大統領選の開票特番に臨んでいた解説者たちの沈んだ顔。彼らは何を解説しようとしていたのか。

<開票前まで今回の大統領選挙は、大方の予想では、まれにみる僅差になり、結果判明までに少なくとも数日かかるのではないかとされていた。ところがハリスは、予想外の大差でトランプに敗れ、トランプの勝利が開票開始から1日も経たずに誰の目にも明らかとなった。
 それではなぜハリスは敗れたのだろうか。既に多くの識者により、インフレや移民問題など様々な要因が指摘されている。そこでここでは、ハリスがアフリカ系でありアジア系でもある女性候補であるという点に注目し、歴史的にマイノリティの政治家が米国社会にどれだけ受け入れられてきたかという視点から考えてみたい。

黒人女性差別の現状
 ミソジノワールという言葉がある。黒人女性に向けられた女性蔑視(ミソジニー)のことを指す言葉である。黒人女性は他の人種の女性に比べて殊更強い蔑視のまなざしを受けていることを表す語だといえよう。
 近年の例でよく引き合いに出されるのが、2018年の全米オープンテニスの決勝での、セリーナ・ウィリアムズと大坂なおみとの試合である。この試合でウィリアムズは、ポルトガル人のカルロス・ラモス審判によって、3つものペナルティーを科された。
 1ポイントを失う処分に抗議するが、その抗議も咎められ、結局1ゲームまでも失い、最終的に敗れている。しかも、1万7000ドルという高額の罰金を科されてもいる。
 日本では、審判に激してウィリアムズが興奮のあまり、勝者の大坂に敬意を払わなかった出来事として記憶されている。だが黒人女性差別という視点からみると別のものが見えてくる。ウィリアムズは、自分がその試合で犯したとされるのと同様の行為が男子の試合でもみられるもののこれほどの罰が与えられないとして、後に自分が女性であるせいでそのような扱いを受けていると主張した。
 この出来事は、対戦相手の大坂も黒人の父を持つために、人種の問題は入っていないかに見えた。しかし、後日この出来事を報じたメディアのなかには、大阪があたかも黒人とは関係がないように描き、一方でウィリアムズの黒人性を強調して描いたものが見受けられた。
 激した乱暴な黒人女性がラケットを折り、審判に暴言を吐いたという図である。そもそも女性蔑視の風潮が強い中、21世紀の今日でもいまだに黒人女性には更に強い差別が存在しているのである。

オバマ元大統領が与えた衝撃
 では、今回のハリスの敗北はそのようなミソジノワールによるものだろうか。確かに影響はあっただろう。
 女性を大統領にさせたくない、黒人を大統領にさせたくない、アジア系などなおさらだという考えの人は多い。しかし、トランプに対する嫌悪が強いというのは広くメディアが報じていることであり、にもかかわらずトランプがあそこまで差をつけて勝利したということは、ハリスの敗因はミソジノワールのせいとばかりは言えないのではないだろうか。
 これまでトランプは米国を破壊した存在として批判されることが多い。トランプのようなこれまでの常識や大統領としての品性といった人々の想定の斜め上をいく存在が突如として表れて、よき米国が壊されてしまったという批判である。
 しかし、米国の破壊は果たしてトランプのせいだろうか。その根源は初の黒人大統領となったオバマの登場にあるのではないか。
 救世主のごとく連邦政治の舞台に現れたオバマはアフリカ系アメリカ人の政治家として完璧に見えた。ハーバードロースクール在学中に権威ある『ハーバード・ロー・レビュー』の編集長を務め、弁護士資格を取るも、貧困層救済活動に身を投じ、イリノイ州議会議員を経て、04年11月の選挙で当時現職としては唯一のアフリカ系連邦上院議員となる。あのさわやかな弁舌と、親しみやすい人柄、そして素敵な家族。
 04年の大統領選の民主党大会で、2日目の基調演説に立った若き上院議員の「黒いアメリカも白いアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもなくユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカがあるだけだ」という演説を聞いた多くの人が、黒人の大統領が登場するとしたら彼ほど理想的な候補はいないだろうと感じた。彗星のように現れたオバマは08年の大統領選挙で民主党候補となり当選する。
 ホワイトハウスの主となったオバマは、その任期中に様々な境界をなくしていった。一部の州で進みつつあった同性婚が最高裁判決で全米のお墨付きを得たのもオバマ政権下であった。同性婚を認めるこの最高裁判決が出た15年6月26日夜、ホワイトハウスはレインボーカラーにライトアップされた。
 このような政権の動きを好ましく思う人たちは、米国社会は大きく前進したと思った。だが、そのような急激な動きに、戸惑ったり不快に思ったりした人々が全米に沢山いたのである。

揺り戻しをしたトランプ
 ポリティカルコレクトネスが幅を利かせる中、急速に多様化が進むのに意義を唱えれば、差別主義者とのレッテルを張られるのではと、そのような人々は委縮した。08年のバージニアの連邦上院議員選挙で、演説会に現れる敵陣営のインド系運動員のことをサル呼ばわりしたのが、撮影されて広まったことが原因で、将来の大統領候補とも目された共和党の有力候補が落選する事件もそのような風潮を強めた。
 そのような中で、なぜそこまでマイノリティに気を遣わねばならないのかと思っていた人々の声を具現化したのがトランプである。彼は多少の差別的言辞は大丈夫とお墨付きを与えたのである。
 このような流れを鑑みれば、オバマが大統領の時に多様性を一気に進めたことは、米国社会の多様性という振り子を大きく振ったことになったのかもしれない。振り子は振りすぎると戻りが激しくなる、そのようにみることもできよう。しかも、社会では様々なことが連動している。
 人種で揺り戻しがくると、昔の家父長制の価値観へと戻す連動する力が働くかもしれない。性的マイノリティの問題も含めて様々な問題で軒並み揺り戻しが起きるだろう。ハリスの敗北はそのシンボルなのかもしれない。
 ではいつまた米国は多様性の方向に進み始めるのだろうか。再びオバマのようなスターが彗星のように現れれば、振り子を一気に押し戻すことができるかもしれない。しかし、そのような存在がいなければ、少しずつ歩みを進めるしかないだろう。
 米国の歩みと日本社会は多くの面で連動している場合が多い。米国社会の揺り戻しが日本にどのように影響するか注視していかなければならない>(以上「Wedge」より引用)




 まだ「【米国社会に起きた多様性からの揺り戻し】トランプが与えた差別的言辞の“お墨付き”、ハリス敗北の要因」などといた題を冠する論評が掲載されるとは。廣部 泉( 明治大学政治経済学部 教授)氏が執筆したものだが、「多様性からの揺り戻し」とは何だろうか。
 その前にLGBTqを推進する社会が多様性のある社会なのだろうか。BLM運動が商店街を破壊し商品を略奪するのが多様性の社会なのだろうか。民主党政権時代に暴れまくった左派人権活動家や性同一障害を世間に告知して同性愛を堂々とストリートで見せつけるのが多様性の社会なのだろうか。

 そうした多様性に米国民の多くがウンザリして、個人的には多少問題があるが、トランプ氏を次期大統領に再選したのではないだろうか。ハリス氏が蜜月から急速に支持を失ったのは決してミソジノワールではない。それは大統領に女性が相応しくない、という理由からではなく、ハリス氏が大統領に相応しいとは思えなかったからだろう。
 周知された事実だが、ハリス氏は論理的に説明するのが苦手なようだ。しかも下手な言い訳ばかりして議論をすり替える。たとえば「あなたは副大統領の任期中に南部国境を視察しましたか」とテレビ司会者に問われ、「ヨーロッパに行ったことはないわ」と答える、と云った塩梅だ。それは安倍氏の「ご飯問答」に似ているようで、それよりももっと程度の低い資質のなさを露呈している。

 安部氏のご飯問答とは「朝ご飯を食べましたか」と問われると、「朝ご飯は食べなかった」と返答する。「それは健康に悪い」と指摘されると、「ご飯は食べていないが、パンは食べた」と答えることだ。意図して質問の本質をはぐらかして、問答を不成立にさせようとするのが「ご飯問答」だ。
 しかしハリス氏の陳回答にはそうした知能的な意図すら感じられない。ただただ相手の質問の意図が分からないのか、回答すべき文章を頭の中で組み立てるのが苦手なのか、いずれにせよ大統領として内外交のあらゆる場面でインタビューを受けて正確に返答できなければ政治家として失格の烙印を押されるだけだ。

 既に政治の世界ではミソジノワールは過去のものになっているのではないか。英国でもドイツでも女性の指導者が国家を導いた。現在のEU議長も女性だ。米国民に「大統領は男性でなければならない」という頑迷な思想が蔓延っているとは思えない。しかし同時に女性大統領が出現しない米国はミソジノワールだと主張するのは逆差別でしかない。
 つまりハリス氏が女性というだけで、男性のトランプ氏ではなくハリス氏を選ばなければミソジノワールだと批判するのはフェアーではない。大統領選にミソジノワールを持ち出すこと自体が不謹慎だ。同様に家父長的な家庭は「悪」で、家族がバラバラの方が「良」だとする風潮も間違っているのではないか。

 もちろん父親が専制君主然として家族を彼の規律で縛るのは問題だが、家族を統合する象徴として父親の存在があっても良いのではないか。キリスト教がイエス・キリストを信仰するように、一つの家族として父親の許に集まる信仰が許されても良いのではないか。
 多様性の社会とは性風俗の乱れを受け容れることではない。女性の健康を損ねる危険性の高い堕胎の自由化が女性を尊重する社会でもない。そもそも女性が望まない妊娠をしない社会を実現する方が堕胎の自由化よりも重要ではないか。

 廣部氏は「人種で揺り戻しがくると、昔の家父長制の価値観へと戻す連動する力が働くかもしれない。性的マイノリティの問題も含めて様々な問題で軒並み揺り戻しが起きるだろう。ハリスの敗北はそのシンボルなのかもしれない」と2024米大統領選を解説しているが、飛んでもない暴論だ。家父長制の価値観で家族を縛り付けるのは専制君主的父親だが、昔はそうした家父長的な家族ばかりだっただろうか。決してそうではない。「昔の家父長的な家族」とは「昔」はすべて悪だとする印象操作でしかない。
 そして現代の生まれながらの「姓」を否定するのが自由で多様性の社会である、と云うのは妄想でしかない。男が男らしく、女が女らしくあって何が悪いというのだろうか。性別があってこそ新しい命が育まれる。性が男女で異なり、異なることが生物としての存在の根源的なものだという認識を持つことこそが自然だ。「姓」を否定する風俗や社会活動家たちはヒトの存在の根源的な領域を冒涜している。もちろん性同一障害、という病理に対しては適切な治療と対応をすべきだが、そのために社会制度や法律まで変える必要はない。

 日本でも選択的夫婦別姓に賛成している政治家が多数いるが、考え直した方が良い。日本には日本の伝統がある。夫婦同一の姓を名乗るのが日本の伝統であり、日本の戸籍制度だ。それを死守する方が日本的だと理解する方が選択的夫婦別姓を採り入れるよりも先ではないか。LGBTqに関しても同性婚を容認する社会が進んでいるとは思わない。それはただ単に社会を混乱させるだけだ。そうした活動家による社会の混乱はもう沢山だ。
 米国大統領選の開票速報中継テレビに登場していた解説者諸氏の多くが選択的夫婦別姓に賛成であり、LGBTqに「理解ある」人たちだ。だから彼らはハリス氏を推していたし、トランプ氏を家父長的な家族制度の象徴と見做して忌み嫌っていた。たせからトランプ優勢が伝えられると「お通夜」のように意気消沈した。しかし米国民が選択した選挙結果に意気消沈する方がどうかしている。

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