心の中の戦後を終わらせて、日本は世界の場で新時代の指針となるべきだ。

<石破茂首相は終戦の日の15日、戦後80年の節目に合わせた首相談話を出さなかった。閣議決定による先の大戦を巡る公式な「首相談話」は、1995年の村山富市首相談話と2005年の小泉純一郎首相談話が終戦の日に、15年の安倍晋三首相談話が8月14日にそれぞれ閣議決定された。戦後50年、60年、70年と談話発表が続いてきたが、途切れる形となった。石破首相は15日、政府主催の全国戦没者追悼式で式辞を述べるにとどめた。

 首相は政府としての談話は自民党保守派の反発などを考慮して見送る一方、先の大戦の検証を含めた戦後80年の発信にこだわりを持つ。首相個人としての「見解」を、終戦の日とは別の機会に表明する検討を進めている。
 首相は追悼式後、首相官邸で記者団に「私どもの内閣においてこれまでの首相談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいる」と述べた。その上で、見解表明に関し「今までの談話の積み重ねも踏まえながら適切に判断する。その際、戦争の記憶を風化させない、あのような戦争を二度と行わないという観点が大事だ」と語った>(以上「毎日新聞」より引用)




 石破氏が終戦記念日に「石破首相、戦後80年の談話出さず 個人の「見解」を別日で検討」との見出し通り、談話を出さなかったのは良かった。しかし石破氏は個人的なこだわりを持って、別の日に「個人の見解」を出すという。
 能登半島復興特別予算といった緊急に必要な措置には手を付けないが、誰も必要としていない「戦後80年談話」は出すという。誰も石破氏の「個人的な見解」など求めてはいない。石破氏は実に始末の悪い政治家だ。昨年の総選挙以来、国民の信頼を失っているのは明らかだが、それでも政権にしがみつく権勢欲だけは旺盛な政治家は国民にとって迷惑千万だ。

 石破氏が親中・嫌米派だということは彼の外交姿勢から明らかだ。しかし、それならそれでトコトン米国政府と争えば良いのだが、トランプ関税交渉では逃げ回ってトランプ氏と対決しようともしない。一昨日のブログで引用したが、シンガポールの首相ほどの知識も胆力も有していないのは明白だ。
 国民は安易に政治家を選んではならない。日本の未来にとって、真剣に命を懸ける人物でなければ、国政を預ける政治家に選出してはならない。さもなくば石破氏のように国益を大きく棄損するからだ。

 その一方で、参政党は国会議員をはじめ80人もの仲間と一緒に靖国神社を参拝したという。そうすると反日・左翼オールドメディアは「戦争翼賛政党」だと批判するが、靖国神社に祀られた国家に殉じた先人に尊崇の念を抱かない日本国民とは何だろうか。
 確かに戦争は悲惨だが、日本が米国の植民地になるよりは戦いを選択したのは当時の世界情勢に照らせば仕方のない選択だった。そのことは元米国大統領フーバー氏が「裏切られた自由」で、
《ルーズベルト氏は「非帝国化構想」を持っていた。彼の標的はドイツ、イタリア、日本だけではなかった。彼はイギリス、フランス、オランダの非帝国化を目論んでいた。そうでありながら、彼の構想には一か国だけ例外があった。巨大できわめて攻撃的な帝国ソビエトであった。》
《私は、日本との戦いは狂人[ルーズベルト]が望んだものだと言うと、彼[マッカーサー]はそれに同意した。》
《日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている。……原爆使用を正当化しようとする試みは何度もなされた。しかし、軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述べている。》
 と記していて、明らかになっている。

 歴史は常に勝者が書いている。そして戦後の国際社会は勝者を正義として動いている。その結果、国連も「勝者の正義」の理論で動いている。だから戦後80年間、一日たりとも地球上から戦火が絶えないのだ。
 世界で唯一の原爆被爆国・日本が勝者や敗者の枠を超えて、人類史を書かなければならない。そうしなければ人類は永遠に「勝者の正義」によって動くことになる。それは常により強大な軍事力を保有する原理でしかない。いったい、いつまで、このようなバカげた原理によって人類は果てしない殺し合いを続けるのだろうか。日本が国際社会の舞台に立って、勝敗の枠を超えた全人類の立場から国際機関の創設を提唱すべきだ。

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