日本人の日本を子々孫々の日本国民に継承させる責任が今を生きる私たちにはある。

この国に生きて、暮らすために重要なこと
ペマ
:日本の文化をぶち壊すような形で外国人を入れ、外国人に合わせ始めるともうだめだと思う。
:私も全く同じ認識です。
ペマ:伝統文化をはじめ、日本の主権国家としての立場を全て理解して来る外国人はいいのです。時々、「日本は遅れている」と言う西洋人がいますね。本当にけしからんと思う。それならば自分の国で勝手にやればいい。
:向こうが勝手に決めた基準に合わなければ、遅れている、と言うわけです。
ペマ:アメリカ人はよく、アイラブユーと言いますね。もちろんラブはあるけれども、日本人は恥ずかしくてあまり口にしない。でもアメリカ人は、アイラブユーと言う相手に対していったん怒り出すと車を蹴飛ばしたり、冷蔵庫を蹴飛ばしたりする。ドアをバーンと締めて、しばらくして、後でアイムソーリー、アイラブユーなどと言う。それはやはり日本の文化には馴染まないわけです。
:普通の日本人にはそういう意識のない人が多いようです。われわれはむしろ帰化人だからこそ危機感がある。良き日本を守る、大事にする、というのはわれわれ帰化人の方が得意な、一種の良点かもしれません。
ペマ:少なくとも僕たちは、日本人になりたい、日本人になった方がいい、と思って日本人になったのです。少なくとも日本に対し憧れがある。
 それから、かつての日本の、アジアで唯一植民地にならなかったという実績が大きいのです。先輩たちから学ぶことがある。先輩たちを尊敬する気持ちもある。総合的に見て、やはり日本っていいな、と思って僕たちは日本人になったのです。
:全くその通りです。
ペマ:人は自分の背中を見ることはできません。誰かに見てもらって背中の様子が分かる。外からやってきた僕たちが、日本人のこういうところが素晴らしい、と言うのはそういうことです。僕たちしか気がつけないこともあるはずです。日本生まれの日本人の人たちに対して、忠告と言うと大袈裟ですが、指摘していくことは大事だと思いますね。
:生まれついての日本人には往々にして無頓着なところがある。
ペマ:戦後70年あまり、日本は戦争を経験していません。クーデターも起こっていません。きわめて危機的な自然災害はありましたが、国難といえばせいぜい経済的な問題がいくつかあったぐらいです。ましてや外国が侵略して来るというようなことはなかった。だから、自分の国ということを感じなくなっているのでしょう。
 ただし、もし日本が大きな国難に遭ったら、逆に再び過剰反応を起こす可能性があります。僕は、民族主義は大事だと思います。ただし、理性的民族主義と感情的民族主義は区別します。

民族主義は空にあげる凧みたいなもの
:今回の立候補騒動で、私もそこに一種の危うさを感じています。感情的な、日本本来の精神を失ったところで、一部の日本人が極端な排外主義と差別主義を剥き出しにしました。これはむしろ日本を間違った方向へ持っていくのではないかと思うのです。これについてもわれわれは、日本のために警鐘を鳴らさなければいけません。
ペマ:僕は学生たちに、民族主義は空にあげる凧みたいなものだ、と言っています。凧は細い糸で操ります。ロープだったら凧は飛ばないのです。太すぎてはいけません。国際社会では、たくさんの凧が上がっている。自分の凧の糸はしっかりと持っていなければいけません。
 凧はそれぞれの国の伝統文化であり、民族としての誇りです。ただし誇りと傲慢さは違っていて、凧の糸のように目立たないけれども強いのが誇りです。これが太くなると凧は飛びません。結果的に凧は落ちる、つまり自滅します。
:興味深い譬です。すごく分かりやすい。まずわれわれ帰化人としては、帰化する以上は日本を愛して大事にするということが一点目としてありますね。二点目として、帰化した以上はもうわれわれには日本しかないということ。日本は運命共同体であるということです。
 一方、ペマ先生のお話でとても大事なことに気がついたのは、むしろわれわれは普通の日本人以上に日本の行く末、今後に対して危機感を持ち、日本を良くしていくためにいろいろなことを積極的に発信していかなければならない、行動をしなければならないということです。
ペマ:自分の背中を誰かに見てもらうことは大事なのです。空気も国によって違うんですよ、税金の使い方によって質が変わるのです。日本で空気を吸い、日本で水を飲んでいる以上は、やはりこの国に対する貢献をできる範囲でやらなければならないのです。>(以上「現代ビジネス」より引用)




いま、日本人が「日本のスゴさ」気がつかなければ自滅します…中国からの「帰化人」がこう警告するわけ」と題して石 平(評論家/参議院議員)氏とペマ ギャルポ(拓殖大学客員教授/チベット文化研究所所長)氏との対談記事があった。云うまでもなく、石平氏は中国帰化人で、ペマ氏はチベット難民として日本に棲み帰化した人だ。いずれも外国人としてのルーツを持つ日本国民だ。
 終戦後からつい最近まで、知識人とは左派の総称であった。反日・日本人こそが日本の将来を真剣に憂いている、という流行り思想があった。その典型がオールドメディア関係者と大学教授たちに多く見られた。そして多くの日本国民は反日・左派知識人の発言に耳を傾けた。しかし、日本全国に外国人移民が増えインバウンド外国人観光客が増えるに従い「いや、日本国民の方がマシではないか」と多くの日本国民が気付き始めた。

 その流れが決定的になったのは参政党の進出だ。これまで少なくとも党の議員全員が揃って靖国神社に参拝することはなかった。しかし国難に殉じた先人に頭を垂れて感謝するのは今を生きる国民として当然のことだ。世界中で戦死者を祀った施設を悪しざまに批判する国など皆無だ。しかし日本ではオールドメディアは国会議員、とりわけ大臣が靖国神社を参拝することに対して厳しく批判してきた。
 難民の受け入れに対しても、一部活動家たちは闇雲に「可哀そうだ」と不法滞在者ですら強制送還すると当局を批判する。そうした国も世界では日本だけだ。そして保守政党を自任している自民党国会議員に親中派と思しき国会議員が多くいて、中国に毎年のようににぎにぎしく朝貢外交を繰り返している。公明党に到っては親中政党であることを隠そうともしない。いや、与党だけではない。野党にも親中派や新北朝鮮派国会議員がいて、反日議員外交を平気で推進している。

 日本国民は先の敗戦がよほどこたえたのか、GHQの自虐史観を後生大事に奉ってきた。しかし、いい加減日本支配のための史観から脱却すべきだ。そして当時の世界と日本の立ち位置をしっかりと確認して、先人たちの誇り高い日本国民としての振る舞いを再評価すべきではないか。
 もちろん日本は植民地になったことは一度もない。そして肝心なのは、日本は他国を植民地支配したことも一度もない。現在、世界の自由主義先進諸国で唯一日本だけが世界に誇るべき歴史を持つ国だ。日本人は奴隷になったことも、奴隷を使役したこともない。江戸時代まで身分制度があったではないか、と指摘する人がいるが、江戸時代の身分制度はそれほど厳格なものではなかった。その証拠に日本の初代総理大臣・伊藤博文氏は江戸時代に百姓の倅として生まれた。幕末から明治にかけて活躍した勝海舟も親の代に御家人株を買って「幕臣」になった元町人の家系だ。

 そうした融通無碍な国民性が外国文化を貪欲なまでに受け容れて、日本文化と融合させて新しい日本文化に昇華させてきた。しかし現在進行している外国移民の受け入れは従来の日本文化のカテゴリーのものではない。「安価な労働力」を外国人移民で代替する、とは日本人の文化にそぐわない。それはまさに外来文化のようにしか見えないし、外来文化に乗じて企業経営者が利益を最大化する経営戦略の要請によって自公政権が推進した悪政と云うしかない。
 日本人はいつから「奴隷」を受け容れる国民性を有するようになったのか。なぜ日本は日本に与えられた条件の中で努力し、事態を打開しようとする国民性を失ったのだろうか。現在の日本の政治は、先人から受け継いできた日本的なあり様ではない。JICAが推進している「ホームタウン」制度もアフリカ国民を日本に移住させて地域の活力と国際化に資する、などと歯の浮いたような言辞を弄しているが、実態は「奴隷」の輸入ではないだろうか。まさにアフリカから「奴隷」を輸入したアメリカが、「奴隷」との融和に米国社会がどれほど長く苦しんで来たか、米国の歴史を見れば明らかではないか。その決して良いとは思えないアフリカ人移民政策を日本の外務省は推進しようとしているのか。
 移民政策を実施して、多くの移民を受け入れて成功している国は世界に一つとして存在していない。欧州の例を見れば外国人移民がいかに過酷な対価を支払わされるか、実証されているではないか。外国移民政策は立ち止まって、再考すべきではないか。日本人の日本を子々孫々の日本国民に継承させる責任が今を生きる私たちにはある。

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