核使用を仄めかしたプーチン氏は全人類の敵だ。

<核兵器を使う可能性はあるのか。米「CNN」によるこの質問に対して、22日、ロシアのドミトリー・ペスコフ大統領報道官は「我が国の存亡に関わる脅威があれば、あり得る」と答えた。

 この時使われる可能性として高い兵器のひとつが、小規模な分ハードルが低く「使いやすい」とされる小型の核兵器だ。広島に落とされた原爆を基準に、威力がその半分のものから、2%ほどのものまで、世界にはさまざまな小型核がある。 もしロシアがこれを撃った場合、世界はどう反応するのだろうか。核戦争に発展するのだろうか? 米紙「ニューヨーク・タイムズ」が専門家に聞いた。

ロシアは核武装を実用的なものと考えている
 冷戦時の核兵器はその破壊力において、広島を破壊した原爆を凌駕していた。実験爆発では、ワシントンの兵器が最大で広島の1000倍、モスクワの兵器には3000倍の威力があった。 これには「巨大な報復の可能性」という脅威を見せることによって相手の攻撃を抑止する、いわゆる「相互確証破壊」の効果があった。この心理的ハードルは非常に高い。そのため、核攻撃など考えられないと見なされるようになったのだ。 
 そして今日のロシアとアメリカは共に、破壊力の弱い核兵器を持っている。威力は広島に落とされた原爆の数分の一に過ぎない。その分、使うことに対する恐怖心は少なく、選択肢として考えやすいものだろう。 
 プーチン大統領はウクライナ戦争のさなかで自国が持つ核の威力を警告し、原子爆弾を警戒態勢に入れ、軍には危険な原発を攻撃させた。こうした経緯を踏まえ、先述の小型兵器に対する懸念が高まっている。紛争で追い詰められたと感じたら、プーチンが「小さい核兵器」を爆発させることを選ぶかもしれない、という懸念である。
 76年前の広島・長崎で定められたタブーを破るかもしれないのだ。 ハンブルク大学やカーネギー国際平和基金に所属する核の専門家、ウルリッヒ・キューンいわく「可能性はまだ低いが、高まっている」と指摘する。「ロシアの戦況は良くなく、西側諸国からの圧力も強まっている」からだ。 
 ワシントンは今後、プーチンがさらに原子力に関する動きを見せるだろうと予想している。国防情報局のスコット・D・ベリエ中将は19日、下院軍事委員会で、戦争とその影響でロシアが弱体化していることから「西側に警告を発し、(軍事力の)強さを誇示するため、モスクワはますます核抑止に頼るようになるだろう」と語っている。 一方、オバマ前大統領の国家情報長官を務めたジェームズ・R・クラッパー・ジュニア元空軍大将は、ロシア軍内部が冷戦後に混乱した影響もあり、モスクワは原爆使用に対するハードルを下げていると語った。現在のロシアは核武装を「ありえないこと」ではなく、実用的なものと考えている、と彼は言う。 
 ロシア軍は今月初め、ヨーロッパでも最大のザポリージャ原子力発電所を攻撃した。クラッパーいわく、この時ロシアは、放射能放出の危険を冒したことについて「気にしていなかった」。 「彼らはただ発電所に向かい、そこに発砲した。これはロシアの自由放任主義を象徴している。核兵器について、われわれのような区別をしないのだ」

核戦争が勃発すれば、数時間で9000万人犠牲に
 「ウクライナでことを自分の思い通りにするために、プーチンは核抑止力を使っている」 そう語るのは、ブラウン大学の政治学者、ニーナ・タネンワルドだ。「プーチンの核兵器が西側諸国の介入を防いでいるのです」。 小型核をめぐる世界的な競争は激化している。冷戦時代の基準からすれば、これらの破壊力は小さい。だが推定では、広島の原爆の半分に相当する兵器でマンハッタンのミッドタウンで爆発すれば、50万人が死亡、または負傷することになるという。 こうした兵器は核のタブーを弱め、ただでさえ危機的状況をさらに危険なものにするだろう──小型核に対する批判の主な理由がこれである。破壊力が弱いため、原子力の制御が可能であるという幻想を人に抱かせるのだ。
 だが実際には、こうした兵器を使うことがきっかけで本格的な核戦争に発展しかねない。 プリンストン大学の専門家が考案したシミュレーションでは、モスクワが核の威嚇射撃を行い、NATOがこれに小型の攻撃で応戦した。するとその後に発展した戦争で、最初の数時間に9000万人以上の死傷者が出た。 軍備管理条約では、戦術核や非戦略核と呼ばれる小型の核弾頭を規制していない。
 そのため、核超大国は好きなだけ製造・配備している。ワシントンの民間団体「アメリカ科学者連盟」の核情報プロジェクト責任者、ハンス・M・クリステンセンによると、ロシアは約2000個を保有しているかもしれないという。 一方でアメリカは、ヨーロッパ諸国に約100基を配備している。だが自国内の政策論争や、NATO同盟国に配備する際の政治的複雑さがネックとなり、あまり増やすことができない。同盟国の住民たちから抗議を受けることもあるため、配備数はやはり限られている>(以上「COURRIER」より引用)



 プーチン氏がウクライナ侵略戦争で核兵器の使用に言及したことに、私は繰り返し厳しく批判してきた。プーチン氏は核兵器を通常爆弾の巨大化したモノ、くらいに考えているのかも知れないが、飛んでもない。核兵器は悪魔の兵器だ。
 その想像を絶する破壊力と同時に長く広範囲に深刻な放射能汚染をもたらす。核保有国でも、とりわけ国連安保理常任理事国が自ら始めた侵略戦争で核兵器の使用を仄めかした「仰天すべき」発言に、世界は委縮してはならない。悪魔の兵器の使用をプーチン氏は口にした「罪悪」をご存知ないのだろう。

 プーチン氏の発言により核兵器は新しいパラダイムに入った。核兵器は侵略戦争でも使用される、ましてや防衛戦争での使用に何の不都合があろうか、とする議論が湧き上がって、日本核武装論が勢いを得るだろう。それが何よりも強く懸念するところだ。
 負けないために核兵器を使用したとしても、相手を核兵器で無残に破壊し尽くしたとしても、彼は勝利者にはなれない。なぜなら核兵器を使用した地は危険なレベルの放射能で汚染されているため、その地に彼は足を踏み入れることが出来ないからだ。

 戦争で犠牲になる一人一人の兵にも人生があり家庭があり親族がいる。銃や大砲を撃ち合って殺し合わなくても、人は必ず死ぬ。戦争がなくても、それほど長くない人生を生きて、人は必ず死ぬ。死ぬ定めの人が、殺し合う必要があるのだろうか。
 戦争は愚かな政治家が選択する国際紛争な最終的な解決手段だ、とかつての賢人は述べたが、いや戦争など国際紛争の最終的な解決手段としてもあってはならない。そのための国連などの国際機関が存在するのではないのか。

 国や地域を人として考えるなら、地球という共同体の中で200人足らずの人たちが暮らしている。しかも数人だけが銃を持っている、という状態を想像して頂きたい。しかも共同体の中に警官はいない。だから力の強い者が力の弱い者を脅したり時には殴ったりして、果実を独り占めしようとしたりしている。
 そうした暮らしの中で、一人の銃所有者が「言うことを聞かなければ銃をブッ放すゾ」と隣人を脅した。そして隣人の家に入り込み、やりたい放題の限りを尽くす、としたらどうだろうか。それを可能ならしめないための「国連安保理」ではないのか。

 すべての人が銃を持つのが「平等」なのか、それともすべての銃を取り上げる方がより安全なのか。まずすべての人から銃を取り上げる方を選ぶべきではないか。自分の身は自分で守る、という米国社会の暗黙の合意で米国市民は銃の所有が認めらりているが、それに起因した銃乱射事件が断続的に起きている。
 すべての市民から銃を取り上げた方が社会は安全になる。そうしたことは分かっているが、米国はそうした社会を未だに選択しない。核兵器も同じだとするなら、すべての国や地域が核兵器を所有しても良いはずではないか。そうすると核兵器は日常茶飯事に世界の何処かで使用され、世界は放射能で汚染され、やがて全人類は死滅するだろう。
 それが愚かな人類の運命だというのなら、運命を受け容れるしかないのだろうか。それとも戦争で核兵器の使用を仄めかしたプーチン氏を「全人類の敵」認定して、厳しく罰すべきなのか。二者択一なら、私は後者を選ぶべきではないかと考える。

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