日本経済の本柱は「モノ造り」であり続けるべきだ。
<第3次産業革命は、主に20世紀後半までのインターネットを中心としたICT(コンピューターを利用した情報連携技術)革命でした。日本はこの流れに後れを取りました。そして、現在、第4次産業革命の真っ只中、ここでも遅れをとっているといわれています。
■新しい製造業の変革に追い風
第4次産業革命におけるコアとなるデジタル技術を活用して行う企業変革、DX(Digital Transformation)は、大企業を中心に取り組みが行われていますが、日本における成功例はまだ多くなく、日本は世界の先進国に比べて、歩みが遅いのが現状です。
■モノづくりが得意な日本だからこそ
DXは、数年前から国内でも飛び交うバズワードともいえますが、言葉だけに執着をしてしまうと、手段としてデジタル技術を活用することや、オペレーションの自動化、効率化だけが目的視されてしまうケースがあり、企業自体のトランスフォームを成功させることができません。
日本の製造業の労働生産性は20年前に比べて落ちてはいませんが、デジタル技術を活用し、既存ビジネスの効率化を行うだけでは、欧米、中国、韓国などの勢いある成長企業に対抗できる競争力を持つことはできない状況に、今日本は立っています。
DXは、数年前から国内でも飛び交うバズワードともいえますが、言葉だけに執着をしてしまうと、手段としてデジタル技術を活用することや、オペレーションの自動化、効率化だけが目的視されてしまうケースがあり、企業自体のトランスフォームを成功させることができません。
日本の製造業の労働生産性は20年前に比べて落ちてはいませんが、デジタル技術を活用し、既存ビジネスの効率化を行うだけでは、欧米、中国、韓国などの勢いある成長企業に対抗できる競争力を持つことはできない状況に、今日本は立っています。
では、デジタル技術の革新が進む世界で、生き残るにはどうすればいいのでしょう?
それは、社会課題解決のために、新たな価値創出を行う「シン・製造業」へ変革することにあります。今、直面しているのは危機だけでなく、変革への追い風になるパラダイムシフトも起きています。たとえば、「データの透明性が重視される時代」であることです。
モノがあふれる現社会では、消費者は「品質がいい」「壊れない」などのモノの機能的な価値だけでなく、機能的価値を含んだモノを利用するという空間全体から得られる新しい体験を期待しており、お金の使いどころは、この体験価値にシフトしています。
モノがあふれる現社会では、消費者は「品質がいい」「壊れない」などのモノの機能的な価値だけでなく、機能的価値を含んだモノを利用するという空間全体から得られる新しい体験を期待しており、お金の使いどころは、この体験価値にシフトしています。
これからの製造業ブランドは、社会や人にとっていい価値を提供し続けるという情緒的価値・精神的価値を訴求する考え方に変容しなければなりません。
日本には、この価値において海外企業がすぐには模倣できない分野がたくさんあります。それは、「安全」・「安心」であったり、「清潔」・「クリーン」であったり、「もったいない文化」からくる「リサイクルや廃棄物の極小化」、「おもてなし文化」からくる「温かさ」、「誠実さ」「粋」など、従前から日本人が大切に育んできた価値であり、日本の文化や職人魂から産み出され続けているものです。
ただし、これらが提供されている空間、利用者の体験価値は、数値として表しづらく「目に見えにくいもの」あるいは「見える化しにくいもの」でした。 ところが、デジタル社会では、IoT技術やブロックチェーン技術などにより、データとしての可視化が可能になってきています。
ただし、これらが提供されている空間、利用者の体験価値は、数値として表しづらく「目に見えにくいもの」あるいは「見える化しにくいもの」でした。 ところが、デジタル社会では、IoT技術やブロックチェーン技術などにより、データとしての可視化が可能になってきています。
■体験型価値の可視化が日本を変える
ここで、日本ならではの価値がデータとして可視化されるこれからの可能性の例を1つ挙げます。
クルマの自動運転に、日本的な「譲り合い」という概念を組み込むことができたらどうなるでしょうか。交通のあらゆる場面で自動運転車が「譲り合う」行動をとり、それにより欧米や中国の企業が開発した自動運転プログラムより、事故の発生が少ない、あるいは、ドライバーのストレスが軽減されるという事実をデータとして示すこととができれば、自動運転プログラムにおける「譲り合い」という日本的な価値を世界が認めることになるかもしれません。
体験型価値がデータとして可視化される技術の進歩によって、「シン・製造業」として、新しい価値空間をどんどん生み出して発信することができるようになり、その価値を改めて認知してもらえるようにもなります。そして、これらの価値空間に関して、ユーザーからの信頼を得続けることができれば、そのコミュニティは拡大していき、「シン・製造業」のネットワークはとても強固なものになっていきます。
体験型価値がデータとして可視化される技術の進歩によって、「シン・製造業」として、新しい価値空間をどんどん生み出して発信することができるようになり、その価値を改めて認知してもらえるようにもなります。そして、これらの価値空間に関して、ユーザーからの信頼を得続けることができれば、そのコミュニティは拡大していき、「シン・製造業」のネットワークはとても強固なものになっていきます。
これが国内外にわたって、信頼性と透明性を伴っていけば、日本の製造業のブランドは大きく変わっていきます。
ほかにも、追い風となるパラダイムシフトはすでに起き始めています。キーワードを以下に挙げます。 (1)データの透明性が重要視される時代 (2)SXとGX (3)Web3.0の世界 (4)デジタルツインの世界 (5)デジタル技術のリスキリング (6)暗黙知の形式知化と共育 (1)は今お話しした内容です。ほかの5つについて簡潔に説明します。
ほかにも、追い風となるパラダイムシフトはすでに起き始めています。キーワードを以下に挙げます。 (1)データの透明性が重要視される時代 (2)SXとGX (3)Web3.0の世界 (4)デジタルツインの世界 (5)デジタル技術のリスキリング (6)暗黙知の形式知化と共育 (1)は今お話しした内容です。ほかの5つについて簡潔に説明します。
・グローバル産業界におけるSDGsやESG投資の重要性の高まりから、社会や人のためになることを重要視する企業経営者が増加していること(2)
・GAFAをはじめとする一部の巨大IT企業がインターネットやSNSを中央集権的に管理している現在は、Web2.0の世界です。それが、中央集権的なサーバーにアカウントを作成しなくてすみ、個人情報を他人にゆだねる運用が不要になるWeb3.0の世界へ移り変わり始めていること(3)
・デジタル空間上にリアル空間を再現する技術(デジタルツイン技術)の進化により、さまざまな予測やトラブルの未然防止が行えるようになること(4)
・個人としての学び直しが国の政策的にも、企業内部の取組みとしても推進され始めていること(5)
・ベテラン技術者の技術を形式知化してデジタル空間に格納したり、AIに学習させたりする取り組みが企業で盛んに行われ始めていること。さらに、誰かが誰かに何かを教えるという一方通行の関係性ではなく、お互いが持つ新しい専門知識、スキルを持ち寄り、そこから新たな価値を創出し続ける「共育」という、お互いを高め合う流れがきていること(6)
■新しい製造業の変革に追い風
このような潮流が、シン・製造業に変革するための追い風になると考えます。
日本は少子高齢化で人口が減少し、あらゆる市場が縮小する未来が待ち受けています。ただデジタル技術を活用するだけのDXや、機能的な価値に主眼を置いた安価で便利な製品を大量に生産し、数を売ってもうけるビジネスを今後も続けていくことで、この先、5年、10年と会社を存続させることができるでしょうか?
社員の幸せは守られるでしょうか?
製造業の経営者の方に考えていただきたい課題です。
既存事業で利益を得るにとどまるだけでなく、新しい価値の創出へ。日本の製造業が元気を取り戻すために動くべきときが来ています>(以上「東洋経済」より引用)
既存事業で利益を得るにとどまるだけでなく、新しい価値の創出へ。日本の製造業が元気を取り戻すために動くべきときが来ています>(以上「東洋経済」より引用)
今年1月13日と旧聞に属する記事ですが、改めて寺嶋 高光 氏(株式会社ISIDビジネスコンサルティング代表取締役社長)の「「製造業」が日本経済の起爆剤になるこれだけの訳 モノづくりが得意な国だからこそできること」と題する論評を取り上げた。
その理由は「日本はモノ造りから次の産業モデルに移行すべきだ」と主張する若い学者が少なからずいるからだ。彼らは人口減少は仕方ないこととして、地方が寂れるのも人口減の社会では当然の結果ではないか、と結論付けている。
もっと極端な意見として「GDP至上主義は高度経済成長期」の遺物であって、現在の日本経済ではGDP成長を追い求めるべきではない。などと飛んでもない意見を展開する。
もとよりGDPは国内のすべての所得の総計だから、GDPが拡大しない経済とは国民一人一人の所得の増加が見込めない社会だ。それでは国民の要求は満たされないのではないか。所得が増えることにより、国民は消費の拡大を行い、GDPが拡大する好循環を経済にもたらす。
そうした従来の「モノ造り日本」は古いとし、インバウンドや金融や投資で経済を主導していくべきだ。という考えが特に若い学者の間で広まっているようだ。確かに高度経済成長期はモノ造り日本の全盛期だった。世界中のモノ造りを主導し、貿易立国を地で行った。
しかしバブル崩壊以後、日本は緊縮財政下でグロバール化が進み、モノ造り日本が空洞化してしまった。それを機に、モノ造りを基調に置く考えは「古い」と見なすようになったのだろう。だがモノ造りといっても、同じものを造っているわけではない。時代の変遷によりモノ造りへの要求は変化している。
現在ではかつて米国が破壊した半導体生産を日本に持ち掛けるなど、大きく環境が変化している。モノ造りは変わらないが、造られるモノは時代とともに大きく変化している。
その反面、インバウンドや金融や投資だけで日本国民を養うことは出来ない。やはりモノ造りでなければ1億2千万人の日本国民の暮らしを支えることは出来ない。GDPの20%程に落ち込んでいる製造業の復活を見なければ、日本経済の成長は覚束ないだろう。
世間には日本の「モノ造り」の時代は終わったとする意見を展開する評論家がいる。しかし寺嶋氏は「現在は第4次産業革命」期だと定義している。モノ造りのあり様や製品は変化しつつこの時代の要請に合致した「モノ造り」をしていくへきだと指摘している。
まさにそうだと思う。かつて日立は汎用モーターを売り出して企業を飛躍的に発展させた。今後の製造業は半導体製造で飛躍的に発展するだろう。すべての工業製品や部品や機器に半導体が組み込まれ、高度な要求を満たしていくだろう。半導体に求められる性能はとどまることを知らないだろう。だが忘れてならないのは、半導体が組み込まれるすべての工業製品は従前の重工業的なモノ造りの基礎の上にあることを忘れてはならない。製鉄技術や鍛造技術や鋳造技術などなしに、IoT技術の花が咲くことなど決してないからだ。
日本にはそうした技術の殆どすべてが揃っている。モノ造りの伝統が途切れず、継承されている世界に類まれな国だ。「構造改革」で中小企業を保護するのではなく淘汰すべきだ、とする意見があるが、飛んでもない。それにを結集して新時代のモノ造りをする起業精神こそが必要だ。それは必ずしも「起業」を意味しない。大企業の中にあって起業精神で新時代の要請を満たすモノを創造し製品化していくことだ。いずれにしても、モノ造りを矮小化したり、製造業は高度経済成長期のものだと前世紀の遺物視するなど以ての外だ。