経済よりもオオカミの権利を守る「緑の党」

ヨーロッパにおけるオオカミの脅威
 赤ずきんちゃんが病気のおばあちゃんのお見舞いに行く途中、オオカミに食べられてしまった話は、有名なグリム童話の一つ。グリム童話は、19世紀の前半に、言語学者、文学者であったグリム兄弟が、研究の傍ら、古くからの言い伝えや土着の御伽噺などを書き留めたものだ。
 ヨーロッパでは中世以来、オオカミが人間にとって、身近で最大の脅威である時代が長く続いた。特にドイツは、ヨーロッパオオカミの主要繁殖地に含まれたため、被害が甚大だった。
 おそらくそのせいで、オオカミはさまざまな物語に現れる。同じくグリム兄弟作の「7匹の子やぎ」や「3匹の子豚」もそうだし、ウェーバーのオペラ「魔弾の射手」では、主人公マックスが魔弾を求めて悪魔ザミエルに会いに行くのが「狼谷」。怖い場面だ。
 動物以外で、当時、一番頻繁に犠牲になったのが子供と女性だったといい、オオカミが子供を食べているような凄惨な絵も残っている。これらの絵はおそらくニュースであり、また、幼子を持つ親に対する警告でもあったと思われる。
 だからこそ、オオカミの駆除に統治者は力を注いだ。当時のドイツは、まだ多くの邦国に分かれていたが、17世紀ごろからあちこちで大々的なオオカミ退治が始まった。しかし、狼との戦いは厳しく、苦労に苦労を重ねたその成果が、ようやく実り始めたのが18世紀の終わり頃。
 それ以後、オオカミは徐々に減り、19世紀の半ば、ついにドイツはオオカミの絶滅を宣言した。つまり、グリム兄弟が赤ずきんちゃんを書いたのは、ちょうど人間がオオカミの脅威から解放された頃だといえる。
 ただ、ヨーロッパ全体からオオカミが駆逐されたわけではなく、たとえば1870〜71年のプロイセン(ドイツ)とフランスの普仏戦争では、極寒の頃、激戦地となったフランス領で、夜になるとオオカミが群れ出てきて、凍死者や戦死者を食べたという記録も残っている(この戦争に勝利したプロイセン王国の主導で、1781年にドイツ帝国が建つ)。
 また、ポーランドやロシアの森にも、今でもオオカミは生息している。

首都の近くでオオカミが徘徊するドイツ

 1996年、旧東独のラウジッツ地方で、野生のオオカミが観察され、ドイツに衝撃が走った。それ以来、オオカミは急速に増え始め、現在、主にブランデンブルク州、ザクセン州、ニーダーザクセン州、ザクセン=アンハルト州、メクレンブルク=フォーポメルン州(すべてドイツの東部と北部)に2000〜2500頭が棲みついていると言われる。
 スウェーデンのように広くて人口密度の低い国でも、現在のオオカミの数は400頭というから、ドイツのように、ヨーロッパの真ん中に位置する比較的人口密度の高い国でこの数字は、異常だ。
 なお、オオカミについては、各州の自然保護担当部門が詳細に観察しており、移動中の頭数、定住している頭数、群れの数、つがいの数、繁殖の実態、子オオカミの数など、非常に詳しい数字を持っている。
 ブランデンブルク州は、ベルリンを囲む州だが、現在、ドイツではこの州に一番多くのオオカミが棲んでいる。ベルリンから車で1時間ほどのショーフハイデ・ワイルドパークは、昼間は観光客で賑わうが、夜になるとオオカミが吠えるというから、かなり物騒だ。
 しかし、同パークの方針は、「我々はすべての野生動物を愛し、保護する」で、「ドイツでオオカミに襲われた人はいない」とのこと。
 首都の近くでオオカミが徘徊しているなど、常識で言えばあり得ない話だが、同州のオオカミの生息密度は、すでにシベリアやカナダの原生林よりも高くなってしまったという。
 ただ、オオカミに対するこの極めて友好的な態度は、ブランデンブルク州だけではなく、実は、EUの方針だ。EUとその前身のECは、オオカミを重度に保護すべき動物と定めた。
 EUでは、各国はEUの規則に従うことになっているため、オオカミはドイツの法律でも厳重に保護され、捕獲したり、殺したりすることはもちろん、繁殖を妨げることも、生息地を脅かすことも、すべて禁止だ。違反すると厳しく罰せられる。

毎年36%の割合で増加中

 ブランデンブルクは旧東ドイツだったので、冷戦時代はオオカミを友達扱いにはせず、見つければ捕獲、もしくは射殺していたという。ところが、90年の統一以後はそれが禁止され、その結果、オオカミが、おそらくポーランド方面から自由に国境を超えてやってくるようになった。
 オオカミにとってEUはおそらく天国で、特に居心地が良いらしいドイツでは、頭数はこの20年間、毎年36%の割合で増加している。なお、中部・南部ドイツでは、まだ、単独の群れが観察される程度だが、現在、東北部では数が増えすぎて、すでに移動が始まっているというから、油断はできない。
 オオカミは、餌の豊富な棲みやすい環境を探して長距離を移動し、落ち着く場所を見つけると繁殖を始める。つまり、子供のオオカミや、乳腺の発達した雌オオカミが見つかれば、それは、その土地ですでにオオカミが棲みついている証拠だという。
 一方、この“オオカミ天国”に激怒しているのが、酪農や放牧で生計を立てている農民や羊飼いだ。彼らとオオカミとの戦いはすでに何年も続いているが、捕獲も射殺も許されないため、柵を堅固にしたり、通電したり、カメラや番犬を増やしたりと、要するに守りを固くするしか方法がない。
 それでもオオカミは犬の先祖だけあって頭が良いらしく、必ず5〜12頭ほどの群れでやってきて、何処かから忍び込むと、その後は見事な分業で、陽動作戦なども使いつつ、最終的に動く物がなくなるまで殺し続ける。
 当然、容易に獲れる動物を狙うから、羊、ヤギ、子牛などは良いカモで、一回の襲撃で40頭の羊が殺されたこともあったという。それどころか、体が大きく、足の速い馬までがやられる。結局、21年は約4000頭の家畜がオオカミの犠牲になった。
 興味深いのは、数頭の非常に賢いリーダー格の狼が、問題児ならぬ「問題オオカミ」と呼ばれ、すでに特定されていること。問題オオカミに引き連れられた群れは、森でシカや野ウサギを追いかけているオオカミを尻目に、家畜の襲撃に特化して成功を収めている。

環境相(緑の党)が提案した解決策

 オオカミに襲撃される懸念に常に付き纏われることになった農民は、かねてよりその対策として、環境省に、「問題オオカミ」だけでなく、その群れ全体を駆除する許可を求めていた。彼らが言うには、2010年には7つしかなかったオオカミの群れはすでに161を数えており、保護柵の増強も、お金がかかるだけで効果が少ない。
 また、現在、羊1頭を失えば約300ユーロ(州によって差がある)の賠償が支払われることになっているが、柵に不備があったことがわかれば、それも貰えない。そもそも、何キロもの柵を常時、完璧に保つことは至難の技だ・・等々。
 放牧で生計を立てている羊飼いは、昨今、そうでなくても経済的に追い詰められている。牧草地の借地代が上がっているわりには、ブリュッセルからの助成金は他の農業種に比べて低く、しかも今では常にオオカミの脅威に晒されている。
 6月1日、レムケ環境相(緑の党)が、これらの問題について協議するため対話の場を設けた。ところが、招かれたのは農業従事者の他は自然保護団体で、それも、動物の権利を主張する過激な団体Peta(動物の倫理的扱いを求める人々の会)までが含まれていた。一方、オオカミ駆除が行われるとなった場合に、実際にそれを受け持つはずの狩猟連合会は除外。元来、猟師は森の実態について一番よく知っている人たちだ。
 ただ、誰が参加しようが、しまいが、レムケ氏の意志は揺るがなかった。氏はオオカミの駆除には絶対反対で、オオカミと共存することが「自然」であり、あるべき姿であると信じている。
 そこで、彼女が提案した解決策は、各州に「オオカミ・マネージメント」というポストを作り、農民に、より良い家畜の保護の仕方をアドバイスさせること。何となく税金の無駄遣いっぽい。
 なお、Petaも当然のことながら、オオカミの射殺は断固否定。「我々は解決法として、ヴィーガンの食生活を提案する」とのこと。ヴィーガンというのは、動物に関するものは、肉も魚も卵も牛乳もチーズも全て食べない人たちで、革靴もウールのセーターも着ない。
 つまり、Petaにすれば、主要な問題は、殺すオオカミでも殺される羊でもなく、私たちが羊や鶏を食べることなのだ。こういう思想の持ち主と、ドイツの環境相は心を分かち合っている。

経済よりもオオカミの権利を守る国

 一方、ドイツのお隣のスイスもオオカミ問題では同じ悩みを抱えている。
 スイスには現在、250頭のオオカミが26の群れを成して生息しており、多くの羊が犠牲になっている。そこで先般、オオカミ駆除の条件を緩和するため法律を改正し、それが7月1日より施行されるという。スイスはEUの加盟国ではないので、自分たちの主権で法律を作れる。
 ちなみに、やはり隣国のオーストリアはEUの加盟国だが、なぜかオオカミの駆除は断行。スイスもオーストリアも、与党の政治家が緑のイデオロギーに染まっていない。
 それに比してドイツでは、21年12月に左翼政権が樹立して以来、連立与党である緑の党が勢力を奮っている。今や電気代はEU一で、インフレ率も高止まり。愛想を尽かした産業は群をなして国外へ脱出、国民はガソリン車も、従来のガスや灯油の暖房も取り上げられそうで途方に暮れている。
 ドイツは、このまま行くと脱工業化する恐れがあるが、しかし、それでも、オオカミの権利はちゃんと守る良い国だ>(以上「現代ビジネス」より引用)




 川口 マーン 惠美氏(作家)の「ドイツ政府(緑の党)が、自国の経済よりも「オオカミの生存権」を大事にする摩訶不思議」という論評を読んで驚いた。グリム童話に恐ろしいオオカミが登場して子豚やお婆さんを食べてしまうが、それは童話の世界での話だと思っていたからだ。
 しかし現実にオオカミがドイツの街にも跋扈し、酪農家が大事にしている羊や牛などの家畜が食べられているという。電気柵などを設置しても、頭の良いオオカミは放牧地に侵入して動く物がいなくなるまで殺すという。

 年間オオカミに家畜を4,000頭も殺されても、オオカミを保護するドイツの緑の党とは何だろうか。「政治は国家と国民のため」にあるが、ドイツでは「政治は環境のため」にあるようだ。
 確かに環境を破壊してはならないし、環境は守るべきだが、しかしそれも程度問題だ。CO2は地球を温暖化するから「悪」だが、風力発電の巨大な塔を海岸沿いの海に建てて、年間数万羽もの渡り鳥が羽根に激突して死んでも構わないし、原発の温排水を海に垂れ流しても構わない、という思考は環境保護と相容れないと思うのだが。

 EVは走行時にCO2を排出しないが、電気を作る時に火力発電を用いればCO2を排出するだろうし、原発も放射性廃棄物の処理には膨大なCO2を排出する。しかもEVに付き物のバッテリー生産にレアメタルを採掘し生成する段階で広範に環境を破壊している。しかも使用後の処分にどれほどエネルギーを消費するか今後に待ち構える大問題だ。
 物事は常に表裏一体だ。CO2は「ブランケット・ガス」の一種だが、同時に光合成植物にとっては貴重な「必要物質」だ。CO2濃度が0.04%というのは光合成植物にとって閾値寸前の低濃度ではないだろうか。光合成植物が死滅すればそれを餌とする動物が死滅するだけでなく、空気中の酸素が供給されないため、あらゆる動物も死滅する。

 日本語には「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺がある。すべては程度問題だ、という。清潔も潔癖と呼ばれるほど徹底すれば生き苦しくなる。それかといって不潔な環境も公衆衛生にとって良くないし、ネズミなどが媒介する感染症の蔓延をもたらす。
 オオカミを絶滅させればシカなどが異常繁殖して自然の生態系に悪影響をもたらす。しかし農耕地を広げるのも環境破壊だとみなせば、食糧不足になって多くの人たちが餓死することになりかねない。自然を制御して、すべての生物と共生する環境を維持するのも人類の叡智ではないだろうか。闇雲に環境保護を最優先するのは無能の極致というべきだろう。それともドイツはオオカミが人権よりも優先する国に成り果ててしまったのだろうか。

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