赤化する前段階は社会秩序の混乱だ。つまり「古き良き」価値観を全否定することだ。

<米中西部ウィスコンシン州で昨夏、「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事だ、BLM)」デモの参加者3人を銃撃して死傷させたとして、殺人罪などに問われた白人のカイル・リッテンハウス被告(18)の無罪評決を受け、米国各地で抗議デモが相次いだ。

 AP通信によると、米西部のオレゴン州ポートランド市では19日夜、約200人が中心街の通りを封鎖して抗議デモを行い、一部の参加者が同市関連施設のドアや窓を破壊。駆けつけた警察官にモノを投げつけるなど暴徒化した。
 カリフォルニア州オークランド市やイリノイ州シカゴ市でも抗議デモがあり、評決への不満を訴える動きが全米に拡大する可能性がある。ニューヨーク市のビル・デブラシオ市長はツイッターで「おぞましい評決だ」と批判した>(以上「毎日新聞」より引用)



 「事件は昨年8月、同州ケノーシャで発生。黒人男性が背後から警官に複数回撃たれた別の事件を受け、現場では抗議デモに乗じた放火や暴動が起きていた。カイル・リッテンハウス被告は路上で「自警団」のような活動をする中、半自動ライフル銃で3人の白人を撃ったとして、殺人など五つの罪で起訴された」というものだ。
 「亡くなった2人は武器を持っていなかったが、弁護側は、1人には路上で追いかけられて銃を奪われそうになり、もう1人にはスケートボードで首を殴られたと強調。重傷を負った1人についても銃口を向けられたとして、いずれも「正当防衛」を主張していた」と他紙は具体的に伝えている。

 米国の行き過ぎた人権活動は暴動と紙一重だ。なぜ平和で静かなデモ活動が出来ないのだろうか。しかも米国社会は銃社会だ。一般市民が銃を所有する、という日本では考えられない社会だ。
 誰でも銃口を向けられたら「撃たなければ撃たれる」という恐怖感は常にあるだろう。しかも暴徒が荒れ狂っている現場で暴徒に襲われ、被告が引鉄を引いたとしてもそれは「正当防衛」だ。

 米国は明らかに赤化している。社会を混乱に陥れて、その隙に社会構造を変えようとする左派が盛んに活動している。彼らの活動資金は何処から来ているのか。BLMだけではない。米国の極端なジェンダーフリーも馬鹿げた段階に達している。
 この夏の東京オリンピックに性転換したニュージーランドの元男性が女性選手として重量挙げに登場したのには驚いたが、オリンピック委員会が女性選手として参加するのを認めた事にも驚いた。さらにバイデン大統領が性転換した元男性が女性トイレを使っても良い、と何かの機会で発言したと記事で読んだ時には天を仰いだ。米国は一体どうなってしまったのだろうか、と。

 性差別は断じて行ってはならないが、性に男女の相違があることは自然の摂理だ。そうした性異があることによって人は存在している。生物としての性異の存在を否定してはならない。
 世間にはジェンダーに苦しむ者がいるのは確かかも知れない。死を選ぶよりも性転換の道を開くことは人として生きることの最大限の譲歩だろう。しかし性転換したことを既成事実として、さらなる人権を主張するのは「望外」ではないか。

 「カイル・リッテンハウス被告(18)の無罪評決を受け、カリフォルニア州オークランド市やイリノイ州シカゴ市でも抗議デモがあり、評決への不満を訴える動きが全米に拡大する可能性がある。ニューヨーク市のビル・デブラシオ市長はツイッターで「おぞましい評決だ」と批判した」という。ビル・デブラシオ市長はNY市で黒人暴動が起きた際に警察官に「暴徒に銃を向けるな」と命じるのだろうか。
 警察予算を減額し、警察官を大幅に削減したカリフォルニア州などで凶悪犯罪が多発しているという。社会秩序を守り善良な市民として暮らしている多くの米国民を守るために、警察官や自警団が暴徒に立ち向かうのを「犯罪」だとすれば、社会秩序が乱れるのは当たり前だ。しかも米国は銃社会だ。誰もが銃で撃たれる危険性と隣り合わせに暮らしている。緊張を強いられる社会で「安全な暴動」などあり得ない。暴徒に参加する者たちも撃たれることを覚悟すべきではないか。

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