国はコンパクトシティーと平成の大合併の総括をすべきだ。

<2023年12月「徳山デッキ」に1月13日にオープンするお店の貼り紙がありました。」という情報提供をいただきました。

筆者も様子を見に行ってみることに…。
 すると、みなみ銀座と銀座通りを繋ぐようにある「デッキパーク」と呼ばれる部分が通れるようになっていました。
 そして、お店の窓ガラスには何枚か貼り紙がありました。
 徳山デッキはいくつかのエリアに分かれているのですが、今回はD2、D3という部分を中心に見てきましたよ。
D2 1階部分
PLANTS GARDEN INTERIOR
 情報提供者様より
 まずは情報提供者様が教えて下さったお店。
 貼り紙には
「PLANTS GARDEN INTERIOR
2024.1.13 SAT
OPEN」
 とあります。
1月13日オープン。もうすぐですね!
 どんなお店か気になり、「PLANTS GARDEN INTERIOR」で検索してみたのですが、情報を発見できませんでした。残念です…。

 Prink周南店
「PLANTS GARDEN INTERIOR」のお隣にあったのは、
「2月上旬OPEN
Prink周南店」
 の貼り紙。
 こちらは検索すると、それらしきお店がありました。
 でも、HP・Instagramともに新店舗についての情報が掲載されておらず、こちらではご紹介出来ません。
 その他、D2 1階・2階で出店が分かっているお店
・101 カジュアルダイニングMINATOE 198【飲食店】
・103 774【美容院】
・106 JTB総合提携店 NTAトラベル 周南支店
・108、109 山口保険サービス
・110 デイリーカフェ【飲食店】
 2023年光市虹ケ浜で海の家を営業していた「JULY and AUGUST」に関係のあるお店のようです。海の家で提供されていたバターキチンカレーと自家製レモネードがメニューにあるみたいですよ。
・204、205 TCB東京中央美容外科周南徳山駅ビル院
・206 医療法人 栄信会 徳山駅前矯正歯科

D3 1階部分
THE BAKERS LOAF 周南店
 そして、最後に見た貼り紙は、
「THE BAKERS LOAF 周南店」
 のもの。こちらは、徳山デッキのHPに掲載されている湯田にお店があるパン屋さん。現在、求人も出ているんですね。オープンは2月末とのこと。楽しみですね。
D3で出店が分かっているお店
・nodoka(1階)
・グリーンリッチホテル(3階~12階)

まとめ
 2024年2月、徳山デッキで多くのお店がオープンする様子ですね。まだ情報が少ないお店も多く、どんな風になっていくのか楽しみです。2024年、変わっていく徳山駅前に注目です!>以上「本気メディア株式会社」より引用


しくじりコンパクトシティ:岡山県津山市はかつて「雄都」だったが
 津山市。岡山の県北に位置し、県内3番目の規模を誇ります。この市では他市に先駆けてコンパクトシティを推進しましたが、芳しい評価を得られず「失敗」と言われることもあるようです。
 この記事では、コンパクトシティを目指した津山市がどういった施策を行いなぜ失敗したか、どうすれば巻き返しを図れるかについて見ていきます。
津山の栄枯盛衰
 津山市は周囲を山に囲まれており、市南部の津山盆地にほとんどの住宅が広がります。このことから、最初からコンパクトシティを形成しやすい土壌が整っていたと言えます。
「雄都」から衰退へ一転
 そんな津山市はかつて「雄都」と呼ばれていました。東西南北の交通が交わり、全国の都市の中でも上位10%の繁栄を謳歌した時代もあったと言われています。
 しかし人口は1995年をピークに、現在は1万人以上減少し、2020年に9.9万人と10万人を割りました。
 またインターチェンジの出現で、それまで中心商店街が中心だった小売業販売額はロードサイド中心に移っています。これに並行して、中心地のDID地区の空洞化も進んでいると言われています。

鉄道も不便に、利用率0.4%
 鉄道を見ると、姫新線、津山線、因美線が乗り入れており、ターミナル駅としての役割を担っています。
 しかし自動車の普及に連動するように各線が衰退。かつて複数本発着していた特急・急行の優等列車はなくなっています。2021年の1日平均利用者数は1526人。県都の岡山駅が48,982人、2番手の倉敷市駅が28,958人であることを比べると、その差は歴然としています。市の交通手段別割合で「鉄道」は0.4%まで落ち込んでいます。

津山市のコンパクトシティ施策
 津山市は、バブル期に「500mコアの街づくり」を掲げました。空洞化する市の中心部に都市機能を集約する、まさしくコンパクトシティ政策の王道を往く内容となっています。
 コンパクトシティ施策の目玉が、「アルネ・津山」です。1999年、「津山市中心市街地活性化基本計画」にもとづき約300億円をかけて整備された複合施設です。百貨店の天満屋、専門店、コンサートホールが入った7.2万平米の施設と聞けば、バブルの香りを感じずにはいられません。
 当初は、次世代のまちづくりだということで全国から視察が集まり、コンパクトシティのモデルケースであると言われてきました。

津山市はなぜ失敗した?
 なぜ失敗したか?それは過大な投資に見合う収益が得られなかったことにつきます。
 ここでやり玉にあがるのが、先述の「アルネ・津山」です。
 しかしこの鳴り物入りの施設は、初っ端から赤字に悩まされます。最終的に306億円かけて整備したこの施設は、高すぎる開発費と、目標に達しない家賃収入により、大幅な赤字に。税金などによる輸血も行われましたが、結果として街における負債となってしまったようです。
 参考文献でも取り上げた木下斉氏は「官製のみせかけの成功事例」と批判しています。
 発想自体はなにも間違っていません。しかし街の将来規模に比べ、投資が大きすぎました。
作陽高校も移転し寒村へ転落
 コンパクトシティ政策の失敗により、中心地の人口減少に歯止めがかからなくなり、2023年4月にはJリーガーを多数輩出してきた作陽高校が市街へ移転。作陽学園高等学校として倉敷市で再スタートを切ることとなりました。

コンパクトシティの土壌はある
 では現在はどのような取り組みがなされているのでしょうか。津山市は岡山駅からは列車で1時間半かかり、衛星都市として活かすのも難しい立地です。一方でもともと盆地に位置しており、街が無秩序に広がるリスクは低い場所。コンパクトシティの土壌はあります。そのなかでも、駅周辺と、吉野川を挟んだ対岸にある「アルネ・津山」を活かさない手はないでしょう。
今ある建物を活かした町へ
 市が2019年に公表した立地適正化計画では、「既存の都市施設や公共施設等の積極的な活⽤」など、大型投資に対する反省が見られます。今後中心地に行政・文化・医療・福祉・教育・商業などの施設を徐々に集約する計画を掲げています。
 都市計画区域を見ていくと、駅周辺に商業施設を配置、そこから東西に工業地域を、北方に住宅地域を拡げています。漢字の「山」のような街の形です。
 たしかにこの形であれば、北側に暮らす住民が、買い物にしろ、仕事にしろ、南下した上で商業地域・工業地域へ移動します。「J」あるいは「し」の字型の行動経路が見えてきます。
 それであれば話は単純で、駅を通過型のターミナルに、山の字型に公共交通(ここではバス)を整備することで、コンパクトシティの骨組みが出来ます。

暴論・周辺住民を中心街と無理やりくっつけては?

 例えば駅~ザ・シロヤマテラス~出雲大社美作分院~津山まなびの鉄道館の範囲をリノベーション特区(仮)に指定し、所有者と周辺住民をマッチングさせます。
 マッチングの方法は、中心地の物件オーナーと周辺地区の住民が自発的にマッチングするのがベストですが、小中高・岡山大学・美作大学の生徒を物件オーナーとマッチングさせるという手もあります。

コンパクトシティ流「津山駅前留学」
 そこで実際に課外学習として店舗に数週間~数年携わり、なんらかの商売をする。収益は物件オーナーと生徒(またはその保護者)で折半する。こういった、ある意味で「駅前留学」とも言える仕組みが回れば、周辺住民と中心地の住民間で接点ができ、お金をかけず、中心地に人を呼ぶことができるようになるのではないか、と考えます。

歴史を活かせば観光地化も?
 またコンパクトシティの形成とはすこし趣旨が異なりますが、中心地の城東地区は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されるほど、古い伝統建築を数多く残しています。
 津山城には天守閣こそ残っていませんが、備中櫓などが復元されています。春には桜が非常に美しいスポットとしても知られるようになりました。
 また駅近くには車庫と転車台が残っており、博物館「津山まなびの鉄道館」になっています。
 こうした歴史と「ここでしかできない」体験を組み合わせさえすれば、観光客の誘致を目指すことは難しくなさそうです。新幹線と在来線をうまく乗り継げば新大阪から2時間半の距離で、日帰りの提案もできます。>以上「Merhmal」より引用




 二つのコンパクトシティー構想を紹介します。前段は周南市徳山駅前の「再開発」で文字通り合併特例債15億円と地元商工会議所等が15億円出資して建設したビル「徳山DECK」で、徳山駅前商業施設、だそうだ。
 この手の中心市街地活性化プロジェクトが全国各地の地方の市で行われていますが、一つとした成功した事例を聞いたことがありません。周南市と津山市、いずれも核となるハコモノを建設して集客を図ろうとする点では見事に発想が一致している。

 ただし人口規模で同程度の両市で津山市が「アルネ・津山」に300億円超を投じたのに対して、周南市の「徳山デッキ」は総額30億円、と規模では周南市が津山市の1/10以下という寂しさだ。
 アルネ・津山はバブル崩壊直後の1999年に建設された。わずか20数年で閑散とした「廃墟」に成り果てた。徳山デッキは来年2024年1月に開業するという。
 アルネ・津山が百貨店の天満屋、専門店、コンサートホールが入った7.2万平米の施設と、政府が掲げるコンパクトシティー構想の旗艦として絶対に成功させなければならない、という使命の下に公的支援を受けて出発した。しかしアルネ・津山は需要の要請によって出店した施設ではないため、当初からテナント収入が赤字の無理な収支計画だったという。

 翻って徳山デッキはどうだろうか。アルネ・津山と比較して集客を狙うには余りにみすぼらしい施設ではないだろうか。格安マーケットを売りにしていないなら、それ相応の集客力を備えるには投資額が余りに少なすぎるだろう。
 中に入るテナントの顔触れを見ても、核となるテナントが見当たらない。街中の人気店を集めただけ、という感じだが、それでもすべての区画を埋め尽くしていない。開業当初から空きテナントが出るようでは先は見えている。さらにアルネ・津山が岡山県に本店のあるデパート天満屋が核テナントなって、コンサートホールを備えていたが、徳山デッキは三階から八階に到るその大部分がホテルと9戸の分譲マンションだ。

 つまり徳山デッキは分譲マンションの販売で基本的に投資の回収を行って、後はホテル経営などのテナント収入で運営経費を捻出しようという計画のようだ。分譲マンションは完売したようだが、顧客は主として中国人のようだ。
 行政は中心市街地活性化事業に一体幾ら税金を投じれば気が済むのだろうか。周南市では駅ビルを壊してツタヤ図書館を建設し、指定管理者として年間1億5千万円も支払っている。その近くに今度は徳山デッキ建設に15億円もの補助金だ。

 中心市街地を活性化して、何が何でも国が推進した平成の大合併の謳い文句「コンパクトシティー構想」を成功させたいのだろうが、需要が引き潮の中心市街地に、需要の満ち潮を創出しようとするのは困難だ。既に「駅前が中心地」という発想そのものが時代遅れではないか。
 今頃になって国は「コンパクトシティーのネットワーク化」などとトボケた発信をしているが、平成の大合併によって、それまで辛うじて残っていた中山間部の商店街は一挙にシャッター街になってしまった。それは中山間地の最大の事業主体だった町村役場が消え去ったからだ。一般会計だけで50億円程度も支出する事業所は普通の工場の規模からすると従業員千人程度に相当するのではないだろうか。そうした経済の核が消え去った中山間地と何をネットワークしようというのだろうか。国が推進した平成の大合併は地方町村の基本的な基礎体力を根こそぎ奪ってしまった。
 私は予言する。徳山デッキはこれまで繰り返された補助金のタダ食いに終わり、後にはまだ新しい廃墟が残るだけだろう、と。

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