失われた30年は1989年(平成元年)4月1日の消費税導入から始まった。
<唐突に飛び出した「資産所得倍増プラン」
岸田文雄首相は、5月5日、外遊先のロンドンで「資産所得倍増プラン」を突然表明した。
日本の個人金融資産2000兆円のうち半分以上が預金や現金で保有されていると指摘し、これらを投資に向かわせるため、少額投資非課税制度(NISA)の改革や、個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入対象年齢を、現行の64歳以下から65歳以降にも広げることを検討するとした。そして、今年末に「資産所得倍増プラン」を策定するという。
これは、いくつかの点で誠に不思議な政策だ。
まず誰の目にも明白なのは、これが富裕層への優遇策であることだ。
振り返ってみると、昨年9月の自民党総裁選で、岸田氏は「令和版所得倍増」を掲げた。そして、金融所得課税の引き上げを主張した。
就任時には、「格差是正と分配」を強調した。
しかし、就任早々に株価が大幅下落するという「岸田ショック」に見舞われたため、金融所得課税の強化は姿を消した。
その後の衆院選の公約や所信表明演説では、「所得倍増」という言葉は影を潜めてしまった。
そして、「新しい資本主義」とは一体何であるかの検討が続けられた。
預金が減れば、長期金利が上昇するだろう
問題は以上のことだけではない。以下は、あまり議論されることのない点だが、重要だ。
第1は、マクロ経済への影響だ。
資産所得倍増政策の結果、家計が銀行預金を引き出し、それを株式や投資信託への投資に回したとしよう。
銀行預金から株式などへの移動額としては、相当の額が考えられているのだろう。そうであれば、以下に述べるようなマクロ経済的な変化を引き起こさざるをえない。
銀行としては、負債である預金が減るので、他の負債を増やすか、あるいは資産を減らす必要がある。
変化額が大きいので、国債を減らさざるをえなくなるだろう。
そこで、銀行は保有国債をマーケットで売却する。すると、国債の価格は下落し、長期金利が上昇する。
すると、国債発行の資金コストが上昇し、国は資金調達が困難になる。
また、円高への圧力が高まる。
現在日本銀行は、長期金利をゼロ%に維持することを金融政策の柱にしている。
上限を0.25%に設定し、それを少しでも上回ると、買いの介入をしている。それでも抑えきれず、円高になる。それでいいのだろうか?
日本の家計は不合理な資産運用をしているのか?
第2は、より基本的な問題だ。
「貯蓄から投資へ」とは、いま初めて言われることではない。これまで何度も繰り返し言われてきたことだ。
この発想の基本にあるのは、「現在の日本の家計の資産運用は不合理な形態だから、これを変えるべきだ」という発想だ。
しかし、そもそも日本の家計は不合理な資産運用をしているのだろうか?
ここで重要なのは、資産選択は、期待収益率だけでは判断できないことだ。これに加えてリスクを考慮することが必要だ。
株式投資はリスクが高いので、それを補うために、期待収益率が高くなっているのである。
これはファイナンス理論の最も基本的な命題だ。
だから、銀行預金の収益率がほとんどゼロであり、株式の期待収益率がプラスであっても、株式投資がよいということにはならない。
「貯蓄から投資」と言う不思議なスローガンは、ファイナンス理論を無視したものだと言わざるをえない。
それに加え、日本では物価がほとんど上昇しないから、名目資産である銀行預金の形で資産を保有しても、価値を維持することができる。
また、株価の動向を見ながら売買の決定を行うことも必要ないし、手数料や運用のためのさまざまなコストも必要ない。
こうしたことを考えれば、現在の日本の家計は、日本経済の現状に照らして合理的な資産運用をしている可能性がある。
「貯蓄から投資へ」と何度も言われてきたにもかかわらず、銀行預金が減らないのは、これが合理的な資産運用法だからではないか?
なお、現在インフレが進行中だが、現在のアメリカの状況を見れば明らかなように、それに応じて株価が上昇しているわけではない。むしろ、インフレ対策の金利引き上げで株価が下落している。
つまり、インフレになっても株式投資が実質資産価値を維持できるとは限らない。
成長率を高めることが先
岸田内閣がこの政策を提案するのは、「個人が株式投資を増やせば日本経済は活性化する」という狙いがあるからだろう。
しかし、因果関係の順序は、これとは逆だろう。
いま仮に、何らかの理由で、日本のすべての上場企業が猛烈な成長を始めたとする。
すると、株式投資の有利性が飛躍的に向上するだろう。その場合には、人々は、資産運用対象を、預金から株式投資へと自然に移していくだろう。(なお、長期金利も上昇するから、預金金利も上昇する。しかし、そうであっても、株式投資の比重は増えるだろう)。
こうした変化がないところで、いくら税制優遇で誘導しようとしても、何も起こらない。すでに株式や投資信託を持っている富裕層が利益を得るだけの結果になる可能性が高い>(以上「東洋経済」より引用)
野口 悠紀雄氏(一橋大学名誉教授)が東洋経済に掲載した「「資産所得倍増プラン」唐突政策に浮かぶ2大問題岸田政権は支離滅裂」との見出しの論評は正鵠を得ている。その副題に「格差は是正されず拡大する」とある通り、岸田氏の「資産倍増プラン」は富裕層に対する税制優遇策でしかない。
岸田文雄首相は、5月5日、外遊先のロンドンで「資産所得倍増プラン」を突然表明した。
日本の個人金融資産2000兆円のうち半分以上が預金や現金で保有されていると指摘し、これらを投資に向かわせるため、少額投資非課税制度(NISA)の改革や、個人型確定拠出年金(iDeCo)の加入対象年齢を、現行の64歳以下から65歳以降にも広げることを検討するとした。そして、今年末に「資産所得倍増プラン」を策定するという。
これは、いくつかの点で誠に不思議な政策だ。
まず誰の目にも明白なのは、これが富裕層への優遇策であることだ。
振り返ってみると、昨年9月の自民党総裁選で、岸田氏は「令和版所得倍増」を掲げた。そして、金融所得課税の引き上げを主張した。
就任時には、「格差是正と分配」を強調した。
しかし、就任早々に株価が大幅下落するという「岸田ショック」に見舞われたため、金融所得課税の強化は姿を消した。
その後の衆院選の公約や所信表明演説では、「所得倍増」という言葉は影を潜めてしまった。
そして、「新しい資本主義」とは一体何であるかの検討が続けられた。
預金が減れば、長期金利が上昇するだろう
問題は以上のことだけではない。以下は、あまり議論されることのない点だが、重要だ。
第1は、マクロ経済への影響だ。
資産所得倍増政策の結果、家計が銀行預金を引き出し、それを株式や投資信託への投資に回したとしよう。
銀行預金から株式などへの移動額としては、相当の額が考えられているのだろう。そうであれば、以下に述べるようなマクロ経済的な変化を引き起こさざるをえない。
銀行としては、負債である預金が減るので、他の負債を増やすか、あるいは資産を減らす必要がある。
変化額が大きいので、国債を減らさざるをえなくなるだろう。
そこで、銀行は保有国債をマーケットで売却する。すると、国債の価格は下落し、長期金利が上昇する。
すると、国債発行の資金コストが上昇し、国は資金調達が困難になる。
また、円高への圧力が高まる。
現在日本銀行は、長期金利をゼロ%に維持することを金融政策の柱にしている。
上限を0.25%に設定し、それを少しでも上回ると、買いの介入をしている。それでも抑えきれず、円高になる。それでいいのだろうか?
日本の家計は不合理な資産運用をしているのか?
第2は、より基本的な問題だ。
「貯蓄から投資へ」とは、いま初めて言われることではない。これまで何度も繰り返し言われてきたことだ。
この発想の基本にあるのは、「現在の日本の家計の資産運用は不合理な形態だから、これを変えるべきだ」という発想だ。
しかし、そもそも日本の家計は不合理な資産運用をしているのだろうか?
ここで重要なのは、資産選択は、期待収益率だけでは判断できないことだ。これに加えてリスクを考慮することが必要だ。
株式投資はリスクが高いので、それを補うために、期待収益率が高くなっているのである。
これはファイナンス理論の最も基本的な命題だ。
だから、銀行預金の収益率がほとんどゼロであり、株式の期待収益率がプラスであっても、株式投資がよいということにはならない。
「貯蓄から投資」と言う不思議なスローガンは、ファイナンス理論を無視したものだと言わざるをえない。
それに加え、日本では物価がほとんど上昇しないから、名目資産である銀行預金の形で資産を保有しても、価値を維持することができる。
また、株価の動向を見ながら売買の決定を行うことも必要ないし、手数料や運用のためのさまざまなコストも必要ない。
こうしたことを考えれば、現在の日本の家計は、日本経済の現状に照らして合理的な資産運用をしている可能性がある。
「貯蓄から投資へ」と何度も言われてきたにもかかわらず、銀行預金が減らないのは、これが合理的な資産運用法だからではないか?
なお、現在インフレが進行中だが、現在のアメリカの状況を見れば明らかなように、それに応じて株価が上昇しているわけではない。むしろ、インフレ対策の金利引き上げで株価が下落している。
つまり、インフレになっても株式投資が実質資産価値を維持できるとは限らない。
成長率を高めることが先
岸田内閣がこの政策を提案するのは、「個人が株式投資を増やせば日本経済は活性化する」という狙いがあるからだろう。
しかし、因果関係の順序は、これとは逆だろう。
いま仮に、何らかの理由で、日本のすべての上場企業が猛烈な成長を始めたとする。
すると、株式投資の有利性が飛躍的に向上するだろう。その場合には、人々は、資産運用対象を、預金から株式投資へと自然に移していくだろう。(なお、長期金利も上昇するから、預金金利も上昇する。しかし、そうであっても、株式投資の比重は増えるだろう)。
こうした変化がないところで、いくら税制優遇で誘導しようとしても、何も起こらない。すでに株式や投資信託を持っている富裕層が利益を得るだけの結果になる可能性が高い>(以上「東洋経済」より引用)
野口 悠紀雄氏(一橋大学名誉教授)が東洋経済に掲載した「「資産所得倍増プラン」唐突政策に浮かぶ2大問題岸田政権は支離滅裂」との見出しの論評は正鵠を得ている。その副題に「格差は是正されず拡大する」とある通り、岸田氏の「資産倍増プラン」は富裕層に対する税制優遇策でしかない。
経済の原理として投資と成長は卵と鶏の関係だが、それは経済成長するための技術開発が既に行われているのを前提とする。そうした条件もなく投資促進策だけが先行するのは無意味な株高をもたらすだけだ。岸田氏は安倍氏が年金基金を大量に株式市場に投入して現在の株高を演出したのを真似て、今度は国民の投資熱を煽って株高を再演出して安倍氏と同様に「株価は上がっているではないか、景気が良い証拠だ」と馬鹿な手柄発言をしようと思っているのかも知れない。
野口氏が主張いる通り「成長率を高めることが先」だ。野口氏は成長率が高まれば投資の有利性が増して預金から投資へ回されるだろう、と論理展開している。しかしいかに投資に有利性があろうと、一般的な日本国民は株式投資に手を出すことなどない。経済成長すればそれに比例して労働賃金が上がり、経済成長に伴うインフレ率も上昇し、預金金利も上昇する。
そうすると日本国民は貯蓄に励む、というのがこれまでの金融動向だ。しかし、それで何か不都合があっただろうか。むしろ日本経済は盤石な国民が保有する金融資本の上に成り立っている。証券マンでもないのに投資促進を叫ぶより、経済成長の主力エンジンたる個人消費を政策的に促進するのが政治家の仕事ではないか。なぜ消費税を廃止もしくは停止して、個人消費支出を拡大させようとしないのだろうか。
岸田氏ほどの年配なら「呼び水」というのを知っているだろう。井戸から水を汲み上げる「手漕ぎポンプ」を動かす前に少しの水を手漕ぎポンプのシリンダーに入れないと、ピストンとシリンダーの間に隙間があって水を汲み上げることが出来ない。だから最初にシリンダー内に少しの水を差してピストンリングに相当する布を湿らせて隙間を塞ぐ。その水を「呼び水」という。
景気を回復するのにも「呼び水」が必要だ。まずシリンダーの隙間に相当するデフレギャップを埋めなければピストンを稼働しても空気が洩れるだけだ。まず政府が財政出動してデフレギャップを埋めると同時に、消費税廃止もしくは停止して手漕ぎポンプのシャフトを力強く押し下げる必要がある。そうすれば「呼び水」が効果を発揮して経済のポンプが真水を汲み出す。
経済成長のために必要なのは生産性の向上と、新規産業開発だ。政府は企業の技術・研究開発に補助金を出し、新規投資に税制で援助すべきだ。そして新産業開発のベンチャーたちに奨励金を低金利無担保融資すべきだ。
そうした大胆な経済成長策を展開して日本経済の潜在能力を稼働させて経済成長路線に踏み出させるべきだ。岸田氏は肝心の「呼び水」に関して発言も意識もしていない。国民に投資を奨励するだけで景気が良くなるのなら、失われた30年などなかった。失われた30年は1989年(平成元年)4月1日から課された消費税とともに始まった。そのことを強く認識すべきだ。