観念(思い込み)ではなく、科学的な根拠に基づく議論を。

<瀬戸内海は、きれい過ぎ――。沿岸府県が排水基準を緩和して水質を管理できるようにする「瀬戸内海環境保全特別措置法」(瀬戸内法)の改正案が今国会で審議されている。高度成長期に工場排水が原因で赤潮が頻発した瀬戸内海は、その後の規制で近年水質が改善。海洋生物の栄養となる窒素やリンがかえって不足する事態が生じており、法改正で柔軟に調整できるようにするのが狙いだ。

 「海はきれいじゃが、どうしたわけか魚がおらん」。1990年代、広島大の山本民次名誉教授(水圏生態学)のもとに、漁師から相談が寄せられるようになった。魚だけではなく、養殖のアサリやカキの生育不足、ノリの色落ちなどの報告が相次いだ。

 山本さんは、水質改善によってプランクトンの栄養となる窒素とリンが不足し、瀬戸内海が「貧栄養化」していると結論付け、2003年に「瀬戸内海 富栄養か貧栄養か?」と題した論文を発表した。

 しかし当時、貧栄養化という概念は専門家の間でも知られておらず、学会で論文を発表した後の質疑応答では、「不漁は埋め立てによるもの。あなたはどうかしている」と他の海洋学者に嘲笑されたという。

 瀬戸内海は、高度経済成長期には沿岸の工場などからの窒素やリンを多く含む排水で富栄養化し、1970年代になるとプランクトンが異常発生して赤潮が頻発。プランクトンが魚のえらに障害を起こしたり、大量の酸素を消費するため、養殖魚の死滅など漁業に深刻な影響を及ぼし社会問題化。76年には年間で299件が発生した。

 73年に施行された「瀬戸内海環境保全臨時措置法」は現行の瀬戸内法に受け継がれ、窒素やリンの排出を規制、水質改善が図られた。規制は奏功し、瀬戸内海の赤潮件数は減少、海水の透明度は回復した。他方で、瀬戸内の人々の胃袋を満たしてきた豊穣(ほうじょう)の海の様相は一変。そして、今世紀初頭の山本さんの訴えの後、時の流れとともに、瀬戸内海の異変と貧栄養化は関連付けられるようになっていった。

 今回の改正案では、下水処理場などの排水基準を緩和し、窒素やリンの排出量を増やす目標値を沿岸の府県知事が策定できるようにすることなどが盛り込まれた。山本さんは、「法律によって過剰供給された窒素とリンを削減した対応は良かった」と、過去の政府の対応に一定の評価をした上で、「窒素とリンは過多となれば水質悪化をもたらす一方で、生物の生育に必須でもある。大切なのは適正な供給量だ」と訴えている。

 法案は4月9日に参院で可決。5月27日に衆院に付託され、近く衆院環境委で審議される。

富栄養化と貧栄養化

 工場や家庭の排水に含まれる窒素やリンなどの栄養塩類が海や湖に多く流れ込み、水質が「富栄養」になると、植物プランクトンが異常増殖し、赤潮やアオコが発生する。一方、栄養塩類が不足すれば「貧栄養」の状態となり、藻類の生育不良を招くほか、食物連鎖にも影響を与える。

山本名誉教授「日本の取り組み、発信を」

 早くから貧栄養化に着目し、問題提起してきた広島大の山本民次名誉教授(水圏生態学)に瀬戸内海の現状や法改正について聞いた。

 ――富栄養化を抑制するための1970年代からの対策は失敗だったのか。

◆当時、法律に基づいて窒素とリンといった栄養塩類を削減したのは良かった。だが富栄養化を起こす原因物質であると同時に、生物に必要な元素でもある。多過ぎても、足りなくても悪影響がでる。入り組んだ閉鎖性海域の瀬戸内海では、太平洋に面した三陸などと違い海水が滞留しやすく、入れ替わるのに1年数カ月ほどかかる。海産物を育てるために複雑な食物連鎖の計算をした上で、適度なバランスが必要だ。

 ――規制の緩和は水質を悪化させる印象を受ける。

 ◆「海を汚せ」と言っているのではなく、重金属や化学的に生物に有害であるものを流すことは許されない。絞るべきものと絞らなくて良いものを整理する必要がある。

――高度経済成長以前の瀬戸内海は今よりきれいだったのでは。

 ◆大昔は、人の営みや腐敗した落ち葉などから供給された栄養塩類と漁獲量のバランスが取れていたが、それは過去の話。「1950年代ぐらいが良かっただろうから、その当時の状態に戻しましょう」といった議論もあった。だが、人口や産業構造といった社会的背景も考慮する必要があり、単純な話ではない。今の人口構造などを考慮し、どれぐらいのレベルで栄養塩類を出したら、瀬戸内海の魚類やカキやのりなどの養殖漁業を持続させられるかという観点が必要になる。排出上限があるので、最大限緩和しても赤潮がかつてのように頻発することはない。

 ――法改正の動きをどう評価するか。

 ◆環境省はよく思い切ったと思う。日本の近隣諸国を含む多くの外国で富栄養化が問題となっている。ただ、いずれ水質が改善すれば瀬戸内海と同じ状況になる可能性もある。世界が参考に出来るように日本の取り組みをどんどん発信していくべきだ。
欧州も富栄養化に悩まされ

 窒素やリンは、家庭の生活排水や農業で使われる肥料から流れ出るため、富栄養化などの問題に見舞われているのは日本だけではない。欧州でも、スカンディナビア半島と欧州大陸に囲まれたバルト海や、北欧や英仏独などが面する北海などが富栄養化に悩まされ、長期的な対策が講じられてきた。

 北海は沿岸諸国と欧州連合(EU)が結ぶオスロ・パリ条約(OSPAR)、バルト海は沿岸諸国とEUでつくるヘルシンキ委員会(HELCOM)の多国間の枠組みで栄養塩類の削減に取り組んできた。

 こうした枠組みとは別に、EUは栄養塩類の削減のために加盟各国への「指令」を出してきた。2008年には、20年までに富栄養化などに取り組み「健全な海洋環境の実現」を目指す「海洋戦略枠組み指令」を採択し、各国に取り組みを促してきた。

 この結果、北海では改善が見られ、ドイツ沿岸では貧栄養化が進み、栄養塩供給の適正化が図られている。

 一方、北海よりも閉鎖性が高いバルト海は、富栄養化の深刻な状況からは脱していない。いくつもの沿岸国が存在する海域では、沿岸国の河川管理や栄養塩類の規制の取り組みの度合いによって状況が左右される難しさがある。

 EUの専門機関、欧州環境庁は2019年末、「過去数十年にわたる取り組みが奏功し、全体として富栄養化から徐々に回復している」としたものの、バルト海の評価対象海域の99%、黒海は53%、地中海は12%で富栄養化が見られたことを受けて、「目標達成は困難」と発表した。

 富栄養化と貧栄養化を経験した瀬戸内海における今後の日本の取り組みのノウハウやデータが蓄積されれば、世界の水質環境対策に生かされる可能性もある>(以上「毎日新聞」より引用)




 かつて瀬戸内海は毎年のように夏になれば赤潮の発生に悩まされていた。その対策として瀬戸内海汚濁防止法や瀬戸内海環境保全臨時措置法が制定され、現在は瀬戸内海法に集約されて瀬戸内海の汚染と「富栄養化」を阻止する方向で瀬戸内海沿岸の行政も企業も努力してきた。
 その結果、確かに瀬戸内海は目に見えて綺麗になった。しかし1990年代から「海はきれいじゃが、どうしたわけか魚がおらん」という声を漁師たちから聞くようになったという。諺に「水清くして魚棲まず」というが、まさしく瀬戸内海はその諺通りになってしまったようだ。

 重金属などの人体に害のある汚染物質は困るが、ある程度はチッソやリンなどの生物に必要な物質が川から流れ込まないと、海洋生物が栄養失調になってしまうようだ。日本国民は何事も徹底する気質がある。だから「汚染物質を海へ流すな」と法律が出来ると、国民は浄化槽を設置し、公共下水道を整備し、そして企業は「ろ過装置」を設置して、公害物質が流出しないように法律を厳格に守った。
 結果として瀬戸内海は綺麗になった。だが魚影が薄くなった。海が貧栄養化すれば生物は棲めなくなる。やり過ぎてはいけないと、瀬戸内海法の手直しが国会で審議されている。

 大気中のCO2に関して、世界は集団ヒステリー状態に陥っている。人類活動によって年間335億トン排出しているCO2をどうにかしないと「地球は温暖化」する、と叫びたてている。
 しかし大気中のCO2濃度は地球有史以来最も少ない0.04%でしかない。これは光合成生物にとって危機的状況にある。温暖化ガスの50%以上を占めているのは水蒸気だ。CO2ではない。だが地球温暖化を叫ぶ人たちは一切耳を貸そうとしない。そしてCO2の削減にはならない電気自動車が「地球環境」に良い、と理屈も論理も無視して叫び始めた。まさに集団ヒステリー状態だ。

 以前人類が呼吸で年間排出しているCO2総量を計算で桁を間違えた。正しくは一人一日約1㎏排出するから、年間で約0.365トン排出する。そうすると75億人の人類は年間約27億トンのCO2を排出する。つまり人類活動により排出する335億トンの8%を人は呼吸で排出していることになる。
 確かに大量のCO2排出は大気元素の構成を変化されるだろう。しかし自然の物質循環という面で考えるなら、CO2も排出されなければ光合成生物が減少して、遂には死滅しかねない。その閾値がどの辺りか判然としないが、気が付いたら庭の植物が次々と枯れている、という事態にもなりかねない。

 記事に「EUの専門機関、欧州環境庁は2019年末、「過去数十年にわたる取り組みが奏功し、全体として富栄養化から徐々に回復している」としたものの、バルト海の評価対象海域の99%、黒海は53%、地中海は12%で富栄養化が見られたことを受けて、「目標達成は困難」と発表した」とある。日本政府は瀬戸内海で成功した方式をバルト海沿岸諸国や黒海を囲む諸国や地中海沿岸諸国へ技術援助すべきだ。
 しかしヒステリー状態に陥っている「地球温暖化」会議で、地球は果たして温暖化しているのか、と冷静になるように呼び掛けるべきだ。そしてCO2の濃度とは関係なく、地球は五度の氷河期と間氷期を繰り返している、と説くべきだ。そして現在は第五氷河期が始まって250万年経過したところで、過去の氷河期の長さから最低でも4千万年は氷河期が続くと思われる。しかも氷河期の最中でも地表の10%が氷河で覆われる「温暖期」と地表の30が氷河で覆われる「寒冷期」を約30万年周期で繰り返しているが、ほほ「温暖期」が終わって「寒冷期」に差し掛かっている、と寒冷化に備えるべきだ、と地球気候の周期変動を説くべきだ。

 温暖期には食糧が増産されるが、寒冷期には食糧生産が植物植生から制限される。そうした自然の摂理こそ国際会議で話し合うべきだ。CO2排出権取引と称するカネの遣り取りを話し合う場であってはならない。
 そして内燃機関はCO2を排出するから禁止すべきだ、との妄言を先進諸国の指導者が口を揃えて発言するなどブラックジョークかコミックショーでも見ているかのようだ。電気自動車の方がCO2を排出しないと科学的論証を重ねた結果の発言なのだろうか。

 「脱炭素社会」などと口走る政治家を見ると「お前、頭は大丈夫か」と訊きたくなる。それなら死者を荼毘に付す行為を禁止するのか、光合成を行う木を伐採したり、植物を刈り取ったりする者を罰するのか。
 しかしヒトが有機生物体である限り、炭素から逃れることは出来ない。第一ヒトはCO2濃度0.04%の大気を吸気してCO2濃度4%の呼気を大気中に排出しているではないか。ウシがゲップで放出するメタンガスも温暖化ガスだというが、それなら牛を飼っている人たちは温暖化阻止に反していることになるではないか。

 諺に「過ぎたるは及ばざるがごとし」とある。何事もほどほどにしなければならない。確かに大気を汚染してはならないし、省エネに努めるべきだが、化石燃料の使用は「悪」だと処断するのは中世の魔女狩りと何ら変わらない。
 今更石油由来のプラスティックの使用を全面禁じて、鉄や炭素繊維や木材に置き換えたところでその生成にCO2を消費することに変わりないし、その方がより多くのエネルギーを消費するだろう。

 一度「環境問題」に関して整理して、議論を最初からやり直してはどうだろうか。科学的な根拠に基づかないヒステリーで物事を律してはならない。観念で凝り固まる様は中世の宗教裁判と何ら変わらない。人類はまだ暗黒の中世を彷徨っているようだ。

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