習近平体制の責任は重大だ。

事実上の「ゼロコロナ」政策放棄
 12月7日、中国の国家衛生健康委員会は、10の項目からなるコロナ対策の新しいガイドライン「新十条」を発表した。その注目すべきいくつかの重要内容を羅列すれば以下のものである。
1)各地における「強制的な全員PCR検査の定期実施」は廃止。
2)公共交通機関と病院・学校を除く公共施設、商店、スーパー、オフィスビルなどを利用する際のPCR検査陰性証明の提示は廃止。
3)省や自治区などを超えて移動する際の陰性証明提示は廃止。
4)すべての感染者を隔離施設や病院に移す措置は廃止、無症状あるいは軽症の感染者の自宅隔離を認める。
5)感染拡大への封鎖措置に関しては、都市全体あるいは住宅団地全体の封鎖はやめ、封鎖は感染が確認された建物やフロアに限定される。

 以上の内容からすれば、この新しいガイドラインの発表と実施はもはや「ゼロコロナ」政策の「緩和」程度のものではない。それは事実上、「ゼロコロナ」政策の放棄であって、180度の政策の大転換である。

「ゼロコロナ」政策というのは文字通り、コロナ感染をゼロにすること、つまりコロナの完全撲滅を目指した政策である。この政策実施の前提は、まさに「強制的・定期的なPCR全員検査」である。例えば都市部なら、地方によっては48時間内に一度、あるいは72時間内に一度、政府当局の手によって、市民全員に対するPCR検査は徹底的に行われるのである。
 このような徹底的なPCR検査の実施によって、陽性者と感染者は漏れることなく迅速に割り出されて隔離施設へ送られることになるから、どこかでコロナが出たところ、それは直ちに「撲滅」されて感染の拡大は最小限に封じ込められるのである。

封鎖なくして中国のコロナ制圧なし、だったが

 その一方、市民全員はPCR検査を受ける度に、陽性でなければ、有効期間限定の「陰性証明」を発行してもらうが、市民の方は48時間か72時間という有効期限内に、この「陰性証明」を提示することによって初めて電車やバスなどの公共交通機関を利用できるし、病院や学校、スーパーやオフィスビルなどの公共施設に入れる。このような措置が取られることによって、陽性者や感染者が市中に出回って公共施設に出没するようなことは基本的に無くされているから、コロナの感染拡大は極力避けられている。
 それでもコロナの感染拡大が発見された場合、最後の手段として政府当局は住宅団地の1つ、あるいは町1つ、都市1つを丸ごと封鎖するという極端な措置をとる。例えば筆者の出身地である四川省成都市(人口2100万人)の場合、今年8月31日に新規感染者数が156名になったところで、翌日の9月1日からまる2週間、都市全体がロックタウンされた。
 こうしてみると、「強制的・定期的なPCR全員検査」と、あらゆる公共施設に出入りする場合の陰性証明提示、そして極端な封鎖策は、中国政府の「ゼロコロナ」政策の実効性を支える3本の柱であって政策が成り立つ前提であることが分かる。
 しかし、前述の「新十条」の内容を点検してみると、特に1、2、5を点検してみると、「3本の柱」となる政策措置は完全に廃止されたり大幅に緩和されたりしていることが明々白々である。それでは「ゼロコロナ」政策はもはや成り立たない。政策そのものが放棄されてしまったと見て良い。
 つまり、前述の「新十条」の発表と実施は、「ゼロコロナ」政策の単なる「緩和」ではなく、むしろ思い切った政策の大転換であることがよく分かる。しかし問題は、この政策転換は決して、「コロナの撲滅」という「ゼロコロナ」政策当初の目標を達成した上での政策転換ではない、という点である。

最悪のタイミングで

 そもそも、オミクロンという新しい変異株が世界的に広がった時から、コロナの完全撲滅はすでに不可能になっている。実際、中国であれほど厳しい封じ込め策が実施されてきていても、感染拡大を完全に阻止できたわけではない。今年12月6日までの28日間連続、中国国内の新規感染者数は1万人を超えている。
 そうすると、12月7日からの政策転換、すなわち「ゼロコロナ」政策の放棄は、まさに目標が全くできなかった中での政策の放棄であって、その意味するところはすなわち、「ゼロコロナ」政策そのものの敗退であって、約3年間にわたって政治権力によって強行された「ゼロコロナ政策」は結局、失敗に終わったわけである。
 しかも、「ゼロコロナ」政策が放棄されたところ、今後の中国全土において再びコロナの感染拡大が起きてくることも予想されているから、国民に大きな犠牲と不自由を強いた「ゼロコロナ」政策は結局何の意味もない。政策の完全失敗である。
 それでは習近平政権は、自らの宣言した「コロナとの戦い」にすでに敗戦していることは明らかであるが、さらに問題となってくるのは、今回の「ゼロコロナ」政策の転換が行われたタイミングである。
 12月7日といえば、中国でも冬期の始まりである。周知のように、冬期というのはまさにコロナの感染しやすい季節だ。冬期の到来と同時に行われた中国政府のコロナ政策の大転換は拙速というしかないが、ましてや中国の場合、来年1月22日からは旧正月(春節)が始まって帰省などによる恒例の「民族大移動」は始まるという特別の事情もある。
 このようなタイミングでの政策転換はどう考えても無謀かつ危険であろう。今月から来年1月にかけて、中国全土で爆発的な感染拡大が起きてくる確率は非常に高い。政策転換のタイミングはあまりにも悪すぎる。

民衆の抗議に負けてしまった

 しかし習政権は一体どうして、上述のような危険も承知の上で拙速な政策転換に踏み切ったのか。時間列的に見ればその理由は実に簡単である。11月25日から29日までに全国で勃発した「反ゼロコロナ政策」の抗議運動こそは、政策の転換を促した主な要因の1つではないのか。
 抗議運動の実態は12月1日掲載の本欄が詳しく伝えたところだが、政権の「ゼロコロナ」政策に対する強い反発から始まった民衆運動はあっという間に全国に広がり、同時に「反習近平・反体制運動」的革命運動にまで発展した。その後、当局は警察力を動員して抗議デモを封じ込めその鎮静化に成功したものの、運動の全国的拡大と先鋭化はやはり、習政権に大きな衝撃を与えたはずである。
 そして運動収束直後の12月7日、当局は上述の「新十条」を発表しそれを直ちに実施に移した。やはり習政権は、抗議運動の拡大と継続化を恐れて民衆の不平不満を和らげるために急遽「ゼロコロナ政策」からの転換を断行した、と思われる。そういう意味では、「ゼロコロナ」政策からの政権の撤退あるいは敗退は、民衆は自分たちの力で勝ち取った勝利でもある。
 しかし、もしそうであれば、このことの政治的意味は実に重大である。要するに一党独裁体制下の中国で、政権は民衆の抗議運動に押された形で政策の大転換、大後退を余儀なくされたわけであり、立ち上がった民衆の力を前にして、政権が敗退したのである。言ってみれば、今の習政権は、コロナとの戦いに敗退したのと同時に民衆の力にも敗退してしまった。まさに屈辱の「ダブル敗戦」というものである。

政権への不信とコロナ感染再拡大と

 この「ダブル敗戦」は、今後の中国政治に及ぼす影響は決して小さくはない。それがもたらす政治的結果の1つはまず、習近平主席と習政権のさらなる権威失墜である。政権があれほど固執してきた「ゼロコロナ」政策は結果的に失敗に終わり、中国国民はもう一度、全国的感染拡大に直面していかなければならない。
 この厳重な事実は、愚かな政策を強行した習主席自身と政権の愚かさをより一層露呈したのと同時に、国民一般の習主席と政権に対する不信感をさらに増幅させることとなろう。
 その一方、民衆の抗議運動に押されたて行なった今回の政策大転換は実は、習近平政権の今後の政治に1つ、大きな「禍根」を残すとことなろう。政権が民衆の力に屈した形で政策転換を余儀なくされたのであれば、民衆側はこれで政権の足元を見てしまい、自分たちの力に対して大きな自信を持つこととなるに違いない。
 それでは今後、政権のさまざまな政策に対してその不平不満が限界に達したとき、今回の「反ゼロコロナ政策運動」の成功に勇気つけられた民衆が新たな抗議運動に立ち上がる可能性は、以前より大きくなることは予想できる。つまり、習政権の「ダブル敗戦」は結局、今後における民衆運動あるいは反乱の発生を誘発する火種を自ら撒いた訳である。

中国国民と習政権にとっての大問題はもう1つがある。
 今回、医療施設の充実や高齢者層へのワクチン接種の普及などの十分な準備はまだ整えられていない状況下で、主に政治的要因により「ゼロコロナ」政策が放棄されたことの結果、感染しやすい冬期の到来と相まって中国全国で爆発的な感染拡大が起きてくる確率は非常に高い。その中で重症者や死亡者が増える一方、医療機関の逼迫が深刻化してくるのであろう。
 それでは政権は感染拡大をそのまま容認するのか、それとも「ゼロコロナ」政策に逆戻りするのかの選択を迫られることとなるが、封じ込めからやっと解放された中国国民はもう一度、広範囲な感染拡大に耐えていかなければならない。中国にとっての「コロナ問題」は、まさにこれからである>(以上「現代ビジネス」より引用)




 中国評論家石 平氏の「抗議活動に負けてのゼロコロナ政策撤廃でコロナ感染爆発の危機、習近平政権「ダブル敗戦」の大打撃」という論評の見出しが目に付いた。確かに習近平氏が高らかに宣伝していたゼロコロナ策は大失敗だった。中国から漏れて来る情報では既に先月中旬から中国全土各地で武漢肺炎感染爆発は起きていたようだ。
 主要マスメディアが報じるニュースは中国の国営放送が配信するニュースを垂れ流すため白色抗議により中共政府がゼロコロナ策を緩和したことになっている。しかし中国全土では緩和以前から感染爆発が起きていて、企業従業員が当局の規制を無視して数万人が企業から脱出して高速道路を故郷へ向かう数万人の出来施儀労働者・農民工を報じていた。

 現在は北京を始め全国各地で超過死亡(レインの死者数から予定されている今年の死者数を超える死者数)が予定されている死者数を百万人も超えているという。ちなみに北京の予定死者数は年間37万人だという。
 だから斎場の死体安置所は満杯となり、病院の死体安置所も満杯になり、現在では斎場の入り口から溢れた死体を乗せた車列が延々と続いているという。もとより大病院でも武漢肺炎の治療薬はなく、ワクチン接種すらままならないという。市中の薬局には解熱剤を求める人が列を作っているが、既に薬は底をついていて、あっても高騰しているという。

 米国は中共政府にワクチンや治療薬の援助を申し出ているが、中共政府は国民に対するメンツがあって米国の援助は受け容れないという。だが中共政府のメンツのために、米国が申し出たワンチンや薬の援助を拒否して、国民を犠牲にするのは如何なものだろうか。中国民がそうした事実を知ったら、国民の怒りは心頭に達するのではないだろうか。
 ゼロコロナ策は習近平氏が「改革開放」から「内部循環経済」に舵を切った政策の一環だった。中國にはマトモなワクチンもなく、マトモな薬もない状態で、国を閉ざそうとしたのだから国民はナイナイ尽くしの中で生きていくしかない。そうすると武漢肺炎感染に対処する方法は「検査と隔離」しかないが、政府はゼロコロナ策を実施するにあたって、国民の健康と命を守るために充分なワクチンや薬を提供しなければならない。しかし中共政府は自国での有効なワクチンや特効薬の開発を怠った。そして、自国で開発出来ないなら外国から有効なワクチンや有効性が確認された治療薬を輸入すべきだった。

 先月半ばから武漢肺炎が感染拡大していたことは企業から従業員が大量脱走したり、大学から学生が大挙して脱走していたことからも判明している。中共政府は北京への人流を極端に制限していたが、現在は感染爆発を起こしている。
 中国が集団免疫(人口の一定割合以上の人が免疫を持つと、感染患者が出ても、他の人に感染しにくくなることで、感染症が流行しなくなる状態)を獲得するには、まず有効なワクチンと治療薬を充分に確保しなければならない。中共政府は軍艦や空母や戦闘機やミサイルを大量に生産したが、国民を武漢肺炎から守るためのワクチンや薬の開発や製造をしなかった。その上、米国が申し出たワクチンや薬の人道的援助を拒否してしまった。
 中共政府は戦う武器も弾薬も持たせずに、国民を戦場へ放り出す真似をしてはならない。中共政府のゼロコロナ策は不十分だったし、ゼロコロナ策の撤廃は感染症への降伏を意味している。習近平体制の責任が問われて然るべきだ。

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