専門家の誉とは。
<参院内閣委員会の閉会中審査が15日開かれ、政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長が東京都に4度目の緊急事態宣言が出ていることを踏まえ、「人々が緊急事態(宣言)に慣れ、飲食店も『もう限界だ』との声も聞こえる中で、人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を示した。
立憲民主党の木戸口英司参院議員の質問に答えた。尾身氏は新型コロナの感染防止について、PCR検査の拡充や二酸化炭素モニターの設置、下水でウイルスを高濃度で検出する技術などを例に挙げて「日本には優れた科学技術がある」と説明。そのうえで「休業要請はもちろん大事だが、サイエンス・テクノロジー(への投資)は、それに比べるとずいぶん効率の良いお金の使い方だ」として、科学技術への投資を拡大して感染拡大の抑制を図るべきだという考えを示した>(以上「朝日新聞」より引用)
立憲民主党の木戸口英司参院議員の質問に答えた。尾身氏は新型コロナの感染防止について、PCR検査の拡充や二酸化炭素モニターの設置、下水でウイルスを高濃度で検出する技術などを例に挙げて「日本には優れた科学技術がある」と説明。そのうえで「休業要請はもちろん大事だが、サイエンス・テクノロジー(への投資)は、それに比べるとずいぶん効率の良いお金の使い方だ」として、科学技術への投資を拡大して感染拡大の抑制を図るべきだという考えを示した>(以上「朝日新聞」より引用)
東京で変異種(デルタ株)が感染拡大している。このまま行けば来週金曜日のオリンピック開催時には一日当たり1,500人を超えて2,000人に迫るのではないか。
これから海外からオリンピック取材のプレス記者たちが万単位で来日する。空港の防疫検査で完全に感染患者の入国を防げないことはこれまでの実績で明らかだ。
記事では「政府の新型コロナウイルス対策分科会の尾身茂会長が東京都に4度目の緊急事態宣言が出ていることを踏まえ、「人々が緊急事態(宣言)に慣れ、飲食店も『もう限界だ』との声も聞こえる中で、人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつある」との認識を示した」というが、当初からそうしたヌルイ対策で武漢肺炎が終息することなど全く期待できなかった。
政府・厚労省は具体的にいかなる感染防止策を実施して来たのか。感染症対策の原則は「検査と隔離」だ。それは100年前からも変わらないし、何百年経とうと変わらない。しかし政府・厚労省は感染を終息させようとする意思がないかのように、「検査と隔離」を拡大しようとはしなかった。
尾身氏が提案した「PCR検査の拡充や二酸化炭素モニターの設置、下水でウイルスを高濃度で検出」などは、以前からこのブログで指摘してきたところだ。感染症に関して門外漢の私にも解ることが、なぜ今頃になって提案するのか意味が分からない。
政府・厚労省と同じく、政府の諮問機関に呼ばれた専門家たちも武漢肺炎を終息させよう、とする強固な意志など、もとよりなかったのではないかと疑わざるを得ない。尾身氏は「科学技術への投資を拡大して感染拡大の抑制を図るべきだという考えを示した」というが、そんなことは武漢肺炎といった新型コロナウィルスの感染患者が国内で発見された当初から実施すべき感染対策ではないか。
尾身氏は「人々の行動制限だけに頼るという時代はもう終わりつつあるとの認識を示した」そうだが、行動の自由を保障されている日本国内で「要請」だけで国民の移動制限など無理な話だ。
そうしたことではなく「検査と隔離」こそ重要で、検査して感染患者が身近にいると分かれば、人は自然と移動を自粛するものだし、人との接触に用心深くなる。それが「検査」による波及効果でもある。しかし「検査と隔離」の拡大を頑なに拒否したため、国民にとって武漢肺炎は「遠い世界」の出来事としか認識できないままだ。
島国という外国で発生した感染症から国民を護るのに、格好の自然環境にある日本で感染が広まったのは政府の無能・無策に尽きる。そして感染症がなかなか収束しないのは政府に呼ばれた専門家たちが適宜、適切な意見具申をしなかったためだし、彼らの意見具申を政府が採用しなかったのなら、直ちに辞表を叩きつけて記者会見を開くべきだ。
政府に呼ばれたのが専門家の名誉ではない、専門家の誉とすべきはは専門家として国家と国民に役立つことではないか。尾身氏の意見表明は余りに遅きに失した。日本は散々武漢肺炎の感染症に叩きのめされてきた。これからも感染症の蔓延に国民は怯えて暮らさなければならない。