現金社会は遅れているのか。

 近所の後期高齢者の男性が突然訪問してきた。彼は憤慨した顔で「聞いてくれ」という。
「○○(全国展開のファミリーレストラン)で支払いの時に、店長が貨幣20枚を超えたら拒否しても良いのだが」と云ったという。彼の話の主旨が何のことだか解らないから、落ち着いて話すように促して、やっと彼が憤慨している全体像が見えてきた。
 つまり、彼は高齢者仲間との久し振りの会合の後、これも久し振りに近所(といっても隣市だが)のファミレスで昼食を摂ろうということになったらしい。コロナ騒動で「密」を避ける、ということから老人の会合自体も二年以上もなかったようだ。

 ファミレスで楽しい一時を過ごして、勘定の段になり、各自がレシート分の小銭を出して、幹事の彼が代表して小銭をまとめて支払ったそうだ。その際に「貨幣20枚を超える支払いは拒否しても良いんだが」と支払窓口で店長が小馬鹿にしたように言ったという。
 小銭をまとめて紙幣で支払っても良かったが、なにしろ夏場の男性の服装にはポケットが極端に少ない。小銭入れは持っているが、嵩張る財布などは持ち歩かない。だから仕方なく七人分の小銭を出したという。もちろん貨幣の数は20枚どころか、30枚を超えていたという。孫のような若い店長に小馬鹿にされて嫌な気分になったが、口喧嘩をするのも大人げないから「ハア」と言って頭を下げたという。

 そして彼は「銀行でも貨幣で決まった数以上の貨幣を窓口に出すと、手数料を取られるというが本当か」と聞いてきた。もちろん本当だと返答した。
 すると「紙幣での支払いは何枚でも手数料は取られないのか」と聞く。
「もちろんだ」と返答をすると彼はますます憤慨した。
「銀行では貨幣でも紙幣でも一枚一枚数えるのではないだろう」と云う。
 銀行には紙幣の計数カウンターを設置しているが、基本は銀行員が一枚ずつ数える。貨幣に関しても計数カウンターが設置されているのではないだろうか。

「何もかも手数料が必要だというが、ATMでは自分の口座から自分のカネを引き出すのに、自分で機械を操作して、土日や祭日や時間外では手数料を支払うことになっているが、おかしくないか」と、彼は憤懣やるかたない。
「銀行窓口で引き出すのに紙幣が20枚を超えたら、手数料が欲しいくらいだ」と彼は云う。「割り勘がクレジットカードで支払えるのか。それとも今後はファミレスで各人が列を作ってpaypayだのスマホだのビザカードだのデビッドカードだのを各自支払う方が良いというのか。どっちが合理的だと思うか」と彼の憤慨は極致に達する。

 貨幣が流通しているのは、その国の貨幣に信用があるからだ。中國ではATMからでも偽札が出る社会だから、偽札を掴まされないように「脱貨幣」が進んだ。日本では手にしている貨幣や紙幣が偽だとは誰も思わない。一時は韓国の500ウォン貨幣が500円貨幣と酷似していることから自販機で大量に利用される「釣り銭泥棒」が横行したが。
 基本的に日本国民は日本の紙幣や貨幣に全幅の信任を置いている。だからカード支払いが普及しない、とクレジット企業の小僧と化した政治家たちがIT化のために現金支払いを止めろと躍起になっている。その一環が貨幣の支払い制限の徹底化だろう。自らの国の貨幣を貶める、というバカな政策に狂奔している政権政党と政治家たちはいったい誰に奉仕しているのだろうか。現金を持ち歩く高齢者は遅れているのだろうか。

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