すべての労働者を正規とすべきだ。

ピケティが火をつけた格差論
 2000年代に入り、所得格差の拡大が多く指摘されてきました。これまで格差の問題はイノベーションとはやや切り離して考えられてきたことが多かったのですが、最近では、格差の原因がイノベーションではないかと議論され始めています。

 格差について、世界的に大きな関心を集めたきっかけは、パリ・スクール・オブ・エコノミックスのトマ・ピケティが著した『21世紀の資本』でしょう。ピケティは高額所得者の所得の分布の推移を分析し、1980年代以降、アメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアなどで高所得者に所得が集中する割合が高まっていることを示しました。この傾向は国ごとに若干の違いはあるものの、ヨーロッパやアジアの国でも見られています。

 この本が世界的に大ヒットした背景には、格差が広がっているという実感があったのではないでしょうか。また、格差の原因が「資本収益率>経済成長率」というとても分かりやすい1つの式で説明されているという明快さもありました。

格差の原因はイノベーションなのか
 これに対して、格差の原因はイノベーションにあるのではないかという見方が、特にアメリカの大学で広がっています。多くの研究者が、仕事の二極化が起こっていることを指摘しています。つまり、高スキルの職と低スキルの職に就く人が増える一方で、中程度のスキルの職が少なくなってきているというのです。

 実際、アメリカにおいては、中程度のスキルの職務がオフショアリングにより海外に移転されたり、ルーティン化されることにより、減ってきているのです。
 マサチューセッツ工科大学のデイビッド・オーターらは、この二極化の原因が新しい技術にあると指摘しています。中程度のスキルの仕事が、新しい技術に代替されているのです。
 また、同大学のアセモグルらの分析により、学歴による所得格差が拡大していることも分かっています。中学卒業や高校卒業、あるいは大学卒業の人の所得はほとんど伸びていない一方で、大学院卒の人の所得だけが着実に伸びているのです。

日本で進む「低所得層のさらなる低所得化」
 ピケティらの分析では、日本も世界的な傾向と同じように富裕層への富の集中が緩やかに見られます。しかし、丁寧にデータを分析してみると、実際には日本は世界的な傾向とはやや違う動きをしていることが分かります。
 この分析を進めているのが、一橋大学の経済研究所の森口千晶さんです。世界的にも高く評価されている経済史家です。森口さんの分析によれば、まず日本は戦前には高額所得者への所得の集中が極めて高い格差社会であったのに対して、戦後、その格差は小さくなり、そのまま安定していったことが分かっています。「一億総中流社会」の様相が強くなったのは戦後の話です。

 さらに、ここからが重要です。多くの国で高額所得者への富の集中が起こっている一方で、日本ではその傾向はそれほど顕著ではないのです。特に、トップ0.1%の高額所得者への所得の集中度を見ると、アメリカなどでは1980年代以降に高まっているのに対して、日本ではそれは見られません。
 日本のトップ0.1%の高額所得者への富の集中は戦後一貫して2%程度で推移しているのに対して、アメリカの場合は、日本と同じ2%程度であったものが、1980年代から上昇し、8%台にまでなっているのです。

しかし、1990年代以降、日本でも格差が広がっているという指摘がたびたびなされています。なぜでしょう。じつは日本では、ピケティが示したように高額所得者への富の集中が起こったのではなく、むしろ低所得層のさらなる低所得化が進行していったのです。この点が国際的に見ても特徴的であると森口さんは指摘しています。

なぜ日本で「低所得化」が進んだのか
 なぜ日本では低所得化が進んだのでしょう。これにはいろいろな要因が複雑に絡んでいるので、慎重に考えていく必要があります。
 たとえば、低所得化の査証としてよく取り上げられる数字は、1世帯あたりの所得です。戦後安定的に増加してきた1世帯あたりの平均所得は、1995年には659万円になりました。しかし、それが、2010年には538万円になっているのです。確かに、貧しくなっているように見えます。
 しかし、世帯あたりの所得の減少は、単純に世帯数が増えていることを反映しているのかもしれません。親子3人が一緒に暮らす世帯を例に考えてみましょう。それまで学生だった子どもが就職しても、落ち着くまではしばらく一緒に暮らしていたとします。子どもの年収が300万円で、親の年収が700万円であったとすれば、この世帯の年収は1000万円になります。

 ここで子どもが社会人生活が落ち着いてきたので、親元を離れて独立したらどうなるでしょうか。世帯の数は1から2に増えて、世帯の年収の平均は500万円に下がるのです。子どもと親の所得に変化がなかったとしても、世帯数が増加し、世帯における稼ぎ手の数が減ると、1世帯あたりの所得は減るのです。
 子どもが親から独立して、自分の世帯を築くということは、社会が豊かであるからこそできることです。実際に、日本の世帯数は増加し、1世帯あたりの人数も減少しています。1世帯あたりの所得が減ってきているということだけを見て、日本は貧しくなってきているとは結論付けられないのです。これは、大阪大学の大竹文雄さんが分かりやすく指摘しています。

 さらに、格差の広がりは、人口の高齢化とも無関係ではありません。一般的には、所得の差は歳をとるごとに増えていきます。大学を卒業したばかりでは、友人とはそれほど大きな所得の差はないでしょう。しかし、10年、20年、30年と時間が経過していく中で、その人の能力や働いている会社や産業の状況によって、徐々に差が大きくなってくるものです。人口構成が少子高齢化するにつれて、格差が開いてくるのは当然とも言えるのです。

なぜ日本で貧困層が増えたのか
 このように日本の格差拡大と低所得化は、複合的な要因が重なって起きています。しかし、それらを勘案したとしても、日本ではピケティが示したように高額所得者への富の集中が起こっているのではなく、低所得層のさらなる低所得化が進行しているのは間違いないようです。
 たとえば、日本の相対的貧困率を年齢別に見ると、1985年から男女ともほぼ全ての年齢層で上昇しています。特に2000年代に入ってからは、若年層で顕著な上昇が見られます。
 なぜ、貧困層が増えてきたのでしょうか。これは、非正規労働や派遣労働が増えてきたことが大きく関係していると言われています(非正規労働と派遣労働は、厳密には異なるものですが、一般的にはまとめられて議論されています)。

 慶應義塾大学の石井加代子さんらは、非正規労働で貧困層が多くなっていることを指摘しています。彼女らの「日本家計パネル調査」を使った分析では、世帯主が非正規労働に就いている世帯が貧困世帯全体の54%を占めていたことが分かっています。
 森口さんも、これまで標準的だった「男性が正規雇用として働き、女性が専業主婦」という世帯が成立する範囲が小さくなり、非正規の職業に就く人が多くなった結果として、低所得化が進んだと指摘しています。

「調整弁」となった非正規雇用
 なぜ日本は国際的なパターンと違う傾向になっているのでしょう。そもそも、なぜ非正規雇用や派遣労働が拡大してきたのでしょうか。
 非正規雇用や派遣労働が増えた理由として、働く女性が増えてきたということはしばしば指摘されています。たしかに、出産や育児などを経て、女性が職場に復帰する際に、時間的な柔軟性がある非正規雇用を選ぶということはあるでしょう。さらに、時間的な柔軟性がある働き方を求める人も増えてきたのかもしれません。しかし、それら労働者側の変化だけでは、非正規雇用の増加の大部分は説明できないのです。
 より大きな要因となっているのは、むしろ企業側の変化です。企業は社員にこれまでのような賞与や退職金などの給付や職務の充実を提供できる余裕がなくなってくると、人員の補充時に正規労働ではなく、派遣労働者を採用していったのです。

 厚生労働省は、実態を把握するために企業に有期労働契約に関する調査を行っています。「平成23年有期労働契約に関する実態調査票」を見てみましょう。なぜ有期契約労働者を雇用しているのかについての理由として最も多いのは、「業務量の中長期的な変動に対応するため」で、47.7%の企業がそう答えています。それに、「人件費(賃金、福利厚生等)を低く抑えるため」「業務量の急激な変動に際して雇用調整ができるようにするため」と続きます。
 実際に、企業が雇用の調整弁として非正規雇用や派遣労働を使っている側面が明らかになったのが、2008年のリーマン・ショックの時です。前述のように、2008年からは非正規雇用全体が減っています。これは、リーマン・ショックにおいて必要になった雇用調整を、企業が非正規労働の雇い止めを行った結果です。

「日本的経営」が格差の拡大を招いた
 こうしてみてみると、日本での格差の広がりは、イノベーションの結果として仕事の二極化が進んだというよりも、これまでの「日本的経営」と言われるやり方を守ろうとするために、非正規雇用を導入してきた結果だと言えそうです。
 1990年代後半から2000年代にかけて、一部の経営者から「長期的な雇用慣行を特徴とする日本的経営を守るべき」という力強い声が聞こえてきました。短期的な収益よりも、雇用を守り、これまで強みを発揮してきた日本的経営を持続させることが重要であるという主張です。

 また日本の経営学者の間でも、日本的経営を守るべきなのか、それとも時代に合わせて変えていくべきなのかという論争が盛んになされていました。しかし、結局アカデミックな結論は出されることはありませんでした。そもそも「べき」論なので、なかなか議論が噛み合わず、実証的な議論の上で決着をつけることが難しかったのです。
 ただ、議論上はともかく、行動上の決着は明らかでした。データから見る限り、ビジネス界で実際に起こっていたのは、正規社員の雇用はできるだけ守りつつ、その調整を非正規雇用や派遣労働を導入することで行っていたのです。

一部の正規雇用を守るための大きな代償
 また最近になって、非正規雇用は企業にとって雇用の調整弁であるだけでなく、さらに都合の良い雇用形態になっていることを示す分析がでてきています。非正規労働者が社内においてなくてはならない基幹的な労働力になってきているというのです。以前は、パートやアルバイトといった非正規労働者は、基幹業務ではなく、より単純化された周辺業務を行うことがほとんどでした。しかし、正規労働者と、同じような裁量を与えられて、同じような仕事に従事している非正規労働者がでてきているのです。
 仕事面ではほとんど変わらない基幹的な仕事をしているのにもかかわらず、両者には給与などの処遇面で大きな差があります。教育水準、あるいは職種などの属性をコントロールしたとしても、有期雇用の契約社員の場合は男性でおおよそ15~20%程度、女性の場合は10~30%程度給与が低いことが分かっています。

 慶應義塾大学の鶴光太郎さんは、このような不合理な所得上の格差は、非正規雇用であるという理由で生まれる「象徴」的な処遇の差だと捉えています。日本企業が日本的経営を守る(実際にはその一部の構成要素である正規雇用を守る)ために導入を進めた非正規労働ですが、今では彼・彼女らに支えられていないと社内の仕事が回らないようになってきているのです。
 日本の格差は、イノベーションによって正規雇用が破壊されないように、「日本的経営」が適応される範囲を縮小した結果という可能性がありそうです。この点は、今後、精緻な実証研究が必要なところでしょう>(以上「PRESIDENT」より引用)



 少し長いがPRESIDENTに掲載された清水 洋氏(早稲田大学商学学術院 教授)の「「正社員を守るため非正規が犠牲になった」多くの日本人が貧困に転落した"本当の理由"」と題する論評を掲載させて頂いた。
 いよいよ今日(10/13)衆議院が解散されるようだが、今月末に実施される投開票で問われる最大の与野党争点はコロナ対策を除けば「経済政策」であることは疑いない。それも「いかにして貧困化から脱却するか」という処方箋を競うことになるだろう。

 清水氏の論評を一読されればか分かりだろうが、論評の要旨は「正規社員の雇用を守るために非正規が調整弁として使い捨てられた」とする一点に集約されている。それは事実だろうが、問題は非正規を日本に導入した人々の思惑だ。
 新自由主義者たちと呼ばれる竹中氏たちが目論んだ「構造改革」は世界的なグローバル化への合流だった。日本独特の雇用慣行形態である「終身雇用制」と賃金の「年功序列」を破壊するのが、彼ら新自由主義者たちの主眼点だった。

 新自由主義者たちにとって我慢ならないのは能力のない(と判断される)人たちも同期とおよそ同じ賃金を手にしている事だった。しかも新人の有能な労働者より、長年勤務しているというだけで高い賃金を得ていることに気が狂いそうだった。
 だから新自由主義者たちは「競争原理」と「自己責任」を雇用形態に持ち込もうとした。その際、邪魔になるのが「派遣労働者」を禁じている派遣業法だった。派遣業法を野放図に緩和して、非正規社員を多くすれば新自由主義的な実力社会が実現する、と彼らは信仰に近い信念を持っている。

 しかし正規社員と非正規社員の間にそれほど実力に大きな差があるとは思えない。日本の教育は極めて均一的・等質的だ。およそ全国一律のカリキュラムと、およそ同じ教科書を用いて、およそ同一水準の教師が教えている。従って卒業する学生もそれほど教育水準に大きな差異があるとはいえない。もちろん一握りの旧帝大系や有名私立大学は偏差値が高いとされているが、研究所など特殊な職場を除いて、実社会で偏差値がどれほどモノを云うというのだろうか。
 清水氏は「「日本的経営」が格差拡大を招いた」という章を設けているが、その章で言っているのは「家族的経営」が問題なのではなく、労働力の調節弁として非正規が利用された、という話だ。だから「日本的経営」が格差拡大を招いたのではなく、「非正規労働者」という新労働者を創出した政治が格差拡大を招いたのだ。

 ピケティ氏はイノベーションが格差を招いたと分析しているが、それは少子社会を前提としない、労働人口が固定的な前提での論理だ。清水氏もピケティ氏の論に同調しているようだが、それは日本の労働者賃金格差の遠因には当たらない。
 日本では技術実習生と称する事実上の外国人労働移民を早い段階から実施している。それこそ究極的な非正規労働者ではないか。なぜ人手不足をイノベーションの原動力にしなかったのだろうか。高度経済成長は人手不足をイノベーションの原動力として労働の効率化と生産性向上が実現され、世界経済の旗手へと日本を押し上げた。

 しかし新自由主義者たちは経営者たちがイノベーションに汗を流すのではなく、グローバル化の流れに乗って、手軽に労働賃金の安い外国へ工場を海外移転させることで短期最大利益を手に入れた。経営者はイノベーションや合理化などで頭を悩ます必要はないため、そうした努力もしないうちに全く無能な経営者に堕してしまった。
 日本経済の30年に亘るデフレと労働者の貧困化は新自由主義の産物だ。彼らは安価な製品をイノベーションによる生産性の向上で手に入れるのではなく、海外の安い労働者を使うことで、つまり労働単価の切り下げで安い製品を手に入れて販売競争力を保持した。全く無能な経営者でも工場を海外移転させれば企業利益を拡大させられる、という魔法の杖を手にした。

 PRESISENTの読者の多くは経営者や管理職だ。彼らの耳に痛い論評は編集者によって排除されるのは理解できるが、無能な経営者たちを叱咤激励しないで企業の発展はない。清水氏も「仕事面ではほとんど変わらない基幹的な仕事をしているのにもかかわらず、両者には給与などの処遇面で大きな差があります。教育水準、あるいは職種などの属性をコントロールしたとしても、有期雇用の契約社員の場合は男性でおおよそ15~20%程度、女性の場合は10~30%程度給与が低いことが分かっています」と現状分析では正論を述べている。
 しかし結論では「日本の格差は、イノベーションによって正規雇用が破壊されないように、「日本的経営」が適応される範囲を縮小した結果という可能性がありそうです」と経営者を断じて批判しない姿勢を貫いている。しかし、そうではないだろう。経営者たちの人手不足を「便利な調節弁」として非正規を雇用している安易な経営姿勢こそが格差と貧困化を招いているのだ。政府も経済団体の番頭さんのように、人手不足を外国人労働者で埋め合わせようと法制定などしてはならない。人手不足はイノベーションで克服すべき、と経営者の尻を叩くべきだ。そしてイノベーション出来ない無能な経営者こそ職を辞すべきだ。

 日本はまさに新自由主義から決別しようとしている。今後は生産性向上なき企業は淘汰される。企業内イノベーションを可能にするのは企業への忠誠心と改善努力に全力で取り組む「正規社員」だ。派遣業法を旧に復して、非正規労働者を禁じなければ、日本の格差と貧困化は克服できないだろう。もちろん少子高齢化の最良の対策は経済成長と非正規労働の禁止だ。すべての労働者が正規社員であったかつての高度経済成長期がそれを証明している。

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