松本氏こそ古い時代を生きていた芸人ではないか。

<年末年始に「週刊文春」が報じたダウンタウンの松本人志(60)の性加害疑惑。吉本興業は「当該事実は一切ない」とし裁判の準備に入った。その後松本が裁判に注力したいとして、1月8日に活動休止を発表し、世間は驚愕(きょうがく)した。

「お笑いに全力を傾けることができなくなってしまうという松本の強い意志による決定です。アテンドしたとされるスピードワゴンの小沢一敬も芸能活動を自粛することになりましたが、合コンに参加した芸能界の後輩に今後影響が及んでいくと思われるので、彼らをかばうために松本自身が責任を負う形にしたとも考えられます。しかし裁判の決着を待つと、少なくとも2年間は活動しないということになる。もしかすると、このまま引退してしまうのではないかと危惧されています」(スポーツ紙デスク)
 人気実力を備えつつ、現役から退いたお笑い芸人といえば、自身の公約通り芸能生活40周年の58歳で芸能界を引退した上岡龍太郎。その上岡を慕った島田紳助も暴力団関係者との交際が発覚したのを機に55歳で引退している。両者とも松本が憧れたその道の先輩である。
「松本は50代になってから、本気かどうかわからないまでも幾度となく引退しようかなという趣旨を口にすることがありました。その背景には、年々厳しくなるばかりのコンプライアンスの問題があると思います。現場は細かい制約があってがんじがらめですし、ちょっとした言動が切り取られて誤解を生み、同時にネットで炎上する。自由なお笑い表現を求めれば実に窮屈な時代といえます」(芸能関係者)
 松本は2009年に一般女性と結婚。同年ひとり娘を授かっているが、「家族ができてからの松本さんはすごく穏やかになったという印象があります。独身時代の彼はキレキレでエキセントリック、お笑いの求道者のようなイメージがありましたが、結婚後は家族思いのよきパパの面も見え隠れしていた。家族のプライバシーを守ることや将来のことを見据えて、家族とともに海外へ移住するということも一時は考えていたようです。十分蓄えはあるでしょうから経済的に困るようなことはおそらくないですし、仕事をやめて第二の人生を送るという選択肢もありえます」(別の芸能関係者)
 翻って文春の記事が事実かどうかは、今後おそらく名誉毀損(きそん)の裁判を通じて争われることになり、世間も強い関心を注ぐだろう。だがもしも、日本のお笑いの第一人者で業界を牽引(けんいん)してきたカリスマが、スキャンダルで退いてしまうとしたらどうなのか。大きすぎる損失になるように思えてならない>(以上「夕刊フジ」より引用)




 中村竜太郎(ジャーナリスト)氏が「性加害疑惑→引退なら「大きすぎる損失」松本人志、幾度となく口にした進退 背景にコンプライアンスの「窮屈な時代」」と題する記事を夕刊フジに寄稿している。
 一読して強い違和感を覚えた。引用記事は芸(能)人なら少々の性加害があっても許される、という観念があるのではないかと思わせる。たとえば同じことを一般社会人が行って、女性が「同意でなかった」と訴えたら社会的地位を失う事態に直面するだろう。

 お笑い芸人がお笑いに全力を傾けるのは当たり前のことだ。野球選手が野球に全力を懸けるのは大谷翔平氏を見ても明らかだろう。会社勤めの人たちがいい加減な暮らしを送っていれば、どんな会社であろうと窓際に追いやられるだろう。
 嗜好の問題かもしれないが、松本氏のデビューから間もないころ、女性タレントに性的な暴行に近い行為で笑いを取っていたが、見ていて不快でならなかった。計算したお笑いだったと持ち上げているが、それは悪ガキが弱い者をイタブル手順でしかないように見えた。

 中村氏は「コンプライアンスの「窮屈な時代」」が松本氏を追い詰めたと評しているが、法令遵守は社会人として極めて当然の事ではないか。松本氏を糾弾している「週刊文春」の第三弾では松本氏が後輩芸人に集める女性の「指図書」を出していることまでスッパ抜かれている。それは職業差別などといった生易しいものではなく、まさしく女性を性の道具に見立てた指図書だ。
 松本氏は「名誉棄損で(文春と)法廷で闘う」と明言しているが、勝てる可能性はゼロに近い。「自由なお笑い表現を求めれば実に窮屈な時代といえます」と芸能関係者は嘆いているようだが、誰かを踏みつけて笑いを取る、というのは教室で弱者を痛めつけて笑いを取るがき大将と何処が異なるのだろうか。そんな自由な笑い表現など、決して認められるものではない。

 テレビがなぜ詰まらなくなったか、それはコンプライアンスが社会に浸透したからではない。製作者側の不勉強が最大の原因だ。なぜ古典落語が江戸時代なら今日まで連綿と受け継がれているかを分析してはどうだろうか。
 人を叩いたり蹴ったりするのがお笑いであってはならない。軽妙洒脱な会話がお笑いの原点でなければならない。もちろん反社的な人物が芸能感から追放されるのは常識だし、性差別は犯罪だということも弁えなければならない。「自由なお笑い表現を求めれば実に窮屈な時代といえます」という言葉にある「自由」とは何だろうか。それは「性を弄ぶ」自由ではないだろう。「弱者を叩いたり蹴ったりする」自由ではないだろう。それらはすべて社会的に許されないことだ。中村氏は「コンプライアンスの「窮屈な時代」」が松本氏を追い詰めたと評しているが、それは現代社会では許されないことだ。昭和時代に許されていた、というのなら、松本氏は昭和の時代を今も生きていることになる。

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