選挙へ行こう。

<岸田文雄首相が、自由民主党総裁選の選挙戦中から掲げるキャッチフレーズである「新しい資本主義」が、なんとも「気持ち悪い」。心情としては「キモい!」と叫びたいくらいだ。筆者がそう感じるさまざまな理由をお伝えしたい。(経済評論家、楽天証券経済研究所客員研究員 山崎 元) 

● 岸田首相の得体が知れない思い込み 日本に「新自由主義」のレッテル貼
 いい年をした書き手(筆者自身のことだ)が、記事の文章で「キモい!」というカジュアルな言葉を使うのはいかがなものかとも思う。であるのだが、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」に対する気持ち悪さは、「気持ちが悪く思えます」といったゆっくりしたテンポではなく、「キモい!」と、最短の秒数でこの気味の悪さを伝えたい。  気持ちの悪さには複数の要因があるのだが、一番不気味なのは、「新しい資本主義」という言葉を唱えている本人が、その内容を分かっていないのではないかと思われることだ。しかも、その当の人物が、わが国の首相なのだ。国民は不安になる。  岸田氏は、新しい資本主義について、さまざまに表現してきたが、まず、言っていることが意味不明だし、次には、言っている内容がブレている。つまりは、何をしようとしているのかが分からない。しかし、やみくもに何かを変えようとしている。

 岸田氏は、例えば、「新自由主義からの転換」という言葉を使った。しかし、日本はいつ新自由主義になったのか。「転換」という言葉を使うからには、彼の認識では、現状は新自由主義なのだろう。  しかし、たかだか郵政民営化くらいのプロジェクトが中途で挫折してぐずぐずになるような、利権維持と非効率性の中で漂うこの国の一体どこが新自由主義なのか。電波オークションもなければ、農地の株式会社保有さえ実現しない。  このような日本に「新自由主義」というレッテル貼りをして、意見を言ったような気分になることができる精神構造を、不気味だと思わないことは難しい。しかも、彼は左派政党の党首ではなくて、自由民主党の総裁なのだ。 

● 「新しい資本主義実現会議」は 中身がないと断言できる根拠 
 岸田氏が、「新しい資本主義」について確たる具体的な内容を持っていなかったことは、「新しい資本主義実現会議」という何とも奇妙な有識者会議が、総選挙を前にした内閣府の下に設立されたことに如実に表れている。  内閣府が10月15日に発表した文書を見ると、会議の開催について、「新しい資本主義実現本部の下、『成長と分配の好循環』と『コロナ後の新しい社会の開拓』をコンセプトとした新しい資本主義を実現していくため、それに向けたビジョンを示し、その具体化を進めるため、新しい資本主義実現会議を開催する」とある。  中身が何もないので、「それに向けたビジョン」などという、この種の文章としては世にも情けない言葉を使う以外に書きようがなかったのだろう。 

● 成長と分配の好循環を「これから検討」 それでは絶望的に中身がない 
 そもそも、「新しい資本主義」などという偉そうな言葉を使う以上、そのビジョンは言っている本人が明確に提示して方向性を示すべきだ。「成長と分配の好循環」にも「コロナ後の新しい社会の開拓」にも、願望はあっても中身がない。 
 「成長と分配の好循環」は与党も野党も望んでいることであり、「どう実現しようとするのか」を論じる以外にお互いを区別するポイントはない。それをこれから有識者会議で検討しようというのだから、岸田首相自身には絶望的なまでに中身がない。

 また、今後の社会が、「コロナが起こってからの社会」であることは間違いないのだが、「新しい社会の開拓」とだけ言われても、現状の社会を否定する意味しかない。 
 会議に参加する有識者さんたちは、推察するに「何かお役に立てたらいい」というくらいの善意から参加されるのだろうが、会議自体が時間と手間の無駄になるだろうと予想する。有識者さんたちにとって指名を受けたことは不名誉ではないだろうから、会議自体の存在はいいとするとしよう。 
 それにしても(この種の会議の出席謝礼は極めて安いので、お金はそれほど無駄になってはいまい)、サラリーマンの立場から推察して何とも気の毒でならないのは、会議の事務局を務める官僚さんたちだ。このような無意味な会議の成果をどのように着地させるといいのか、想像しただけで目が回りそうになる。 

● 財務次官の「バラマキ合戦」批判で 緊縮財政へ傾斜しないかが当面の心配 
 岸田氏が中身を十分把握せずに、思いつきか言葉の勢いで「新しい資本主義」という言葉を唱えたことは、まあいいとしよう。わが国の政治家にはよくあることだ。岸田氏の症状はかなり重いとは思うが、「ネクタイを締めた、しゃべる空箱」のような政治家は与野党を問わず少なくない。 
 気持ちが悪いのは、「新しい資本主義」を唱える岸田氏が、現状の経済政策の何を変えようとしているのかが分からないことだ。少なくとも何かを変えなければ「新しい」とは言えないのだから、彼は何かをしようとしているらしい。  首相就任前に強調していた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)は、一転して当面封印するようだ。封印自体は結果的に正しいのだが、これだけ簡単に意見が変わると有権者は、衆議院選挙で岸田総裁の自民党に何を期待して投票したらいいのかが分からなくなる。 
 当面の心配は緊縮財政への傾斜だ。次の衆議院選挙を経ても、おそらく岸田氏が首相だろうが、政治家が掲げる政策を「バラマキ合戦」と批判した財務官僚のような人に感化されて、プライマリーバランス(基礎的財政収支)の目標にこだわるような愚策に陥ることが心配だ。  何が「新自由主義」なのかも、たぶん「資本主義」が何のことなのかも分かっていない首相が、立派に聞こえる言葉の響きだけで「プライマリーバランス」や「財政再建」に共感する心配が大いにある。しかし、これらは、現在こだわるべき概念ではない。

 岸田首相への最大の不安は金融政策 23年の日銀正副総裁の人事は心もとない 
 もっと大きな心配は、金融政策に対する影響だ。岸田首相が、これまでの日本銀行の金融緩和政策を「古い資本主義」だと認識して、変えようとする心配がある。2023年の3月に予定されている日銀の正副総裁の人事を、資本主義の何たるかを分かっていない岸田首相が、「人の話をよく聞いて」、つまり周囲の誰かに影響されて決めるのだとすると、何とも心もとない。 
 中身がないのに「新しい何々」と言いたがることの他に、「人の話を聞くのが得意だ」と自称する性格的特性も国民を不安にさせる。他人に影響されやすいということだからだ。岸田氏は、リーダーには最も不向きなキャラクターなのではないだろうか。 
 ただし、岸田首相に対する不安と同時に、野党に対する心配も述べておくのがフェアだろう。例えば、岸田氏が捨てた金融所得課税の見直し(=税率引き上げ)を、いまだに格差対策の政策として掲げる立憲民主党には、岸田氏の「新しい資本主義」の気持ち悪さとはまた別の、「反資本主義」の不気味さがある。 

● 与野党の党首討論会で考える 「バラマキ合戦」の優劣 
 衆議院選挙の日程が決まり、各党の経済政策が発表されている。財務次官が「バラマキ合戦」と呼ぶ部分について、18日に日本記者クラブで行われた各党党首の討論会をベースに整理すると、以下の通りだ(「日本経済新聞」10月19日朝刊を参照)。  
・自民党:数十兆円の対策とだけ言っていて、何に使うのかを提示しない 
・公明党:高校3年生までの子どもに10万円の給付を行うと言っている 
・立憲民主党:1000万円程度までの所得の人への所得税免除と、低所得者への12万円給付、加えて消費税率の時限的な5%への引き下げ 
・共産党:減収した人に10万円の給付と、消費税率の5%への引き下げ ・日本維新の会:消費税率を2年間を目安に5%へ引き下げと、年金保険料をゼロに 
・国民民主党:一律10万円の給付と、低所得者には追加で10万円の現金給付。さらに経済回復まで消費税率を5%に 
・れいわ新選組:消費税廃止と毎月一人20万円給付 
・社民党:3年間消費税ゼロと10万円の特別給付金 
・NHKと裁判してる党弁護士法72条違反で(NHK党):10万円以上相当の期限付き電子マネーの給付

 まず岸田氏の自民党は、政権党だけに言質を与えたくないということなのかもしれないが、具体案を示さないのはよくない。これで首相が岸田氏では、心配かつ不気味だ。
  野党各党が主張する現金給付については、所得制限を設けようとすると手間が掛かるし、国民の経済行動がゆがむ(例えば一時的に所得を抑えようとするなど)副作用がある点に注意が必要だ。 
 また給付金は、生活への支援や国民の安心感の上でも、1回限りのものよりも継続的に効果のある形のものがいい。 

● 日本維新の会が挙げた 「年金保険料の無料化」を推す理由 
 最も筋が良いと思うのは、日本維新の会が挙げた、年金保険料の無料化だ(基礎年金部分の完全税負担化という意味だろう)。富の再分配効果と行政効率化(例えば、国民年金保険料の徴収が要らなくなる)の効果が大きい。低所得者・現役世代への効果が大きく、所得税率の高い人への効果が小さいし、将来はこの財源となる税金の負担を通じて、それなりに大きな「再分配」の流れができる。 
 増税には、超富裕層に対する所得税の累進税率の引き上げと、広く薄く課税するような資産課税の強化がいい。投資の利益への課税を狙った金融所得課税の見直しは、リスクマネー供給を阻害するのでよくない。 
 なお、国民年金保険料のような「一律の負担」が低所得者に厳しく、極めて逆進的であることの解決には、財源を税金にすることが優れている。この点では、NHK党あたりがNHK受信料の税負担化を主張しないのは少し不思議だ。 
 もっとも、低所得層でテレビを持たなかったり、受信料は不払いだったりする人が多ければ、「再分配」の効果はそれほど大きくないかもしれない。それでも、受信料徴収のコストが回避できて、国民の費用負担がより公平になる(税制全体が公平だとして)ことの効果は小さくあるまい。 
 野党が足並みをそろえつつある消費税率の引き下げは、それ自体の効果として悪くない。ただ、時限的なものだと税率変更を巡る買い控えや消費の集中など、税率変更の際に起こる混乱が気になる。 
 筆者なら、消費税率はそのままに、基礎年金を全額国庫負担にする方を採りたい。再分配の効果が大きいし、世の中の事務作業が増える消費税率の変更よりも、公的年金にかける手間が減る点で「年金保険料ゼロ」はいい。 
 岸田首相に、「良いバラマキ」と「悪いバラマキ」を見分ける眼力があるとは思えないが、経済政策の中身はどの道まだ決まっていないのだろうから、「年金保険料ゼロ」をぜひお勧めしたい>(以上「DIAMOND」より引用)




 引用した山崎 元氏の論評は実に歯切れが良い。山崎氏の分析も一理あるが、今回の総選挙は二つの意味で重要だ。その一つは安倍-菅政権9年間の総決算で、残り一つは30年に及ぶデフレ経済からの脱却だ。ことに最近の20年間の格差拡大と貧困化は目を覆うばかりだ。
 さらに安倍-菅政権は日本の官僚制度を私物化した。まさに政治や官僚制度が極端に腐敗した9年間だった。この間に起きた数々の「疑惑」は、以前ならその一つでも起きれば内閣がブッ飛んでもおかしくないものだった。

 自公政権下の「構造改革」政治で、日本は破壊されバラ売りされてしまった。まず労働界が非正規社員の大幅導入で経営者と闘う気力を失い、実質労働賃金の引き下げに抗する術もなかった。
 主要穀物の種子までも海外に売り渡し、地方自治体の水道事業までも民間企業に売り渡す法整備を行った。しかし官僚たちの民営化の実態がいかなるものか、国民はコロナ騒動やオリンピック騒動で知った。それは「丸投げ外注」という、利権屋たちとギッチリ握手した政治家や官僚たちの姿だった。

 官が調達する際の原理原則とされている「入札制度」は何処へ行ってしまったのだろうか。ガラス張りが繰り返し叫ばれて来た「官-民」関係は決してガラス張りになっていないことが明らかになった。
 ただ今回の選挙で野党連合が消費減税5%を提起したのは大きな進歩だ。デフレ経済から脱出して経済成長を実現する手立てについて、政治家が選挙で語るのは三十年ぶりではないか。政界で大きな変化が起きようとしている。

 与党の自公は相変わらず財政均衡論から出ていないし、新自由主義「構造改革」から決別するといいながらも、構造改革論にドップリと漬かった人々を「新しい資本主義会議委員」に招聘している。岸田氏は新自由主義が何たるかをお解りでないようだ。そのことは引用した論評で山崎氏が痛罵されている。
 ただ消費税廃止ではなく、山崎氏は「消費税はそのまま」で良いとされている点は賛成できない。消費税はいわば「消費に対する罰金」だ。消費すれば税を取る、というのでは消費マインドが冷えざるを得ない。消費こそが経済を回す原動力だということを忘れてはならない。

 選挙当日を迎えて、国民・有権者がこぞって投票へ出掛けることを願う。民主主義の原点は選挙だ、ということを忘れてはならない。投票へ行かなかった者は次の選挙まで政治を批判する資格はない。なぜなら自ら政治の主役たる権利を放棄したからだ。権利を放棄した者が放棄した政治を語るのは論理矛盾だ。
 投票に値する候補者ばいない、という声をよく聞くが、これほど不遜な言葉はない。候補者はそれぞれ各自の人生を賭けて戦っている。選挙を傍観して投票する候補がいないと批判するくらいなら、なぜ自ら立候補しない。立候補もしないで候補者を批判するとは何事だろうか。与野党とも候補者は必至だろうが、国民の政治不信を一掃するには政権交代しかない。まずは政権交代して、政権という重い蓋で覆い隠してきたすべてを白日の下に晒そうではないか。

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