成田氏は国家も貨幣も無くなると未来を予想するが、

もう国家なんて必要ない?
 資本主義が行きついた先には、どのような世界が待ち受けているのか――そうなると、国家の役割すら変わるでしょう。国家の発行するお金の価値が下がるから、というだけではありません。
 そもそも近代福祉国家の役割は、徴税と再分配で弱者を助け格差を是正することです。しかし今その役割への不満が噴出しています。税金や社会保険料は上がり続け、もらえる年金は雀の涙ほど。
 しかも肝心の福祉政策の実施前に、電通やパソナが中抜きしていきます。だから日本では「ザイム真理教」批判が盛んですし、アメリカでは「政府効率化省」が公務員をどんどんクビにして一部の喝采を浴びているわけです。
 では国家よりいい格差解消への近道はないでしょうか? ヒントはまたしてもデータです。たとえば「一物多価」、つまり買う人の属性や過去の行動のデータに応じて値段を変えるしくみの導入です。
 これまで商品につく値段は一つだけ、すなわち「一物一価」が常識でした。しかしデータを価格に反映させ、お金持ちには10万円、庶民には1万円で売れば、再分配を自動化できるのです。
 データで一物多価的に柔軟化した資本主義市場経済が再分配の役割を果たせれば、国家には「公共の警備会社」くらいの役割しか残らないかもしれません。

結婚相手もアルゴリズムが決めてくれる世界
 それぞれの人の履歴がデータとして記録された未来では、自分で考えて選択や判断する必要すらなくなるかもしれない。過去の購入履歴をもとにオススメ商品を提示する通販サイトのように、生活や人生のあらゆる場面で、その人のデータからAIが適切な選択肢を示してくれるからだ。
 成田氏が思い描く未来では、SF作家ブルース・スターリングの小説『招き猫』に登場するAIを用いたマッチングシステムに由来した、「招き猫アルゴリズム」が活躍する。
 招き猫アルゴリズムが何もかも決めてくれると聞くと、ディストピアSFかとネガティブに感じるかもしれません。しかし私たちはこれまでも、家族や学校、会社といったさまざまなコミュニティから、人生の選択を誘導され洗脳されてきました。その意味ではずっと、原始的な「招き猫アルゴリズム」と同居してきたとも言えます。
 大枚をはたいて塾に通い、受験競争を勝ち抜いて有名企業に就職する――そんな画一的な生き方を「自分で選び取った成功であり幸福なのだ」と思い込んでいます。
 今それが当たり前なのであれば、未来では「招き猫アルゴリズム」の手招きに従って生きることがごく自然で、自分で選んだ幸せで恵まれた人生だと思い込む人が、大多数を占めることもあると思います。

逸脱こそが価値になる
 そんな世界ではもはや、お金は人間を表す無数の価値尺度の一つに過ぎなくなります。お金の有無よりも、その人の存在を示すデータが重要になります。その人がどれだけユニークで、奇天烈で、わけがわからない存在なのか―そんな唯一無二の個性や、類型からの逸脱こそが価値になるでしょう。
 たとえるならば、人間は誰しも、過去の振る舞いや属性を表したアート作品のような存在になります。ゴッホとバンクシーの絵の価値を比較できないように、誰しもがお金よりもデータの「尖り具合」によって評価されるようになるのです。
 お花畑のような夢想だと思われるかもしれません。もちろん、一朝一夕でそんな世界が訪れるわけではありません。しかし、歴史を振り返って新しい時代を創り出してきたのはいつも、「目の前の課題を解く実践者」と同時に、「無責任で無力な想像者」の二人三脚でした。
 教科書に「民主主義の基礎を築いた」と載っているジャン=ジャック・ルソーや、社会主義と共産主義の生みの親であるカール・マルクス。彼らは言うなればただのニートでした。知人を逆恨みして誹謗中傷まがいの本を出版したり、友達にお金をせびりに行って断られると逆ギレするダメ人間だった。でもそんなろくでなしの妄想こそが、人類の歴史を切り開いてきたのです。
 だから私も無責任で無力な立場から、未来を勝手に妄想しています。株価やタワマンの値段に一喜一憂するのもいい。しかし、経済や社会のグランドデザインを創るうえで欠かせないのは、値段では測れない妄想や逸脱だと思うからです>(以上「週刊現代」より引用)




「やがてお金は消滅します」…成田悠輔が予想する「これからの世界」」と題して、成田 悠輔(研究者/事業者)氏が「飛んでも」未来社会を予測している。成田氏曰く「貨幣や国家は意味を持たなくなる」というものだが、国境を越えて活躍する経済人にはそうした予測は納得する人が多いだろう。
 しかし一生の殆どを自国で暮らす多くの人たちにとって、未来では「国家」が意味を持たなくなるとは思えない。なぜなら日本国民は日本という国家に「税金」や『社会保険料』を支払って、ある種の貸借関係もしくは社会契約を結んでいるからだ。

 成田氏は「国家も貨幣も必要ない」と極論しているが、確かにグローバル経済ではそうかもしれない。国籍を持たないデジタル貨幣が取引される現状だけを見れば、国家も貨幣も必要ないかも知れない。
 しかし現実社会でデジタル貨幣が貿易決済手段として使われているわけでも、自国通貨に代わって国内取引で使われているわけでもない。ただ投機対象として存在しているだけだ。それも現実社会にではなく、仮想の電脳世界で存在しているだけだ。

 現実世界で国家は必然的に形成された地域の形態だ。そこにも地政的、民族的な要件を満たす集団が暮らす地域としての纏まりから国家が形成されている。あるいはアフリカのように植民地支配という歴史的な経緯から国家が形作られた。
 通貨も国家には必要だ。それは統治者が税を徴収する手段として自国通貨を必要とするからだ。ただ紙幣や貨幣の重要度はデジタル決済の比重が増すにつれて下がっていくだろうが、通貨は決してなくならない。それは主権国家の一部だからだ。

 結婚相手もアルゴリズムが決めてくれる、と成田氏は極論しているが、決してそうではない。確かにアルゴリズムの「マッチングアプリ」などで相性の合う異性を選ぶことが増えているようだが、最終的に結婚を決めるのは当事者同士だ。日本は統一教会のような教祖が婚姻相手を勝手に決めるような社会ではない。
 一々成田氏に反論するようだが、必ずしも婚姻相手を決める動機は「お金の有無よりも、その人の存在を示すデータが重要になります。その人がどれだけユニークで、奇天烈で、わけがわからない存在なのか―そんな唯一無二の個性や、類型からの逸脱こそが価値になるでしょう」と近未来の結婚観を提起しているが、そうはならない。近未来と雖も金持ちか否かは婚姻相手の条件として重要な要素の一つであり続けるだろう。奇想奇天烈な婚姻相手では長い結婚生活を乗り切るのは困難だと思う人もいるだろう。未来の話だとしても、婚姻の形態を一概に決めつけることは出来ないだろう。

 奇想奇天烈な妄想の最終章で成田氏は「無責任で無力な立場から、未来を勝手に妄想しています。株価やタワマンの値段に一喜一憂するのもいい。しかし、経済や社会のグランドデザインを創るうえで欠かせないのは、値段では測れない妄想や逸脱だと思う」と論述してきた近未来が成田氏の妄想であり願望だったと告白している。
 しかし世界はその方向に必ずしも向かっていない。2000年頃から世界を席巻していたグローバリズムは退潮し、19世紀的な「孤立主義」が米国で吹き荒れている。世界各国首脳は自近通貨の為替相場を気にし、GDPや国民所得を気にしている。政治家が自国民からの支持を基盤としている以上、国家も通貨も決してなくなることはあり得ない。もしも「国連」のような国際機関が世界政府として各国の上位に存在して、世界各国の軍事統帥権が「国連」に移管され、徴税権も「国連」に集約された「世界政府」になったなら、成田氏の妄想が現実のものになるだろう。しかし、競争心の強い独善的な人類がそのような協調世界を実現するとは思えない。

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