニングラード大学の教授でのちにサンクトペテルブルクの市長になるサプチャク氏と面識を得た。このころ、共産党の一党支配が崩れ、地方議会で反共産党のグループ・民主ロシアが多数派となり、市長も民主派となった。その民主派の市長がサプチャク氏で、プーチン氏は大学の学長の推薦で出会った。

 サプチャク市長は実務をできる有能な官僚を求めていたという。サプチャク市長に気に入られたプーチンは国際経済協力担当の副市長として起用されることになる。これがプーチンの人生を変える大転機となった。
 1991年8月に、ゴルバチョフ氏の改革に危機感を抱いたKGBなど共産党保守派がクーデターが起きて、ソビエト崩壊へとつながった。このクーデターでプーチン氏はKGBの職員だったにもかかわらず、サプチャク氏に従って反KGBの立場を取り、クーデターのさなかに辞表をだして、長年勤めてきたKGBを辞めた。KGBの出世コースから外れていたプーチンにとって、それほどKGBに未練はなかったようだ。

 プーチン氏はソ連崩壊と運命を一にして人生を終えるのではなく、新しく誕生する国家の中で生存するための道を拓こうと決意した。幸運にもサンクトペテルブルク市政からかつての同僚の助けで、プーチンは大統領府の要職に就くことが出来た。
 大統領府に移ると副長官や連邦保安庁(FSB)の長官を歴任し、1999年には当時のエリツィン大統領によって首相に抜てきされた。そしてエリツィン大統領から後継者に指名され、2000年の大統領選挙で初当選した。その後のプーチンの歩みは周知の通りだ。

 プーチンは約束された順調な人生を歩んで来たわけではない。だからこそ、プーチンの現在の地位に対する執着は想像を絶するものがあるのではないか。トランプ氏が裕福な父親の財産を元手に成功したのとはワケが違う。トランプ氏が「プーチンとは馬が合う」と感じるのはプーチンが上手にそう思わせているだけだ。
 しかし、澱む水は必ず腐る。プーチンが大統領になって25年、おそらく政権の腐敗臭は凄まじいものがあるだろう。だから独裁政治は基本的にダメなのだ。何人もの政敵を粛正して守って来た独裁者の椅子だが、最後には彼が粛清される運命にあることをプーチンは知っているのだろうか。それは古今東西の歴史に照らせば明らかだが。

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