誰であれSNSに根拠のない誹謗中傷を書き込むのは慎むべきだ。
<立憲民主党の小西洋之参院議員が18日、自身のX(旧ツイッター)を更新。同日、自身にとっての「今年の漢字」を「結」と発表した兵庫県の斎藤元彦知事を「どういう神経をしているのか」などと猛批判した。
小西氏はXで、斎藤知事が漢字を発表したXの投稿を引用。「どういう神経をしているのか。。公益通報法に違反し元局長を自死に追い込み、その虚偽の誹謗中傷などを拡散し後にそれを認めた立花氏と公選法違反の二馬力選挙を行い、更には、SNS選挙の買収罪の疑惑説明からも逃げ回っている」と断じ、「決して政治家、首長として市民と結び合ってはならない人物だろう」と切り捨てた。
この投稿には賛同意見も見られたが、一方で「自死に追い込み?二馬力選挙?証拠あります?確定して大丈夫?」「具体的に経緯を説明できますか?」「元局長を自死に追い込んだのは知事なのですか?根拠をお示し頂けますと幸いでございます」と疑問視する声も多く寄せられた>(以上「デイリー」より引用)
「立民・小西洋之氏 「今年の漢字」発表の斎藤元彦知事を猛批判「どういう神経をしているのか」 「元局長を自死に追い込み」との主張には疑問の声も」という見出しには驚いた。フリー記者と称する礼儀知らずならまだしも、国会議員としてバッジを付けている人が根拠もなく公職にある者を誹謗・中傷するとは。
小西氏はXで、斎藤知事が漢字を発表したXの投稿を引用。「どういう神経をしているのか。。公益通報法に違反し元局長を自死に追い込み、その虚偽の誹謗中傷などを拡散し後にそれを認めた立花氏と公選法違反の二馬力選挙を行い、更には、SNS選挙の買収罪の疑惑説明からも逃げ回っている」と断じ、「決して政治家、首長として市民と結び合ってはならない人物だろう」と切り捨てた。
この投稿には賛同意見も見られたが、一方で「自死に追い込み?二馬力選挙?証拠あります?確定して大丈夫?」「具体的に経緯を説明できますか?」「元局長を自死に追い込んだのは知事なのですか?根拠をお示し頂けますと幸いでございます」と疑問視する声も多く寄せられた>(以上「デイリー」より引用)
「立民・小西洋之氏 「今年の漢字」発表の斎藤元彦知事を猛批判「どういう神経をしているのか」 「元局長を自死に追い込み」との主張には疑問の声も」という見出しには驚いた。フリー記者と称する礼儀知らずならまだしも、国会議員としてバッジを付けている人が根拠もなく公職にある者を誹謗・中傷するとは。
小西氏は「どういう神経をしているのか。。公益通報法に違反し元局長を自死に追い込み、その虚偽の誹謗中傷などを拡散し後にそれを認めた立花氏と公選法違反の二馬力選挙を行い、更には、SNS選挙の買収罪の疑惑説明からも逃げ回っている」と断じ、「決して政治家、首長として市民と結び合ってはならない人物だろう」と切り捨てた、記事にある。小西氏の方にこそ「どうしたのか」と訊かなければならない。
まず元県民局長の自死と斎藤知事とに因果関係があるとでもいうのだろうか。そもそも元県民局長が配布したとされる「文書」は「公益通報」ではなく、「怪文書」でしかない。なぜなら公益通報に当たるなら、元県民局長は然るべき県の窓口へ提出すべきだった。
さらに選挙においても「立花氏と二馬力選挙」という批判にも何ら根拠はない。それを公職選挙法違反だと断定するのは斎藤氏と立花氏に対する誹謗・中傷に当たる。そして立花氏は「虚偽の誹謗中傷などを拡散し後にそれを認めた立花氏」と発言しているが、立花氏は百条委員会の内部委員から提供された秘密会の音声データを漏洩しただけだ。しかも音声データの内容を記者クラブの新聞記者諸氏は知っていたことも判明している。立花氏は嘘八百を並べ立てたのではなく百条委員会の秘密会の音声データを公表しただけであって、決して虚偽の誹謗中傷でないことは明らかだ。
現に元県民局長の文書問題は第三者委員会を設置して事実解明をする、と斎藤知事は表明している。未確認情報ながら警察も捜査しているという。それなら結果が出るまで外野がワーワー騒ぐのではなく、静かに待てば良い。
PR会社社長がSNSに書き込んだ「落書き」も告発趣味の教授が「公職選挙法違反」で告発し、警察と検察が受理した。警察と検察がキチンと捜査して「起訴、不起訴」を判断するだろう。それまでトヤカク批判するのは慎むぺきだ。推定無罪の原則を無視してSNSに斎藤知事の誹謗中傷を書き込むのは名誉棄損で訴えられても仕方のない行為だと、認識すべきだ。
いやしくも国会議員たる小西氏が斎藤知事を根拠もなく批判するのは常識を欠くといわれても仕方ないだろう。国会議員であれば現在国民党が全力を注いでいる103万円の壁撤廃に向けて、なぜそうすべきなのかを国民に分かりやすく解説するなり、壁の撤廃を123万円でお茶を濁そうとする自民党税調を政治家として批判するなりすべきが本分ではないか。