終身雇用制度は「古い」人事制度なのか。

人事制度そのものを一変させよ
 従業員の向上心を引き出すためには、成果と能力をきちんと評価することもポイントとなる。それには、人事制度そのものを見直し、年功序列をやめることである。
 そもそも年功序列や終身雇用という日本特有の労働慣行は人口減少社会では成り立たない。年功序列は定年などで退職する従業員数と同規模か上回る規模の新入の従業員がいてこそ可能だが、若年人口ほど減っていくので今後はこうした世代循環はスムーズにいかなくなる。
 中途採用を含めた新規採用者で退職者数を穴埋めできなければ、組織の規模は徐々に縮小していく。その時点で「戦略的に縮む」方向へと経営モデルを切り替えればいいのだが、多くの企業は目の前の人手不足に対処すべく定年延長や再雇用による辻褄合わせに走る。これでは、会社内で若い社員ほど少ない「少子高齢化」状況を企業内に作り出しているようなものだ。
 しかも、日本では家族的な組織文化を大切に守っている企業も多い。定年延長になった60代前半の従業員のポストをそのままにしたり、再雇用者の賃金を大胆に抑制することを憚ったりする雰囲気が残っている。
 こうした取り組みは年配者のモチベーション維持には一定の効果を上げるが、一方で20代~30代の若い従業員の閉塞感を高める。これまで以上にポスト待ちが長くなり、なかなか昇進できなくなるためだ。どの企業も総人件費を簡単には増やせないので、年功序列と定年延長がセットとなると必然的にすべての年代も賃金を抑え込まなければならなくなる。これでは若い従業員の意欲は減退する一方だ。生産性向上が望めなくなるどころか、転職者が増えるだろう。

年功序列・終身雇用の終焉
 そうでなくとも、国内マーケットの縮小は産業の再編を促す。激変の時代というのは新たなニーズが生まれやすく、企業同士の合併や連携の動きが強まりやすいからだ。企業は戦略的に縮みながら成長分野へとシフトさせていかざるを得なくなるので、若者のみならず中高年にも雇用流動化が起きて終身雇用は終わりを迎える。
 入社年次をことさら重視する年功序列は、勤続年数や年齢が高くなればなるほどスキルやノウハウ、経験が蓄積されることを前提としているが、そうした"常識"は崩壊する。従業員1人あたりの労働生産性を向上させるために個々のスキルアップが求められるようになるのだから、当然の帰結だ。
 スキルはこれまでのように長年の職場での経験によって身に付くものではなく、企業側の求めに応じたリスキリングによって身に付けるものへと変わるのだ。もはや年功序列は通用せず、企業が求めるスキルが高い従業員ほど昇進しやすく、担う「役割」に応じて報酬も高くなるようにするしかない。結果として、終身雇用も終わる。
 逆に考えれば、重要ポストへの就任や多額の報酬を得たい人はスキルアップを図ればいいということである。それが社会全体に広がってくれば、年齢に関係なく能力を高め、あるいは身に付けた能力が衰えたり、陳腐化しないように努力し続けたりする人を増やすこととなる。それは1人あたりの労働生産性の向上を促し、日本経済全体の底上げにつながっていく。みずほフィナンシャルグループは2024年度から年功序列型の人事・給与体系を実質的に廃止することを発表したが、メガバンクの影響は大きい。追随する企業が増えそうだ>(以上「現代ビジネス」より引用)




 日本のメガバンクで終身雇用制の給与体系を廃止する、というニュースが紙面を賑わした。保守的といわれた銀行でも終身雇用制が終わる、と人事制度の改編が衝撃的だった。
 河合雅司(作家・ジャーナリスト)氏もそのことを取り上げて「終身雇用はもはや崩壊、退職金もなくなる…衰退ニッポンがこれから直面する「大変化」」と題する論評を発表した。もはや日本の企業がすべて終身雇用制度を排すのが人事制度の流れであるかのようだが、果たしてそれで良いのだろうか。

 確かに給与は労働の対価として支払われる。「労働と報酬」は見合うものでなければならない。しかし労働は必ずしも「成果」で測られるものではない。ことに管理職の「労働」は一様な「成果主義」で測られるものではない。そこには「責任」という成果も加味しなければならないだろう。
 日本の終身雇用制度は雇用されてからの年次によって給与が上がるという人事制度で、それは必ずしも成果を反映したものではなかった。むしろ社会的な要請を反映した人事制度という側面が強かった。

 新卒で入社した当初、多くの者は独身でそれほど生活費を必要としない。しかも仕事に慣れるための研修が必要な時期で、戦力としてバリバリ働ける段階ではない。だから「初任給」という広く公開した給与で雇っている。
 しかし就職して年数を経るに従って婚姻をし、家庭を営むようになり、それなりに生活費が必要になる。そうした時期に合わせるかのように給与は上がり、子供たちが進学するにつれて多くの費用が掛かるようになると、給与もそれにつれて上昇するような体系になっている。そうした人事体系は永年勤続を前提としたもので、能力給を前面に押し出す年俸制の「専門職」とは異なる。

 つまり年功序列賃金は終身雇用とセットになったものだった。企業慣行を熟知して各部署の責任者として企業経営を支える人材確保のためには極めて合理的な人事体系だ。しかし年功序列賃金体系と終身雇用が否定される雇用形態が「新しい」もので、終身雇用が「古い」雇用形態だと否定するのは釈然としないものがある。
 ことに信用を重んじる銀行で派遣社員がいたり、終身雇用制でないというのは「信用」の醸成に必ずしもプラスではないはずだ。銀行のような「人」を相手にする業務は製造レーンに従事する誰がやっても一定、という仕事とは異なるはずだ。安定と信頼が前提となる銀行業務に従事する社員がしょっちゅう替わるのは必ずしも業務にプラスではないだろう。

 河合氏は終身雇用形態が排されるのを諸手を挙げて賛同しているようだが、それが果たして企業経営にとってプラスなのだろうか。人事制度の在り方は企業にとって大問題だが、働く者にとっても大問題だ。
 終身雇用制度でなく、40前後には肩叩きがあるという企業で、社員の多くが腰を落ち着けて働こうという気になるだろうか。新卒が次々と辞めるのは社員の責任だが、企業が終身雇用を前提としない、という人事制度を導入するのは社会的責任の放棄ではないだろうか。企業には社会的存在として一定の「雇用責任」があると思うのは私だけだろうか。


<私事ながら>
この度、私が書いた歴史小説「蒼穹の涯」を出版するためにCAMPFIREでクラウドファンディングをはじめました。「蒼穹の涯」は伊藤俊輔(後の伊藤博文)の誕生から明治四年までを史料を元にして描いたものです。維新後の彼の活躍は広く知られていますが、彼が幼少期からいかに苦労して維新の功労者になり得たのかを史実に基づいて記述しています。現在、明治維新以前の彼に関する小説等の著書は殆どありません。
 既に電子版では公開していますが、是非とも紙媒体として残しておきたいと思います。クラウドファンディングは7月3日までです。残り少なくなりましたが、皆様方のご協力をお願いします。ちなみに電子版の「蒼穹の涯」をお読みになりたい方はこちらをクリックして下さい。

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