日本経済成長のカギは新規需要の開拓とIT化だ。

アベノミクスは一体どこへ行ってしまったのか?/中心ブレーンだった学者もまともに総括できない虚妄の経済学

 アベノミクスの中心イデオローグで安倍政権の内閣官房参与も務めた浜田宏一=東京大学名誉教授が11月12日付毎日新聞夕刊の「特集ワイド」に登場し、アベノミクスの中心目標だった2%の物価上昇が達成できなかったことについて、「僕は物価目標の未達は国民にはマイナスではないので気にしない」と言い放ったのは驚愕した。

「この道しか無い」と宣言したのに
 もはや皆さんの記憶も薄れているかもしれないが、安倍晋三首相(当時)は浜田らのアドバイスを受けて、日本経済が陥っていた停滞を「デフレ」と認識し、デフレと言えばモノが余ってカネが足りない状態を指すのであるから、日銀をして「異次元金融緩和」に踏み切らせ、カネをどんどん印刷して日銀を通じて世の中に供給させればいいとし、「この道しか無い」という毛筆のフリップまで得意げに掲げて記者会見した。
 しかも、その効果はたちまち現れて、1~2年中に2%程度のインフレが実現して経済は好循環を取り戻すという楽観的な見通しが想定された。どうしてそうなるのかと言えば、これは浜田というよりノーベル賞経済学者のポール・クルーグマンが大元なのだろうが、「一時的な財政出動」や「紙幣の大量印刷」によってカネをじゃぶじゃぶにすれば、人々は金持ちになったかのように勘違いし、しかも近々インフレがやってきて金利が上がりそうだから、今のうちに住宅を買ったり車を乗り換えたり大きな買い物をしてローンを組んだ方が得かもしれないという心理に追い立てられて消費がブンブン回り始めるという、「騙しのテクニック」のような、経済学というより消費者を弄ぶ詐欺師的な心理操作ゲームの発想が裏づけとなっていた。当時から私は、これは「ブードゥー(お呪い)経済学」で、こんなものにノーベル賞を与えたのはノーベル財団の恥だと正面切って異を唱え、とりわけ為政者の都合で人為的に物価を吊り上げて国民を騙したり脅したりして消費に駆り立てるなどもってのほかだと主張した。しかし、浜田や安倍はそれが景気回復への道筋なのだと信じて突っ走った。

 その張本人の浜田が、今になって「物価目標の未達は国民にマイナスではないので気にしない」とはどういうことだ。それさえ達成すれば魔法のように日本経済が蘇るかのように言って掲げた「2%の物価上昇」は、実現しようとしまいとどうでもいいようなことだったのか。実現しなかったことで国民にマイナスを与えなかったのでむしろよかったということなのか。ふざけた話である。

日銀が供給した522兆円のお札はどこへ
 アベノミクスの《第1の矢》は異次元金融緩和で、これは確実に実行された。日銀が供給するカネの総額はマネタリーベースで、黒田東彦が日銀総裁に就いてアベノミクスが発動された2013年3月には135兆円だったのに対し、8年間で522兆円も増えて21年8月で約約5倍の657兆円に達した。
 あれれ?日銀がお金を刷ってじゃぶじゃぶにすればインフレになるんじゃなかったんでしたっけ。そうすると人々が勘違いして競って消費に走るんじゃなかったんでしたっけ。そんなことは何も起きていない。そすると522兆円は一体どこへ行ってしまったのか。

 結論から言うと、驚くべきことに、日銀の構内から外へ出ていないのだ。
 日銀がマネタリーベースを増やすと言っても、ヘリコプターでお札をバラまくわけには行かないから、まずは国債を買う。しかし日銀が直接に市場から買い付けることはできないので、市中銀行が持っている国債を買い上げてその代金を各市中銀行が日銀内に置いている「日銀当座預金」に振り込む。
 日銀当座預金は、本来は、各銀行がイザという場合に備えた準備金を積んでおくところだが、日銀と各行とのやりとりにも使われる。日銀がどんどん国債を買って日銀当座預金が増えても、その大部分は金利が付かないどころか、後には一部は逆金利をとられて置いておくと損になるような意地悪までなされたから、各行は居たたまれずにカネを引き出して投資や融資に回そうとするので、それを通じてマネタリーベースの増分が世の中に出回るはずだと想定された。が、そうはならず、13年3月にはわずか総計47兆円しかなかった各行の日銀当座預金は、8年間に494兆円も増えて542兆円にまで膨れ上がった。
 マネタリーベースが522兆円増えたのに、各行が日銀内の口座に置いているマネーが494兆円も増えたということは、それが基本的に日銀の構内での自閉的なやりとりに終わっているということである。

人口減少社会の到来で需要そのものが減少
 どうして各行が日銀口座からカネを引き出さないのかと言えば、話は簡単で、資金需要がないからである。
 水野和夫=法政大学教授が言うように、16世紀以来の資本主義のグローバル化はすでに「終焉」し、全世界的に過剰生産状態に立ち至っていて、モノが余っているのは日本だけでない先進国共通の現象である。それに加えて日本では、どの先進国よりも早く「人口減少社会」が訪れてきていて、国土交通省の推計によれば、2050年には総人口が9,515万人、その40%が高齢人口であるという状態に至ることは避けられない。2006年の総人口1億2,777万人をピークとして、日本はとっくにその坂道を転がり始めていて、だから需要は確実に減少していくのである。
 その根本的な構造問題に目を向けることなく、金融的マジックで人々の心をたぶらかして見せかけだけの好景気を幻視させようとしたところに、アベノミクスの誤りというには余りにも酷い犯罪性があったのである。
 そういうわけで、国債発行残高は13年3月には744兆円であったのが、21年8月までに313兆円増えて1,056兆円に達したが、その増えた分をどんどん買い進めたのは日銀で、その結果、日銀の国債保有残高は21年7月末で534兆円と、国債全体の半分超となった。

 国債を買っただけでは間に合わないと見た日銀は、株式にも手を染め、13年から本格的に買い漁りを始めた。ここでも、直接に市場で個別銘柄を買い付けるという乱暴なことはできないから、「上場投資信託(ETF)」を買うのだが、この額が20年末で簿価で36兆円、時価で52兆円の巨額に達し、国内株式の最大保有者となった。結果、日銀が発行済み株式の5%以上を保有する有力株主となっている1部上場企業は何と395社にもなった。
 日銀が国内最大となる前のNo.1は「年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)」で、その保有高は47兆円。この年金ファンドも公的機関であるから、日本の株式市場は日銀のGPIFを合わせて約100兆円分もの国家的資金に支えられていることになる。国債市場も株式市場も、さらに言えば為替市場も財務省を通じて円安に誘導されてきたことも含めれば、国債・株式・為替の3大市場が国家管理下にある中国も顔負けの国家資本主義状態になってしまったというのが、アベノミクスというデタラメ経済政策の悲惨な結末なのである。

GDPも縮小し始めて覚悟すべき「小日本」
 経済の動向を捉える基本指標であるGDPを国際比較するにはドルベースで見なければならないが、アベノミクスの始まりの2013年には、名目GDPが米国16.8兆、中国9.6兆に対して日本5.2兆ドルであったのに対し、21年のIMF予測は、それぞれ22.9、16.9、5.1である。米国も何のかのと言って伸び続け、中国は21年に8年前の米国と同じ経済規模に達しようというのに、日本は独り8年前から横這いないしやや縮減という有様である。
 アベノミクスが間違っていたから日本が縮小過程に入ったのではない。日本はすでに社会構造的に縮小過程に入っているというのにそれを不況だとかデフレだとかの景気変動現象だと誤認して、無理矢理に成長軌道に戻そうとしたが、やはりそうはならなかったということである。
 そこまで遡って掘り下げて初めて、この国はどこへ向かって歩むべきかを考え始めることができるはずで、その方向は端的に言えば「小日本主義」だろうと私は思う。ところがこの間、自民党総裁選で語られたのは小泉~安倍~竹中流の「新自由主義」に対する「新しい資本主義」で、どうもその新しい資本主義は「分配」にもう少し力点を置くという意味らしいことは判った。次に総選挙で語られたのは、野党第一党が「分配」というならこちらが本家で、「分配なくして成長なし」と言い立てたのに対して、岸田が「いや、やはり成長なくして分配はない」と応えたりして、結局のところ双方とも「成長」への道を競い合っている有様である。
 こういう焦点のボヤけた低レベルの議論にしかならないのは、アベノミクスをそもそもの出発点にまで遡って徹底総括するということがなされていないからで、それをすれば、人口減少社会に相応しい、量的に拡大はしないけれども質的に充実した暮らしぶりを実現するための構想の競い合いになっていくのではないか>(以上「MAG2」より引用)




 
 引用したのはMAG2に掲載された高野孟氏(フリー・ジャーナリスト)のアベノミクスを総括した論評だ。いかにアベノミクスがアホノミクスだったかを的確に分析している。
 しかし後段の「成長」なき日本、という日本の未来像には賛同できない。量的拡大をやめて質的充足を図る、とはいかなる経済だろうか。あるいは自動車産業は軽自動車の生産をやめて、一台数百万円もするレクサスクラスを製造販売する、ということなのだろうか。

 日本が30年も経済成長していないのはグローバル化経済の陥穽に落ちたからだ。それを推進したのは「構造改革」派の竹中氏やアトキンソン氏たちの面々だ。そして政府も一体となって生産工場の海外移転を推進した。
 それは廉価な海外労働者と日本国内の労働者を賃金で競わせる愚策でしかなかった。儲けたのは経営者たちと企業の株を購入した国際投機家たちだった。それをさらに助長したのが法人税率を引き下げたアホノミクスだった。そして、事もあろうに法人税を引き下げた税収の穴埋めに消費税を引き上げた。まったく素人に権力を与えたらどうなるか、を絵に描いたようなアホノミクスの八年だった。

 MMT理論は間違っている、と主張する人たちは貨幣論が解っていない。日銀が金融緩和すればインフレになる、と短絡的な図式的思考しか出来ない頭脳では現状のデフレ経済を説明できない。既に円は日銀の異次元緩和により大量発行されている。しかしいかに増刷しようと日本がハイパーインフレになっていないのを、いかに説明するというのだろうか。
 経済成長の主力エンジンは個人消費だ。GDPの50%以上を個人消費が占めている。その個人消費にブレーキをかける消費増税を行って、通貨をジャブジャブ刷っても資金市中流量は増えない。つまりインフレにならないし、従って景気は決して上向かない。

 経済成長するには労働者への配分を増やすことだ。そのためには国内で企業収益を上げなければならない。海外へ移転させた工場が廉価な労働力を使って企業収益を上げたところで、それが国内の労働者に還元されけることがなかったのは事実が証明している。
 つまり国内で生産性向上を図るしかない。同時に海外移転した企業を国内へUターンさせなければならない。グローバリスト達が主張する国際分業論は国民貧困論でもある。竹中氏たちの口車に乗ってはならない。

 世界的にモノが余っている、と主張するのは間違いだ。それは現在の市場を前提としている。たとえばウォークマンが爆発的に売れたのは新しい市場を作ったからではないか。需要は喚起するものであり掘り起こすものだ。従来通りの顧客にモノを売るだけの殿様商売をしていては既定の需要を前提としてなぞるだけだ。
 たとえば高齢者から運転免許を取り上げるのがトレンドになっているが、それよりも安全に全自動走行する自動車を創る方に全精力を傾けるべきではないか。同時に生鮮性向上と併せて実現すれば、後進国の国民にも売り込めるだろう。全自動運転車の開発こそがIT社会の到来と呼ぶべき政策ではないか。チマチマとした政府発行カードに国民の個人情報をすべて一元管理しようと画策することがIT化政策ではない。それは愚かな監視・管理社会化政策だ。

 最後に異次元金融緩和というが貨幣流通量は決して増えてないことを再認識して頂きたい。なぜ日銀が増刷しても貨幣流通量が増えないのか、それは銀行の貸付残が増えていないからだ。つまり紙幣を発行しているのは日銀だけでないからだ。銀行が企業や個人に貸し付ける行為によりペン・マネーを発行していることを忘れてはならない。
 バブル崩壊時に政府は日銀に金融引き締めを促すと同時に、全国の金融機関に「総量規制」を行ったことを覚えているだろうか。日銀と同時に市中銀行の貨幣発行を停止させたから、バブルがハードランディングしたのだ。あの時に金融政策に関与していた竹中氏は当時から誤っていた。

 いやハードランディングさせて金融機関を負債超過にして破綻させ、公的資金を注込んで再生させて外資に売り飛ばした。そうした手口も忘れてはならない。彼らは今も政府内部の委員会に巣食っている。
 岸田氏も同じ穴の狢だ。自公政権が続く限り、日本経済は成長路線を歩まない。衰退の一途を辿り、体力のない中小企業が音を上げるのを待って外資に売り飛ばそうとしている。そうした動きにアトキンソン氏たちが出ている。高齢化し少子化するから経済成長できない、という論理は人口大国のインド産綿製品を、島国英国産の綿製品が駆逐した「産業革命」の歴史を知らない者の妄言だ。生産性の向上こそが経済成長をもたらす。それと新規需要の開拓を常に忘れないことだ。そうすれば少子高齢化の日本の未来を少しも悲観することはない。

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