インドの経済成長に暗雲垂れ込めるインドの桎梏。

大国になる夢の実現に必要なのは、放縦さではなく自制だ。
「政治と宗教を結びつけてはならない」
 インドの最高裁判所は1994年、同国の世俗憲法の決定的な説明だと当時考えられた判断のなかで、そのように裁定した。
 1月22日に行われるヒンズー教寺院の開所式を見守る数百万のインド国民にそう言ってやるといい。
 2億2000万ドルもの資金を投じて建立され、何かと物議を醸しているこの寺院で開所式を取り仕切るのは、インドのナレンドラ・モディ首相その人であり、式典は今年5月の選挙で3期目を目指す首相の非公式な選挙運動のスタートだ。
 この国に住む2億人のイスラム教徒と、数多くいる世俗主義のインド国民にとっては不安なことに、今回の式典は数十年に及ぶヒンズー至上主義者によるインド支配プロジェクトの一つの頂点になる。
 インド北部のアヨディヤに造られたこの寺院にモディ氏が姿を現す間にも、同氏の任務のもう一つの柱――インドの並外れた近代化――はハイペースで進んでいく。
 この国は世界の主要国のなかでは経済成長率が最も高く、すでに世界で5番目に大きな経済規模を誇る。グローバルな投資家はインフラ整備ブームと技術の高度化の進展を歓迎している。
 モディ氏はジャワハルラル・ネール以来の大物指導者になりたがっている。同氏が掲げる国の偉大さのビジョンでは、宗教に加えて富も重要なポイントだ。
 危険なのは、傲慢なヒンズー至上主義が経済における首相の野心の実現を妨げることだ。
アヨディヤのヒンズー寺院が象徴すること
 アヨディヤの奇妙な象徴性を理解するには、時代を少しさかのぼらねばならない。
 モディ氏が率いるインド人民党(BJP)はかつて非主流派の政党だったが、この地に建っていたイスラム教寺院(モスク)について1990年に運動を起こしたことで世間にその名をとどろかせた。
 1992年にはヒンズー教徒の活動家を集めてこのモスクを文字通り破壊し、南アジア各地でヒンズー教徒とイスラム教徒を巻き込んだ暴動のきっかけになった。
 モディ氏が開所式に参加する豪華なヒンズー教寺院は、その破壊されたモスクの跡地に建てられている。
 多くのヒンズー教徒に言わせれば、これは過去の過ちの埋め合わせだ。というのは、この土地はヒンズー教の神話に登場するラーム神の生誕地でもあるからだ。
 アタル・ビハリ・バジパイをはじめとする過去のBJPの指導者たちは主流派の支持を得るために、党のイデオロギーであるヒンズー至上主義を強調しないようにしていた。
 しかし、グジャラート州首相だった2002年に反イスラムの暴動に関与した(後に裁判所で無罪とされた)ことがあり、その後に政権を握って10年になるモディ氏はもう、あまり自制していないようだ。

勢い増すヒンズー至上主義
 BJPの過激な勢力は力をつけている。
 イスラム教徒への暴力事件も起きている。BJPが政権を握るいくつかの州では、改宗を制限する法律が議会を通過している。
 モディ氏は、イスラム教徒を差別する市民権法の導入を促進するなどしてイスラム嫌いを悪化させている。
 同氏の強権的な統治スタイルは、新聞、慈善団体、シンクタンク、一部の裁判所、多数の野党議員を含め、インドに昔からある自由主義的な秩序の柱への嫌がらせや攻撃もその特徴になっている。
 ほぼ確実と見られている通り、次の選挙でモディ氏とBJPが3期目を勝ち取ったら、ヒンズー至上主義のプロジェクトがさらに推進されるのではないかと危惧する人は多い。
 BJPの活動家たちは、数百カ所に上るほかのモスクについてもヒンズー教寺院に建て替えよと訴えている。
 モディ氏は、インド憲法にあるイスラム家族法についての条文を削除したがっている。
 議会選挙区の区割りが変更される可能性もあり、実施されれば工業化が進んだ裕福な南部の議席が減らされ、人口が多くヒンズー語が話されているBJP支持の北部の権力が強まるかもしれない。
 現在73歳のモディ氏は、さらに10年以上にわたって強権的指導者としてインドを支配する可能性がある。

目覚ましい成長と変革を遂げたインド経済
 むち打ち症になりそうなほど衝撃的なのは、こうした宗教・政治闘争が経済に対する強い楽観論の傍らで行われているという現実だ。
 インドのここ数四半期の経済成長率は年率で7%を超えている。
 今では交通インフラが広い範囲で改善されており、巨大で懐の深い株式市場、財務体質の強固な銀行、巨額の外貨準備、比較的複雑でない税制などがそろっているうえ、汚職も比較的少ない。
 また、インドはようやく1つの市場になりつつあり、企業が規模の経済性を享受したり、投資をこれまでよりも迅速に行ったりできるようになっている。
 製造業はまだ離陸していないものの、工業はインターネットルーターや電動バイクに至るまで、世界的なサプライチェーンと結びつき始めている。
 さらに、世界中の企業が人工知能(AI)導入で支援を求めていることを背景に、インドの巨大な技術サービス・セクターは一稼ぎしたいと思っている。
 経済面の実績はまだ完璧にはほど遠い。まず、公式経済での雇用創出率が低すぎる。
 モディ氏が貧困層向けのデジタル福祉制度を立ち上げ、虐げられた人々を思いやる指導者というイメージを普通のヒンズー教徒の間で補強しようとした理由の一つはそこにある。
 また、インドは人材開発の取り組みをほとんど行っておらず、教育制度もひどい。一部の強大な企業が過大な影響力を手にしている。
 とはいえ、これは足場にする価値がある基盤だ。

宗教問題と高度成長はどこまで両立する?
 問題は、宗教の問題と急速な経済発展が両立するか否か、だ。その答えは「イエス」だが、ある程度までという但し書きがつく。
 この10年間にモディ氏が経済面で上げた実績の多くは、同氏の宗教面の課題と併存してきた。
 全国規模の売上税の導入など難しい改革を成し遂げることができたのは、BJPが議会で多くの議席を得ていることとモディ氏の人気のおかげだ。
 また、市民の自由が損なわれてきたにもかかわらず、投資家が政策の安定性を当てにできるようになったのは、政権の結束と影響力の賜物だ。
 しかし、もし3期目に入ったモディ氏がヒンズー至上主義と専制支配にさらに傾いたりすれば、経済面の計算も変わってくる。
 インド国内の南北分断を例に取ろう。
 インドが高度成長を続ければ、工業化が進み、裕福で、技術面でも先を行く南部はさらに発展する公算が大きく、北部から労働力を引き寄せることになるだろう。
 だが、ヒンズー至上主義は南部ではほとんど人気がない。
 モディ氏が権力を自分自身にさらに集中させつつ、ヒンズー至上主義をさらに押しつけたりすれば、国内の移住者や税収、議会での代表権などをめぐってすでに生じている緊張がさらに高まりかねない。

14億人の希望が打ち砕かれる恐れ
 経済の安定性についても考えてみよう。
 こちらはBJPのイデオローグたちではなく、外国からも信用されているテクノクラート(官僚)の経済運営が頼りだ。
 企業が法の支配をどれほど重視するかは、定かでないところがある。実際、企業は何年も前から中国に投資してきた。
 だが、モディ氏が高齢になって孤立するにつれて意思決定が権威主義的で不安定なものになれば、そして制度が弱体化すれば、企業は巨額の資本を投じることに慎重になるだろう。
 アヨディヤの寺院の開所式で自分に心酔する人々や取り巻き――インドの新しい、傲慢でナショナリズムを信奉するエリートの指導者たち――を前にする時、果たしてモディ氏はこの危険に気づくだろうか。
 過去には気づいたことがある。
 インドの首相になる前には、熱心なヒンズー教徒から繁栄している故郷グジャラート州の実用主義的な管理者へとイメージチェンジを図った。
 3期目が見えてきた以上、インドを大国にする夢を実現するには、微妙な綱渡りを続けねばならないことを理解する必要がある。
 それには放縦さではなく、自制が欠かせない。
 モディ氏が失敗すれば、14億のインド国民の希望と、世界経済の最大の救いである同国の将来性も打ち砕かれてしまうだろう>(以上「JB press」より引用)




 私はインドの経済躍進については懐疑的だ。なぜならインドは未だに忠誠的な宗教が支配する社会だからだ。上記The Economist誌の転載を引用したのは正鵠をついていたからだ。
 「ナレンドラ・モディの非自由主義、インドの経済発展を阻害する恐れ」と題してインドは必ずしも私たちがイメージしている民主主義国家ではないことを暴いている。そしてインド社会の実態を「世俗国家を蝕むヒンズー・ナショナリズム」だと分析して見せている。

 私がインドの未来を危惧する象徴的な出来事は、つい先日インド北部ウッタルプラデシュ州アヨディヤの土地で22日、ヒンズー教寺院の落成式典が行われ、モディ首相が出席した。その地にはかつてイスラム教のモスクがあった。
 アヨディヤには、16世紀にイスラム系王朝のムガル帝国がモスクを建立した。一方、ヒンズー教徒は古代インドの長編叙事詩「ラーマーヤナ」の主人公のラーマ神が生まれた場所だと主張して争いが絶えなかったが、1992年に暴徒化したヒンズー教徒がモスクを破壊し、全土で1000人以上が死亡する宗教暴動に発展した。

 その後、土地の帰属を巡って裁判となったが、最高裁は2019年11月、土地はヒンズー教徒団体に引き渡されるとの判断を示し、政府の管理下で寺院建設が進み、モディ首相を招いて落慶法要が行われた。
 ヒンズー教至上主義者たちにとってモディ氏は力強い指導者だろう。しかしインド国民のすべてがヒンズー教徒ではない。ヒンズー教徒は総人口の79.8パーセントでイスラム教徒は14.2パーセント、キリスト教徒 は2.3パーセント、シク教徒は1.7パーセントをそれぞれ構成している。つまり約80%のヒンズー教徒に主眼を置いた政治は他の20%の国民を切り捨てることになる。

 ヒンズー教はカースト制度が知られているが、「カースト制度」とは「バラモン」(司祭者)「クシャトリヤ」(王族)「バイシャ」(庶民)と「シュードラ」(不可触民・隷民)の4つを基礎に、2,000以上も細かく分類されている。 現在、インド憲法はカースト制度を否定しているが、それでもなお人々の生活には深く根付いている。
 ナレンドラ・モディの家は、植物油を絞ることを生業とするカ ーストで、この階層は「不可触民」ほどには、強い差別は受けないものの、 インド政府によって社会的、経済的に後れた「その他後進階級」に指定され るカーストだ。インドでは古くからの差別をなくすため、特性の低いカ ーストに対し、政府が優遇措置をとっているが、ナレンドラの父ダモダルダス・ モディは、その保護の対象となる「身分」だった。

 そうしたカーストの出自であることからか、モディ氏はヒンズー教至上主義を政治の基本に据えている。そうしなければ民族のモザイクと云われ、言語だけで121もあると云われる国民を統一するのは困難だ。
 またインドは各州毎の独自性が強く、日本のような単一国家に国民には理解し難い所がある。それが極端な南北格差を生み、民族対立をいつまでも引き摺っている。ちなみにインドはアーリア系が72%と多数であるが、ドラヴィダ系も25%と多い。 インドにもムンダ人など、ベトナムやカンボジアなど東南アジアと共通するオーストロアジア語族も住んでおり、ここではモンゴロイドその他に含まれていると考えられる。

 かつて英国は植民地としてインドを統治した。だから英語がインドの公用語となり、多民族国家をインド国民として統合する文化醸成に役立っている。インドはここ数四半期で経済成長率7%↑を実現している。そうした経済の躍進に伴ってモディ氏の意思決定が権威主義的でヒンズー教に偏ったものになれば、企業は巨額の資本を投じることに慎重になるだろう。
 さらにインド全土で道路や上下水といった社会インフラ整備の遅れはインド国内格差の拡大をもたらし、政情不安を拡大させかねない。発展した南部に北部州の国民が押し寄せれば、さらに経済格差は拡大することになる。今後ともインドが経済大国への道を順調に歩むことが可能なのか、それは宗教と政治の分離が行われるのか、南北格差是正を政府が図ろうとするのか、といった点に大きく関わって来るだろう。中国は習近平氏の登場で「改革開放」策が頓挫して「改革開放」以前の中国に回帰しようとしているが、インドのモディ氏は習近平氏の二の前にならないとは云えない危険性を秘めている。そして非同盟主義は米国のプラグマティズムよりも強烈な一国至上主義である、といった側面にインド国民が気付かない限り、インドが先進自由主義諸国の仲間として投資や企業移転を積極的に推進することはないだろう。中国の二の舞はコリゴリだ、と先進諸国も学習しているはずだからだ。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。