現代も原始時代の続きに過ぎない。

<東京・池袋で車が暴走、親子が死亡した事故で、飯塚幸三被告(89)が過失運転致死傷の罪に問われた裁判で27日、飯塚被告に対する被告人質問が初めて行われている。
 飯塚被告は、「車が制御できないことを非常におそろしく感じました。パニック状態になったと思います」と述べた。
 旧通産省工業技術院元院長の飯塚幸三被告は2019年、池袋で車のブレーキとアクセルを踏み間違えて、横断歩道に突っ込み、松永真菜さん(31)と娘の莉子ちゃん(3)を死亡させ、9人にけがをさせた罪に問われ、無罪を主張している。
 27日の被告人質問で飯塚被告は、事故当日については、「走る前に車のブレーキのチェックをしましたが、異常はありませんでした」と答えた。
 そして、事故当時の状況については、「アクセルを踏んでいないのに、エンジンが高回転になりました」と説明、「車が制御できないことを非常におそろしく感じました。パニック状態になったと思います」と述べた。
 法廷では、飯塚被告に対する被告人質問が現在も行われている>(以上「FNNプライムニュース」より引用)





 もちろん青信号の横断歩道を自転車に乗って渡っていた母娘に何の落ち度もなかった。そこへプリウスを疾走させて跳ね飛ばした飯塚幸三被告は罰せられて当然の身だ。
 しかし、工業製品たる自動車を操っていて、日本だけで毎年4,000人近くが命を落としている、という現状はおかしくないだろうか。自動車でなくて、それが洗濯機ならどうだろうか。洗濯をしていた人が年間4,000人近く亡くなっていたら、喧々囂々たる批判が製造メーカーに寄せられているだろう。

 それが自動車でなくて、航空機ならどうだろうか。毎年4,000人近くが航空機事故で日本国内だけで亡くなっているとしたら、それでも人は飛行機に乗り続けるだろうか。
 そう考えれば自動車だけが特殊な工業製品ということになる。製造業者の仕様書の通り、そして道路交通法に定める交通ルールに則って自動車を操っていても、事故に遭遇する可能性はゼロではない。そうした意味で、自動車はフォードの時代から基本的な機能は全く同じのままで、工業製品としては「欠陥」だらけの製品ではないだろうか。

 そうした論旨を展開して自動運転車の製造を急ぐべきだ、と主張したのは数年前のことだった。間もなくスバルが「アイサイト」を装備した衝突回避車を世に送り出した。それから数年足らずだが、各メーカーとも名こそ違えども自動停止装置を備えた車を発売している。
 いうまでもなく、工業製品と違って人は極めて不完全だ。情緒的でもあるし、突然の発作で前後不覚にすらなる。そうした不完全な人に全権を委ねて1トン以上もの鉄の塊を疾走させる自動車を走らせる方がどうかしている。

 だから飯塚幸三被告を罪に問うな、というのではない。不完全な自身を認識していたなら、飯塚幸三被告はタクシーを呼ぶべきだった。アルツハイマーの初期と思われた足の不自由さを知りつつ、ハンドルを握ったのは「身の程知らず」だった。
 一度に妻と娘を奪われた夫の無念さは想像に余りある。そうした被害者を一人も出してはならないし、そのためには全自動運転車を一日も早く自動車の標準仕様にすべきだ。人は自動車に乗って行き先をインプットすれば、後は本を読んでいようと、同乗者と会話に興じていようと、安全に目的地へ着ける。そうした自動車こそが、工業製品と呼べる代物ではないだろうか。

 人類が製造した機器によって、人が傷つくということは断じてあってはならない。人類の文明とはそうした者でなければならないし、人を傷つける機器を製造するために英知を結集する現代は、極めて野蛮な時代で、人類は目指すべき文明の極めて初期の通過点を進んでいるに過ぎない。
 核兵器は勿論のこと、武器を製造している人類は鉄斧で殴り合っていた原始人と大して変わらない時代を生きているといえる。現代が文明社会だなんて、お笑いだ。まだまだ人類は未開の闇の中を手探りでヨチヨチと歩んでいるに過ぎない。

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