厚顔無恥とは中共政府のことだ。
<あの埋めて隠そうとした新幹線事故から10年
2011年7月23日の20時半頃に浙江省温州市で、「2011年温州市鉄道衝突脱線事故」と通称される鉄道事故が発生した。中国が誇る高速鉄道の列車による衝突・脱線事故であった。当時、地元の温州市政府が発表した当該事故による死傷者数は、死者40人、負傷者172人であり、事故の規模から考えて極めて少ないものだった。
しかし、事故現場における生存者捜索が事故発生からわずか5時間で打ち切られただけでなく、事故原因を究明するための現場検証も行われないままに、高さ20数メートルの高架線路から落下した先頭の4車輛を含む脱線した6車両は、翌24日の午前中に重機で粉砕された後に建設機械を総動員して、急遽、掘られた巨大な穴に埋められたのだった。
事故車両が現場検証も行われないままに粉砕されて大急ぎで地中へ埋められた理由は何だったのか。事故車両を粉砕して地中へ埋めることによって、事故が発生したという事実そのものを隠蔽しようとした可能性は否定できない。
それでも、多数のネットユーザーは列車の定員から考えて、実際の死者数は300人以上であったのではないかと疑問を提起した。しかし、公表された死者数が40人から変更されることはなく、真実の死者数は未だに不明のままであり、その数字が明らかになることは永遠にないように思われる。
中国では大規模事故の発生後に地元当局が実際の死者数を過少化して隠蔽する情報操作が常態化しており、その隠蔽体質が公的統計数字の信頼性を大きく損ねているのが実情である。
記録的な豪雨
温州市の鉄道事故から丸10年の日をあと3日で迎えようとする2021年7月20日に、河南省の省都である鄭州市では予期せぬ大規模な洪水に襲われて、想像を絶する数の死者を出す大惨事に発展した。が、地元当局が死者数を過少に報告する隠蔽体質は何ら変わることなく持続していたのであった。
鄭州市では7月16日から連日豪雨が降り続いた。鄭州市の年間平均降雨量は640.8ミリメートル。だが、7月17日20時から7月20日20時までのわずか3日間で降雨量は617.1ミリメートルに達し、さらに7月20日早朝4時から21日早朝4時までのたった24時間で降雨量は645.6ミリメートルに達し、わずか1日で年間雨量を上回ったことになる。
この7月20日の記録的な豪雨で、鄭州市中原区に所在する中型ダム「常庄水庫」では、ダム湖の水位が11時頃に警戒水位の127.49メートルを超え、放水を開始した。しかも事前予告なしに。豪雨による異常な量の降水に加えてダムからの放水が鄭州市内に流入したことで、市内全域は浸水状態に陥った。
「水は低きに流れる」の言葉通り、浸水の影響を最も受けたのは、市内を南北に走る「京広快速路(京広高速道路):全長25.2キロメートル」の地下トンネル部分である「京広隧道(京広トンネル)」と市内を環状に走る地下鉄5号線であった。
トンネル内の水死
京広トンネル(全長4.3キロメートル)は高さ6メートル、両側6車線の連続していないトンネル3区間(京広北路区間、淮河路区間、京広南路区間)で構成されており、その中で被害が最も深刻だったのは京広北路区間(全長1.8キロメートル)であった。この1.8キロメートルの区間中のトンネル部分は1.4キロメートル、開放部分は0.4キロメートルであった。
京広トンネルに水が流入し始めたのは7月20日の17時頃だった。水の流入は急流を思わせる程の激しさで、トンネルが水没するまでに要した時間は流入開始からわずか5分であった。「京広北路トンネル」の出入り口は完全に水没し、トンネル出入り口の上部に掲げられた「京広北路隧道」の文字だけがその水面下にトンネルが存在することを示していた。
流入開始からわずか5分で水没したトンネルの中では、大量な水の流入によって走行不能となった車が次々と停車を余儀なくされて渋滞し、両側6車線は車が数珠つなぎ状態となり、前進も後退もできなくなった。
車中の人々は渋滞の原因が何か分からないままに前方の車が動き出すのを待っていたが、そうこうするうちにトンネル内の照明が消えた暗闇の中で、車のドアは水圧で開かない状態となっていたのであった。こうして多数の人々がトンネル内の車中で水死したと思われる。
水の流入によって停車した場所がトンネルの出入口に近かった人々の一部は命からがら逃げ延びることが出来たようだ。だが、トンネル内だけでなく、トンネルの出入口に続く道路上にも多数の車が流入してきた水で走行できなくなり、ここでも水圧でドアが開かなくなったことにより車中で水死した人も多数いた模様である。
地下鉄内もまた
市内を環状に走っている地下鉄5号線にも7月20日の18時頃、水が流入した。地下鉄5号線は、2019年5月20日に開通した鄭州市内を走る地下鉄7路線の1つであり、全長は40.4キロメートル、駅は32カ所。流入地点は五龍口停車場で、流入した水は最寄りの海灘寺駅と沙口路駅の間の線路に流れ込み、水の流入で運行を停止した地下鉄車両をじわじわと冠水させた。
18時といえば退勤時間であったことから地下鉄車両には乗客が多数乗っていた。最も被害が大きかった地下鉄車両(車輛番号0501)は海灘寺駅と沙口路駅の間で停車を余儀なくされた。
電気を遮断されて照明が消えた車両の中で乗客たちは忍耐強く運転再開を待っていたが、水は無情にもひたひたとその高さを増し、遂には乗客の胸から首までが水に浸かったのだった。時間が経過するに従い車両内の酸素濃度は減少して行き、乗客の誰もが息苦しさを感じるようになった。
この時、一部の乗客が車両内にあった消火器を使って窓ガラスを割り、窒息寸前の状態で車外へ出ることに成功した。車外へ出た乗客たちは消火器を使って車輛の窓ガラスを外から破壊して回ったが、その頃多くの乗客は酸素不足で窒息状態を呈し、次々と水の中へ倒れて行ったのだった。
こうして車輛0501から命からがら逃げ出すことができたのは、幸運な一部の乗客たちだけだった。鄭州市の地下鉄を運営している「鄭州地鉄集団」によれば、今回の浸水により被害を受けた車両は91両に上ったというが、地下鉄5号の車両は6両編成であり、1車輛の乗客を400人と想定すれば、車両番号0501の6両には2400人の乗客がいた計算になる。
信憑性は極めて乏しい当局発表
さて、鄭州市は7月21日から鄭州市内の組織だけでなく全国各地の官民からの救援を受けて、7月25日までの5日間にわたって京広トンネルの排水作業を不眠不休で行った。60万立方メートルの水を排出すると同時に車の牽引移動、被害者捜索を実施したという。
この結果を踏まえて、河南省政府は7月26日の記者会見で、「5日間の作業を経て京広トンネルの排水作業は基本的に終了し、トンネル内から247台の車を移動させたのと同時に6人の遭難者(男5人、女1人)を発見した」と発表したのだった。
また、鄭州市政府によれば、地下鉄5号線では7月20日18時の浸水を受けて緊急の乗客救出ならびに排水作業が実施され、救助隊が乗客500人以上を救出したが、その中には12人の死者と5人の負傷者が含まれていたという。なお、7月24日と25日にそれぞれ1遺体が発見されたことで、公式発表の死者は14人になっている。
ところで、8月2日に開催された河南省政府の記者会見で発表された「7月の豪雨による大洪水の人的被害」は、死者302人、行方不明50人であった。この記者会見に参加していた鄭州市市長の侯紅は、鄭州市の人的被害は、死者292人、行方不明47人であったと発表したのだった。この中には京広トンネルの死者6人と地下鉄5号線の死者14人が含まれていた。
河南省の人口は9936万人であり、鄭州市の人口は1260万人である。7月の豪雨とそれによって引き起こされた洪水は河南省全土を襲ったはずだが、河南省全体の死者は302人、行方不明50人であり、そのうちの鄭州市が死者292人、行方不明47人なら、鄭州市以外の死者はわずか10人、行方不明は3人という、到底信じられない数字になる。
ただし、実際には、京広トンネルでは7月23日に大規模な人民解放軍兵士が投入され、全国から集まった救援者全員を排除する形でトンネル内の作業を接収したから、上述した鄭州市が7月21日から25日までの5日間で京広トンネル内の排水、車移動、被害者捜索を行ったはずがなく、7月26日に河南省政府が記者会見で述べた内容の信憑性は極めて乏しいと言える。
300人じゃない、6000+1000人
人民解放軍が京広トンネルの現場を接収した時点で、トンネル入り口には立ち入り禁止のロープが張られたので、トンネル内部における人民解放軍の作業状況は完全にベールに覆い隠され、外部からうかがい知ることはできなかった。
しかし、トンネルには多数のダンプカーやバスが乗り入れ、出てくる時にはダンプカーの荷台には厳重な幌(ほろ)が掛けられていたし、バスは全ての窓に内側から黒い紙が貼られていた。これらを目撃していた人々はトンネル内から死者や車を密かに運び出しているのだと噂したが、それらのダンプカーやバスがどこへ向かったのかは確認されていない。
あるネットユーザーは京広トンネルで死亡した人数を次のように推定したという。
(1)車の全長:5メートル
(2)前後の車間距離合計:3メートル
(3)車の有効距離=(1)+(2)=8メートル
(4)京広トンネル長さ=4300メートル
(5)渋滞して1車線に並んだ車の台数=(4)4300メートル÷(3)8メートル=537台≒530台
(6)6車線合計の水没車台数=(5)530台×6車線=3180台≒3000台
(7)車1台当たりの平均乗員数(想定)=2人
(8)水没車3000台の合計死者数=(6)3000台×(7)2人=6000人
なお、別のネットユーザーは、地下鉄5号線の浸水による死者を乗客2400人中の1000人程度と推定したが、これはあくまで推定であって、それを具体的に証明する手段はない。
7月26日は地下鉄5号線の浸水による死者にとって「頭七(初七日)」に当たったが、事故現場となった地下鉄「沙口路駅」に4カ所ある出入口には死者の家族たちが大挙して集まり、生花を捧げて死者の冥福を祈った。最も家族が集まった出入口では生花の列が100メートルもの長さになったという。
中国人は同情だけで死者に生花を捧げることはしないので、これらの生花は全て死者の家族が捧げたものだと思われるが、そうだとすれば、実際の死者数は一体どれほどだったのであろうか。
なお、鄭州市当局は捧げられた生花の列を人々の視線から隠そうと遮蔽板で囲ったが、家族たちの抵抗を受けて遮断を断念したのだった。生花の列が100メートルに達した事実を勘案すると、地下鉄5号線の死者数が1000人という推計は現実味を帯びてくる。
一方、7月22日に京広トンネルで救援活動を行っていた作業車の運転手が、SNSを通じて「京広トンネルで既に6300人以上の遺体が発見されている」との投稿を行ったという。この数字も上述した推定値である6000人に近い。
不都合なものは隠せばいい
さて、2018年4月の「河南省殯儀館統計(河南省葬儀場統計)」によれば、鄭州市には傘下に5つある県級市を含めて6カ所の葬儀場(火葬場を併設)があり、鄭州市内には「鄭州市殯儀館」(「鄭州二七殯儀館」とも呼ばれる)がある。
7月31日に鄭州市殯儀館を訪れたある人物が、火葬を待つ大量の死体を目撃したのだという。同殯儀館では5つの県級市にある殯儀館に火葬の協力を要請したが、いずれの殯儀館も火葬待ちの死体を大量に抱えているという理由でその要請を断ったという。
8月2日に鄭州市の侯紅市長が述べた鄭州市の人的被害(死者292人、行方不明47人)が虚言であることは、この事実からも明らかであるように思えるのだ。
2020年4月11日に中国政府が発表した、湖北省武漢市における新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による4月10日までの累計死者数は2577人だったが、武漢市内の葬儀場で遺族に引き渡された遺骨の入った骨壺を計算すると4万2000人という死者数が推定できた。この数字は病気による死者数であり、本件の水害による死者数とは異なるが、いずれも中国政府ならびに地方政府による不都合な数字の隠蔽であることに何ら変わりはない。
最初に述べたように、「2011年温州市鉄道衝突脱線事故」から丸10年が経過したが、重大事故の発生に際して、不都合な事実を極力隠し、被害にあった死者数を大幅に縮小して、事故のマイナス要素を徹底的に消去するという伝統的な方式は何も変わっていない。
今回の鄭州市における水害の元凶は、事前予告を行わぬまま「常庄水庫(ダム)」の放水を行ったことである。事前予告がされてさえいれば、京広トンネルの通行停止や地下鉄5号線の運休を実施することができたかもしれないし、人々に注意を喚起することもできた可能性がある。
7月20日に鄭州市の京広トンネルで6000人、地下鉄5号線で1000人の合計7000人が命を落とした可能性があるが、犠牲者たちの家族は自然現象に起因する事故であるとの理由で泣き寝入りするしかない。中国の庶民はこうした理不尽な仕打ちに耐えることを余儀なくされているのである>(以上「現代ビジネス」より引用)
上記引用記事は「現代ビジネス」誌に掲載された北村 豊氏(中国鑑測家、中央大学政策文化総合研究所客員研究員)の鄭州市で起きた洪水被害者数の論考文だ。なぜ先月23日に起きた豪雨洪水被害を一月も経としている今取り上げたのか。
それは日本の殆どのマスメディアがスルーしているからだ。いやすべてといって良いだろう。日本のマスメディアは中共政府にとって不都合なことは一切報道しない、という申し合わせでもしているのだろうか。それは「皆様のNHK」も例外ではない。
既に鳴霞氏が鄭州市の犠牲者は十万人に達していると思われる、と彼女の動画で報告されている。夜毎に作業員が台車に白い死体袋を山と積んで、「万人坑」と呼ばれる大きな穴に投げ入れているのを鄭州市民が目撃して厳しい監視と検閲の目を潜って国外へ伝えている。