荒唐無稽な中共政府の北朝鮮化論。

<<7月に結党100周年を迎える中国共産党だが、現在の「北朝鮮モデル」路線は、将来的な選択肢を狭める一方だ>
 人は100歳に近づくと、死について考える。しかし政党は100歳に近づくと、長寿にこだわる。7月1日に結党100周年を迎える中国共産党が、いい例だ。独裁体制を敷く政党が寿命について楽観的なのは、奇妙にも思える。近代の独裁政党が100年も生きたことはないからだ。
 共産主義政党や独裁政党が比較的短命な理由の1つは、現代の一党独裁体制が生まれたのが20世紀に入ってからだという点だ。最初の一党独裁体制であるソビエト連邦の誕生は1922年だった。しかし、もっと根本的な理由もある。独裁政党の下の政治環境が民主的政党のものに比べて、はるかに不快で野蛮だということだ。
 独裁政党が死に至る確実な方法の1つは、戦争を起こして負けること。ナチスや、ムソリーニが率いたイタリアのファシスト党が、この運命をたどった。だが多くの独裁政党は、はるかに凡庸な形で死を迎えてきた。限定的な改革で国民をなだめようとした共産主義体制は、いずれも崩壊した。旧ソ連では80年代の改革と情報公開が大変動を招き、共産主義者もソ連自体も歴史のくずかごに葬り去られた。
 中国共産党に、そんな歴史は関係ない。100周年の祝賀で習近平(シー・チンピン)国家主席ら指導部は、自信と楽観主義を打ち出そうとしている。だが政治的に強気な姿勢を取るだけでは、生き残り戦略にはならない。彼らがリスク故いったん改革を排除すれば、残された選択肢は極めて限られたものになる。
 
魅力を増した「北朝鮮モデル」
 習以前の中国は、シンガポールの政治モデルを目指したこともある。1959年からシンガポールを支配する人民行動党(PAP)は、ほぼ完全な権力独占と卓越した統治、優れた経済業績と国民の支持の全てを手にしているように見えるからだ。
 だが中国共産党にとって、シンガポールの複数政党制や比較的クリーンな選挙、法の秩序は受け入れ難かった。PAPの成功に不可欠なこれらの制度を中国に導入すれば、いずれ共産党の政治的独占力は危機的なレベルまで弱体化すると指導部は考えた。
 習の就任後、中国にとって「北朝鮮モデル」のほうが魅力を増した理由は、そこにあるのかもしれない。全体主義的な政治的抑圧、最高指導者への崇拝、自主独立を目指す主体(チュチュ)思想という北朝鮮の特徴に、中国は習の就任後8年間で次第に近づいている。
 政治的には、市民だけでなく共産党のエリート層に対しても恐怖による統治が復活した。習は腐敗一掃キャンペーンの名目で粛清制度を復活させ、検閲を強化し、NGO(非政府組織)を含む市民社会の活動の場をほぼ排除した。自由に活動する起業家たちは、規制強化や刑事訴追、富の押収などによって抑圧された。
 習は個人崇拝も助長してきた。今や人民日報の1面は、習に関する記事で埋め尽くされている。結党100周年を記念して発表された共産党史の要約は、その4分の1を習体制の8年間に割いている。

 中国は経済面で主体思想を全面的には導入していない。だが共産党の新たな5カ年計画は、国内成長に重点を置いた「科学技術の自立自強」や経済の安全保障を掲げる。アメリカが中国と経済的・技術的なデカップリング(分離)を図るなか、中国には自立自強以外に道はない。だが欧米の民主主義国で、「北朝鮮モデル」を目指す国と経済関係を続けたい国はほとんどないだろう。
 中国の指導部は共産党の結党100周年に当たり、党が正しい方向へ進んでいるかどうか自問すべきだ。もしそうでなければ、100周年は彼らにとって最後の大きな記念日になるかもしれない>(以上「NEWS week」より引用)




 中国では99は永遠を現わす吉祥だが、100は終焉を示す衰運だそうだ。奇しくも中共政府は100周年を迎えて壊滅の一途を辿っている。
 習近平氏が今年一月に唱えた「内循環経済」のスローガンを今は全く聞かなくなった。それどころか、日本の経済界などへは頻りと秋波を送って「中国への投資」を呼び掛けている。

 それに応えるかのように与党自公政権は全会一致を原則とする国会決議でG7たけでなく、先進自由主義諸国が中国の人権問題に批判の声を上げている最中、「中共政府の人権問題を批判する」決議を流してしまった。実に恥ずべき事態だが、それも習近平氏に対する「忖度」をする親中派政党・公明党と自民党の親中派議員たちの所業だ。
 日本の現政権は実に危うい。彼らは金儲けのためならウィグル人がどうなろうと、チベット人が迫害され続けようと、モンゴル人が言語や文化を奪われようと、そして香港人が英中条約に関わらず人権弾圧を行われようが、我関せずだ。そうした国家が世界の尊崇を集めないのはいうまでもない。

 しかし問題とすべきは中共政府の命運だ。もはや長くない、というのは衆目の一致するところだ。ただ拝金主義のウォールストリートのDSたちが秘かに中共政府と手を握って、香港経由で莫大な外貨を中国へ流入させているという。
 だが、それも所詮はカンフル注射のようなものだ。継続的な経済効果をもたらす工場建設投資などと異なり、金融投資は利ザヤさえ稼げば一気に引き上げる。彼らに情や思いやりなど煎じて飲ます「爪の垢」ほどもない。だからこそ数世紀にわたって世界の金融界を牛耳って来たのだ。

 引用記事にある「中国は経済面で主体思想を全面的には導入していない。だが共産党の新たな5カ年計画は、国内成長に重点を置いた「科学技術の自立自強」や経済の安全保障を掲げる」とあるのはいつのことをいっているのだろうか。「内部循環経済」を主張した直後に、自らの誤りを訂正するのか「双循環経済」と言い直している。
 つまり内部と外部(対外取引)経済により中国経済を立て直す、ということだ。内循環だけでは中国GDPの五割にも満たないと知ったからなのだろう。しかし引用記事は「国内成長に重点を置いた」と今年一月の段階の習近平発言をそのままだ。

 中共政府が新たに外国からの工場進出を誘導する経済特区を設けて、外国へ誘致促進を宣伝しているが、日本の愚かな企業経営者以外には、世界に二匹目の泥鰌はいないことを知るべきだ。
 ことに6月10日、外国からの制裁に対する中国の対抗措置を定めた「反外国制裁法」が全国人民代表大会(全人代)常務委員会で可決され成立し、同法は即日施行された。それは中共政府が「外国による制裁」と認定すれば、それに対して自動的に「反」対措置を講じることが出来る、とする法律で、その外国の企業であれば「反外国制裁法」の適用を受ける、というものだ。それでも中国へ進出する外国企業があれば余程「お目出度い」というべきだろう。

 記事にある「100周年の祝賀で習近平(シー・チンピン)国家主席ら指導部は、自信と楽観主義を打ち出そうとしている」という文脈も中国の現実を正しく捉えてないように思える。なぜなら、すてに中国広東省のある地域では武漢肺炎の蔓延防止と称してロックダウンされているが、武漢肺炎患者などいないとして数千人が抗議デモを行い、当局はデモ鎮圧のために数百人の特殊警察を動員したという。こうした事態が起きると、つい数ヶ月前まで誰が予想しただろうか。
 ただ15人以上による暴動は全国で年間十万件も起きている、といわれていた。しかし日本の主要マスメディアはそうした中国社会の実態を何も伝えないため、日本国民の多くは中国で起きている事態を何も知らない。

 つい先日、中共政府の国家安全部副部長が米国へ亡命したという。副だから大したことはない、と思ったら大間違いだ。中共政府では部長はお飾りで、実務は副副部長が取り仕切っている。
 それは中南海を森閑とさせる事態で、副部長の米国亡命はない、とニュースを否定する一方で、中共政府は「お前の家族や親族から友人まで処刑にするゾ」とのシグナルを「亡命者」へ送っているという。

 引用記事で「アメリカが中国と経済的・技術的なデカップリング(分離)を図るなか、中国には自立自強以外に道はない」と断定しているが、それはトランプ政権でのことだ。中共政府のエージェントでしかないバイデン政権は中共政府を「敵」ではなく「競争相手」だと方針転換している。経済関係で「競い合うライバル」だというのだ。
 だから中共政府は北朝鮮を目指す必要はない。しかし巨大化した経済が萎む過程では様々な矛盾と軋轢が社会を襲い、政権批判へと繋がるのは古今東西の歴史で証明されている。習近平氏だけが歴史の潮流から無縁であり続けることは出来ない。習近平氏の終焉は確実に近づいている。

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