常識は時代とともに変わるし、また変わらなければならない。

< 米ニューヨーク市公共デザイン委員会は18日、市議会議事堂から「建国の父」のひとりであるトマス・ジェファーソンの像を撤去する決定を下した。移設を求める20年来の取り組みが成功裏に終わることになった。

 同市が収蔵するパブリックアート作品を管轄する公共デザイン委員会は同日、「黒人・ラテン系・アジア系市議会議員団」の要請を受けて採決を行い、賛成8票、反対0票でジェファーソン像が移設されることになった。
 市議会のイネス・バロン議員は同日、公共デザイン委員会に対し、ニューヨーク歴史協会が運営する博物館にこの像を移設するという提案は、市議会議員による20年来の努力が実を結ぶものだと語った。

 ジェファーソン像の歴史は、ダビッド・ダンジェによって制作された1833年にまでさかのぼり、1915年からは市議会議事堂の一角に設置されていた。
 バロン議員は、米国建国の父であり、かつ奴隷の所有主だったジェファーソンの像について、統治のためにニューヨーク市民が集まる場には不適切なものだと指摘。
 バロン議員は「我々は歴史修正主義者ではない。我々は歴史に関する戦争に従事しているのではない」とし、「我々はきちんと総合的に話が物語られるようにしたいと訴えているのだ」と述べた。

 先の議員団で共同議長を務めるエイドリアン・アダムズ議員は委員会での説明の際、「トマス・ジェファーソンは600人超の奴隷の所有主だった」と指摘。「私のような外見の人間は本質的に劣っており、知性に欠け、自由や権利に値しないと根っから信じていた奴隷主に敬意を表する像が置かれている場所に座っていると考えると、私は非常に落ち着かない気持ちになる」と述べていた>(以上「CNN」より引用)



 トーマス・ジェファーソンといえば独立戦争を戦い「アメリカ独立宣言」の起草者の一人で、後に第3代アメリカ合衆国大統領になった有名な政治家だと日本人でも知っている。その人物像を米ニューヨーク市議会議事堂から撤去する決定を下したという。
 理由はジェファーソン氏が奴隷の所有主だったからだという。それは本当に正しい判断なのだろうか。歴史に対する冒涜ではないだろうか。

 私たちは米国の独立宣言に表現された崇高な精神を知っている。「すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.いかなる形態であれ政府がこれらの目的にとって破壊的となるときには,それを改めまたは廃止し,新たな政府を設立し,人民にとってその安全と幸福をもたらすのに最もふさわしいと思える仕方でその政府の基礎を据え,その権力を組織することは,人民の権利である・・・・」と続くものだ。
 ジェファーソン氏が生きていた時代は「奴隷制度」が認められていた。それはギリシャ・ローマ時代からも、それ以前からもそうだった。そして欧米列強が植民地を放棄したのは数十年前のことだ。先進国として欧米が歴史的な佇まいの文化的な街並みを有しているのも植民地から収奪した富が礎となっている。

 奴隷制度や植民地主義が良かったと肯定しているのではない。ただ「歴史を現代の常識で裁いてはならない」という真理を述べているだけだ。ローマ時代の「市民」といえば「ローマ市民」だけに限定され、被征服者の奴隷たちは員数に入っていなかった。イギリスの市民革命も奴隷を除く「ロンドン市民」のことだ。
 米国第16代大統領リンカーンによる「奴隷解放宣言」が発令されるまで、米国人奴隷を使役していたとしても、当時の常識では何ら「人権侵害」には当たらない。それが当時の常識だった。米国三代大統領トマス・ジェファーソン氏の業績を「奴隷を所有していたから」という理由で否定するのは愚かなことだ。人類史は一歩一歩全人類平等の実現へと歩んで来たし、今も歩みを続けている。

 ただ現代の「平等」は多少行き過ぎている。男女差別はあってはならないが、男女の「性差」が存在するのは厳然たる事実だ。男女という異なる「性」の存在が人としてのあり方の大前提だ。「性差」を否定するのは人の存在を否定するのと変わらない。それこそ「性差」を否定するのは「神の領域」に手を突っ込むことで、「生物としての人類」の思い上がりではないだろうか。
 それぞれの時代の社会は、それぞれの「時代の空気」が支配する。それが正しいとか正しくないとか考察する前に、誰かによって醸成された「時代の空気」が他の意見を退ける。現代ではCO2温暖化説とそれに連なる「脱炭素社会」という、人類の生存に欠かせない炭素を排除する、という集団ヒステリーとしか思えない症状を人類は呈している。

 さらにガソリンエンジン車よりも電気モーター車の方がCO2を排出しないクリーンエネルギーだと倒錯した思想が蔓延している。なぜ高校生程度の知能なら理解できる「第一次エネルギーの方が第二次エネルギーよりも熱効率が良い」という真理を否定する策動が全世界的に肯定されているのだろうか。
 だから現代の「常識」で歴史を裁いてはならない。現代を生きる誰がトーマス・ジェファーソン氏よりも崇高な理念を有しているというのだろうか。彼らが米国を建国した。その業績を称えないで、「奴隷を所有していた」という当時の常識に従っただけのトーマス・ジェファーソン氏の像を市議会から撤去するとは何事だろうか。いつから現代人は歴史を裁けるほど思い上がってしまったのだろうか。多数決で決めれば何でもできる、のが自由で民主的な社会ではない。それこそ衆愚政治というものだ。

 歴史を前にして、人類は謙虚でなければならない。先人たちの歩みがあってこそ、今を生きる私たちは現代社会の自由と民主の恩恵に浴している。そのことを忘れてはならない。常識は時代とともに変わるし、また変わらなければならない。

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