習近平体制は盤石ではない。
<失脚武装警察長官の後釜は
憲法を改正してまで、3期目の政権に入り、一時は「独裁者」とまで言われていた、中国の習近平国家主席の政治的地位が、昨年夏以降、揺らぎ続けている、と思わせる現象が続いている。
水面下で起きているであろう、抗争をうかがわせる動きの中で、最も注目すべきは、軍、警察といった共産党体制の柱といってよい暴力機構の人事だ。習近平主席はこれまで、この権力の根源といってよい重要機構のトップに、当然のことながら自分に近い人物を据えてきた。ところが一昨年後半ごろから、それらの人物が、腐敗摘発、規律違反等々の理由で失脚し続けているのである。
そして最近また、注目すべき動きがあった。
3月10日、中国の一部メディアは武装警察部隊に関する人事異動の一つを報じた。人民解放軍北京衛戍区前司令官の付文化氏が、武装警察部隊の副司令官に転任していることが判明したという。
武装警察部隊は約120万の兵力を擁し、国内の暴動・反乱の鎮圧を主な任務とする「第二の解放軍部隊」であり、国内政治においても大きな影響力を持つ一大準軍事勢力である。今回の付氏の武装警察副司令官転任はどういう意味を持つか。それを理解するためには、今年1月に話題となった武装警察司令官・王春寧氏の重要会議欠席の一件を見てみる必要がある。
香港紙などの海外メディアが大きく取り上げて報じたところによると、1月12、13日に共産党中央政法工作会議で、共産党政法委員会の委員が揃って出席した中で、委員である王春寧氏がただ一人欠席した。王氏は昨年11月あたりから、本来出席すべき重要会議や式典を悉く欠席していた。そのため、王氏はすでに失脚したのではないかと見られている。
王氏は、一般的には「習近平派の軍人」だと見られている。彼は元南京軍区所属の解放軍第一集団軍で長い軍歴があり、習近平主席とは、習氏が浙江省(省庁所在地は南京)で共産党トップを務めた時代に接点が出来たと思われる。そして習近平政権1期目の2016年に、首都防衛の要である解放軍北京衛戍区司令官に転任、習政権2期目の2020年には武装警察部隊司令官に転任した。言うまでもなくその両方ともは、習政権を武力の面から支える重要ポストである。
もしこの王氏が失脚しているのであれば、昨年11月に起きた同じく習主席の「子分」であった苗華・軍事委員会政治工作主任の失脚と同様に、習主席にとっての大きな打撃である。
習近平氏が汚職事件で粛清し無期懲役の刑に服している薄熙来氏が釈放されたのではないかという未確認情報がある。何もかも未確認情報ばかりだが、中国の政権内部で権力闘争が激しくなり、習近平派が追い落とされているのではないかと推測される。
憲法を改正してまで、3期目の政権に入り、一時は「独裁者」とまで言われていた、中国の習近平国家主席の政治的地位が、昨年夏以降、揺らぎ続けている、と思わせる現象が続いている。
水面下で起きているであろう、抗争をうかがわせる動きの中で、最も注目すべきは、軍、警察といった共産党体制の柱といってよい暴力機構の人事だ。習近平主席はこれまで、この権力の根源といってよい重要機構のトップに、当然のことながら自分に近い人物を据えてきた。ところが一昨年後半ごろから、それらの人物が、腐敗摘発、規律違反等々の理由で失脚し続けているのである。
そして最近また、注目すべき動きがあった。
3月10日、中国の一部メディアは武装警察部隊に関する人事異動の一つを報じた。人民解放軍北京衛戍区前司令官の付文化氏が、武装警察部隊の副司令官に転任していることが判明したという。
武装警察部隊は約120万の兵力を擁し、国内の暴動・反乱の鎮圧を主な任務とする「第二の解放軍部隊」であり、国内政治においても大きな影響力を持つ一大準軍事勢力である。今回の付氏の武装警察副司令官転任はどういう意味を持つか。それを理解するためには、今年1月に話題となった武装警察司令官・王春寧氏の重要会議欠席の一件を見てみる必要がある。
香港紙などの海外メディアが大きく取り上げて報じたところによると、1月12、13日に共産党中央政法工作会議で、共産党政法委員会の委員が揃って出席した中で、委員である王春寧氏がただ一人欠席した。王氏は昨年11月あたりから、本来出席すべき重要会議や式典を悉く欠席していた。そのため、王氏はすでに失脚したのではないかと見られている。
王氏は、一般的には「習近平派の軍人」だと見られている。彼は元南京軍区所属の解放軍第一集団軍で長い軍歴があり、習近平主席とは、習氏が浙江省(省庁所在地は南京)で共産党トップを務めた時代に接点が出来たと思われる。そして習近平政権1期目の2016年に、首都防衛の要である解放軍北京衛戍区司令官に転任、習政権2期目の2020年には武装警察部隊司令官に転任した。言うまでもなくその両方ともは、習政権を武力の面から支える重要ポストである。
もしこの王氏が失脚しているのであれば、昨年11月に起きた同じく習主席の「子分」であった苗華・軍事委員会政治工作主任の失脚と同様に、習主席にとっての大きな打撃である。
さらに力を増す張又侠
さらに重要なことは、王氏が失脚したのであれば、新任の武装警察司令官には付文化副司令官が取って代わって次期司令官になるのが自然の流れであるが、この人物は、中央軍事委員会筆頭副主席で「反習近平派軍人」の中心人物の張又侠氏の子分だと見られることだ。これは習主席による「第二の解放軍部隊」への支配が大きく揺らいたことを意味する。
付氏は2016年までに、旧瀋陽軍区所属の解放軍第16集団軍で長い軍歴があった。2007年から12年までの5年間、当時の瀋陽軍区司令官を務めたのがまさに張又侠氏であった。張司令官の在任中に付氏はそのメガネに叶って昇進を重ねた。そして張氏が中央軍事委員会副主席に就任してからの2020年、付氏は解放軍北京衛戍区司令官に転任したのである。
このような経緯から見れば、付氏はまさに「張又侠人脈」の軍人であるに違いないが、今なって、習近平派軍人の王春寧武装警察司令官が「失脚した(と見られる)」直後に、付氏が副司令官となってその後釜に座るような流れとなっていることは大変重要な政治動向である。つまり張又侠氏は前述の苗華の失脚で習近平勢力を軍から追い出した後、今度は王春寧失脚を画策して武装警察に対する「習近平支配」を終焉させ、さらに自分の子分を後任司令官に据えることによって「第二の解放軍」をも自らの掌握下に置こうしているのである。
これが完全に成功した暁には、張氏は軍と武装警察の両方を手中に収めて政権内の超大物実力派となっていくだろう。
さらに重要なことは、王氏が失脚したのであれば、新任の武装警察司令官には付文化副司令官が取って代わって次期司令官になるのが自然の流れであるが、この人物は、中央軍事委員会筆頭副主席で「反習近平派軍人」の中心人物の張又侠氏の子分だと見られることだ。これは習主席による「第二の解放軍部隊」への支配が大きく揺らいたことを意味する。
付氏は2016年までに、旧瀋陽軍区所属の解放軍第16集団軍で長い軍歴があった。2007年から12年までの5年間、当時の瀋陽軍区司令官を務めたのがまさに張又侠氏であった。張司令官の在任中に付氏はそのメガネに叶って昇進を重ねた。そして張氏が中央軍事委員会副主席に就任してからの2020年、付氏は解放軍北京衛戍区司令官に転任したのである。
このような経緯から見れば、付氏はまさに「張又侠人脈」の軍人であるに違いないが、今なって、習近平派軍人の王春寧武装警察司令官が「失脚した(と見られる)」直後に、付氏が副司令官となってその後釜に座るような流れとなっていることは大変重要な政治動向である。つまり張又侠氏は前述の苗華の失脚で習近平勢力を軍から追い出した後、今度は王春寧失脚を画策して武装警察に対する「習近平支配」を終焉させ、さらに自分の子分を後任司令官に据えることによって「第二の解放軍」をも自らの掌握下に置こうしているのである。
これが完全に成功した暁には、張氏は軍と武装警察の両方を手中に収めて政権内の超大物実力派となっていくだろう。
中央軍事委員会副主席「逮捕」情報
これに加え、中央軍事委員会の二人の副主席の一人、習近平主席の腹心の軍人、何衛東氏が全人代会議閉幕の直後に「逮捕」されたという未確認情報が海外の中国語SNSで取り沙汰されている。この情報の出所は、海外亡命の中国人ジャーナリストの趙蘭健氏のXアカウントで、3月13日に「国内権威人士」からの情報として「何衛東逮捕」と投稿があった。
これに対して、同じ海外亡命のジャーナリストの蔡慎坤氏もネット番組で「痕跡のないことでもない」と肯定的な論評を行った。実はこの蔡氏は昨年11月、習近平側近の苗華氏の失脚が発表される1週間ほど前に、海外で初めて、内部情報に基づいて「苗華失脚」を報じた人間でもある。
今の時点では、「何衛東逮捕」の真偽は依然として不明であるが、もしそれが真実であるなら、習近平政権を根底から揺るがす「大地震」となるのであろう。
これに加え、中央軍事委員会の二人の副主席の一人、習近平主席の腹心の軍人、何衛東氏が全人代会議閉幕の直後に「逮捕」されたという未確認情報が海外の中国語SNSで取り沙汰されている。この情報の出所は、海外亡命の中国人ジャーナリストの趙蘭健氏のXアカウントで、3月13日に「国内権威人士」からの情報として「何衛東逮捕」と投稿があった。
これに対して、同じ海外亡命のジャーナリストの蔡慎坤氏もネット番組で「痕跡のないことでもない」と肯定的な論評を行った。実はこの蔡氏は昨年11月、習近平側近の苗華氏の失脚が発表される1週間ほど前に、海外で初めて、内部情報に基づいて「苗華失脚」を報じた人間でもある。
今の時点では、「何衛東逮捕」の真偽は依然として不明であるが、もしそれが真実であるなら、習近平政権を根底から揺るがす「大地震」となるのであろう。
誰も習近平地方視察についていかなかった理由
3月20日、中国雲南省で地方視察中の習近平国家主席は、昆明市駐屯の解放軍部隊の将校たちを市内の施設に一堂に集めて接見した。それは、習主席が地方視察するたびに行う恒例行事の一つであって、自らの軍支配を誇示するのが狙いである。時には習主席は、自ら解放軍部隊の駐屯地に足を運んで現地視察する場合もある。
しかし今回の接見には一つの異変が生じた。習主席による今までの解放軍部隊視察・接見には必ず、中央軍事委員会の二人の副主席のどちらかが随行・同伴することになっているが、今回の接見には、二人のいずれも姿を現さなかった。
それまでの前例をいくつか挙げると、例えば2023年12月15日、広西省視察中の習主席が南寧市で解放軍部隊将校に接見したとき、同伴したのは軍事委員会副主席の張又侠氏。2024年2月3日、習主席が天津市で解放軍部隊を視察・慰問した時に、同伴したのは軍事委員会副主席の何衛東氏。同年12月5日、習主席が解放軍情報支援部隊を視察した時、軍事委員会副主席の両氏は揃って同伴した。同12月20日、習主席がマカオの中国返還25周年記念行事の参加のついでにマカオ駐屯の解放軍部隊を視察したとき、軍事委員会副主席の何衛東氏は、それだけのために北京から駆けつけてきて視察に同伴している。
こうしてみると、習主席による解放軍部隊の視察・接見には制服組の軍事委員会副主席の一人か二人が同伴するのは不動の慣例であることが分かる。それは、習主席による軍支配の誇示であると同時に、軍トップの習主席に対する忠誠心の示し方でもある。
しかし3月20日の習主席の昆明部隊将校接見には、二人の軍事委員会副主席のどちらも姿を現さなかった。異例中の異例である。二人が同時に病気になったのかもしれないが、しかし普通では考えられない。
ならば本当の理由は何か。まずは軍事委員会筆頭副主席の張又侠氏の場合、彼はとっくに軍における反習近平派の中心人物となっているから、習主席の軍視察の同伴に抵抗するのはむしろ当然のこと。
だが、その一方、軍における習主席側近の何衛東氏が「主人」の元に駆けつけないのはやはりおかしい。3月13日から、海外では「何衛東失脚説」が流れているが、習主席の軍接見における彼の欠席は当然、この噂の信憑性を高めることになっている。その際、何氏の失脚が真実でなくても、「主人の同伴」をしたくてもできないような事情が彼の身に生じてきていることも考えられる。あるいは何氏は、主人の権勢はすでに衰えたことを見て、保身のために習近平離れを始めたかもしれない。
いずれにしても、今回の一件は、解放軍による習近平排除が加速化していることの表れであるとみるべきだし、「習近平の地位失墜」の確実な兆候とも見るべきであろう>(以上「現代ビジネス」より引用)
3月20日、中国雲南省で地方視察中の習近平国家主席は、昆明市駐屯の解放軍部隊の将校たちを市内の施設に一堂に集めて接見した。それは、習主席が地方視察するたびに行う恒例行事の一つであって、自らの軍支配を誇示するのが狙いである。時には習主席は、自ら解放軍部隊の駐屯地に足を運んで現地視察する場合もある。
しかし今回の接見には一つの異変が生じた。習主席による今までの解放軍部隊視察・接見には必ず、中央軍事委員会の二人の副主席のどちらかが随行・同伴することになっているが、今回の接見には、二人のいずれも姿を現さなかった。
それまでの前例をいくつか挙げると、例えば2023年12月15日、広西省視察中の習主席が南寧市で解放軍部隊将校に接見したとき、同伴したのは軍事委員会副主席の張又侠氏。2024年2月3日、習主席が天津市で解放軍部隊を視察・慰問した時に、同伴したのは軍事委員会副主席の何衛東氏。同年12月5日、習主席が解放軍情報支援部隊を視察した時、軍事委員会副主席の両氏は揃って同伴した。同12月20日、習主席がマカオの中国返還25周年記念行事の参加のついでにマカオ駐屯の解放軍部隊を視察したとき、軍事委員会副主席の何衛東氏は、それだけのために北京から駆けつけてきて視察に同伴している。
こうしてみると、習主席による解放軍部隊の視察・接見には制服組の軍事委員会副主席の一人か二人が同伴するのは不動の慣例であることが分かる。それは、習主席による軍支配の誇示であると同時に、軍トップの習主席に対する忠誠心の示し方でもある。
しかし3月20日の習主席の昆明部隊将校接見には、二人の軍事委員会副主席のどちらも姿を現さなかった。異例中の異例である。二人が同時に病気になったのかもしれないが、しかし普通では考えられない。
ならば本当の理由は何か。まずは軍事委員会筆頭副主席の張又侠氏の場合、彼はとっくに軍における反習近平派の中心人物となっているから、習主席の軍視察の同伴に抵抗するのはむしろ当然のこと。
だが、その一方、軍における習主席側近の何衛東氏が「主人」の元に駆けつけないのはやはりおかしい。3月13日から、海外では「何衛東失脚説」が流れているが、習主席の軍接見における彼の欠席は当然、この噂の信憑性を高めることになっている。その際、何氏の失脚が真実でなくても、「主人の同伴」をしたくてもできないような事情が彼の身に生じてきていることも考えられる。あるいは何氏は、主人の権勢はすでに衰えたことを見て、保身のために習近平離れを始めたかもしれない。
いずれにしても、今回の一件は、解放軍による習近平排除が加速化していることの表れであるとみるべきだし、「習近平の地位失墜」の確実な兆候とも見るべきであろう>(以上「現代ビジネス」より引用)
習近平氏が汚職事件で粛清し無期懲役の刑に服している薄熙来氏が釈放されたのではないかという未確認情報がある。何もかも未確認情報ばかりだが、中国の政権内部で権力闘争が激しくなり、習近平派が追い落とされているのではないかと推測される。
そうした時恰も、石 平(評論家)氏が「習近平「地位失墜」に確実な兆候が…!孤独な地方視察、一派の軍人が相次ぎ失脚、腹心の制服組トップ「逮捕」情報も!」と題する論評を発表した。表面に現れる習近平氏の地方軍区の訪問に軍事委員会の副主席が随行する慣行が崩れて、習近平氏が単独で地方軍区の将校たちと面会したという。形式と面子を重んじる中国社会でお供を連れないで単独で地方行脚するのは自身の権威失墜を見せることで、それこそメンツを失う行為だ。
3月5日に開会した全人代で、経済関係の発表を李強首相が行ったことも衆目を集めた。もちろん経済関係は首相の職務だ。しかし前任の李克強首相の時は経済関係の発表も習近平氏が行って、李克強氏の出番はなかった。それほど権力を完全掌握していたが、今回の全人代では以前の職務分担に戻されている。
首相は習政権内ではナンバー2に当たり、習近平氏の次を狙う最大のライバル関係にある。だからこそ、前首相の李克強氏は失脚し、その直後に不可解な急死を遂げている。
石平氏が中国の第二人民解放と云うべき武装警察部隊の司令官と副司令官の人事に注目が集まっている。武装警察部隊は約120万の兵力を擁し、国内の暴動・反乱の鎮圧を主な任務とする。司令官は習近平氏側近の王春寧氏だったが、公の場に姿を現さなくなり、失脚したのではないかといわれている。その代わり筆頭副司令官の張又侠氏と副司令官の何衛東氏の両名が実権を握っている。張又侠氏は反習近平派で、何衛東氏は張又侠氏の子分で知られている。
つまり中南海を守備する近衛兵・武装警察部隊が反習近平派の手に落ちている。習近平氏にとって重大事だが、こうした事態に厳しく対処していないため、習近平氏は二度目の脳梗塞を発症したのではないかとの噂が流れている。
噂といえば、習近平氏は近々退陣するのではないか、という噂があるようだ。財政難は軍部にも及び、人民解放軍の給与まで遅配しているという。さらに兵士に減給通達が出されて人民解放軍の士気は衰えて中共政府の統率が乱れているとも云われている。
習近平氏が創設したロケット部隊では配備したミサイルの燃料タンクに燃料ではなく、水が入っていたなどといった軍事物資の横領が常態化しているという。激怒した習近平氏がロケット部隊の幹部を粛正したが、そうした軍紀の乱れはロケット部隊だけのことではなく、人民解放軍全般に及んでいると思わなければならないだろう。だからこそ、120万人もの武装警察隊が必要なのだろうが、その武装警察隊が反習近平派の支配下にあるとすれば、いよいよ習近平氏にとって安全な場所は中国の何処にも無くなったと云うべきではないか。