核兵器を廃絶するのは強制や要請ではなく、核兵器が無用の長物にすることだ。
<参院選の街頭演説中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相はロシアによるウクライナ侵攻直後の2月27日、フジテレビの番組で米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について国内でも議論すべきだとの考えを示した。
遺言となったその真意と現実性をどう考えればいいのか、改めて米国の核専門家にインタビューした。
ロシアのウクライナ侵攻を見て「核の抑止効果について議論深めるべき」とした安倍氏
安倍元首相は、旧ソ連崩壊後にウクライナ、ベラルーシ、カザフスタンの旧ソ連諸国3カ国が核兵器保有を放棄する代わりに米英露の核保有3カ国が主権と安全保障を約束した1994年の「ブダペスト覚書」に言及し、ウクライナが「もしあの時、戦術核を一部残し、活用できるようになっていればどうだったかという議論も行われている」ことを紹介した。
「被爆国として核廃絶という目標は掲げなければいけないし、それに向かって進んでいくことが大切だ。日本は核拡散防止条約(NPT)の加盟国で非核3原則*1があるが、世界ではどのように安全が守られているかという現実について議論していくことをタブー視してはならない。現実に国民の命、国をどうすれば守れるか、様々な選択肢を視野に議論すべきだ」と述べた。
生涯をかけて核拡散防止に取り組んできた英有力シンクタンク、国際戦略研究所(IISS)のアソシエイト・フェロー、マーク・フィッツパトリック氏(米国在住)は高校の交換留学生として来日した際、広島平和記念資料館を訪れ、「核兵器が二度と使われることのないように、そしていつの日か廃絶されるように」と願うようになった。フィッツパトリック氏に聞いた。
「もしウクライナが核を持っていればロシアはもっと早く侵攻していたはず」
――ウクライナが核兵器を保有し続けていれば、ロシアはウクライナに侵攻できなかったという声があります。あなたはどう思いますか。
マーク・フィッツパトリック氏(以下、フィッツパトリック) ウクライナが核兵器を持っていれば、ロシアが2014年にクリミアを占領することも、2022年にウクライナに侵攻することもなかったでしょう。というより、むしろもっと早くロシアはウクライナを攻撃していたと思います。
ウクライナは核兵器を管理するという意味では、決して核兵器を持っていなかったということを認識することが重要です。1998年にロシアに移送される前に、2000発ほどの核兵器がウクライナ国内に存在していました。しかし、ウクライナはその核兵器を使用する能力を持っていなかったのです。ウクライナは発射指揮系統を管理していませんでした。
もしウクライナが核兵器を保有し続け、発射システムを開発しようとしていたなら、ロシアはそれを阻止するためにもっと早くにウクライナを攻撃したでしょう。
――冷戦時代の欧州における核共有について、その役割を教えてください。
フィッツパトリック 1950年代半ば、はるかに大規模な通常戦力を持つ旧ソ連の潜在的な攻撃を抑止するため、米国は欧州の北大西洋条約機構(NATO)同盟国の基地に核兵器を保管するようになりました。NATOは核兵器を保有しておらず、米国の核兵器が配備された国々も核兵器を運搬する航空機を提供するだけでした。
核兵器の使用について発言権を持ち、米国によるデカップリング(切り離し)の可能性についてヘッジするため、欧州の同盟国は核共有の取り決めを求めました。かつて欧州に保管されていた数千発の米国の核兵器は、80~90年代にほぼ撤去され、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5カ国に100~150発が残るのみとなりました。
「欧州から米国の核兵器が消えても米国は欧州の安全保障への関与をやめない」
――冷戦が終結し、この政策は安全保障のためではなく、米国と欧州を結ぶ政治的なものだと言われるようになりました。
フィッツパトリック 欧州に配備された米国の戦術核兵器が「拡大抑止*2」に大きく貢献するとは思いません。NATO自身、米国の核ミサイルや長距離爆撃機など戦略核を一体化して指揮統制する戦略軍こそが「同盟国にとって最大の安全保障だ」と述べています。欧州の戦術核兵器が政治的な目的にしか寄与していないことは明らかです。
*2 同盟国が攻撃を受けた場合にも反撃する意図を示すことで、同盟国の防衛・安全保障に対しても自国の抑止力を提供すること。
しかし、象徴的な目的のために必要であるとも私には思えないのです。結局のところ、1970年までに欧州に保管されていた7000発以上の核兵器のほぼすべてを撤去しても、米国の安全保障へのコミットメントに対する認識が損なわれることはなかったのです。同様に、残り100~150発の核兵器を撤去しても米国のコミットメントは損なわれないでしょう。
――欧州に多くの最新鋭ステルス戦闘機F-35が配備されています。F-35は欧州の核共有にどのような変化をもたらすとお考えですか。
フィッツパトリック F-35Aは欧州で核兵器を空輸する際、より速く、ステルス性のあるオプションを米国に与えることになります。しかし、このステルス性能は諸刃の剣です。もしNATOとロシアの間で戦争が始まったら、ステルス戦闘機がロシア領空に侵入してくる可能性を排除するためモスクワが最初に狙うのはF-35を配備している基地かもしれないからです。
――日本にもF-35が配備されていますね。
フィッツパトリック 米空軍がF-35Aを核兵器運搬能力ありと認定しても、すべてのF-35が核兵器運搬能力を持つようになるわけではありません。核ミッションに特化した機体でなければなりません。
日本のものはそうではないでしょう。しかし米国が必要と判断した場合、抑止力を示す手段として、核兵器搭載可能なF-35を一時的に日本に配備することはあり得るでしょう。
「米国との核共有、日本にとって良い選択肢ではない」
――安倍元首相が米国との核兵器共有の可能性を議論したいと言ったのはなぜだと思いますか。ロシアのウクライナ侵攻は歴史の転換点であり、国際秩序は新しい局面を迎えたと考えたのでしょうか。
フィッツパトリック ロシアのウクライナ侵攻は国際秩序や規範に対する重大な脅威になりました。日本の政治指導者が、潜在的な敵対者が北東アジアの安全保障を同様に破壊する可能性を予期するのは自然なことです。政治指導者は、起こり得る脅威を抑止し、防御するための最善の方法を検討する責任があります。
安倍元首相が核共有の選択肢を挙げたことを批判するつもりはありませんが、日本にとって良い選択肢ではないと思います。
――私たちは冷戦の時代に戻りつつあると思いますか。
フィッツパトリック 確かに私たちは超大国間の反目し合う時代に戻っています。しかし、イデオロギー(共産主義と反共産主義)が真っ向から対立し、米ソ間で世界中の影響力を競っていた冷戦時代とは異なります。今日のロシアの影響力は、その周辺にある数カ国とシリアに限られています。
それよりも懸念されるのは、米国のパートナーシップにはまだ及ばないものの、中国の世界的な影響力が増していることです。
――米国は1954~72年まで19種類、最大1200発の核弾頭を統治下の沖縄に保有していたと言われています。その後、日本は非核3原則を宣言しましたが、グレーゾーンがありました。米国統治下の沖縄を含め、日本における核兵器について教えて下さい。
フィッツパトリック 米軍占領下の沖縄に核兵器が導入されたのは、第一次台湾海峡危機*3を背景にした1954年12月のことです。1967年までに約1200発の空中投下型核兵器が嘉手納基地に配備されましたが、1972年5月の沖縄返還までに撤去されました。
*3 1954年、中国が台湾・金門島を砲撃したことに端を発する危機。
米国防総省はまた、こうした兵器の非核部品を日本本土の米軍基地に移送し、最終的に完全な兵器が配備されることを望みましたが、実現することは決してありませんでした。一方、日米安全保障条約の秘密部分により、米国の爆撃機や軍艦は核兵器を搭載したまま日本を通過していました。
「日本と核共有しても米国の抑止力引き上げに寄与しない」
――日本にはどのような核共有が考えられるのでしょう。欧州と同じように航空機で運搬する核爆弾B61が唯一の選択肢なのでしょうか。
フィッツパトリック 巡航ミサイルなど他のさまざまな核共有オプションが考えられますが、米国防総省は日本への核共有オプションを全く考えていないと思います。
米国の国防計画者はその必要性を感じていないし、核兵器を新たに海外に配備することは、他国の反応はもちろん、ロジスティックスや基地の警備、国内政治の面で多くの頭の痛い問題を引き起こすことを知っているからです。
――米国はアジアと日本のためにB61をどのように展開するのでしょうか。
フィッツパトリック 申し訳ありませんが、この質問には答えられません。
――日本への核共有は必要ないと思われますか。
フィッツパトリック 日本に米国の核兵器を配備しても、米国の抑止力を高めることにはなりません。すでに米国の大陸間ミサイルや潜水艦発射ミサイルは30分以内に目標に到達できます。
日本に配備される核兵器は、理論的にはこの時間を数分短縮することができるかもしれません。しかし現実的には、それらのミサイルを発射するために必要な協議が、発射に要する時間を増加させるでしょう。
――少なくとも日本は核政策について公の場で議論する必要があるように私には思えるのですが、それについてどう考えられますか。
フィッツパトリック 非現実的な核共有の取り決めを公の場で議論することに何の意味があるのか私には分かりません。それよりも日米拡大抑止協議で行われている政府間協議の方がはるかに重要です。この場では、日米の当局者が日本の防衛のために核兵器を使用する場合の政策と実際について協議しています。
「日本の非核3原則には意味がある」
――日本の世論は、非核3原則があるから核政策を考える必要はないと思っているように感じられます。ばかげているし、とても危険だと筆者には思われます。
フィッツパトリック 非核3原則は、ばかばかしいものでも、危険なものでもありません。これらの原則は日本が非核であることを強調し、近隣諸国に対して脅威を与えないようにしています。もし日本がこの原則を放棄し、独自に核兵器を保有すれば、核拡散が起こり、NPT体制は終わりを告げるでしょう。
例えば、韓国はすぐに独自に核兵器を開発するでしょう。日本は米国との安全保障同盟によって守られている限り、核兵器は必要ありません。しかし、非核3原則を調整することには意味があるでしょう。過去に核武装した米艦船が日本の港に入ったことがありますから、この言葉は誤った呼び方です。実際には「非核2.5原則」だったのです。
――アジア諸国は、将来、米国がアジアから撤退するのではないかと恐れるようになっています。米国の政治は今、非常に不安定になっています。そんな中で核共有は米国のコミットメントを強くすることができます。それについてはどうお考えですか。
フィッツパトリック 欧州と同様、核共有は理論的には米国のコミットメントを強調する政治的な役割を果たすでしょう。しかし、政治的な反応は非常に分かれるでしょう。おそらく日本人の半分が米国の核兵器の配備には反対し、米国に対して友好的でなくなるでしょう。
現実的な問題として、核兵器を共有しても、ドナルド・トランプのような将来の孤立主義的な大統領を退場させることはないでしょう。そのような大統領は単に核兵器を引き揚げることができるでしょう。現在の米国政治は不安定であり、トランプのような人物がホワイトハウスに戻る可能性を排除できないのはその通りです。
しかし、トランプ政権時代、日本への安全保障のコミットメントを放棄することを主張した官僚はほとんどいなかったことを忘れてはなりません。それどころか、全員が強化を望みました。
「核兵器が存在する現実を見ながら『核兵器のない世界』を志向することは重要」
――岸田文雄首相は、ロシアのウクライナ侵攻後も、バラク・オバマ元米大統領のように「核兵器のない世界へ」と主張しています。理想的ですが、現実的ではありません。日本はアメリカの核兵器に守られているからです。
フィッツパトリック 人類のために、文明を破壊するような兵器がない世界というビジョンを掲げることは重要です。オバマ大統領はナイーブではありませんでした。自分が生きている間には実現しないかもしれないと現実を語っていました。
当面、米国は核兵器を必要とし、日本は米国の核兵器に守られる必要があります。しかし、国の防衛を維持しながら、岸田首相が今とは異なる世界の未来を志すのは正しいことです。
――あなたが核拡散防止のために働こうと思った理由を教えてください。広島平和記念資料館を見学されたと記憶していますが。
フィッツパトリック 1971年、17歳の時に高校の交換留学生として訪日した際、広島を訪れ、広島平和記念資料館で心を突き動かされた。核兵器が二度と使われることのないように、そしていつの日か廃絶されるようにと願うようになりました。
米国の外交官としてのキャリアにおいて、私は核兵器の拡散を抑えることに努めました。米国務省を退職した後、私はロンドンにあるIISSで核不拡散の仕事を続けてきました。幸運にも、私はキャリアを通じて17歳の時の非核の志を持ち続けることができました>(以上「JB press」より引用)
JB press紙のインタビュー記事に登場したマーク・フィッツパトリック氏とは米ハーバード大学ケネディ行政大学院修了後、米国国務省で26年間勤務し、国務次官補代理として核不拡散問題を担当した。2005年よりIISSに移り、不拡散・軍縮プログラム部長、米国本部長を務めた。日本の防衛研究所(1990~91年)のプログラムに参加したこともある人物だ。
それだけに日本が先進自由主義諸国の中で核武装していないドイツやカナダなどと同じグループに属していることに理解を示している。いや、むしろフィッツパトリック氏は「非核三原
則」を遵守する日本に核なき世界のリーダーになることを期待しているのかも知れない。