死に至る子守歌

 <隠されてすらいる事実。なぜ日本にここまで悪しき格差が広がったのか
 今世紀に入って最初に格差の問題が話題になったのは、2006年から07年の第一次安倍政権の時代でした。当時は「団塊2世=ロスジェネ」が30代半ばに差し掛かる中で、正規雇用に就けないグループと、そうでないグループの「差」が顕著になっていたのでした。そこで、当時の政権は「再チャレンジ」というキャンペーンを行ったりしました。大きな成果はありませんでしたが、貴重な着眼ではあったと思います。その後の政権には継承されなかったのは、残念でなりません。
 この時期の格差批判というのは、かなり圧力としては高く、結果的に2007年の参院選で与党が負け、政権が崩壊する要因になったように思います。リベラルの一種の生理的とも言える「安倍嫌い」が、この時はまだ力関係的に有力であったこともありますが、その「格差が問題なのに改憲論議に走っている」という批判が、幅広い有権者にアピールしたのでした。
 その後、日本国内の格差は緩和されたのかというと、むしろ反対です。2008年のリーマン・ショックによる世界的な景気後退、2011年の東日本大震災、2020年からの「コロナによる失われた3年間」など、様々な経済的な苦境がありましたが、そのたびに格差は拡大していきました。
 気がつくと、格差拡大というのは「当たり前」になり、格差のことを批判する声も比較的小さくなりました。勿論、格差の当事者には潜在的な声があるのですが、メディアは取り上げず、労働権の行使も雇用を人質に取る中で潰されてきたのです。結果的に、こうした要因が格差を更に拡大してきたのでした。
 そもそも、格差には良い格差と悪い格差があると思います。いやいや、格差は一般的に悪だという考え方があるのも承知していますが、そうした発想法にこだわり過ぎると、結果平等と計画経済に流れて最終的には経済全体の活力を奪ってしまいます。このことは、20世紀に行われた壮大な社会実験の失敗が明確に示しています。
 勿論、良い格差といっても必要悪だという認識は必要ですが、それはともかく、仮に「今は低収入である層が、一種のハングリー精神を持ち、個々の階層上昇へのエネルギーを集約することで全体の成長を牽引する」というような格差であれば、ある種、良い格差であると言えます。
 また、「様々な理由で財産を築いた層が様々な方法で社会にその富を還元することで、政府による徴税と再分配よりもコスパの良い還元ができている」というような場合は、さすがに良い格差とは言えないまでも、格差の問題性は軽減されていると言うことができるでしょう。
 そのように発想して行くと、現代の日本の格差というのは、相当に悪質なものであると考えられます。3つ指摘したいと思います。

昭和末期とは別の国。拡大する「桁が違う格差」

 まず1番目は、現実的に正規雇用と非正規雇用という階層が固定化されつつあるということです。もっと言えば、多国籍企業や大都市の正規雇用者が現代日本では貴族階級に属し、国内産業や地域企業の正規雇用がその次の階層で、非正規雇用は先進国経済の水準から大きく離された全く別の階層になっています。
 このシステムには、強い硬直性があります。とにかく階層上昇が難しいのです。まず学歴の選別があり、その上で正規雇用に関しては20代を過ぎると入り口が閉じてしまいます。例えば35歳で「一度も正規雇用の経験がない」人材には、正規雇用の門戸は開かれません。
 理由としては、スキル不足という建前で語られることが多いのですが、本当は違います。本音の部分としては、35歳ぐらいまで非正規の現場で苦労した人材は、本当の意味で自立した個人になっています。そうすると「職種と責任範囲が曖昧な中で、役員候補だという夢を人質に取られながら、ユーティリティープレーヤとして消耗に耐えつつ、社内政治レースに参加する」というバカバカしいモチベーションを持つように洗脳することが不可能だからです。
 固定化ということでは、階層の世襲ということがあります。大学教育を受けるためには、高校段階での教育では受けられないスキルで選別されます。また高校に入学するためにも、正規の中学のカリキュラムだけでは教えられないスキルが求められます。都市部の場合では、中学受験をしないと貴族コースに乗れない状況もあります。
 そのために、各家庭は、それぞれが経産省所轄の塾などの無認可施設で無資格教員から訓練を受けるために多くの費用を負担させられます。大学入試や中学入試は貴族階級に入るための科挙ですが、中国の歴代王朝における科挙は階層固定による貴族の退廃を防止する知恵でしたが、日本の科挙は貴族の世襲と保守化の温床になっています。
 そう考えると、現代日本の格差というのは、人類の歴史の中でも相当にタチの悪い格差であると考えられます。問題はその格差がどんどん拡大しているということです。
「多国籍企業の給与水準は、国際競争力がないと優秀な人材が流出するので初任給が30万円、40万円、いや年収で400万、500万が提示されるようになってきたが、地方や中小の企業では初任給20万に据え置き。非正規の多くは相変わらず最低賃金」
 これが2023年5月の現実だと思います。これだけでも大変な格差ですが、更にその差は広がる気配こそあれ、縮まるという動きはありません。例えばですが、2010年前後までは、日本の国内消費ということでは「先進国経済を謳歌して引退した団塊世代」の購買力が圧倒的で、高額消費の多くはこの層でした。ところが近年は、新たに30代から40代の高額消費が顕著に見られるようになっています。その結果として、消費の二極分化が激しくなっているのを感じます。
「地上波では一食300円での家計のやり繰りが人気。一方で大都市のグルメ寿司店などでは、おまかせで一人3万円以上のコースを出す店が増加」
「地方では100万の軽四を中古で買う人が多いのに、都市部では600万のテスラが人気」
「家族連れ向けに一人6,000円のチェーン温泉旅館が増える(買収再生物件)一方で、一人6万円の露天風呂付きスイートの宿も人気」
「連休に家族で3万円の国内旅行か、それも不可能な層が多い一方で、GWにハワイで500万円を使う家族も増えており、日系航空会社の便はほぼ満席」
「奨学金ローンの返済に苦しむ層が増える一方で、4年間で5,000万という海外留学が静かなブームに」
 というような「倍とか3倍」ではなく、「1桁あるいは2桁」の格差というような現象が出てきています。これは「1億総中流」などと(実態はまた別でしたが)いう言葉に妙な実感が出ていた昭和末期と比べると「全く別の国」であるように思います。

2023年現在の「日本型格差の本質」

 日本の場合は、このような格差が顕在化していないこともあり、また損をしているグループの異議申し立てがないこともあって、問題が大きくなっていません。異議申し立てについては「すれば20世紀の左派的で尊大で経済合理性を欠くグループ」と混同されるか、「そっち系」に持って行かれるという困った問題が足を引っ張っていることもありますが、問題は「見えない」ことです。
「定時出勤の時間帯に、ネクタイやスーツ姿で通勤している人は半数が非正規で、正規労働の多くはまずジムに行くのでカジュアル、もしくはテレワーク」
「コンビニの店員でも、日本語発展途上の外国人は将来のエリート候補。一方で丁寧な日本語のためにメンヘラ客のカスハラ銃弾を浴びている人は、非正規でキャリアパスは限定的」
「窓口業務で正確にハイレベルのサービスを提供している人は非正規で、その向こうのデスクでモニターを見つめるだけの人は正規雇用、年収差は恐らく3から5倍」
 というような現象があるように思います。格差が「見える」社会であれば良いのかというと、それこそ暴動や治安悪化と隣合わせになるのは困ります。ですが、現在の日本のように格差が「可視化されない」ことで政策の争点にすらならないというのも困ります。4月の統一地方選や衆院補選でも、格差は争点にはなりませんでした。勿論、左派政党が高齢の「先進国経済謳歌世代」に支えられているということもあります。ですが、ここまで「格差が可視化されない=隠されている」というのも問題だと思います。
 ここまで格差に関するお話をしてきました。これはあくまで序論です。こうした現象も日本独自のものであり、日本型格差の一つの側面ではあります。ですが、ここからが本論になります。何故、日本では格差が拡大しているのかということです。その大きな原因は空洞化にあると考えます。つまり、空洞化によって格差が拡大している、これが2023年現在の「日本型格差の本質」だと思います。
 その前に、格差論議と同じように、空洞化についても「良い空洞化」と「悪い空洞化」があるいうお話をしておきたいと思います。と言いますか、通常の空洞化というのは、次のようなパターンになると思います。
「設計・生産をしていた国が経済成長しすぎて人件費が高くなったので、生産の部分を海外移転してコストダウン。設計と本社機構は元の国に残し、利益は元の国に還元」
「販売先の市場国で、雇用創出への圧力があり、現地生産へ切り替え。設計と本社機構は元の国に残して利益も元の国に還元」
「国の技術と経済が成長したので、旧技術による低付加価値製品の製造は生産性の高い他国に譲って、自国ではより高度で高付加価値な産業にシフト」
 という3つです。欧州各国やアメリカは、このような空洞化を進めてきました。1980年代から90年代の日本も同じであり、当時はこのような考え方で、空洞化を押し進めていました。
 アメリカや欧州との貿易摩擦が激しかったので、自動車を現地生産に切り替えたとか、自転車製造は台湾に譲り、造船は韓国に譲って日本は自動車にシフトしたとか、多くの製造業がアジア諸国に生産を移転したなど、20世紀までの空洞化は、この3つの公式に合致したものでした。良し悪しはありますが、合理性はあるわけで、この3つに適合するものは、とりあえず「良い空洞化」としておくことにします。

自国の経済を壊す「悪しき空洞化」を進める日本

 ところが、現在はそうなって「いません」。つまり、日本の現状は「悪しき空洞化」になっているのです。
「生産を海外に移転したが、その結果として国内には移転できない低付加価値の部品産業だけが残ることに」
「現地生産を進めすぎて、自動車の日本国内での最終組立は限りなく縮小」
「自動車産業を空洞化した一方で、より高付加価値の宇宙航空産業進出は基本的に失敗」
「世界に先行していながら、資金不足で半導体産業の競争力を喪失」
「海外売上がどんどん増加しても、多国籍企業は資金の国内還元をしない」
「デザインや研究開発、あるいは本社機構なども、徐々に海外移転」
「優秀な人材がどんどん流出」
「いつの間にか、大卒50%の国で観光が主要産業という悲劇的なことに」
 という状況です。つまり「自国の経済にプラスになる」合理性のある空洞化ではなく、「自国の経済を壊す」つまり「悪しき空洞化」を進めているのが、現在の日本ということになります。
 この全体像ですが、これを「日本的空洞化」という言い方で考えていこうと思います。
 ここまでお話してきたように、通常は「人件費のコストダウン」、「市場国で雇用創出するための現地生産」、「高付加価値にシフトするための海外移転」という3つのカテゴリでの産業空洞化が進められるわけですが、どうして日本の場合はこれとは違う「悪しき空洞化」が進んでいるのかというと、例えば、経産省などは産業界を取り巻く「6重苦」があるという説明をしているようです。
 この「6重苦」ですが、具体的には、
<1>円高
<2>経済連携協定の遅れ
<3>法人税高
<4>労働市場の硬直性
<5>環境規制
<6>電力不足・電力コスト高
 のことを指すようです。順に見ていきましょう。
 まず<1>の円高ですが、こちらは黒田日銀の「異次元緩和」による円安誘導が続いたために解消しました。確かに円高となれば、日本国内で生産して輸出するには不利ですから、理論的には円安が良いのはわかります。ですが、円高が解消して円安の副作用が激しいぐらいに、円が安くなっても産業は戻ってきていません。
 ということは、この<1>の要素は2023年の現在は空洞化の原因とは言えないことになります。ちなみに、円安にしても産業が戻って来ないにもかかわらず、円安政策が続けられているのは、その方が多国籍企業の円による売上利益が「大きく見える」からです。
 次に<2>の経済連携協定ですが、現在はTPPも日米EPAも発効して機能しています。ですから、関税が間にあるので輸出が難しいという障壁は改善されました。にもかかわらず産業は戻って来ていません。ですから、2023年の現在では、これは大きな要因ではないことがわかります。
 では<3>の法人税はというと、今でも日本の法人実効税率は29.74%とG7の中ではドイツと並んで高いほうですが、2014年度に37%だったのを順に下げてきています。では、これで産業が戻ってきたのかというと、そうではありません。ですから、現在の「空洞化要因」としては該当しません。
 次に<5>の環境規制については、厳し過ぎるので空洞化するというのでは、現在の日本の産業界は公害の輸出をしていることになるし、この「障壁」を無くすということは、日本での公害を認めることになるわけです。ですから、改善項目としての正当性はないと思います。この問題を「6重苦」の一つに数えていたとすれば、当時の経産省のモラルハザードを批判するのが正しいわけで、この<5>は除外するのが正しいと思います。

必要不可欠な「畳の上の水練」ではない英語教育

 この経産省の言っていた「6重苦」の中で、現在大きな課題として残っているのは、残りの2つ、つまり、<4>の労働市場の硬直性と<6>電力供給だと思います。
 まず<4>の労働市場の硬直性ですが、これは大きな問題です。正規雇用とすると解雇が難しい一方で、非正規雇用では優秀なスキルの人材は来ないということがまずあります。これに加えて、完全にスキルが時代遅れになった管理層や経営層が、判断をミスし続けるとか、時代に即応した動きができないということもあります。先端的なスキルを持っていても、若いというだけで高給を用意することができないので、人材が逃げるなど、多くの問題があります。確かに、人事制度の硬直性というのは、大きな要因だと思われます。
 加えて<6>も大きな問題です。高齢者を中心に、東日本大震災を契機に「反原発」というカルチャー現象が拡大しました。一種の思い込みで「原発というケガレた罪深いものは、無くしてしまって、日本列島を自然に戻せば、自分は救われるが、そうでないと千の風になって成仏しないでグルグル回ってやる」というオカルト宗教のようなものです。問題は、政治家にも財界にもそうした世論を誠実かつ丁寧に説得する気迫に欠けていたことです。
 そんな「面倒なこと」をするぐらいなら、安定した電力の必要な産業はソトに出してしまおうと財界が動いたのは事実であり、これは大変な話です。
 ということで、経産省の言う「6重苦」は実は「2重苦」なのですが、これに次の4つが大きくのしかかっているわけです。通番で行きますと、<7><8><9><10>になります。

 まず<7>は教育です。日本国内の教育は、全員が一律のカリキュラムで行い、10月1日から一斉に冬服に着替え、運動会の際には全員でラジオ体操をするなど、中付加価値の工場労働者を育てるだけの内容です。それでは、先進国型の人材は育たないので、大学などはそれなりに高度ですが、そこへ行くには塾に行く必要があるわけです。つまり、公教育では先進国型のエリート教育は禁止されています。
 大学でも最新の技術を英語で学ぶ機会は広くはありません。ですから、80年代以降は、日本の高度な人材は大学院レベルでは英語圏などに留学していました。そして、今は、学部レベル、あるいは高校レベルでの留学が静かなブームになっています。私は、個人的に『アイビーリーグの入り方』という本を書いているように、個々人の若者が海外を目指すのは応援したいと思っています。
 ですが、昨今の文科省のように、日本人50万人を留学させて、その代わり40万の外国人留学生を招くという奇々怪々な政策には反対です。日本が好きで、日本で学びたい若者の留学は大歓迎ですが、円安につられてやってきて、英語圏でのインターンのために3年生になる時には転校してしまうような安易な留学生にまで大金を投じるのはダメだと思っています。
 問題はエリート層で、このまま静かに流出が続くと国益を大きく損ないます。それでも文科省が優秀な若者を海外に出そうというのは、建前としては海外で学んでそれを日本に持ち帰って欲しいというのはあると思います。ですが、年功序列の日本では、23歳とか25歳で英語圏で最先端技術を学んできた若者を「組織の中で使うノウハウもない」一方で、世界的な労働市場で競争力のある賃金を払うことも難しいでしょう。そうなると、出ていった若者の多くはは戻ってきません。文科省が分かってやっているのなら(分からないならそれも)、問題だと思います。
 いくら「改革は大変で全員が不幸になる」という悲観論に負けそうになっても、やはり教育の改革は必要です。ジョブ型雇用を成立させるのも、リスキリングでの転職を成功させ、結果的に経済全体を底上げするにも、教育のアップデートが必須です。更に言えば、そこには、本当の、つまり畳の上の水練ではない英語教育が必要です。

中韓に気前よく先端技術を生産ノウハウ込みで渡した日本政財界

 続いて<8>は資金です。東芝の凋落は、経営陣に正しい意味でのグルーバルなリーガルマインドが欠けていて、311以降の世界的に厳しい原発規制に対するコスト負担を押し付けられたからです。ですが、それにしても日本にカネがあれば守るべき部分を守ることはできたはずです。シャープもそうですし、そもそも半導体の生産競争で完敗したのもカネがなかったからでした。
 日本にカネがないのには、3つの理由があります。1つはバブル崩壊など、余剰資金を産業に投資しないで土地や株など投機に走ったからです。2つ目は、多くの企業や金融機関で最低限の英語力とファイナンス・リーガルのスキルに欠けているために、海外から資金調達するのができず、今となっては将来の更なる円安が怖くてできなくなっているからです。3番目は、個人金融資産が昔のようにワリコーなどリスクマネーにはならず、リスクを回避するようになったからです。これは資産家が高齢化して老後に「超長生きしてしまうリスク」をカバーするためにカネを溜め込んでいるからです。
 例えばですが、2001年から数年間の「コイズミ改革」で郵貯の民営化が進められたのには、「巨額の個人金融資産を郵貯から解き放って」産業への投資に回そうという理論があったのです。ですが、改革に時間がかかる中で、このロジックは回りませんでした。
 そんな中で、企業は余剰なカネを海外に持っています。日本経済そのものが衰退し、人口減で市場も縮小する中では、いくら海外で儲かっても、多国籍企業は日本国内にはマネーを還流させないのです。そもそもカネがなく、折角海外で稼いでもカネが来ないのですから、どうしようもありません。このマネーの空洞化は、最終的に円安を加速させ、更に資金の流出を加速する危険があると思います。
 <9>は、余りにも安易な技術指導の結果です。韓国や中国に、製鉄や、エレクトロニクスの実装技術をホイホイ渡してしまい、今は、日本の方が押されるようになっています。70年代から90年代の日本の政財界は、本当に気前よく技術、それも先端技術を生産ノウハウ込みで渡していました。
 当時の人達は、日本はその分だけ更に先端の技術でリードするつもりであり、国の経済を売り渡すという意識はなかったと思います。ですが、「造船は渡す代わりに自動車で大きな繁栄をつかんだ」ようには、なりませんでした。例えばエレクトロニクスでは「ハードは渡すがソフトで更に最先端へ」などということは、実現しませんでした。
 そんな中で、多くの製造業では「低賃金に耐える職人的な町工場の部品産業」では競争力があるが、「中付加価値の生産ノウハウ」は残っていないということになっています。また、精密な機械の製造を行うような教育を受けた、しかもコスパの良い若い労働力もありません。ですから、円安と人件費低迷が続く日本でありながら、製造業の「国内回帰」はできないのです。

完全に日本国内に取り残される「負け組」

 <10>は、もっと本質的な問題です。それは、日本の文明が先端産業とミスマッチを起こしているということです。例えば、日本のカルチャーには何でも可視化したがるクセがあります。ですから「モノ」は得意です。ですが、スマホのように、各国別のキャリアーとの契約、各国の膨大なソフトハウスとの契約やクオリティ管理といった「目に見えない」ノウハウの必要なジャンルではアッサリ敗北してしまいました。英語人材のコストと質がダメということも大きいです。
 また、原子力や遺伝子工学などは「あるがままの自然が神さま」という「アニミズム信仰」が邪魔をして、あるレベルから先へ進もうとすると、巨大な抵抗勢力が潰しにかかるということもあります。特にダメだったのが、コンピュータで、DXなどという動きは、30年遅れているとしか言いようがありません。
 航空機産業がダメだったのには、精密な国際レギュレーションに合致した部品や組み立てのノウハウがないままに、最初に設計図には巨額投資をしなかった経営の甘さが原因だという考え方があります。あるレベルまでは、日本の技術は才能を発揮するのですが、複雑さがあるレベルを超えたり、ある時間のスパンを超えると、例えば個人主義や契約社会の厳密さとは違って、脆さを露呈するということもありそうです。
 勿論、日本の企業でもそうした最先端の部分で戦っているケースはあります。ですが、文明的な背景で抵抗勢力のいる日本を回避して、海外で開発を行うケースも出てきました。例えば、AV(自動運転車)については、多くのAI人材が海外ということもあり、研究開発を海外に出している企業は多いです。
 製薬などは、日本国内では治験が難しいので、開発した新薬候補の化合物について海外で治験を行うという空洞化が常態化しています。治験というのは、重要な開発プロセスであるわけで、これは大きな空洞化だと思います。
 そもそも、日本人は数学に強いので金融は得意なはずです。ですが、金融は卑しい商売という偏見に加えて、金融リスクは怖いという社会的トラウマ、そして目に見えない抽象概念をハンドルするのは苦手、更に共通語である英語も苦手という文明の短所が加わって、金融業のレベルは全くダメなままです。
 また、自動車もそうですが、若者向けのデザインが重要な産業では、日本での若者人口が減ったこともあり、デザインを海外で行う事例も出てきました。いずれにしても、日本型空洞化とは、2023年現在は、
「国内の労働法制・労働慣行が時代遅れ」
「電力やエネルギーの供給が不安定」
「国内の教育が先進国型経済とは完全にミスマッチ」
「国内では資金不足、にもかかわらずマネーは海外逃避」
「余りにも安易だった技術移転」
「抽象概念や長期スパンが苦手で、先端産業に向かない文明の特質」
 という「新6重苦」と言いますか「日本型の6つの空洞化要因」の結果として起きているということが言えます。
 その結果として、「英語に関係する」職務で、しかも「ドルやユーロ、人民元経済圏にリンクした」ビジネス、そして「先端産業に関係」している、つまり外資や多国籍企業に関係している人材は、国際的な労働市場の賃金水準に近い収入があるということになります。
 つまり、空洞化によって「海外に出ていった部分」に追随している部分は「勝ち組」であり、完全に国内に残されたグループは「負け組」になっているということが言えます。
 空洞化が、どんどん格差を拡大し、それによってどんどん国内経済(国内総生産=GDP)は細って行き、そうすると優秀な人材も企業もどんどん外へ出ていく、こうした悪循環が広がっていくのです。
 この「日本型空洞化」こそ、格差の元凶であり、このトレンドを反転はムリでも、止めるかスローダウンさせる必要があります。繰り返しますが、日本の格差の元凶は日本型の空洞化です。この問題を改善することは、日本国内における経済と人々の幸福度を守る上で最優先事項です。>(以上「MAG2」より引用)




 冷泉彰彦氏(在アメリカ合衆国の教員、作家、 翻訳家、鉄道評論家)のプリンストン通信というメルマガに掲載された「もはや昭和の頃とは別の国。日本で「桁ちがいの格差」が急拡大している理由」と題する論評がMAG2に転載されていた。
 日本の格差は問題となってから久しい。私も格差に関しては問題視して、その原因は自公政権が推進した「構造改革」というグローバリズムによると批判してきた。冷泉氏はその事も勿論だが、「畳上の水練」に等しい英語教育にも一因があると指摘している。しかし冷泉氏が指摘する数々の「格差拡大原因」に得心がいかないため、ここに論評に対する批判を書くことに
した。

 まず冷泉氏が挙げた企業を取り巻く6重苦だ。冷泉氏が挙げた「6重苦」だが、それは以下の6項目だった。
<1>円高
<2>経済連携協定の遅れ
<3>法人税高
<4>労働市場の硬直性
<5>環境規制
<6>電力不足・電力コスト高
 それぞれについて批判すると、以下の通りだ。日本の「円高」は1995年4月19日、1973年に変動相場制が導入されて以来、円の最高値となる1ドル79.75円を記録した。当時の内閣は村山富市氏で経済政策が無策に過ぎた結果そうなってしまった。「円高」は以後の第二次安倍内閣に登場した日銀総裁・黒田氏による異次元金融緩和まで終焉した。
 円高はグローバリズムの「国際分業」を促進する方向に作用し、国内雇用の空洞化を招いた。同時に中国へ移転した製造部門の労働者と日本国内労働者の賃金競争を強いられ、製造現場に非正規・派遣労働を可能にすべく「構造改革」が小泉-竹中コンビによって行われた。それが「同一労働同一賃金」という原則を崩して労働者間の格差拡大を招いた。

 次に冷泉氏は経済連携の遅れを挙げている。まさに経済連携はグローバル化の一環であって、日本の労働者を後進国の労働者と競わせる悪しき制度でしかない。よって国内労働賃金は経済連携による抑制圧力で上昇機運を失ってしまった。
 しかし冷泉氏が第三に上げた法人税高は格差拡大とは全く関係ない。そのことは冷泉氏も指摘しているように法人税を引き下げても外国投資が盛んになったわけではなく、むしろ労働賃金を支払って経費計上するよりも、企業内に留保して株主配当や「企業利益処分」としての役員報酬の引き上げ材料に多用された。
 
 労働市場の硬直性は「構造改革」が始まる以前の方が高かったように思える。当時は終身雇用制と賃金の年功序列制が徹底していたため、企業を得釣り替わる方が「損」だという考えが浸透していた。しかしそれは硬直性というものではなく、企業への帰属意識というべきではないだろうか。なぜなら日本では企業に就職してから何処へ配属されるのか入社当日まで分からない、という採用形態があるからだ。
 冷泉氏が環境規制というのは原発規制のようだ。あるものは使用すべきだ、というのが冷泉氏の考えのようだが、福一原発保経験した日本は国家として「脱原発」を世界に宣言すべき立場にある。少なくとも福一原発事故によって大量の放射性物質を大気中に放出して大気を汚染した。表土に残った放射性物質は「除染」により取り除いたと云うが、それ土を公園や道路に撒こうとして大反対を受けている。原発に関わる者の放射能の人体に及ぼす影響に関する不感症には驚くしかない。

 電力コストに関しては電力が地域独占とされてきたことによる影響は大きい。いわば国営のような企業が高コスト体質になるのは避けられない「腐敗」による。競争があれば原価削減などの競争が起きるだろう、として「新電源」などの参入を促したが、余りに大きなゾウとアリでは元々相撲にもならない。
 電力という「装置産業」は製造原価によって商品=電気料金が決まるのだが、日本では電気料金に様々な「賦課金」を政策的に賦課したため、実に複雑な構成になっている。ありとあらゆる所に賦課金を課して、結果として最終消費主たる国民からカネを巻き上げる「山賊」のような国家に日本は成り下がってしまった。

 冷泉氏の論考に対して「必要不可欠な「畳の上の水練」ではない英語教育」の章に関しては全く同意できないことを記しておこう。そもそも英語教育は日本語教育の一環として行われたもので、比較言語として英語を学ぶことにより、日本語への学問深化を期待するものだ。
 碌にマトモな日本語すら話せない小学校低学年に英会話を教えて何になると云うのか。それよりも日本の古典を教える必要はないのか。日本の童話をもっも教える必要はないのか。前述した通り英語教育は翻訳者や通訳者を養成するためのものではない。本人が翻訳家になりたい、通訳を業としたい、というのなら、それなりの専門学校へ進学すれば良い。ただ私の経験からいえば、米国の現地法人に配属された者は高校新卒では約半年、大学新卒では約一年も経てば流暢な米語で電話が出来るようになる。この場合問題となるのはネイティブかどうかではなく、話す内容のセンスではないだろうか。  

 高度経済成長時代、日本には厚い「中間層」がいた。そして社会全体が厚い「中間層」に守られた落ち着きがあった。一人前の男とは就職して結婚し、家族を養いつつ新居を求める、という人生設計があった。
 「構造改革」以後、そうした国民が一般的に描いていた人前設計はなくなり、労働組合も闘うことを忘れて権力者に擦り寄り、お零れを頂戴しようとする。それで非正規や派遣労働者の格差問題を語れるのか。しかし、恥を忘れた連中に何を云っても聞く耳を持たないようだ。日本経済は緩慢な衰退へ向かっているが、それが心地よい子守歌にでも聞こえているのだろうか。それは死に至る子守歌だが。

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