野生動物の生息数の把握を急げ。

<TRAFFIC(トラフィック)は、野生生物の取引を調査・モニターするNGOです。
 WWF(世界自然保護基金)とIUCN(国際自然保護連合)の共同事業として設立され、世界10地域の拠点を中心に世界中に広がるネットワークを通じて活動しています。
 そのミッションは、国内法および国際法や協定に基づき、 調査・モニター・報告・政策提言を通じて、特に動植物にとって有害な取引をなくすことです。
 日本においては、WWFジャパンの中に拠点を置き野生生物保全部門の一端を担い、共に協力しながら活動しています。

<ニュースで見るけど、最近どうしてクマは人間のいるそばに出てくるの?>
■予想される出没理由その1《異常気象や台風、害虫などの影響でその年の食べ物が不作だったから》
 ツキノワグマの主食であるブナやミズナラの実(ドングリ)が不作になると、冬眠を前にして、食べ物に困ったクマ、とくに山でじゅうぶんに食べ物をとることがまだ上手でない若グマや行動的なオスグマが人里に降りてきてしまうことが多いといわれます。ちなみに今回実際に捕獲されたクマは、8割程度が成獣で、若い個体は少なかった。

■予想される出没理由その2《近年、里山の荒廃により、クマとヒトの生活圏が隣り合わせになりつつあるから》
 里山とは、山村の集落や田畑周辺の山林のことで、かつては薪をとるためなどに利用していた場所。下草刈りや木の間伐など適度に人の手によって管理されていたので、見通しがよく、基本的に臆病なクマはわざわざ危険を冒してまで、里山には入ってこなかった。このようにクマとヒトのすむ場所のちょうど中間に位置していた里山が、お互いの緩衝地帯になっていたため、クマは里山を越えてまでヒトのすむエリアに近寄らなかった。けれども、近年、山村の高齢化や、薪の需要がなくなったことなどから、里山を従来のように管理する人間がいなくなり、荒廃。人里ぎりぎりまでうっそうとした森でひと続きになってしまったので、すぐそばまでやってくるようになり……すると民家のカキや、トウモロコシ畑、養蜂家の育てている蜂蜜箱など、クマが簡単に採れる、おいしい食べ物がひとところに集まっていることを知ってしまった。

■予想される出没理由その3《ヒトもクマのエリアに容易に入るようになったから》
 基本的に、天然の広葉樹林は、開発などにより全体的に減少していたのに、さらにもともとクマが多くすんでいた山林の中を宅地化したり、山菜採りやハイキング、観光、キャンプなどで、ヒトがクマのエリアに容易に入ることが多くなった。そのうえ先人であれば、その地にクマがすんでいることは承知していたし、クマと出会わないようにする知識を持っていたが、いまは「まさかクマがいるとは」と予備知識も持たずに入山してしまう。

 もちろん、そのほかにも考えられる理由はいろいろありますが、明確な因果関係は明らかではなく、今後の保護管理に向けてその原因究明が求められています。いずれにせよ、クマがヒトのそばに出てくるようになったのは、森の生態系に何らかの変化があったからではないでしょうか。日本のクマや日本の森が「SOS!」を発していると考えられます>(以上「TRAFFIC」より引用)




 NGO団体TRAFFICが上記の記事をホームページ上に掲載したのは2004年だ。それから20年も経っているが、依然として同じ記事が掲載され続けている。
 その一方で、熊が人の生活圏に出没する頻度は異常なほど跳ね上がり、毎年のように数名のみならず熊に襲われて命を落とす人が出ている。熊の棲息実態を正確に把握しない限り、「熊が悪いのではない、人が熊の暮らす環境を破壊しているからだ」という珍妙な理論が展開されるだろう。

 もちろんTRAFFICは20年以上前から「国内法および国際法や協定に基づき、 調査・モニター・報告・政策提言を通じて、特に動植物にとって有害な取引をなくすこと」を目的として「WWFジャパンの中に拠点を置き野生生物保全部門の一端を担」っているという。
 WWFとは1961年にWorld Wildlife Fund(世界野生生物基金)として設立されたがその後、活動を野生生物の生息地を含めた環境の保全に拡大したため、1986年に名称をWorld Wide Fund for Nature(世界自然保護基金)に改称した。世界本部はスイスにあり、日本本部は東京都港区にある。

 もちろん野生動植物は守るべき存在だ。しかし犠牲者が出てまで守るべきだとは思わない。そして毎年のように人里から街中にまで進出する熊が現れるようになっては、「野生動物保護」だなどと安閑としているわけにはいかない。
 なぜなら人を恐れなくなった、人里で食物を捕食した経験を持つ熊は必ず繰り返し人里に出るからだ。なぜなら山の中で食物を探すよりも楽だからだ。その結果として、人を食物だと認識したなら、これほど豊富な食物が存在する地域は山の中にはないからだ。ことに子供や女性なら熊は襲うのを躊躇しないだろう。

 なぜ全国的な熊や猿や猪や鹿などの生息数実態調査をしないのだろうか。かつて日本に棲息する熊は約5~6万頭くらいだろう、といわれていた。しかし毎年5~6千頭駆除しているにも拘らず、熊の数は一向に減少していない。本来なら10年も経てば絶滅に近い状態になっているはずではないか。
 おそらく熊の棲息数は十数万頭を上回るほど急増しているのではないだろうか。だから山中の縄張りから弾かれた熊が人里へ下りているのではないか。北海道の羆も同様で、生息数は飛躍的に増大しているのではないだろうか。私がそう思う根拠は猟師が激減しているからだ。

 三十年ほど前までは、私の地域に四国から猪を専門に狩猟する集団が冬によるとやって来た。そして彼らは仕留めた猪を処理して、四国の猪料理店に卸していた。しかし猟師たちの高齢化と動物愛護だの、禁猟区の拡大などがあり、十数年前から彼らの姿を見なくなった。
 全国的に猟師が減少すれば熊や猪などの生存を調節する「天敵」が存在しない日本では増え放題だ。熊や猪や猿などの野生動物が頻繁に人里に下りて来るのは、彼らの生息数を許容できる山々の能力を超えて増加したからではないか。本来、彼らの生息地である山々が生産する餌で維持できる生息数を超えた野生動物が縄張りを追われて人里へ下り来ているのではないか。

 人里に下りた熊や猪や猿は駆除すべきだ。日光の小学校に出没している熊は耳に赤いタグを付けているという。つまり何処かの研究機関が山に放った熊が人の生活圏に現れている。人の手から放った熊は人を怖がらない、という証明でもある。
 一度人里に現れた熊や猪や猿は人里の食物の美味さを知っている。しかも人里に食物は豊富にあって、人々は彼らを見ると怖がって逃げると学習している。だから繰り返し出没する。その内、熊が肉の味を覚えないとも限らない。人里に下りた野生動物は危険極まりない存在だということを、私たちは認識すべきだ。

 動物愛護を唱えるのは簡単だ。「人が野生動物の生息地を侵している」といった自虐的な論理を展開して環境派の仲間入りするのは心地良いかも知れない。しかし、それでは中山間地で暮す者にとって何の解決策にもならない。引用した記事にある通り野生動物の「実態調査」の必要性をTRAFFICが記述してから、すでに20年が経過している。TRAFFICはNGO団体だというが、国民にとっても「NGO(利益なき団体)」では困る。
 「野生動物愛護」のお題目を唱えるのは簡単だが、野生動物の脅威も同時に教えるのが環境団体の活動でなければならない。私は山中キャンプを趣味にしているが、到るところのキャンプ場で出現する野生動物の姿を見ている。ことにシカやキツネなどは極めてありふれたキャンプ場に現れる動物だ。子供たちも宿泊するキャンプ場がクマに襲われたら、と考えるとゾッとする。一日も早い野生動物の生息数の実態把握をして、人里に現れた熊や猪など人に害を与えると思われる野生動物は駆除すべきではないか。


<私事ながら>
この度、私が書いた歴史小説「蒼穹の涯」を出版するためにCAMPFIREでクラウドファンディングをはじめました。「蒼穹の涯」は伊藤俊輔(後の伊藤博文)の誕生から明治四年までを史料を元にして描いたものです。維新後の彼の活躍は広く知られていますが、彼が幼少期からいかに苦労して維新の功労者になり得たのかを史実に基づいて記述しています。現在、明治維新以前の彼に関する小説等の著書は殆どありません。
 既に電子版では公開していますが、是非とも紙媒体として残しておきたいと思います。クラウドファンディングは7月3日までです。残り少なくなりましたが、皆様方のご協力をお願いします。ちなみに電子版の「蒼穹の涯」をお読みになりたい方はこちらをクリックして下さい。

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