少子化による労働不足対策に「引籠り」の社会参加を促そう。

日本政府が打ち出した「異次元の少子化対策」で子供は絶対に増えない明確な理由
 岸田文雄政権が年初に打ち上げた「異次元の少子化対策」のたたき台を発表した。だが、「出産費用の保険適用」「保育士の配置基準の改善」「自営業・フリーランスの育児期間に係る保険料免除措置」「授業料後払い制度」「男性育休の取得推進」などが盛り込まれた。
 また、少子化問題や子育て支援、いじめなど複数省庁にまたがっていた子どもを取り巻く課題に一元的に取り組む、子ども政策の司令塔「こども家庭庁」が発足した。また、国会でも超党派の「人口減少時代を乗り切る戦略を考える議員連盟」が発足し、自民党の野田聖子前少子化相が会長に就任した。
 日本の合計特殊出生率は下落を続け、2021年は1.30人である。22年の日本の出生数は80万人を割り込んだとみられる。この状況を、政治家が「国家の存亡にかかわる危機的状況」と認識しているのは間違いない。こうした状況を打開するために、「異次元」の施策で一挙に解決しようというのだ。
 しかし、いくら異次元にカネをかけても、子どもが増えて、危機的状況を脱することができるとは思えない。この連載でも指摘していたが、そもそもこの対策が「少子化対策」ではなく「子育て対策」なのが問題だ。すでに子どもがいる夫婦の支援ではあるが、経済的理由で結婚できない人たちや、子どもを持てない夫婦は支援の対象外だ。だが、それ以上問題なのは、政治家は日本の若者について、大きな勘違いをしていることだ。
 それは、「国家の存亡にかかわる危機的状況」を解決するために、若者が当然協力するものと思い込んでいることだ。若者は、結婚をし、家庭を築き、子どもを育てたい、それが素晴らしい人生だと考えているはずだ。これを疑うべくもない大前提としているのだ。
 政治家は、そんな時代ではないことを知るべきだ。結婚をして家庭を築くことが人生のただ1つの道ではない。結婚せずとも、一人一人がキャリアを築ける、多様な生き方がある時代だ。
 さまざまな識者が、経済的な理由で、結婚したいのにできないでいる人たちや、結婚しても子どもを持てない人たちが多くいることが少子化の背景にあると指摘している。だが、それ以前に、結婚する必要がない、結婚する意味がわからない、むしろ結婚は人生の邪魔だ、墓場だと思っている若者が多くいるのだ。
 多様化の進んだ現代社会は、1つの価値観に国民を縛ることはできない。だが、この変化に対して、政治家はあまりに鈍感で無策なのではないだろうか。私は、異次元の少子化対策には、政治にとって最も大切なものが欠けていると思う。それは国民が「将来への夢と希望」を描けないことである。

結婚・子育てを若者にとっての「苦行」にしているもの

 このたたき台が打ち出された日、テレビ各局のニュースが街頭インタビューを行っていた。多くの子育て中の女性が画面に登場したが、異口同音に子育てには助かると言っていたが、もう一人子どもを持とうと発言をした人はいなかった。
 これが、子育て中の夫婦の持つ「実感」である。子育てとは、経済的にやりくりが難しい若者夫婦にとって「苦行」なのだ。たたき台は、その「苦行」を少し和らげるくらいの効果しかないということだ。これでは、もう一人子どもを増やそうという気にはとてもなれない。
 若者にとって結婚、子育てが「苦行」となってしまうのはなぜか。社会が大きく変化しているにもかかわらず、政治、財界、官界の首脳の多くを占める5-60歳台の世代の時代の社会や家庭のモデルを若者に押し付けることになっているからだ。
 そして、そのモデルが現実に合わなくなってきたのは、日本経済が「失われた20年」と呼ばれた長期停滞から抜け出せないことが根本的な原因だ。
 第二次安倍晋三政権の約8年弱の期間、再三にわたって企業に対して「賃上げ」を要請してきた。だが、企業はその要請になかなか応じなかった。グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた。
 正規・非正規雇用の格差問題は国会で議論され続けた。ようやく、21年4月に全ての企業を対象とした「同一労働同一賃金」の原則に基づく政策が打ち出された。だが、政策の裏をかき、正社員の賃金を下げて非正規雇用に合わせることで同一賃金とする企業が少なくなかった。その結果、格差は縮まらず、賃金も一向に上がらなかった。
 その間、経済の構造改革が求められ続けたが、政界も官界も財界もその先送りを続けた。経済を活性化させる新しい産業はなかなか生まれず、世界と比べてIT化、デジタル化が遅れていることが、コロナ禍を通じて明らかになった。
 要するに、奇跡的な高度成長という「昭和の成功体験」からなかなか離れることができなかった上の世代が、経済・社会の変化に対して有効な策を撃てなかったことのしわ寄せが若者を経済的な苦境に陥れている。
 その上、少子化問題を国家的な危機だと煽り、その解決を若者に押し付けて責任逃れをしている。大学という場にいて、卒業生や現役学生を観ているとわかるが、若者はそのことにしっかりと気付いている。上の世代の言うことに白けているのは間違いない。
 それでは「将来への夢と希望」がある政策をどう考えればいいか。現代は、国家が目標を決めて、若者がそれに従い、一丸となって夢と希望をもって進むということはあり得ない。
 「外国に追いつき、追い越せ」で一枚岩になれた高度成長期のような時代は再び来ることはない。国民の価値観は多様化してしまっていて、国家がそれを管理することは不可能なのだ。一人一人が、それぞれの価値観を持って、多様な形で人生を充実させていく時代だ。そこで国家ができることがあるとすれば、そのための基盤を整えることである。
 価値観の多様化にかかわらない形で、国家が整えられる基盤があるとすれが、その1つの例は、経済的な基盤を作ることだろう。経済的に余裕があれば、人生を充実させるために投資することができるようになるからだ。

「ダブルインカム・ツーキッズ」という生き方の提唱も

 この連載では「ファミリーの所得倍増論」を提起した。これは、言い換えれば「正規雇用で生涯共働き」で「所得倍増」ということだ。妻が正社員として働き、夫と同程度の給料を得られるようになれば、単純計算で世帯年収が倍増すると考えるからだ。
 かつて「ダブルインカム・ノーキッズ」という言葉があった。夫婦になって二人の年収を合わせて余裕のある生活基盤を持ちながら、子どもを持たずにそれぞれの人生の目標に向かうのが新しい生き方とされたことがあったのだ。
 今は「ノーキッズ」では困るわけだが、ここで重要なのは「ダブルインカム」が余裕のある生活基盤をもたらすという考え方が以前からあったことだ。これからは、例えば「ダブルインカム・ツーキッズ」という生き方を提唱してもいいのではないか。こういうのが「将来への夢と希望」」が持てる政策の1つの事例と考える。
 ところが現実は、高度成長期の成功モデルで、現在も根強い支持がある「年功序列」「終身雇用」の「日本型雇用システム」に根強い支持がある。若者がすぐに転職するというイメージがあるが、そういう若者が目立ってしまうだけで、実際はずっと同じ会社に働き続ける人は増えている。それは、このシステムが停滞する日本社会の中で「安定」をもたらしてくれるからだ。その支持は、「夢と希望」があるものではない。
 その上、このシステムは「少子化」の進行に深刻な影響をもたらしている。結婚して子どもができると、妻は離職して専業主婦になるか、正規雇用の職を失い非正規雇用になることが多く、結婚すると所得が実質的に減ることが問題だ。
 職場結婚を考える同期の正規雇用のカップルいるとしよう。年収は2人とも500万円。結婚で妻は退職する。2人で夫の年収500万円を使うことになる。一人当たり250万円である。子どもができるともっと少なくなる。
 妻が非正規で働いたとしても、夫の500万円+100万円で合計600万円。やはり、一人当たり300万円で結婚前より使えるお金は少ない、2人がそれぞれ人生目標を持とうとしても、夫は家族を養うことだけで精いっぱいになり、妻に至っては人生目標自体を奪われることになる。家庭を築き子どもを育てることに「夢や希望」を持つのは無理である。
 一方、結婚後に2人とも正規雇用で働き続ける「生涯共働き」ならばどうだろうか。年収が500万円+500万円=1,000万円の「ダブルインカム」となる。人生全体を考えると、年収500万円で40年間働けば収入の合計は2億円だ。これが夫婦2人なら世帯年収は4億円になり、その10%を貯蓄し続ければ40年後には4,000万円ほどの財産が作れることになる。
 これならば、結婚したほうが使えるおカネが増えるということになる。結婚しようという気持ちになるし、子どもも複数持とうという気になる。家を買おう、車を買おう、外食しよう、旅行に行こう。人生の目標のためにお金を使おうという気持ちになる。
 今、必要な政策は、若者が「苦行」することを前提に、その痛みを和らげるためにお金を使う「対症療法」ではない。それよりも、若者の「苦行」を取り去り、一人一人が多様な「将来の夢や希望」を描けるような政策が必要だ。そうすれば、豊かな人生のために、子どもを持とうという若者も出てくるかもしれないのだ。

「異次元の少子化対策」に含まれている自民からのメッセージ

 結婚後に2人とも正規雇用で働き続ける「生涯共働き」は、一部の企業で推進され始めている。だが、その動きが多くの企業に拡大していくには。以下のような支援策が必要になる。
女性の労働意欲を阻害する「103万円の壁をはじめとするボーダーラインの改革
「くるみん認定」「えるぼし認定」などの女性活躍や育児支援に力を入れている企業への助成金など優遇措置の拡大
保育園の建設増、保育士の人数増、その待遇の改善など共働き世帯を支援する体制の改革
現在の「出入国管理法」のスキームを超えて移民を拡大し、保育・家事に携わる人材を確保する
 これらの政策は、個別に少しずつ進められているものだ。だが、「Too Little(少なする)」「Too Late(遅すぎる)」と言わざるを得ない。特に、女性を家事労働から完全に解放することと、外国人家事労働者を家庭に入れることについては、保守派から強い抵抗がある。自民党の政権が進めるのは難しいのが現実だ。
 だが、海外に目を向ければ、共働き夫婦をサポートし、子育て・家事を行うベビーシッターやハウスキーパーを海外から受け入れるのは、上海など中国本土の大都市や、香港、台湾、シンガポールなどで行われている、共働き夫婦のキャリア形成を支援するモデルだ。日本だけが頑なにそれを拒否し続けるのではなく、従来の発想を超えて、必要な政策を検討する必要がある。
 岸田首相は、「社会の考え方を変えないといけない」と発言した。それは、「男性も育休を取得し、企業がそれを支援しなければならない」という文脈での発言だった。若者や企業の現役世代に変われと言っているのだが、まず変わらなければならないのは、岸田首相と同世代の保守的な人たちなのではないだろうか。
 繰り返すが、岸田政権の「異次元の少子化対策」は、「少子化対策」ではなく「子育て対策」でしかないと批判してきた。だが、この政策をフェアに評価すると、1つのメッセージが含まれていると思う。
 自民党はリアリティの政党だ。草の根から国民の声を吸い上げて、なにが問題かは的確に理解している。そして、現実的に実現が難しいこともよく掌握している。
 自民党は、口が裂けても言わないが、少子化問題の抜本的改革など無理だと本当はわかっているのだろう。少子化を人口増加に変えるには、夫婦一組に子どもが3人必要だ。経済的に困窮した若者に、それを強いるのは現実的ではない。それがわからない自民党ではない。
 「異次元の少子化対策」に実は含まれている1つのリアリティとは、日本では、今いる子どもを一人も無駄にはできないということだ。この連載で、セルジオ越後さんの「補欠廃止論」を紹介したが、日本では、補欠だからといって球拾いをさせておく余裕はない。また、勉強で成績が悪い子を落ちこぼれと切り捨てることはできない。
 すべての子どもが生き生きと人生を歩めるために、丁寧に適性を見つけて育てていくことが必要だ。少子化はすぐには変えられなくても、まずは一人一人の子どもを大切に育てていくということにカネを使うというのであれば、無意味な政策ではない。
 岸田首相は、厳しい現実を認めることだ。その上で、できることは「子育て」に徹底的に注力することだと正直に言えばいい。実は「異次元の子育て対策」なのだというならば、若者に理解を得られるのかもしれない>(以上「MAG2」より引用)




 上久保誠人氏は「シラける日本の若者たち。岸田「異次元の少子化対策」では絶対に子供が増えないと断言できる理由」として上記論評を掲載した。もとより岸田氏の「少子化対策」と称する政策はすべて「子育て支援策」でしかなく、「少子化対策」とはいえないものばかりだからだ。
 なぜ若者の婚姻率が低下し、出生率が低下したのか。その答えは引用論評に語られている。「グローバリゼーションによる厳しい競争にさらされた企業は内部留保をため込むばかりで、賃上げを行わなかった。また、一部の企業は年功序列の雇用慣行を廃し、終身雇用の正社員を減らして非正規雇用を増やすことでコストダウンを続けた」から、労働賃金は30年間も上昇しないばかりか、実質所得は減少した。

 その結果として、いくら女性の社会参画を促しても「ダブルインカム・ツーキッズ」の実現にはならなかった。女性の社会進出いう切り札も効果なく、むしろ都市部での保育園不足と少子化を助長する結果となった。
 上久保氏は「日本では、補欠だからといって球拾いをさせておく余裕はない。また、勉強で成績が悪い子を落ちこぼれと切り捨てることはできない」と指摘しているが、18才~35才の「引籠り」60万人を放置しているのはなぜだろうか。

 年齢の幅を18才~60才に広げれば「家庭」で隠遁生活している「引籠り」は120万人もいるといわれている。彼らは親の年金に依存して暮らしているが、親の死とともに彼らの生活モデルは破綻する。それ以後は生活保護対象にならざるを得ないが、現行の生活保護者と同数の生活保護者を抱える余裕など現在の日本にはない。
 外国人労働移民に予算を割くのなら、なぜ「引籠り」を社会参画させるために使わないのだろうか。彼らに言語トレーニングや社会適応訓練も、外国人に対するほど必要としないだろう。そして、それは「引籠り」を抱える家庭の将来不安を解消することでもある。

 生活保護の申請者と対面するケースワーカーと同様な「引籠り」対策専門委員を各地方自治体に設置し、ハローワークと連携して就労機会の確保に努めるべきだ。その前に職業訓練が必要だというのなら、各地にある職業訓練校で職業訓練すれば良い。
 今後AI化が進めば、労働は一面では高度専門化する半面、AI化による単純作業とに二極化するだろう。紙媒体の「情報」がなくならない限り、紙媒体の「情報」を電子化処理するための単純労働は不可欠だ。たとえば他社から送られてくる請求書や注文書をスキャンして電子データに取り込むだけの単純労働は決してなくならない。あるいはAIによって自動生成された「請求書」を他社宛の封筒に入れたものを「発送する」単純作業もなくならないだろう。

 人手不足の解消手段の一つとして、政府は「引籠り」対策に全力で当たるべきだ。そのためには警察官が行っていた「担当地域の巡回」を行政が行うべきではないだろうか。
 中央官庁も地方自治体も決して「人余り」とは自白しないが、IT化からさらにAI化が進めば、現在以上に人余りになる。かつて官公庁の職員は算盤を入れて手書きで納付書を発行していた。それが電子化され、納付書の発送手続きまで外注化しても、公務員の定員削減をしていない。それどころか臨時職の大量雇用により、公務員は仕事がない状態になっている。彼らを担当地域巡回員にしても新たに公務員を雇用する必要などないだろう。
 いや既に公務員は多忙過ぎる、というのなら「引籠り」を雇用すれば良い。いずれにしても5080問題を放置したまま、少子化を語るのは木を見て森を見ない議論でしかない。

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