インドは世界のリーダーになり得るのか。
<「欧米先進国はロシアのウクライナ侵攻を批判するが、欧米諸国はアフリカやアジアでひどいことをしてきたじゃないか」
ロシアのウクライナ侵攻について議論していた時に、南アフリカ人の友人が発した言葉だ。
ロシアのウクライナ侵攻は、国際法に違反し、許されるものではない。しかし、アメリカもイラク戦争をはじめ国際法上疑問が残る軍事介入を多数してきている。世界の多くの国は、欧米諸国や日本のような目線のみで、ロシアのウクライナ侵攻を見ているわけでない。
近年、欧米諸国や中国を除く新興国・途上国の国々を「グローバルサウス」と言うグループでくくることが多くなった(中国を含める見解も一部あり、定義自体は一義的でない)。これらグローバルサウスの国々は、欧米諸国や日本とは違った目線で世界情勢を見ている。
グローバルサウスのリーダー格を自認するインドは、2023年1月に「グローバルサウスの声サミット」をオンラインで開催した。参加国は125カ国にのぼった。
中国には、事前に通知はしていたようであるが、招待はされていない。中国はもはやグローバルサウスとして招待されるような途上国ではなく経済大国であるという事実はある。同時に、中国を排除してグローバルサウスにおけるリーダーシップを発揮したいというインドの思惑も見え隠れする。
欧米諸国でも中国でもない国々が、一つのまとまりとして動きだしたのだ。
これらの動きは、必ずしも新しいものではない。
第二次大戦後にいわゆる南側の国々と言われた諸国は、米ソ冷戦時代に結束して「第三世界」と言われるグループを結成。領土・主権尊重や平等互恵などを訴えて欧米諸国に対峙した。1955年にインドネシアで開かれたバンドン会議(アジア=アフリカ諸国会議)は、第三世界の国々の結束の一つの象徴であった。
戦後の歴史を見ると、1980年代までは米ソ冷戦、東西冷戦が中心的な国際政治の争いであったが、同時に南北対立の歴史でもあった。
もっとも、米ソ冷戦期の第三世界の動きと、近年のグローバルサウスでは大きな違いがある。
世界経済の鍵を握るグローバルサウス
第一に、米ソ冷戦時に比べ経済力がはるかに高まっていることだ。
米ソ冷戦時には、南側の国の経済力は大変に限られていた。貧しい国が結束する場であった。しかし、コンサルティング大手PwCのレポートによると、2050年には世界のGDPの上位7カ国のうち6カ国はグローバルサウス諸国と中国になると考えられている。
経済力が上がっているだけではない。世界的に展開する多国籍企業が多数生まれ、グローバルサウスの域内で投資や貿易が活発に行われている。
また、エネルギーや鉱物資源は、グローバルサウスと言われる国々に多く埋蔵されている。EV・蓄電池などは多くの部品素材をグローバルサウスに依存している。
グローバルサウスは世界経済の鍵を握る存在になったと言っていいだろう。
第二に、欧米諸国と中国・ロシアに距離を置く存在としての立ち位置が高まっていることだ。
先に述べたようにグローバルサウスの定義自体が様々である。しかし、国際政治が米中対立、G7諸国と中国・ロシアの対立という構造に向かう中、グローバルサウスはそれらとは一線を画した国々として存在感が高まっている。
国際政治においては、時として中間的な立ち位置を取ることが影響力につながることがある。紛争や対立において仲介役を担うことができ、結果として自国・自陣営の利益になるからだ。
インドをはじめグローバルサウスがこのような立ち位置におけるメリットを模索していることは想像に難くない。
第三に、地球環境問題や感染症対策など地球的規模で対応すべき課題が増えていることだ。
ヒト・モノ・カネの動きが米ソ冷戦時代よりはるかに活発化する中、地球的規模の課題に対応するためには、グローバルサウスの国々の協力が欠かせなくなっている。
気候変動問題も今後も起こり続ける感染症対策などグローバルサウスの協力なくして解決はあり得ない。
このような現状に対して、欧米諸国はどう向き合うべきか。
欧米目線の価値基準の押し付けは逆効果
第一に、欧米中心の価値基準の一方的な押し付けはやめるべきである。そして、これらのグローバルサウスは、冒頭の南アフリカ人の発言にあるように、欧米中心の国際政治の価値基準に対して反発することが多い。逆効果になることすらあるだろう。
ロシアのウクライナ侵攻について、ロシア寄りまたは中立の立場をとる国が多いことはその一例だ。
自分たちの政治制度のみが正しく、その他の政治制度を否定するような前提での対話は、力を持ってきたグローバルサウスには通じなくなっている。多面的な視点からの対話が必要だ。
第二に、地球環境問題など地球規模の問題については、先進国とグローバルサウスが真摯に協力すべきであろう。
気候変動問題については、その主たる原因を作ったのが先進国であることは認めた上で、今後の取り組みについては豊かになりつつあるグローバルサウスにも相応の負担を求めていくべきだと思う。
気候変動対策のお互いの技術で協力を進めるなど、双方利益になることも多いはずだ。
以上をもとに、日本としてはどのように取り組むべきか。
岸田首相のグローバルサウス重視はどこまで受け入れられるか
GWに岸田首相がアフリカなどを訪問するなど、日本政府はグローバルサウス重視の姿勢を見せている。林外相もグローバルサウスの国々との関係強化の必要性を訴えている。
しかし、それは中国やロシアから他のグローバルサウスを引き離すための外交戦術の一つの面がある。パワーゲームの一環としての訪問が前面に出るのであれば、経済力を高め自信を持つようになったグローバルサウスの国々を惹きつけることは難しいのではないか。
地球規模の問題解決や相手国の経済発展についての日本の協力姿勢を見せ、大所高所の視点から相手国の協力を引き出す高度な交渉術が求められると思う。ビジネスパーソンとしては、グローバルサウスから見える世界、特に欧米諸国への複雑な感情を理解して、世界でのビジネス展開を図っていくべきだ。
力をつけてきたグローバルサウスと真摯に向き合い、地球的規模も問題解決に向けて協力すべき時代である>(以上「JB press」より引用)
ロシアのウクライナ侵攻について議論していた時に、南アフリカ人の友人が発した言葉だ。
ロシアのウクライナ侵攻は、国際法に違反し、許されるものではない。しかし、アメリカもイラク戦争をはじめ国際法上疑問が残る軍事介入を多数してきている。世界の多くの国は、欧米諸国や日本のような目線のみで、ロシアのウクライナ侵攻を見ているわけでない。
近年、欧米諸国や中国を除く新興国・途上国の国々を「グローバルサウス」と言うグループでくくることが多くなった(中国を含める見解も一部あり、定義自体は一義的でない)。これらグローバルサウスの国々は、欧米諸国や日本とは違った目線で世界情勢を見ている。
グローバルサウスのリーダー格を自認するインドは、2023年1月に「グローバルサウスの声サミット」をオンラインで開催した。参加国は125カ国にのぼった。
中国には、事前に通知はしていたようであるが、招待はされていない。中国はもはやグローバルサウスとして招待されるような途上国ではなく経済大国であるという事実はある。同時に、中国を排除してグローバルサウスにおけるリーダーシップを発揮したいというインドの思惑も見え隠れする。
欧米諸国でも中国でもない国々が、一つのまとまりとして動きだしたのだ。
これらの動きは、必ずしも新しいものではない。
第二次大戦後にいわゆる南側の国々と言われた諸国は、米ソ冷戦時代に結束して「第三世界」と言われるグループを結成。領土・主権尊重や平等互恵などを訴えて欧米諸国に対峙した。1955年にインドネシアで開かれたバンドン会議(アジア=アフリカ諸国会議)は、第三世界の国々の結束の一つの象徴であった。
戦後の歴史を見ると、1980年代までは米ソ冷戦、東西冷戦が中心的な国際政治の争いであったが、同時に南北対立の歴史でもあった。
もっとも、米ソ冷戦期の第三世界の動きと、近年のグローバルサウスでは大きな違いがある。
世界経済の鍵を握るグローバルサウス
第一に、米ソ冷戦時に比べ経済力がはるかに高まっていることだ。
米ソ冷戦時には、南側の国の経済力は大変に限られていた。貧しい国が結束する場であった。しかし、コンサルティング大手PwCのレポートによると、2050年には世界のGDPの上位7カ国のうち6カ国はグローバルサウス諸国と中国になると考えられている。
経済力が上がっているだけではない。世界的に展開する多国籍企業が多数生まれ、グローバルサウスの域内で投資や貿易が活発に行われている。
また、エネルギーや鉱物資源は、グローバルサウスと言われる国々に多く埋蔵されている。EV・蓄電池などは多くの部品素材をグローバルサウスに依存している。
グローバルサウスは世界経済の鍵を握る存在になったと言っていいだろう。
第二に、欧米諸国と中国・ロシアに距離を置く存在としての立ち位置が高まっていることだ。
先に述べたようにグローバルサウスの定義自体が様々である。しかし、国際政治が米中対立、G7諸国と中国・ロシアの対立という構造に向かう中、グローバルサウスはそれらとは一線を画した国々として存在感が高まっている。
国際政治においては、時として中間的な立ち位置を取ることが影響力につながることがある。紛争や対立において仲介役を担うことができ、結果として自国・自陣営の利益になるからだ。
インドをはじめグローバルサウスがこのような立ち位置におけるメリットを模索していることは想像に難くない。
第三に、地球環境問題や感染症対策など地球的規模で対応すべき課題が増えていることだ。
ヒト・モノ・カネの動きが米ソ冷戦時代よりはるかに活発化する中、地球的規模の課題に対応するためには、グローバルサウスの国々の協力が欠かせなくなっている。
気候変動問題も今後も起こり続ける感染症対策などグローバルサウスの協力なくして解決はあり得ない。
このような現状に対して、欧米諸国はどう向き合うべきか。
欧米目線の価値基準の押し付けは逆効果
第一に、欧米中心の価値基準の一方的な押し付けはやめるべきである。そして、これらのグローバルサウスは、冒頭の南アフリカ人の発言にあるように、欧米中心の国際政治の価値基準に対して反発することが多い。逆効果になることすらあるだろう。
ロシアのウクライナ侵攻について、ロシア寄りまたは中立の立場をとる国が多いことはその一例だ。
自分たちの政治制度のみが正しく、その他の政治制度を否定するような前提での対話は、力を持ってきたグローバルサウスには通じなくなっている。多面的な視点からの対話が必要だ。
第二に、地球環境問題など地球規模の問題については、先進国とグローバルサウスが真摯に協力すべきであろう。
気候変動問題については、その主たる原因を作ったのが先進国であることは認めた上で、今後の取り組みについては豊かになりつつあるグローバルサウスにも相応の負担を求めていくべきだと思う。
気候変動対策のお互いの技術で協力を進めるなど、双方利益になることも多いはずだ。
以上をもとに、日本としてはどのように取り組むべきか。
岸田首相のグローバルサウス重視はどこまで受け入れられるか
GWに岸田首相がアフリカなどを訪問するなど、日本政府はグローバルサウス重視の姿勢を見せている。林外相もグローバルサウスの国々との関係強化の必要性を訴えている。
しかし、それは中国やロシアから他のグローバルサウスを引き離すための外交戦術の一つの面がある。パワーゲームの一環としての訪問が前面に出るのであれば、経済力を高め自信を持つようになったグローバルサウスの国々を惹きつけることは難しいのではないか。
地球規模の問題解決や相手国の経済発展についての日本の協力姿勢を見せ、大所高所の視点から相手国の協力を引き出す高度な交渉術が求められると思う。ビジネスパーソンとしては、グローバルサウスから見える世界、特に欧米諸国への複雑な感情を理解して、世界でのビジネス展開を図っていくべきだ。
力をつけてきたグローバルサウスと真摯に向き合い、地球的規模も問題解決に向けて協力すべき時代である>(以上「JB press」より引用)
元外交官の山中俊之氏がJB press紙上に「欧米でも中国でもないもう一つの軸「グローバルサウス」とどう向き合うべきか」と題する論評を掲載し、その回答として副題に「存在感を高める新興国・途上国との協力なくして地球規模の課題解決は不可能」と書いている。
まさに外交官特有の事大主義的論理だが、「新興国」「発展途上国」と云われだして、それらの国は何年間後進国のままだろうか。果たして先進国に仲間入りする気があるのか、疑いを抱かざるを得ない。
中国は1990年代の後進国から、現在ではGDP規模で世界第二位と、もはや後進国とはいえないが、中共政府はCO2排出権協議などの肝心の場では「後進国」だと自称する。つまり、たとえ中国が先進国だとしても、その程度の先進国でしかない。
ではインドはどうかというと、20年以上も前から「数学教育が特出している未来の科学技術大国」といわれて久しいが、本物の科学・技術大国になっていない。依然として後進国のままだ。
冒頭で山中氏は南アフリカの「友人」の言葉「欧米先進国はロシアのウクライナ侵攻を批判するが、欧米諸国はアフリカやアジアでひどいことをしてきたじゃないか」を引用しているが、既に歴史となった前世紀以前のことを引き合いに出して現代を語る「愚」を、山中氏は「友人」に忠告すべきだ。
過去を現代に持ち出せば、すべての協議は停止して罵詈雑言が飛び交うだけだ。前世紀以前の帝国主義を是とする「常識」が間違っていた、という反省から現代世界は成り立っている。国連憲章からして、そういう精神を成文化している。武力で他国を侵略してはならない、という自明の理に反した戦争をプーチンが始めたから世界各国がロシアに経済制裁を科している。
その間隙を縫って「安価なロシア原油」を爆買いしたインドや、シベリア天然ガスを爆買いしている中国が「世界のリーダー」になれるとは到底思えない。彼らは単なる自己都合を優先する守銭奴の国家でしかない。
世界のリーダーになるには尊崇の念を集めることが重要な条件だ。利害関係だけで結びついた国家関係は利害関係の終了と共に雲散霧消するだろう。さらに国家関係には利害関係以外に価値観を同一とする理念がなければならない。
なぜ2メートルを超える体躯と頑健な身体能力を有し、さらにクロマニヨン人に劣らない頭脳容積を備えていたネアンデルタール人が、運動能力に劣るクロマニヨン人に滅ぼされたのか、という人類史の疑問を解き解す一つの回答として「観念」があげられている。
つまりネアンデルタール人は象やライオンの群れと同じく血縁関係の集団しか形成できなかったが、クロマニヨン人は観念世界の獲得による「形而上的な繋がり」を持つ集団を形成したことにより、せいぜい数十人のネアンデルタール人に対して、クロマニヨン人は数百人から数千人もの集団で対抗して、ついにはネアンデルタール人を絶滅させたという説だ。
山中氏は「グローバルサウス」なる言葉を用いているが、それは中国を意識した後進国の経済連合体、という意味だろうか。BRICsとは、ブラジル(Brazil)、ロシア(Russia)、インド(India)、中国(China)の頭文字を合わせた造語です。 ゴールドマン・サックス社が2003年に発行したレポートの中で用いた言葉だが、山中氏の云う「グローバルサウス」がBRICsを指すとすれば、それは既に経済連合として認識されてから20年を経過している。
だが、BRICsは後進国のまま、離陸できないでい。成長する後進国の一つの壁が国民一人当たりGDP一万ドルだという。その壁を乗り越えたなら、その国は先進国の仲間入りできるといわれている。確かにロシアは国民一人当たりGDP12,194.78 USD (2021年)と一万ドルを超えているが、プーチンの独裁主義を国民が受け入れているため、先進自由主義諸国の一員にはなれない。現にロシアはプーチンが愚かな戦争を始めたため国民所得は急落し、国家破綻の危機に瀕している。
「グローバルサウス」は「グローバルサウス」たちだけで経済圏を成立させることは困難だ。なぜなら先進的な技術も半導体も、彼らだけで創造することはできない。そして彼らだけで国際市場を形成することも困難だ。岸田氏が「グローバルサウス」を意識することは必要だろうが、「グローバルサウス」に擦り寄る必要はない。
山中氏は欧米目線の価値基準の押し付けは逆効果だと論じているが、世界を一つの市場として彼らを受け容れるためには、一つの価値観と一つの商法体系の共有が必要だ。それが欧米目線の価値基準の押し付けだというのなら、それもまた必要不可欠だ。「元」を基軸通貨にしよう、と目論む中国は米ドルを基軸通貨とする経済圏とは相容れない。中国がそうした野望を捨てない限り、中国をデカップリングするしかないだろう。そしてインドもまた、先進自由主義諸国とは別の政治目標を持つのなら、別の道を歩むしかないだろう。