国会論戦には明日の国民目線が欠落していないか。

<岸田文雄首相は30日の衆院予算委員会で少子化対策を巡り、追加で必要となる最大で年3兆円台半ばの財源について「徹底した歳出改革を行った上で国民に実質的な追加負担を生じさせないことを目指す。年末に向けて考えていく」と語った。防衛力強化のための増税と、経済対策として掲げる減税の整合性に関し「防衛力強化の中身は経済や物価に最大限配慮した上で実施の時期を決める。両者は矛盾するものではない」と述べた。

 立憲民主党の逢坂誠二氏は2023~27年度の5年間で防衛費を約43兆円に増やす政府方針を踏まえ、減税の具体策を追及した。首相は経済対策について「これからも丁寧に説明を続けていかなければならない」と強調。立民の早稲田夕季氏は「偽装減税、増税隠し減税、選挙対策減税だ」と批判した。
 首相は少子化対策を巡り「所得を増やす中で、国民の負担率は決して増やさないよう制度を構築していきたい」とも説明した。
 衆院予算委は首相と全閣僚が出席し、2日目の基本的質疑を実施した>(以上「共同通信」より引用)



 減税4万円は来年6月に実施する、という。生活に困っている人たちが明日の三万円よりも半年以上も先の4万円を喜ぶだろうか。所得税減税措置には様々な手続きが必要だから「来年6月」だというのなら、来月から消費税廃止の方がよほど即効性もあって、国民に分かり易いのではないだろうか。
 所得税の低額減税は「デフレ脱却を完成させるためにどうしても必要だ」と述べたというが、先の施政方針演説で岸田氏は「供給を増やさなければならない」と述べたのではないか。供給が足りないのはデフレではなくて、インフレだ。経済学のイロハすら、岸田氏は理解してないようだ。

 そんな岸田氏に対して立憲党の長妻氏は「(バラ撒きで)次世代にツケを残してはならない」と応じた。長妻氏も「財政」がお解りでないようだ。現在、当年償還予定の国債を予算計上し、同額を借換債として歳出に予算計上しているのは先進諸国では日本だけだ。ドイツなどでは両建ての国債予算は当初から計上していない。
 国債で償還すべきは外貨建ての場合だけだ。国内で調達している国債に関しては借り換えを永遠に続ければ良い。国債とは国内で調達したものなら、国民からの借金だ。それを増税で償還するとはおかしいと思わないのだろうか。

 家計簿なら人の命が有限であるように、家計簿も有限だ。だから限られた期間で辻褄を合わせなければならない。しかし国家財政は永遠だ。家計簿では家庭の外で収入を得る。たとえ自営であろうと、経営会計と家計簿は厳しく分けなければならない。
 しかし国家財政は主として国内経済活動で国家財政が成り立っている。もちろん貿易という他国との取引もあるが、日本の場合はGDPの14%ほどでしかない。つまり国内経済活動を政治は問題とすべきで、インバウンドなどというGDPの2%~3%でしかない収入に国家財政を委ねるかのようなマスメディアのあり方は狂っているとしか思えない。しかもオーバー・ツーリズムの弊害は国威の随所に現れ、国民の多くは困惑している。外国人観光客の誘致に血道を上げるべきではなく、国民の余暇と行楽にこそ政府は心を砕くべきだ。日本の主役はGDPの50%以上を占める個人消費であり、国内企業活動でも国民がすべての分野で担っている。

 安倍自公政権以降、日本の治世は狂っているとしか云いようがない。外国人実習生制度などとトボケた制度を発足させ、基本的に農業所得を引き上げ、企業労働所得を引き上げて人材確保を図るべきを、安易に低賃金の外国人労働者に頼ってしまった。挙句が酪農で夏季の余剰牛乳を廃棄したり、それに相当する乳牛を処分させたりするという、狂った酪農行政を展開する始末だ。日本の食糧自給率が低いのを放置したまま、農業従事者を抑制する政治を継続している現政権は一次産業を確実に破壊している。
 日本に人手が本当に足らないのか。そうではない。引籠りや離職したままの「労働生産年齢」者が120万人とも130万人ともいると云われている。80-50問題は確実に現実の社会問題化している。それも政治の無策が故だ。「フリースクール」のあり方を巡って、理解の足らない地方自治体で問題を起こしているようだが、「フリースクール」を日本社会でも採り入れて「フリー社会」を全国各地に設立すべきではないか。そのための人材は定年退職後の老人が担えば良い。潤沢な年金を一部高齢者に与えて、贅沢三昧な暮らしを保障する必要などない。すべての年金を一律にして、足らざるところを軽作業やカウンセラーなど働き、年金の足らざるところを補えば良い。そして若者たちが安心して活躍できる、安心して婚姻し家庭を営むことが出来る社会を目指すべきではないか。

 政治家に欠落しているのは明確な未来像だ。彼らから日本の明確な未来を語る言葉を聞いたことがない。朦朧としたIT化社会だ、といった30年も壊れたテープレコーダーを聞いているかのようだ。明日の日本はIT化ではなく、AI化社会だ。政治家が語るべきはAI化に向けた問題の整理とAI化に向けた日本の国際戦略であるべきだ。AIのサーバーをすべて外国企業に抑えられた現状で、その国が第二の中国化しないとも限らない。
 未来の日本は必ずAI化社会になる。それも遠い未来ではない。21世紀中に必ず「一般管理」業務の大半はAIに置き換えられるだろう。都市も大きく変貌して、事務所が入っているオフィスビルも激減するだろう。都心に暮らす必要はなくなり、リモートワークが当たり前になるだろう。AI化で激変する明日を予測できない政治家はボンコツだ。日本国民の未来を託すことなど出来ない。周回遅れという言葉があるが、インバウンドを今さら叫ぶ政治家など、前世紀の遺物でしかない。駅の看板や道路標識にミットモナイ多国語をダラダラと羅列するのは恥知らずだ。日本語とローマ字表記だけで充分ではないか。

 財政は決して死守すべきものではなく、必要に応じて紐を緩めたり紐を引き絞ったりするものだ。その紐の加減は景気動向で判断するのが常道だ。国債残は紐の加減でどうにでもなるし、国債償還は原則として税収ではなく、経済成長による適正インフレでなすべきだ。
 過去30年間、日本が世界平均並みに経済成長していれば、GDP規模は2~3倍になっている。そうすれば1200兆円ある国債残は実質的に600~400兆円ということになっているはずだ。今から目指すべき日本の政治は経済成長する日本にすることだ。そのための主力エンジンは個人消費だから、個人消費抑制に働いている消費税は廃止すべきだ。そして低所得者にとって過重な社会保険料も負担を軽減すべきだ。担税力のある不労所得から税金をもっと徴収して、社会保障費に充当すれば良い。交際費損金不算入という恣意的な制度を廃止して、料亭文化を摘み取らないようにすべきだし、交際費の損金不算入を廃止すれば全国の飲食料飲業界が息を吹き返すだろう。抑圧的な制度は国民の生活を抑圧し、経済を委縮させるだけだ。

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