残念ながら、与野党いずれが勝利しようと、日本は「失われた30年」から抜け出せない。

<厚生労働省が10月8日に発表した8月毎月勤労統計では、実質賃金(従業員5人以上の事業所)が前年同月比マイナス0.6%と、3カ月ぶりのマイナスに転落した。

  実質賃金は6月統計で実に2年3カ月ぶりにプラスに転じて話題を呼び、翌7月も勢いを維持した。ただし、この2カ月間に関しては、ボーナス(賞与)による一時的な押し上げの影響が大きかった。 名目賃金を示す現金給与総額のうち、持続性を判断する上で重要な「決まって支給する給与(所定内給与+時間外手当や休日出勤手当など超過労働給与)」は前年同月比3.0%増と32年4カ月ぶりの大きな伸びを示したものの、消費者物価指数(持ち家の帰属家賃除く)が同3.5%上昇と加速(前月は3.2%)したことで、実質賃金はマイナスに沈んだ。 
 より詳細に統計を見れば、パートタイム労働者の実質賃金が4カ月連続のプラスを維持したこと、総実労働時間が大幅に減ったために時間当たりの実質賃金は引き続きプラスだったことなど、明るい材料も確認できる。 とは言え、円安や資源高に端を発する輸入品価格の上昇を受けた物価高騰が家計の所得環境を悪化させている現状は否定のしようもない。

脱却すべきはデフレではなくインフレ
 そうした状況の中で成立した石破政権だが、何らかの評価を下すには時期尚早で、現時点で確実に言えることもあまりない。 強いて言えば、石破首相が総裁選時から「首相就任後3年間で達成する」と強調、「デフレからの完全脱却」を最優先課題としていることに違和感を示す向きが多いのは、筆者としてもそれはそうだろうと思う。 
 と言うのも、国民が今「脱却」したいと望んでいるのは「デフレ」ではなく「インフレ」であるに違いないからだ。 「上がらない物価(デフレ)」ではなく「上がる物価(インフレ)」こそが日本経済の足かせとなっている実態は、名目GDP(国内総生産)とそこに物価上昇を加味した実質GDPの間に大きな格差が存在することからも読み取れる。 
 では、インフレこそが問題とされる状況に移行したことをもって、デフレはもう終わったと政府が宣言できるかと言えば、実はそれも簡単ではない。 脱却宣言を聞いた家計が、政府に対して「生活は苦しいままで変わりない」と反意反論を強める可能性があるからだ。 岸田政権時代もデフレ脱却宣言を期待する声はあったが、ついに実現しなかった。背景にあるのは同じ家計部門への配慮と想像される。 脱却すると目標化しても脱却したと宣言しても世論に違和感を生じさせる、デフレはそんな非常に難しい状況にある。

「認識」のズレが浮き彫りに
 なぜ、こんな難しい状況に陥ったのか。筆者としては、デフレの「定義」を曖昧(あいまい)なまま放置しているからだと考えている。 何となく景気が冴えない状況をデフレという言葉で総称するから、使い勝手が良くなって濫用されがちだ。 デフレの定義は本来、経済主体によって異なる。 
 1990年代後半以降、政府・日銀にとってデフレとは「消費者物価指数の低迷」であり、企業および海外投資家にとってのデフレは長年続く「円高・株安」だったと筆者は考えている。 日銀の異次元緩和が始まった2013年より以前、日本経済にとっての宿痾(しゅくあ)は慢性的な「円高・株安」だと考えられていた。実際、当時実施された日銀の緩和政策はそのほとんどが円高・株安に対処するためのものだった。 
 慢性的な円高ゆえに輸入物価が抑えられ、一般物価も上がりにくい状況があった(ただし、物価が上がらなかったのは円高のせいだけではない)。 したがって、少なくとも10年ほど前までは、デフレという言葉は政府や企業など多くの経済主体の抱える問題を最大公約数的に表現できる、何とも便利な表現だった。 それが今日に至って、「消費者物価指数の低迷」や「円高・株安」といった状況はほぼ解消された。政府・日銀や企業、海外投資家にとってのデフレは終わった感がある。 
 例外は、足元で「こんなはずではなかった」と強く感じているはずの家計部門。家計にとってデフレとは「実質賃金の低迷」を指す言葉であり続けてきたからだ。 日銀が四半期に1回実施している「生活意識に関するアンケート調査」の直近(2024年9月調査)の結果を見ると、現在の物価上昇について、83.6%が「どちらかと言えば、困ったことだ」と回答している。ここまで年内3回実際された調査で、この傾向に大きな変化は見られない。 家計の物価上昇に対する受け止めは、物価安定目標(2%)に沿った消費者物価指数の上昇を良しとする政府・日銀とは違う。
 上記のように、家計は物価上昇に否定的な感覚を持っている。 家計部門がデフレ脱却を望むとすれば、それはデフレという便利な言葉の中に「慢性的な不況」と「実質賃金の低迷」の意味合いが押し込められてきたからであって、政府・日銀とはそもそも認識が異なる。 最近までそれでも大きな問題にならなかったが、ここに来て物価上昇が定着したことで、政府・日銀や企業、海外投資家らと家計の間にある認識の「ミゾ」が浮き彫りになってきている。

「デフレ」はもう使わないほうがいい
 石破首相が最優先課題とする「デフレからの完全脱却」はおそらく、政府・日銀が念頭に置いてきた「消費者物価指数の低迷」からの脱却ではなく、家計部門が抱く「実質賃金の低迷」からの脱却を想定していると思われる。 それは客観的に見て(前節まで挙げた図表などからも分かるように)正しい認識と言うべきだろう。
 しかし、そのような石破首相の意図は国民に正しく伝わっていないかもしれない。 石破政権は今後、「消費者物価指数の低迷」つまり物価がなかなか上昇しないという意味でのデフレはもう終わったことを丁寧に説明し、認識のズレを伴ってきたデフレという言葉の使用に終止符を打つべきだ。 その上で、真の問題は「インフレ」であって、それに伴う「実質賃金の低迷」を迅速に解消することだと強調するのが得策だろう。 何らかの形で「デフレ」というフレーズに対する意識変革を起こさなければ、今後も多くの国民が小さくない違和感を抱きながら、政府主導のデフレ脱却論議に付き合わされることになる>(以上「Business Insider」より引用)




「デフレ」という言葉はもう使わない方がいい。問題の焦点がブレるので」とは異なことを云う。現実の経済状態がどうか、ということを定義しなければ効果的な経済政策は打てない。だから情緒的に「デフレ」という言葉は使わないようにしよう。「インフレ」という言葉の方が問題の焦点がブレないから、というのでは話にならない。
 例えば公定歩合一つとっても、デフレなら金利引き下げを行って需要を刺激する必要があり、インフレなら公定歩合を引き上げて需要を抑制し、加熱した景気を冷まさなければならない。デフレかインフレかの経済状態の呼称は好き嫌いで行うものではない。現実の経済がいかなる状況にあるかを分析して判断を下すべきものだ。

 現在の日本経済は依然としてデフレ下にある、と私は判断する。それは「失われた30年」間ずっとデフレだった、と私は考える。それにも拘らず、デフレ化政策である消費税を引き上げて、デフレ経済をさらにデフレ化する経済政策を行う、という間違った判断が「失われた30年」となり国民が貧困化した。
 国民が政治に求める切実な願いは何か。ANNがこの5日と6日に実施した世論調査がある。それによると選挙で「国民が最も重視する政策」は、
■景気、物価高対策      63%
■年金・社会保障制度     44%
■教育・子育て支援      37%
■外交・安全保障       35%
■政治とカネ         22%
 となっている。

 政治改革は永田町のコップの中の嵐であって、国民が政治に求める政策としてのランクは低い。もちろん政治家には国家のトップとして国姓を司る者として高いモラルと見識が求められる。その政治家が不法行為をして金銭を手に入れることなどあってはならない。
 しかし政治家が真摯に取り組むべきは国政であり、政治家の不祥事ではない。国民もそうした観点から選挙で重視する政策が実現されることを期待している。その第一が63%もの国民が求めている景気・物価高対策だ。現在の経済状況がデフレなのかインフレなのか、という現状認識次第では、現在の経済状態に対する政策は異なる。

 もしデフレだと判断すれば「積極財政・減税」政策を実施すべきだ。しかしインフレだと判断すれば「緊縮財政・増税」政策を実施すべきだ。だから経済判断が重要になるが、現状はコスト・プッシュインフレであって、経済成長に伴うデマンド・インフレではない。実質的な経済は労働者実質所得が減少していることからも分かるようにデフレ下にあると見るべきだ。
 だから「積極財政・減税」策を打ち出すべきだと提言する。コスト・プッシュインフレを克服するために最も効果的なのはコスト・プッシュによって削られた可処分所得を補填するための消費税停止だ。それとトリガー条項の発令により輸送コストの削減だ。そうすれば需要ギャップを埋めることが出来て、個人消費は上向くだろう。

 同時に法人税増税により、法人が莫大に利益を内部留保ではなく、労働者への分配や企業への投資へ向けることにより生産性向上になるだろう。かつて高度経済成長時には法人税率は37.5%だった。もちろん所得税の超過累進税率も旧に復すべきだが、それで消費税停止の穴を埋められるとは思わない。しかし消費税廃止の財源は別にある。それは経済成長だ。経済成長すれば税収は増加するし、国債残は相対的に減少する。
 国債の償還を国民負担によって賄うという「国民負担論」は間違いだ。経済成長によって、国債残は相対的に減少することを以て償還と見做すべきだ。

 しかしこのような経済政策を自民党も立憲党もしていない。まったく愚かと云うしかない。そして立憲党代表はただひたすら「政治改革・裏金議員」とパー券キックバックを批判している。それも大事だが、国民の関心事の序列では五番目でしかない。
 いずれにせよ、政権交代が起きようとも「国民負担増」路線に変更はないし「失われた30年」は依然として続くことになる。今回の選挙に私は全く何も期待していない。

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