SUBARUは「2030年死亡交通事故ゼロ」を目指します。
<期限は2030年
死亡交通事故ゼロは、自動車に関わるすべての人の悲願である。しかし、その実現は相当にハードルが高く、自動車メーカーの間でも、この目標を明確に掲げているところは決して多くない。
近年の例を見ると、2007年にボルボが「Vision 2020」なる宣言を行い、2020年までの「自社の新車による事故死亡者ゼロ、重傷者ゼロ」を掲げてもろもろの取り組みを行ってきた。残念ながら“2020年まで”(つまり今年である)という目標は達成できず、スケジュールは先送りとなってしまったが、同社が死亡事故ゼロに向けて研究開発や事故の実地調査などの施策を続けていることは、もっと広く知られていいことだと思う。
そのボルボと同じように、わが国ニッポンでも死亡事故ゼロを公言するメーカーがある。スバルである。スバルは2018年に新中期経営ビジョン「STEP」を策定。「2030年に死亡交通事故ゼロを目指す」(スバル車乗車中の死亡事故およびスバル車との衝突による歩行者・自転車等の死亡事故をゼロにする)と表明したのだ。
そして今年、1月20日に催された記者説明会「SUBARU技術ミーティング」の中で、スバルはこの目標へ向けた施策の、より突っ込んだ中身を公表した。すなわち「どういった取り組みを通して死亡交通事故ゼロを実現するのか」についてである。
具体的には、
ドライバーモニタリングシステム(DMS)の乗員認識性能向上
車両運動制御技術の向上
先進運転支援システム(ADAS)のセンサー画像認識性能向上と、さらなる自動化
衝突被害を軽減する各種機能のADASとの連携と、交通弱者保護性能の向上
先進事故自動通報(AACN)の導入やインフラ協調などといった“つながる安全”技術の導入
そしてこれらの技術・機能に加え、各領域における知能化技術(AI)の活用も通して、死亡交通事故ゼロを目指すとしたのだ>(以上「webCG」より引用)
死亡交通事故ゼロは、自動車に関わるすべての人の悲願である。しかし、その実現は相当にハードルが高く、自動車メーカーの間でも、この目標を明確に掲げているところは決して多くない。
近年の例を見ると、2007年にボルボが「Vision 2020」なる宣言を行い、2020年までの「自社の新車による事故死亡者ゼロ、重傷者ゼロ」を掲げてもろもろの取り組みを行ってきた。残念ながら“2020年まで”(つまり今年である)という目標は達成できず、スケジュールは先送りとなってしまったが、同社が死亡事故ゼロに向けて研究開発や事故の実地調査などの施策を続けていることは、もっと広く知られていいことだと思う。
そのボルボと同じように、わが国ニッポンでも死亡事故ゼロを公言するメーカーがある。スバルである。スバルは2018年に新中期経営ビジョン「STEP」を策定。「2030年に死亡交通事故ゼロを目指す」(スバル車乗車中の死亡事故およびスバル車との衝突による歩行者・自転車等の死亡事故をゼロにする)と表明したのだ。
そして今年、1月20日に催された記者説明会「SUBARU技術ミーティング」の中で、スバルはこの目標へ向けた施策の、より突っ込んだ中身を公表した。すなわち「どういった取り組みを通して死亡交通事故ゼロを実現するのか」についてである。
具体的には、
ドライバーモニタリングシステム(DMS)の乗員認識性能向上
車両運動制御技術の向上
先進運転支援システム(ADAS)のセンサー画像認識性能向上と、さらなる自動化
衝突被害を軽減する各種機能のADASとの連携と、交通弱者保護性能の向上
先進事故自動通報(AACN)の導入やインフラ協調などといった“つながる安全”技術の導入
そしてこれらの技術・機能に加え、各領域における知能化技術(AI)の活用も通して、死亡交通事故ゼロを目指すとしたのだ>(以上「webCG」より引用)
テレビCMから「SUBARUは「2030年死亡交通事故ゼロ」を目指します」というフレーズが聞こえて来た。やっと人間が目指すべき「死亡交通事故ゼロ」の自動車を製造しようと決意した自動車メーカーが現れた。
自動車産業が目指すべき自動車はCO2排ゼロの自動車ではない。死亡交通事故ゼロの自動車だ。走行時に自動車がCO2を排出しなくても、発電する時点で大量のCO2を排出していることに変わりない。CO2排出ゼロの自動車など、壮大なる欺瞞でしかない。
石油・石炭火力発電を全廃して、原子力と再生エネだけで対応すれば良い、と反論する輩がいるが、それらの高コストはだれが負担するのか。「原発」は低コストだというのは総原価を計算しない誤魔化しでしかない。それは電気自動車が走行時CO2を排出しない、という理屈と酷似している。
原発は稼働時にも放射性廃棄物を大量に排出するが、稼働終了後に起きる様々な問題をどうするのか、解決策は一つも示されていない。しかも放射性廃棄物は核種によれば半減期が10万年というものもある。10万年もの管理費を原発の発電原価に算入してないのは勿論だ。そんな誤魔化しでコロッと誤魔化される人たちこそお目出度い。
再エネで電気を賄え、という主張も既に破綻している。その破綻例はドイツだ。再エネ率30%を達成したが、その反面電力供給の不安定化に悩まされ、隣国ポーランドなどからの電気買いで賄っている有様だ。
洋上に東京タワー級の塔を無数に立てる風力発電により渡り鳥が何万羽も死んでいるという。風車の先端速度は新幹線の速度よりも早いという。それに跳ね飛ばされ、渡り鳥が死んでいるのだ。それこそ野鳥保護団体が大騒ぎしないのが不思議だ。
CO2温暖化、というのなら一日も早く温暖化して欲しいものだ。2021年末のこの寒さにはウンザリだ。越年寒波が日本列島を覆うという。中国東北部では燃料不足の最中で-30℃に達しているという。彼らが凍死しないことを願うだけだ。
断じてCO2温暖化などない。あったとしても、それは無視して良い「誤差」の範囲だ。そして地球の過去には百年間で気温が5~6°Cも上下したことなど沢山ある。文明社会が始まってからでも、温暖化による縄文期の十数メートルの海進や江戸時代の冷害による大飢饉など、様々な気候変動を人類は経験している。なにを百年で僅か7センチ程度の海進を大問題視して、ヒステリックに大騒ぎしているのだろうか。
未来の自動車が目指すべきは電気自動車ではない。「死亡交通事故ゼロ」の自動車だ。それが工業製品としてあるべき本来の自動車だ。人が工業製品によって傷つけられ死亡しているとは言語道断だ。そうした工業製品のあり方を問題にしないで、百年で0.7℃の気温上昇で大騒ぎするなど、どうかしている。
むしろ多くの地球気候変動学者が警告している寒冷化こそ大問題として討議すべきだ。寒冷化すれば食糧生産量が減少し、地球上の75億人を超える人類を現在の耕作面積では養えなくなる。国際機関を創設して砂漠の耕作地化技術を開発すべきだ。温暖化ではなく、寒冷化こそが大問題なのだ。