日本は様々な税が花盛りだが、国民は負担増にブチ切れそうになっている。

独身税?
また子持ちの特権を増やすのか!
「独身税」にブチギレる人が増えている。2026年度から社会保険料に上乗せされる形で徴収される「子ども・子育て支援金」のことだ。
 社会保険料の一種なのでなにも「独身」の人だけが払わされるものではない。だが、ネットやSNSでは、子どものいない人々にとっては見返りゼロでカネを奪われるというのは実質的な「独身税」だとして批判が殺到している。
 そういう話を聞くと、「見返りがないと言いだしたら復興所得税とかもそうだし、同じ日本人同士みんなで協力をし合っていくのが当たり前だろ」と顔を顰(しか)める方もいらっしゃるだろうが、独身の方たちがブチギレるのも無理はない。
 日本は「独身」や「おひとりさま」をずっと冷遇してきたという動かし難い事実があるからだ。それを象徴するのが、配偶者控除や扶養控除である。
 ご存じのように、これは結婚をしているというだけで税金が優遇される。しかも、「年収の壁」議論でも注目されたように、年収や労働時間をうまくコントロールすれば社会保険料なども払わなくていい。つまり、既婚者というのは国から「合法的な免税」を推奨されるほど特権的な立場なのだ。
 しかも、結婚をして子どもを育てる場合、国や自治体から「子ども手当」「住宅支援事業」だなんだと定期的にバラマキも頂戴(ちょうだい)できる。「おひとりさま控除」も「単身者手当」もない独身の皆さんからすれば、こんな不平等な話はない。
 そう聞くと時節柄、「政治が悪い」「子ども家庭庁などとっとと解体しろ」という話になりがちだ。しかし、この「独身冷遇」ともいうべき差別政策は、そういう上っ面の話ではなく、日本国民の根っこにある「思想」に基づいたものなのだ。
 まだ自民党が存在していない大正8年(1919年)、立憲政友会の原敬が内閣総理大臣を務めていた日本で一部から「独身税」の必要性が訴えられた。
 その代表が教育者・西山哲治。文部省から委託を受けて欧米に行き、現地の教育を学んで「児童中心主義」「子どもの権利」を唱え、自ら教育現場で実践していた人物である。今、子ども家庭庁が「子どもまんなか社会」と唱えているが、実は100年以上前の教育者が主張していたことの「再現」に過ぎないのだ。
「児童中心」「子どもの権利」を実現するにはカネがかかる。当然、大人がそれを負担しなくてはいけない。しかし、当時は今と真逆の「多子社会」で、家庭には子どもが5人、6人いるのが当たり前。親は自分の子どもを食わせるだけで精一杯である。そこで「独身」から税金を徴収しようと考えた。
 もちろん、これを「苛税」(重すぎる税)だと真っ向から反対する人もいた。『みだれ髪』で知られる歌人・与謝野晶子だ。
「西山氏は別に独身税と云ふものを唱へられて居ますが、之は非人道的な苛税です。私達無産階級の男女で結婚しない者があるとすれば、それはいろいろの同情すべき事情があります。殊に現在の経済組織では軽率に家庭を作ることの危険が目に見えて居ます。(中略)やつと一人の口を糊するに足るだけの職業に有り付くか有り付かないかの覚束ない経済的弱者に、結婚しないからと云つて課税するのは残酷です」(激動の中を行く アルス 158ページ、旧字体は新字体に変換)
 今、「独身税」に憤りを覚えている人々の言いたいことを「代弁」してくれて溜飲が下がった人もいらっしゃるだろうが、実はそれこそがこの問題の深刻さをあらわしている。

「未婚・子なし」の冷遇が
“日本崩壊”を早めるワケ

 大正8年の与謝野晶子の訴えに、令和で冷遇される独身が深く共感できるということは、この国の「結婚せずに子どもを作らない人」の境遇が、この100年でまったくアップデートされていないということだ。
 なぜそうなるのかというと、国家と国民の関係性がまったく変わっていないからだ。それは一言で言ってしまうと、「子どもをつくらずにお国に貢献していない人々は、カネを払って貢献せよ」という国家主義だ。実は歴史を振り返ると、「独身税」のように独身からカネを徴収して、子ども支援や少子化対策に回しましょうという制度は山ほどある。ただ、問題はその多くが全体主義国家で生まれていることだ。
 わかりやすいのはイタリアだ。ムッソリーニが議会で実施的な独裁体制を宣言し、議会政治が消滅した1925年、かの国では「独身税」の導入に踏み切っている。
「伊太利では、家庭を作ることを奨励して、千九百二十五年から、独身者には独身税をかけることにしました。(中略)この独身税の税金は、全部、大蔵省の独立会計になつて居つて、母性児童保護事業の機関に、そつくり廻されます。つまり、子どもを生ませる資金になつて居るのです」(伊太利の組合制国家と農業政策 下井春吉 ダイヤモンド社 48ページ、旧字体は新字体に変換)
 同じくファシズムのナチスドイツでは、子どもを増やすために「結婚資金貸付金」として結婚した夫婦に無利子で融資をしたが、その財源は独身から巻き上げたカネだった。
「これは未婚者に対して課する結婚補助課金収入によつている。此の結婚補助課金は立案者ラインハルトの見解によれば、独身税又は独身手数料と見做さるべきではなく、結婚に対する独身者の援助である」(ナチス経済建設 長守善 日本論評者 290ページ)
 当時、イタリアもドイツも、そして日本でも共通していたのは、「国家主義」である。国家の発展のためには、国民は自由や権利を制限して奉仕をしなくてはいけないという社会なので、結婚や出産にかかるカネは、国家に貢献していない独身が負担するのは当たり前という結論になるのだ。
 そして、この思想は100年経過した令和日本でも脈々と引き継いでいる。
 なぜ配偶者控除や扶養控除のように独身を冷遇した制度が残っているのか、なぜ子どもを持たない独身者たちが「子どもまんなか社会」のために、税金を払わなくてはいけないのかというと、すべては「日本人なら、お国のために、産めよ増やせよに協力せよ」という思想が現在進行形で残っているからなのだ。
 さて、こういう話をすると「そんなもんに金が払えるか!子ども家庭庁を解体して浮いたカネを独身に配ったほうがよほど少子化対策になる」と考える人も多いだろう。

「未婚・子なし」の人が救われる
“たった1つ”の方法とは?
 ネットやSNSでも同様の主張が多い。ただ、残念ながらこのようなバラマキは少子化対策ではほとんど意味がないことがわかっている。
 例えば、米The NewYork Timesは「Can China Reverse Its Population Decline? Just Ask Sweden」(2023年2月9日)という記事で、子育て支援が充実しているフィンランドやフランスでも出生率が過去最低水準となっている事実から、「バラマキ」では少子化は食い止めることができないと指摘している。
 これは冷静に考えて見れば当然だ。補助金がもらえるとか行政のサポートが充実してますというニンジンは、子どもをもつべきか否かと検討しているカップルの背中を押すことができる。しかし、先ほど与謝野晶子が述べたように「一人の口を糊することがやっとの経済的弱者」からすれば、「あぶく銭」を受け取っても生活費か貯金に消えるだけだ。
 国家主義の少子化対策は、独身から吸い上げたカネを財源にバラマキをした。欧州の高福祉・高負担国家の場合、それを24%などのバカ高い消費税を財源にやっている。財源が違うだけでどちらも「人はカネをもらえば子どもを産むものだろ」というかなり乱暴な考えが共通している。
 国家主義の場合、子どもがたくさん産まれたのはバラマキのおかげというよりも、丈夫な子どもをつくらないと「非国民」扱いされるということが大きかった。しかし、現代の高福祉国家にはそういう同調圧力はない。そのため、「バラマキには効果がない」というデータが徐々に集まってきているのだ。
 では、本当に意味のある少子化対策は何かというと、与謝野晶子の言ったように、経済的弱者が不安なく暮らせるような社会をつくることだ。
 そのために必要なのは「経済成長」である。国家がコントロールした計画経済や、平等な公共サービスを掲げた社会主義国家が崩壊したことからもわかるように、この経済成長というものは「バラマキ」では絶対になしえることができない。
 半世紀にわたって莫大な補助金が投入されてきた日本のコメ農家の「競争力」が低下しているのが、その証左である。
 しかし、今の日本はそういう当たり前の話は通じない。独身税にブチギレする人が多いように、日本という国の不平等な制度に怒りを覚え、頭に血が上っている人がたくさんいるので、経済成長などとまどろっこしい話より、今すぐ現金が手に入る「バラマキ」を求めている。
 外国人を優遇するな。高齢者を優遇するな。そして、子どもや子育て世代を優遇するな。
 そうやって「特権的な立場の人々」に憎悪を強めながら、今度はこれまで冷遇されていた人々を優遇せよという主張が大きな支持を得ているのだ。
人類の歴史を振り返ると、「これまで被害者だった人たちが政治・社会情勢変わって今度は加害者側になる」ということが何度も繰り返されている。
 今の日本社会を包む憎悪の強さを見ていると、そんな「被害者と加害者の交代劇」が起きそうな予感がする。日本にいる外国人を厳しく規制して、高齢者の医療や年金を減らす。そして、子どもや子育て世代は「これまで偉そうにしやがって」とどんどん肩身が狭くなる。
「独身税の炎上」という現象は、働いても報われない、結婚や子どもをつくるなんて考えられないという「経済的弱者」の復讐が始まった狼煙なのかもしれない。>(以上「DIAMOND」より引用)




 独身税は極めて不適切な税だ。なぜなら「独身」であることに何ら担税力がないからだ。それは消費に対して課税する消費税と負けず劣らずの悪税だ。
 窪田順生(ノンフィクションライター)氏が独身税に対して広範な考察を加えて批判している。題して「「子ども家庭庁は解体だ」“独身税”が大炎上…奪われ続ける「未婚・子なし」の人が救われる“たった1つ”の方法」という論評だ。是非ご一読していただきたい。

 まず確認しておきたい数字がある。それは税と社会保障の額だ。OECDの調査によると日本の国民負担額は税と社会保険料を合わせると195兆円に達している。税が約75兆円だから、社会保険料は120兆円ということになる。その額を日本の人口で割れば一人当たり155万円に達する。
 マスメディアは税収だけを報道して「最大の税収」だと表現しているが、税収よりも大きい社会保険料を報道しないのには、何か意図があるのだろうか。それとも社会保険料は税ではないというのだろうか。だが国民にとって国家によって強制的に徴収されるカネは税と同じだ。

 税と同じというのなら、電気料や上下水道料などの「公共料金」も税に含めても良いだろう。そうすると、国民負担率はどれほどの額に上るというのだろうか。他にもNHK料金や難波強制化されている社会福祉協議会費や「赤い羽根募金」等々、日本国民が地域社会で暮らす上で半ば強制的に徴収される会費等まで含めると、息苦しい世の中になったものだと思わざるを得ない。
 そこに来てここ数年間に様々な税が設けられた。森林税は東日本大震災復興基本法に基づき、平成26年度から臨時的に年額1,000円(府民税500円、市民税500円)が賦課徴収されていたがこの臨時的措置が令和5年度で終了し、令和6年度より新たに森林環境税1,000円が導入された。つまり一度創設した臨時「税」は、その期限が終わる時に名を変えて引き続き徴収する、というのが税を徴収する側の常套手段のようだ。

 独身税は今に始まった税ではない、と窪田氏は指摘する。大正時代にも独身税はあったが、それは現在とは真逆の多子時代の支援財源として設けられたものだった。子供が5人も6人もいると世帯収入だけでは育てられない。だから独身者から税を徴収して支援しようとするものだった。
 窪田氏は弱者救済のために税で支援するのは政策として効果的でないばかりか、社会に分断をもたらす原因になるという。そして負担する側から「外国人を優遇するな。高齢者を優遇するな。そして、子どもや子育て世代を優遇するな」という声が噴出する。「人類の歴史を振り返ると、「これまで被害者だった人たちが政治・社会情勢変わって今度は加害者側になる」ということが何度も繰り返されている」と窪田氏は冷静に分析し、だから「独身税」は少子化対策として百害あって一利なしだと主張する。

 最も効果的な少子化対策は経済成長だが、効果が出るまで時間のかかる正攻法を実行に移す政治家が政権党に見当たらない。だから日本は「失われた30年」を続けて少子化と労働所得低下を招いている。

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