宗教者は現生に関わってはならない。

<イランの検事総長が、女性の服装規定違反などを取り締まる「道徳警察」の廃止を示唆したという。BBC、AFP、ニューヨーク・タイムズ紙など欧米の報道機関が12月4日、イラン国内メディアの報道を引用する形で報じた。

 イランでは頭髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」の着用の仕方が不適切だとして道徳警察に逮捕されたマフサ・アミニ(22)が拘束の3日後に病院で死亡したことをきっかけに、9月中旬以降、反政府デモが続いている。
 国際連合人権高等弁務官事務所によると、アミニは逮捕時、道徳警察から頭を警棒で殴られたり、警察車両の側面に頭を叩きつけられたりしていたという。その後アミニは、昏睡状態に陥っていた。
 新たに報じられたところによると、モハンマド・ジャファル・モンタゼリ検事総長は出席した宗教関連の会合で参加者の質問に答え、道徳警察は「司法とは無関係」であり、廃止されると発言。政府は女性に頭髪を覆うヒジャブと手足が隠れるゆったりした服の着用を義務付ける服装規定について、法律の見直しを行っていると説明したしたという。
 だが、イラン国営放送の一部はこうした報道に反発しており、「その他の政府高官はこの決定を確認していない」として、検事総長は「警察組織は司法省の管轄下にないと述べただけ」と伝えている。
 一方、イランのエブラヒム・ライシ大統領もまた、3日に行ったテレビ演説で、改革の可能性に言及。共和国の基盤とイスラム教との深いつながりを改めて強調しながらも、「憲法を柔軟に適用する方法はある」と述べたという。
 ただ、イラン国民がこうした発言について、残酷な方法でデモ参加者らを弾圧し続ける政府が示す妥協策として十分なものとみなすかどうかは、不明だ。当初はヒジャブの着用義務に対して行われていたデモはすでに、政権に対する抗議活動へと変化している。さらに、多くの人々は最高指導者アリー・ハメネイ師の退陣を要求している。
 米国に拠点を置くイラン人権活動家通信(HRANA)によると、当局による取り締まりで死亡したデモ参加者は、12月3日までに確認されているだけで少なくとも470人。そのうち64人が子どもとされている。
 また、イランの人権状況に関する国連(UN)のジャバイド・レーマン特別報告者は2日、アミニが死亡した9月16日以降に逮捕された人は、活動家やジャーナリスト、弁護士、学生、知識人、芸術家など1万4000人以上にのぼっていると明らかにしている。
 米国、英国、カナダ、欧州連合(EU)加盟国など一部の国は、道徳警察とその幹部に対し、複数の制裁措置を講じている>(以上「forbes.com」より引用)




 イランの街頭から道徳警察の姿が消えたという。頭髪を覆うスカーフ「ヒジャブ」の着用の仕方が不適切だとして道徳警察に逮捕されたマフサ・アミニ(22)が拘束の3日後に病院で死亡したことをきっかけに、9月中旬以降、反政府デモが続いていた。記事によると現在まで「アミニが死亡した9月16日以降に逮捕された人は、活動家やジャーナリスト、弁護士、学生、知識人、芸術家など1万4000人以上にのぼっている」という。そして当局による取り締まりで死亡したデモ参加者は、12月3日までに確認されているだけで少なくとも470人に上っている。
 それが宗教指導者が導く国家の所業か。宗教とは魂の救済であって、現実社会の慣習や風俗を取り締まるモノではない。ましてや最高権力者として政治を執り国民の上に君臨するものではない。イランの宗教指導者と自認している人は、明らかに似非・宗教者だ。

 イスラム教開祖のマホメッドは「宗教者は暖衣飽食せよ」と弟子たちに教え諭しただろうか。女性を差別し家庭に閉じ込めて奴隷の如く使役せよ、と説いただろうか。女性に学問をさせてはならない、と命じただろうか。
 女性が外出する際には伝統的な黒尽くめの布で目を除くすべてを覆い隠さなければミダラだと規定しただろうか。もしそうだとしたら、イスラム教は飛んでもない差別主義であって、何人であろうと信仰するに値しない。

 記事によると「当初はヒジャブの着用義務に対して行われていたデモはすでに、政権に対する抗議活動へと変化している。さらに、多くの人々は最高指導者アリー・ハメネイ師の退陣を要求している」という。至極当然の成り行きではないか。
 政教分離は日本だけの問題ではない。宗教が政治に介入するのは宗教権威の乱用であって、それは本来の宗教活動に反する。なぜなら宗教は絶対的な無謬性が求められるが、現実政治は誤ることが少なからずあるからだ。だからアリー・ハメネイ師は現代社会に合わなくなったイスラム教の価値観を現代イラン国民に強制したのが間違いだ。彼は宗教権威者として自身の範疇を守って「イスラムの教会に入る際は、女性は黒尽くめの衣装を纏って長い髪の毛をヒシャブで覆うように」と求めれば良い。それが宗教指導者としてのあり方だ。

 祈りによって一粒の穀物も生産されないし、祈りによって絨毯は1mmも織れない。それは人が労働して初めて得られる生活の糧だ。宗教とは何ら関係ない。ただ祈ることによって働く人々の心に平安を与え、争う心に平穏をもたらす。それだけのことであって、それ以上では決してない。
 宗教権威を借りて人に命令するのはニセモノだ。宗教は祈りで始まって、祈りで終わらなければならない。断じて壺を売ったり財務を強要してはならない。そして現生の政治に関係を持とうとすることなど、決してあってはならない。宗教者は教会の中を取り仕切る「司祭」であり続けるべきだから、だ。

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