オリンピックは何処へ行くのか。

<東京オリンピック(五輪)開会式で、聖火台へ点火するリレーの最終走者は、テニス女子の大坂なおみだった。

 近年の大会では競技への影響などが考慮され、現役選手が最終走者を務めるのはまれだった。自身もオリンピアンの橋本聖子氏が大会組織委員会の会長でなければ、大坂が選ばれることはなかったかもしれない。

 開会式の最大の見どころである聖火台への点火は、聖火リレーの最終走者が務めるのが慣例。式典の演出側の意図をくみながら、最終的に組織委が人選することになる。

 今大会では、スポーツ界のレジェンドとして、競泳平泳ぎ2大会連続2種目連覇の北島康介さん、柔道3連覇の野村忠宏さん、レスリングで3連覇の吉田沙保里さんらが取りざたされた。プロ野球で活躍した長嶋茂雄さんと王貞治さん、米大リーグでも活躍した松井秀喜さんらの名前も候補にあがっていた>(以上「朝日新聞」より引用)




 多様性とはなんだろうか。オリンピック聖火最終ランナーに大阪なおみ氏が選ばれたのが「多様性」だという。確かにオリンピックでプロスポーツ選手の壁が取り払われて、アマチュア選手の祭典でなくなったから、プロスポーツ選手が選ばれても問題はないのだろう。
 まさにオリンピックが総合スポーツイベントになってしまった、と慨嘆するのは私だけだろうか。確かにプロスポーツ選手のパフォーマンスは感動的だ。しかしオリンピック精神とはそうしたものではなかったはずだ。

 しかも女性であることに拘ったという。それが多様性なのか。まさか大阪なおみ氏がハーフだから、というのが選考ポイントの中にあったとしたら、それこそ悪い冗談だ。
 多くの人がスポーツに勤しんでいるが、彼らは殆どプロスポーツとは無縁の人たちだ。野球でも同好会の草野球から高校野球や大学、社会人野球まである。技量に於いてオリンピック選手とは比較にならないだろうが、彼らもまたスポーツを楽しむアスリートたちだ。

 現代オリンピックはコマーシャーリズムに毒され過ぎてはいないだろうか。世界中にテレビ中継するためには著名なプロスポーツ選手を起用する方が「バエ」るだろう。しかしオリンピックは「バエ」ることを予定調和してなかったはずだ。
 オリンピックが世界中の民族や人種を超えて、人類のスポーツの祭典であるためには極力プロスポーツとは距離を置くべきではないだろうか。何が何でも女性でなければならない、という考え方も改めるべきではないか。

 管理職の○%を女性とすべきだとか、国会議員の○%を女性にすべきだとかいった議論そのものが女性をバカにしてはいないか。本当に男女平等社会を目指すなら、男女間に一切の格差など設けてはならない。
 多様化というのなら、著名なプロスポーツ選手を選択肢に上げるのではなく、プロ・アマ、男女を問わず選択肢に上げて選考すべきではなかったか。万が一にもハーフが多様性だとするなら、純粋日本人は「多様性」がないことになる。こんな日本国民をバカにした話はない。オリンピックは曲がり角どころか、曲がってはいけない曲がり角を曲がってしまったのではないだろうか。それは日本国民の価値観の喪失でもある。

このブログの人気の投稿

それでも「レジ袋追放」は必要か。

麻生財務相のバカさ加減。

無能・無策の安倍氏よ、退陣すべきではないか。

経団連の親中派は日本を滅ぼす売国奴だ。

福一原発をスーツで訪れた安倍氏の非常識。

全国知事会を欠席した知事は

安倍氏は新型コロナウィルスの何を「隠蔽」しているのか。

自殺した担当者の遺言(破棄したはずの改竄前の公文書)が出て来たゾ。

安倍ヨイショの亡国評論家たち。