「kumage2003」は「分立法」制定への狼煙だ。

  平成大合併の嵐が過ぎ去ってから十余年が経過した。当初3,000以上あった市町村が1,000余りと減少した。それで地方自治体が良くなっただろうか。
 地方自治体の規模を大きくして、自治体を合理化して財政力を強くする、という謳い文句とは裏腹に、周辺町村は青息吐息が実態だ。大きくなった地方自治体の財政力は中心市にすべて吸収され、合併前までは百人以上の職員を擁する地域最大の「企業」だった町役場が消えて、町は閑散としてしまった。

 ヘソを無くした町や村は哀れなものだ。年間予算一般会計だけで五十億円ほどあった「企業」が消えれば、その地域が衰亡するのは、合併前から判っていたはずだ。しかし平成の大合併の謳い文句に踊らされて、町民や村民は「市民」になることに単純な憧れを抱いてしまった。
 しかも2015年に安倍自公政権は「コンパクトシティ構想」を打ち出した。コンパクトシティ構想とは「都市的土地利用の郊外への拡大を抑制すると同時に中心市街地の活性化が図られた、生活に必要な諸機能が近接した効率的で持続可能な都市、もしくはそれを目指した都市政策のことである」(以上「ウキペディア」より引用)。それにより周辺町村の過疎化が著しく進んだ。

 しかしそれがいかに地域振興に逆行する発想だったか。それがいかに地域を守って来た先人への裏切りだったか。限界集落が消滅集落へと移行している現実を目の前にして、悔いても遅過ぎる。なぜなら周辺町村の合併を推進した「合併促進法」は一方通行の「片道切符」だったからだ。
 合併促進法では各町村民の有権者の1/50の署名で「合併協議会の設置」を議会に求めることが出来、議会が過半数の議決により「法定合併協議会」を合併する市と設置して協議できるようになっていた。しかし合併が間違っていたと気付いても、その逆はかなり高いハードルが設けられている。地方自治法に定める「住民請求」による「分立を求める条例案の制定を求める」ことしか出来ない。この場合は合併した市の有権者数の1/50の署名が必要だし、合併した「市議会」の過半数の同意により「条例案」が可決される。そして可決した条例に従って住民投票が実施され、たとえ過半数の「賛成」を勝ち取ったとしても、議会の同意なくしては「分立」は出来ない。

 「合併促進法」と同一の権利を「分立」を求める住民にも与える「法の下の平等」が考慮されていたなら、「合併促進法」の「合併」を「分立」と読み替える「読替え規定」が用意されていなければならない。しかし「合併促進法」にはそうした「読替え規定」は何処をひっくり返しても用意されていない。
 つまり「合併促進法」は片道切符の法律だったわけだ。檻仕掛けのような法律に騙された、と周辺町村の住民の多くは臍を噛んでいる。何とかして旧・町村の住民の過半数で「合併協議会」の設置が求められ、旧町村の住民の過半数の賛成で分立協議会の設置が認められるようにして欲しい、と合併して町村を失った地域住民の多くは願っている。

 そうした声が集まって、地域住民の世話人たちが「分立法」の制定を求める全国ネットが作れないかと知恵を出し合った。そして出来上がったのが「kumage2003」という表題のホームページだ。文字通りkumageとは熊毛町のことで、2003とは平成大合併により熊毛町が消滅した西暦年だ。
 全国で同様の思いを抱いている人は「kumage2003」に声を寄せて、全国的なネットを築こうではありませんか。国会を動かさない限り、平成大合併で消滅した町村を地域住民の手に取戻すことは出来ない。たとえ小さな一歩でも、歩き始めなければ目的地へ1mmも近づけない。平成大合併により地域の「核」を失って衰退している全国の町村が連帯して「分立法」制定の運動を起こさなければ、周辺町村は人材を失い「分立」運動を起こす気力すら喪失してしまうだろう。まずは「分立」を願っている全国町村が「連帯」する小さな一歩から始めようではないか。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。