日本経済は再びテイクオフ(離陸)出来るのか。

バブル崩壊と冷戦の終了で始まったこと
 1990年頃の「国内のバブル崩壊」と、1989年ベルリンの壁崩壊・1991年ソ連邦崩壊による「冷戦の終了」が同時にやってきた。
 この「1990年頃」が日本の「戦後の繁栄」の大きな転機であったことは異論が無いであろう。だが、この時期に起こった、世界を含めた「構造転換」の真の原因については、誤解されている部分も多い。
 まず、バブル崩壊の主因はそれまで「バブルに浮かれて放漫経営を行っていた」経営者たちにあり、決して戦後日本の素晴らしい発展を支えた「日本型経営」にあるわけではない。
 だが、バブル崩壊の責任を負うべき経営者(さらにはバブルを煽った新聞・テレビなどのメディア)が、「日本型経営」に責任を押し付け、本質的原因を解決しないまま状況を悪化させたことが、30年にもわたる日本経済の低迷を後押しした。
 また、冷戦終了後の「グローバル化」についても、誤った認識がなされている。それは「決して世界中の人々が仲良く手を取って発展する」世界では無く、「『グロ―バル企業』を始めとする一部の特権階級が富を独占し、『中間層』を破壊することによって、『二極化』を生み出す」システムであった。
 さらに、この「グローバル化」の本質は、西部劇で描かれるような「米国流=何でもありの無法地帯」である。
 米国が短期間で世界の超大国に上り詰めたのには多くの要因があるが、「際限の無い自由競争」もその重要な一つだ。
 もちろん資本主義において「自由競争」は根源を成す考えであるが、その自由競争が「弱肉強食」であることも事実である。1925年刊行の「女工哀史」に描かれたように、資本主義黎明期には、「劣悪な環境」の中で多くの労働者が低賃金で働かされた。

資本主義の「退化」

 その反省の下に、多くの資本主義国家で「社会福祉政策」や「労働者保護」が強化され、「弱者救済」が行われるようになったのは、「資本主義の進化」といえる。
 だが、グローバリズムがその資本主義の進化を「退化」させた。先進資本主義国家では許されないような劣悪かつ低賃金での労働を、グローバリズムにおける「最適地生産」という美名のもとに新興国などで行った。また、同じく環境規制においても緩やかな新興国が狙われ、汚染が世界に拡散された。
 例えば、レアアースそのものの埋蔵が共産主義中国に物理的に偏在しているのは事実だが、その生産に伴う深刻な環境汚染に中国が寛容であることが、レアアースを「中国が牛耳る」ことのできる本質的理由である。
 また、中国大陸からのPM2.5の被害は、風に乗って日本にも及んでいるが、これも環境規制が緩い中で生産設備が密集し「世界の工場」と呼ばれる状況になっているからである。
 さらにその結果、先進国の「中間層」を形成していた労働者の賃金と労働環境が大幅に低下した。いわゆる「中間層の疲弊」である。「二極化」によって、ごく少数の超大金持ちと、多数の貧困層が生まれる中で、少なからぬ中間層が貧困層に転落した。運よく中間層に踏みとどまっても、その賃金と労働環境は悪化したのだ。
 結局のところ、1990年頃を境に、(バブル当時は世界が必死に学ぼうとした)「日本型経営」が失われ、「グローバリズム」が世界を席巻したことが、現在の世界(経済)低迷の原因といえる。

「日本型社会主義」が戦後の驚異的な成長を支えた

 弱肉強食の資本主義がどのような結果をもたらすかは、現在の米国を見れば明らかだ。
 それに対して、バブル崩壊以前、高度成長期の日本では「1億総中流(社会)」という言葉がよく使われた。例えばアンケート調査をとると8割くらいが「自分は中流に属している」と答えるような国民の意識を表現したものだ。
 当時は、日本人が「自分を中流と考えて満足しているのは上昇志向が低い」などの批判もあった。この「1億総中流」は、「日本はすごいぞ!」という意味ではなく、「日本人は何か勘違いをしている」というような揶揄されるニュアンスで使われることも多かったのだ。
 だが、「二極化社会」がどのようなものかを実体験した現在から振り返れば、「1億総中流」は「人類史上初の快挙」であったかもしれないと思える。原始共産社会は別にして、1億人以上もの人口を抱える大国が、これほどの「平等」を実現した例は歴史上見当たらない。
 そして、その「1億総中流(社会)」は、当時の経済成長の恩恵もあったかもしれないが、「頑張れば報われる」と国民が信じることへもつながった。

「親ガチャ」
 現在「親ガチャ」という言葉がはやっている。
 この現象についての私の考えは、投資の神様バフェットの「私の成功の最大の理由は米国に生まれたことにある」との言葉に集約される。つまり、バフェットが例えばパレスチナやソマリアに生まれていれば、現在のような成功はあり得なかったということである。バフェットは米国に生まれたことを大いに感謝しているわけだ。
 同じように日本に生まれたことを私は感謝している。パレスチナやソマリアではなく、日本に生まれたことが「親ガチャ」以前に、良くも悪くも私の人生を左右した。
 だが、「親ガチャ」と嘆く若者たちの気持ちがわからないわけではない。世界で最も成功した(日本型の)「社会主義」とも評された「1億総中流社会」は、はるか過去のものとなってしまった。
 日本も、バブル崩壊後の「欧米型直輸入」によって、「一部の特権階級」と「その他大勢の貧しい一般庶民」という欧米流の社会構造へと転換しつつある。
 欧州では「親ガチャ」というたぐいの言葉は聞かない。階級社会が色濃く残る欧州では、「親ガチャ」は語るまでもない当たり前のことであり、言ってみれば「空気のような存在」である。
 また、米国は熾烈な競争社会だが、公立学校の状況を見ればわかるように、貧しい人々が教育を受けて成功するチャンスはほとんどない。ごくわずかの成功例があるが、それは「全体の傾向」とは明らかに異なる。
 したがって、「親ガチャ」によって「いくら頑張っても報われない」欧米の一般労働者のモラルが低くなるのは当然だ。欧米の企業が「一部のエリートが多数の労働者を引っ張る」構造であるのは、「社会構造」そのものに原因があると言える。
 それに対して、一般従業員や中堅層がトップを担ぎ上げる、「おみこし型経営」を含めた「日本型経営」も日本の「社会構造」の中で成り立ってきた。
 だが、「グローバリズム」によって、日本でも「親ガチャ」という言葉が生まれるほど二極化が進んでしまったことを大いに懸念している。

「ボラティリティ・マックス」のこれからの30年

 過去30年は、深刻なインフレも無く 、低金利を享受できた。したがって、多額の借金を背負ったマネーゲームを行うことが有利であった。
 だが、同時にこのグラフはこれからの「インフレ&波乱の時代」も予見させる。これからはソ連邦崩壊後30年あまりにわたって続いた「米国の一極支配」が崩れ、「戦国時代」に突入し、「ボラティリティ・マックス」となる。
 世界の覇権が欧米から「非欧米」に向かっているのは明らかだ。、インフレはこれからが本番だ。
 しかし心配はいらない。日本は、明治維新、戦後など苦難の時期を乗り越えることによって輝いてきた。
 つまり日本は「逆境に強い」のである。今回も「大乱」がやってくる中で、「日本が輝く」はずである。
 だが、そのためには過去30年間日本を侵食してきた「米国型弱肉強食経営」の悪影響を排除しなければならない。
 単なる懐古趣味ではない。戦後の日本を発展させたのが「日本型経営」や「日本型社会主義」であったことを思い返すべきだ。それに対して、過去30年の「直輸入・米国型経営」は日本を疲弊させただけであった。少なくとも日本の社会構造にはフィットしない。
 大多数の日本人がその事実に気が付き、正しい「日本型経営」や「日本型社会主義」の実現に向かって努力すれば、少なくともこれから30年間の日本の繁栄は約束されていると考える。>(以上「現代ビジネス」より引用)





 大原浩(国際投資アナリスト・人間経済科学研究所・執行パートナ)氏が「バブル崩壊と冷戦終了からの30年が「失われた30年」とすれば、これからの30年は「日本が輝く30年」になる」と、日本の未来に対して極めて楽観的な見通しを語っている。
 果たしてそうだろうか。日本は「構造改革」により国民すべてが力を合わせて「頑張る」という社会構造が破壊されてしまっている。経営者に対して団結しなければ到底対抗できない労働者が正規と非正規とに分断され、分割統治されて力を喪失している。

 本来なら労働組合が正規労働者だけの団体に収束するのではなく、非正規労働者も取り込んで経営者と対抗する力を維持しなければならなかった。しかし現連合会長を引き合いに出すまでもなく、歴代連合会長に連合をすべての労働者を包括する労働団体「ナショナルセンター」に発展させる構想力が欠如していた。
 そのため非正規労働者との賃金格差という切り札を経営者側から切られれば沈黙するしかなくなり、労働運動はこの30年間に見る影もなく沈滞化してしまった。そのため経営者たちはグローバル化を存分に推進して、日本国内の労働者は後進国の労働者と競わされ、賃金上昇を抑えられた。

 大原氏が訴えたいのは最終章「「ボラティリティ・マックス」のこれからの30年」ではないだろうか。そこでは「日本の底力」という根拠なき楽観論が展開されている。「日本は、明治維新、戦後など苦難の時期を乗り越えることによって輝いてきた。つまり日本は「逆境に強い」のである。今回も「大乱」がやってくる中で、「日本が輝く」はずである」と非論理的な論を展開しているが、唯一大原氏が唱える論拠と云えば「そのためには過去30年間日本を侵食してきた「米国型弱肉強食経営」の悪影響を排除しなければならない」というものだ。
 それは予てより私が主張している「構造改革」政策からの転換と同一の論理ではないだろうか。ただ私の場合は日本の病巣と云うべき財務省の「財政均衡論」という金科玉条と化している方針を大転換しなければ話は始まらない。

 そのためには財務省を歳入庁とかつての大蔵省とに二分割しなければならない。もちろん歳入庁に社会保険庁も統合して、国に入るカネをすべて統括的に司る省を創設し、大蔵省には予算支出の機能だけを残す。そうすれば政治家が税務調査の影に怯えて財務省に抗するような政策提言を躊躇することが無くなる。
 つまり「ザイム真理教」の法人格を取り上げることだ。もちろん政治家諸氏が脱税している、ということではない。しかし日本の税制には交際費の損金不算入という税務署の裁量権が大きい魔界が残されている。いかに職員の福利厚生に支出しようと、税務調査で「交際費」認定されれば「脱税」ということになる。極端な言い方をすれば誰でも「脱税犯罪者」に仕立て上げられるのだ。選挙を戦う政治家にとって「脱税」犯罪者という烙印は致命的だ。

 日本経済がデフレ化した主な原因は消費税だ。その証拠は消費税率引き上げとGDPの縮小という過去の相関関係からはっきりと表れている。それでも消費税を15%に引き上げろ、と宣っている経営者たちのバカさ加減には呆れる。
 中国の経済崩壊を見ても分かるように、経済成長は自由な税制の下で促進される。国民を搾り上げるような税制下では経済は成長しない。なぜならGDPを構成する主役は国民だからだ。中国のGDPの約三割が投資に依存していたと云われているが、その投資が上手く循環するためには国民が投資・建設された社会インフラを適正価格で利用しなければ金融崩壊を招く。そのためには国民の自由を(それは移動の自由であれ、経済活動の自由であれ、国民を政府が過度に束縛しない状態でなければならない)束縛してはならない。税を確実に徴収するため、と称して導入したインボイス制度は確実に国民を束縛する悪税と云わざるを得ない。それも消費税という悪税の成せる業だ。

 大原氏は「過去30年の「直輸入・米国型経営」は日本を疲弊させただけであった。少なくとも日本の社会構造にはフィットしない」と論拠のない論を展開しているが、それは彼が自公政権に忖度しているからだろうか。彼が述べているのは「構造改革」を廃せよ、ということに他ならない。
 そして高度経済成長は消費税のない時代だったことを忘れてはならない。もちろん法人税率は現在の倍近かったし、所得税の超過累進税率も現在の比ではなかった。そうした法人と富裕層に厳しい税制から、転換するために創設したのが消費税だった。そうした「転換」が必要だったのか。それは何のためだったのか、消費税導入から30四年経過した現在、改めて消費税の功罪を経済学者たちは検証すべきではないか。ちなみに米国は国家として消費税を導入していない。州によって導入している州もあるが、決して多数ではない。

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