「孔乙己」はいつまで長い裾の衣を纏っているだろうか。

<みなさんは魯迅の短編小説『孔乙己』(こういっき、コンイーチー)を読んだことがおありだろうか? 1919年の五四運動前夜に発表された作品で、魯迅自身が最も好きな作品にあげたそうだ。
 描かれるのは清朝末期で、孔乙己とはもう何年も洗っていないような薄汚れた長い上着を着て大衆酒場にたびたび現れる男の名前だ。この長い上着は文人が着るもので、その姿から彼が科挙に失敗し続けている落ちぶれた文人であることを、肉体労働者用の短い上着を着た店の客たち周囲も理解している。だが、口を開けば小難しいけれど日々の糧を得るには役にも立たない学をひけらかすばかりで、ちょっと疎まれる存在だった。

魯迅が描いた「みじめな文人」に自分を重ねる?

 仕事を持っているようでもなく、どうやってお金を工面しているものやらわからず、時折酒代すら払えない。その結果、泥棒を働いていたところを見つかり、ひどく殴られて骨折した足を引きずる惨めな姿で酒場に現れるが、その後街から姿を消す。酒代のつけは払われないまま、周囲に「あの足じゃ、そのまま死んだに違いない」と言われて物語は終わる。
 この孔乙己の姿は中国において、どん底の生活を送りながらもメンツや旧式の観念にしがみつく文人をあざ笑うものとして語り続けられてきた。
 だが、小説の発表から100年も経ったいま、中国のネットに突然、「ぼくはまるで孔乙己だ、長い裾の文人服を脱ぎきれないでいる」という書き込みが現れて大きく注目された。そこから多くの人たちの間で、「孔乙己」が現代社会の縮図として息を吹き返したと話題になっている。

「どうしたら手ぶらでネズミの穴に戻って落ち着けるだろう…」
「絶望した書生」と名乗る書き込み主はこう書いていた。
「もし、勉強して高みに登ってさえいなければ、ぼくはネズミの穴に戻って満足に暮らせてたかもしれない。でも、外の世界の素晴らしさを知ってしまった今、どうしたら手ぶらでネズミの穴に戻って落ち着いていられるだろう。学歴の壁のてっぺんから下りることができないぼくは、脱ぎ捨てられない文人服を着続けている孔乙己のようだ」
 この書き込みは、大学を卒業したのに満足できる職が見つからず途方にくれる大学生によるものと言われる。世間では労働者不足が叫ばれる一方で、就職難にあえぐ大学生たち。これは今や中国の社会問題の一つになっている。
 というのも、ここ10年ほど大学卒業生の就職受け皿になっていた不動産開発業者や大手IT企業、金融などの業界が政府の政策変更や規制強化を受け、さらに追い打ちをかけるようなコロナ禍の影響を受けて、新卒者募集が萎縮してしまった。中には、校外教育のようにほぼ消失してした業界もある。そのさなか、大学新卒者の数は昨年には1000万人を超え、若年層の失業率が20%近くに達した。
 今年の新卒者はさらに80万人以上増えて1100万人を突破する見込みで、これに海外から留学を終えて帰ってくる人たちを加えると1250万人以上になるとされている。いかにその受け皿を確保するのかが社会安定のための喫緊の課題となっている。
 だが、その一方で政府が掲げた就業政策目標は「約1200万人の職の確保」だ。この数が100%達成されたとしても、新卒者だけでいっぱいいっぱいで、その他の、たとえば去年職につけなかった人や非大卒失業者たちはそこには含まれない公算となる。つまり、政策目標すらもすでに職を求める人たちの需要に追いつけていない状態なのである。
 いったい、こうした状況になぜ陥ってしまったのか? 

'99年には約160万人だった大学募集人数が'21年には1000万人超に
 なぜこのような事態になったのか。昨今の市場の変化以外に、中国政府が1990年代以降進めてきた大学入学枠拡充制度が根底にある。
 2000年を前に来る世界貿易機関(WTO)加盟(2000年)をにらみ、多国籍企業の到来を見越して国内高学歴者の大量生産を目指したのがその初心だった。1998年に大学入学車が過去初めて100万人を突破し、翌1999年には募集人数が160万人に達した。そして年々募集は増え続け、2021年には1000万超となると同時に受験生の合格率も93%に至り、「石を投げれば大学生に当たる」時代に突入した。
 だが、ちょうど2020年前後から中国経済は中米関係の緊張化を受けて失速が始まる。そして、巨大化する国内企業に対して政府が警戒感を高め、次々と管理監督政策や規制を発表。さらにコロナ禍を受けて、国内経済のバランスが大きく崩れた。
 その結果失業してしまった人たちすらまだ手探りで自分の生活の立て直しを図っている最中に、これまで以上の1000万人を越える新卒者の大群が社会に吐き出される事態となってしまった。

大学を卒業しても「元が取れない」…?

 大学生がどんどん社会へと吐き出される一方で、既存業界の賃金も下がり始めており、それも大学生が就職を決めきれない大きな一因にもなっている。
 北京大学がまとめた報告書では、2021年における博士課程修了者の平均初任給は1万4823元(約28万7000円)、修士なら10113元(約19万6000円)、本科生5825元(約11万3000円)だった。ただし、これは公的機関や大学などへの就職を含めた数字だ。
 これを企業側が支払う平均初任給のレポートで見ると、2019年時点での博士課程修了者が9853元(約19万1000円)、本科生が5029元(約9万8000円)となっている。また同レポートによると、高卒以下の初任給平均は約3373元(約6万6000円)で、大卒者との開きは約2000元(約4万円)に満たない。
 一方で、民間教育学者らがまとめた「子育てコスト」レポートから算出された、4年制大学入学から卒業するまでのコストは約14万元(約272万円)。前述の高卒者との平均初任給差額では、苦労して4年学んで大学を出たのに「モトがとれない」計算となる。
 実際には高校卒業後すぐに就職した人たちは大学に進んだ者が卒業する頃には少なくとも4年の勤務経験を積んでおり、その賃金も初任給より高くなっているはずだ。そうなるとますます大卒者にとって大学コストは「回収不能なコスト」となって大きく押しかかる。
 これがますます多くの大学生に「もっと良い職があるはず」と就職を先延ばしにさせている。

中国でも「超・公務員ブーム」が

 そして起きているのが、公務員試験受験ブームだ。中国ではもともと政府が握る資源や情報は民間よりも豊かで、公務員となれば、賃金のみならず社会的な優位や権威も約束される。民間に活路が見いだせないことを知った若者たちはどっと、公務員試験へと押し寄せた。
 その結果、昨年11月に締め切られた公務員試験の応募結果は、いわゆる国家公務員の募集枠約4万人に対し250万人、また省レベル公務員の全国合計募集枠約19万人に520万人が殺到、全体の競争率は62.2倍という過去最大の競争率となった。特に税務局には人気が集中しており、地方省の農村部税務局職員わずか1名の募集枠になんと6000人あまりの応募があったという。
 そんな新卒者に対して、年長者たちからさまざまな声が上がっている。
 たとえば、建材や車両用のガラスを生産する「福耀集団」の創業者、曹徳旺氏は、「大学生が就職したがらないのは非常に深刻な問題。彼らは公務員には成りたがっても製造業には入ってこない。現場の実習を受けなければならないからだ。彼らは手を動かす仕事にはつきたがらない」とこぼす。確かに、製造業は大学生にあまり人気のない業界の一つとなっている。
 だが、その一方で、「大学生はメンツを気にしすぎるというのは誤解だ。彼らは十分な体力があることを認識しており、競争にも立ち向かう覚悟もある。だが、今や経済が発達した沿海都市でも、旧正月に里帰りしただけで仕事を失う事態が起きている」と、労働条件の遅れを指摘する声も上がる。
 また、「時代が違えば孔乙己の持つ意味も違う」という声もある。コラムニストの海涛さんは、1919年に魯迅によって発表されたこの小説は、1949年に誕生した中華人民共和国によって「働かざるもの」をあざ笑うキャラクターに仕立て上げられたという。
「『孔乙己』が発表された数年後には社会は戦争や飢饉、社会不安などが続いた。そのさなかに置かれた最低層の人たちにとって、『孔乙己時代』は手に入れられない田園牧歌時代となった」
 さらに、海涛さんは、今の若者たちが苦労して学問を修めたことを、孔乙己の長い上着にたとえて彼らを辱め、「積極的ではない」などというのは間違っているという。というのも、そうやって若者をあざ笑う人たちは、自分の時代がどんなに幸福な時代だったか、そしてその時代の「恩恵」にあずかって既得権益を手に入れたにもかかわらず、「自分が努力したからだ」とうそぶく――「それこそ、醜い時代の産物だ」と述べていた。
 確かに、大学進学を目指したことに罪はない。そして、そのコストを取り戻そうとする姿勢も間違いはない。ならば、なぜ今の社会がその彼らの期待に答えられないのか、その事自体を真剣に考えるべきではないのだろうか>(以上「現代ビジネス」より引用)



 

「公務員1名の募集に倍率6000倍」「民間での大卒・高卒の給与差平均は月約4万円」…いま中国で「大学に行ってもモトがとれない若者」が爆増中のワケと題してふるまいよしこ氏(フリーライター)が現代ビジネに寄稿している。
 一読すればお解りのように、中国の崩壊する経済の現状が現象面から語られている。いかに中共政府当局が「今年の経済成長5%を達成するゾ」と叫ぼうと、それは根拠のない捏造して「願望」でしかないことが判るだろう。

 北京大学など名門大学を卒業しても、就職先がないというのが中国の現実だ。ウーバーイーッの配達員の実に三割が大学や大学院卒の者たちだという。彼らは就職先がないから「就職予備軍」としてウーバーイーッのバイトで暮らしながら待機している。
 ただ中国には(中国文化の影響を受けている韓国も、だが)体や手を動かす労働は一段価値の低い労働だ、という観念があるという。だから製造業の現場で働く職場には就職したがらないそうだ。そうすると公務員こそが大卒にふさわしい職場ということになり、公務員募集に殺到し62.2倍という競争率になる。

 魯迅が描いた「孔乙己」に己の姿を重ね合わせる大卒生たちは、必ずしもメイツを気にして「働かざるもの」ではない。現在の中国では大卒生や大学院卒生を必要とする雇用が充分に用意されていない、という中国経済の縮小にこそ問題がある。
 かつて1990年代に大学卒生は100万人に満たなかった。しかし2022年現在、大学卒生は1,000万人を超えている。それは必ずしも「孔乙己」が増えたのではなく、企業が求める人材が高度な知識を必要とする「成長した社会」では必要とされる人材のはずだ。

 だが高度な知識を備えた人材を必要とする企業は外国から進出して来た企業か、国内で起業したIT関係の起業だった。現在ではAPPLEなどの外国企業は相次いで撤退し、アリババなどのIT企業も習近平体制下で分割され国営化されている。こうした社会状況で高度教育を受けた人材は必ずしも必要とされなくなった。
 彼らは手ぶらで「ネズミの穴」に戻るべきなのだろうか。しかし、そうすれば大学進学に親が借金までして投じた元手は回収できない。子供たちは親や親戚の期待を一身に集めて都会の大学へ進学した。おめおめと田舎へ帰れるわけがない。それこそが就職のアンマッチで、中国は人口減に直面しているにも拘らず、供給される労働力を産業界が充分に吸収しきれなくなっている。

 だがすべての「孔乙己」が自堕落なニートのまま生涯を終えることはないだろう。いつかは社会の矛盾に気付くかも知れない。それはすべての者が平等に処遇される社会主義・計画経済のはずが、中国共産党の搾取構造でしかない、という中国社会の仕組みそのものの欠陥だ。
 「孔乙己」が長い裾の衣を脱ぎ捨てて、社会運動に身を投じるようになると、中共政府は遅かれ早かれ瓦解する。習近平氏が最も恐れている事態は、すぐ目の前に迫っている。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。