経済成長なき日本は衰亡するだけだ。

<人口でも価格でも、あるいは経済自体においても、とにかく自然で好ましい道はただ1つ「成長」のみだという私たちが抱く信仰を、今こそ疑ってみるべきときかもしれない。

 中央銀行が掲げるインフレ目標から、経済に関するすべての報告や分析に至るまで、私たちの世界観には、そうした前提が組み込まれている。日本で人口減少が始まり、中国では人口が頭打ちとなり、たとえばイタリアの出生率は近代国家としての成立後では史上最低の水準にあるといった状況では、どのような種類の成長にも事欠くようになりかねない。私たちは問題をもっと巧みに捉える方法を必要としている。

 問題は、成長を実現する方法ではなく、たとえ価格下落、つまりデフレといった現象が生じるとしても、成長不在のまま生きていく最善の方法を見つけることなのかもしれない。
 日本の例を見てみよう。日本では過去数十年、景気後退やデフレへの対策に追われてきたが、そのコストはますます増加し、手法にも無理が生じている。
 デフレ対策として日本が用いた赤字財政支出と量的緩和を全面的に正当化するお決まりの論法は、価格が下落すると人々が消費を控えるようになり、価格と経済生産の縮小の悪循環に陥ってしまいかねない、というものだ。

 だが、ヘッジファンドの経営者でSLJマクロ・パートナーズのエコノミストでもあるスティーブン・ジェン氏はこの点に反論する。すなわち、日本の労働人口がピークに達した2000年以降、日本のGDP(国内総生産)成長率はほぼすべての先進国を下回っているとはいえ、購買力平価ベースでの労働者1人当たりの生産量は、たとえばドイツ、ニュージーランド、カナダなどよりも順調なペースで成長している、というのだ。
 言い換えれば、日本は富裕国としてのステージに入ったのであり、緩やかなリセッションと緩やかなデフレに周期的に見舞われているとはいえ、個々の労働者の購買力という点から見れば豊かになる一方なのだ。
 同氏と同僚のジョアナ・フライア氏は、クライアント向けの書簡のなかで、「日本は経済成長する必要があるのか。私たちの答えはノーだ」と書いている。「実質GDP成長率で測定する場合、もし人口が減少しているのであれば、生活水準を改善するために日本が全体として長期的に成長する必要があるなどとは、とても考えられない」
 また、1990年以来、日本の消費者物価上昇率は年間わずか0.3%であり、多くの国の中央銀行が掲げる2%の目標を大幅に下回っているが、大きな悪影響をもたらす自己強化型のデフレが定着したわけではない。

<移行期ゆえの悩み>
 確かに、政府・日銀による景気対策・デフレ対策がなかったら何が起きていたかは分からない。また政府債務がGDP比で250%近い水準で推移しているなかで、将来的に低成長ないしゼロ成長ということになると、移行期に伴う大きな問題が生じる。何より、それだけの債務をどうやって返済するのかという問題がある。
 成長が得られないことで動揺するのは、私たちの予想だけとは限らない。公共部門・企業部門では、計画策定から投資、雇用に至るまで、すべてが成長を前提としている。シティグループで信用ストラテジストを務めるマット・キング氏は、パイが縮小すること、あるいは、期待するほどに拡大しないことの影響について楽観視していない。
「たとえば原油価格の下落(今は上昇しているが)に対する反応を考えてみよう。石油生産者と石油消費者のあいだの富の再分配になるはずだったが、実際にはそうはならなくなった」と彼はクライアント向けの書簡で書いている。「市場もグローバル経済も、価格の下落時よりも上昇時の方がはるかに幸福であることが分かる。同じことが、他の多くの分野にも当てはまる」>(以上「REUTURS」より引用)




 「経済成長なんか必要ない」という記事を見つけたので掲載させて頂いた。だが、経済成長否定論者はREUTURSだけではなく、日本の経済学者の中にもいる。
 そもそもREUTURSは英国ロンドンで創業した「電信を配信する」会社だった。「ロイターはPaul Julius Reuter(1816―99)が1849年ドイツのアーヘンで経済通信を始めた」のが始まりだと社史にある。つまりドイツの株式市場の動きを逸早くロンドンに伝えて株式売買に役立てようとしたものだ。

 だからREUTURSの視点は必ずしも親日的ではなく、グローバル投機家たちの目線に立っている。その観点からすれば日本が衰亡しようがどうなろうが知ったことではない。国際投機家のジム・ロジャー氏に到っては「日本国民はシンガポールへ移住してはどうか」と国を捨てることを勧めている。現に米国人ジム・ロジャー氏は米国には住んでなく、シンガポールに住居を移している。
 しかし日本国民たる私たちは安易に国を捨てようとは思わない。日本の国家と国民のために微力であっても尽くそうと決心している。日本を良くするためには経済成長は欠かせない、というのは一つの経済的な真理だ。

 たとえば産業革命以前の人の暮らしが幸福だったか、と経済成長後の現代人の暮らしと比較すれば簡単に解ることだ。生産性の向上は必然的に生産手段の省力化を生む。自動車生産ラインで稼働しているロボットを見れば明らかだ。工場の省力化こそが生産性の向上ともいえる。
 失われた30年間に、日本で著しい生産性の向上があっただろうか。労働賃金の引き下げも一種の「生産性の向上」だというのなら、派遣業法の野放図な緩和による労働格差の発生こそが失われた30年間に行われた生産性の向上といえるだけではないか。それが人々に幸福をもたらしただろうか。銀行や官庁などの窓口に座る殆どの人たちは派遣社員だ。彼らは同一フロアーで働く正規社員とは比較にならないほど多忙を極めているが、待遇は仕事に反比例して劣悪だ。

 現在の成長なき日本経済の原因はデフレ経済と消費増の導入とその増税だ。それらがGDPの六割を占める個人消費を低下させている。もちろん労働者賃金が低下していることも大きな要因だ。
 そうしたことが起きたのはグローバル経済による「国際分業」が日本を席巻したからだ。安い労働者を雇用すればそれだけで企業利益は増加する、と無能な経営者たちが「国際分業」に飛びついた。つまり生産工場の海外移転が各産業で広範に実施された。結果として日本のモノ造りの現場が空洞化しただけでなく、労働者賃金が外国の安い労働者賃金との競争を強いられた。挙句の果てに「外国労働者移民」法の実施だ。

 経済成長は労働人口により左右されるものではない。生産性によって左右される。生産性は技術進歩と同時に産業構造そのものまで変化させる。
 経済成長は必要ない、と説く経済学者は経済成長により自然破壊と環境汚染が進行する、と経済成長の悪弊を上げている。しかし現実はその反対ではないだろうか。
 たとえば繊維生産にしても、自然由来の繊維を使用していた当時は山林の乱開発が問題とされた。しかし現在は化学繊維が大半を占めて、自然破壊のスピードは落ちているはずだ。また、化学物質の排出が環境破壊になっているとの批判もあるが、化学物質といえども自然界由来のものでしかなく、石油なら太古の生物の死骸の油分で、その分解スピードは確かに遅いが、決して永遠にプラスティックが自然界にそのままで存在し続けることはあり得ない。木を植えるのは「善」で、石油を掘削するのは「悪」だというのは地球規模の時間のスケールでも話ではない。極めて微視的な「ヒステリー症候群」ではないかと思う。

 失われた30年がなくて、世界平均並みの経済成長を続けていれば、日本は1990年当時の2.3倍の経済規模になっている。そうすればGDPの2.5倍の国債残は高々GDPと同額程度の国債残でしかない。当然、税収の自然増である程度は償還されているだろう。
 もちろん、労働者の平均所得も現在の2.3倍の約1,000万円程度になっているはずだ。日本は成熟した資本主義だ、などと失われたままの日本経済に閉じ込めようとするREUTURSの論調に乗ってはならない。勤勉な日本国民がいつまた昔日の勤勉さを取り戻して、本気で働き始めるのか国際投機資本家たちは気が気ではないだけだ。

 日本を賛美するテレビ番組を鑑賞して、心地良い気持ちになって、永遠に覚醒しないで欲しいと「彼ら」は願っている。環境マフィアがガソリンエンジン自動車を攻撃し、意味もなく電気自動車が環境にやさしいとの嘘を大宣伝して、日本の基幹産業を潰そうとしている。
 しかし鳴り物入りで中国に進出したテスラは既に破産の危機に瀕している。電気自動車などとっくの昔にガソリンエンジンとの生存競争に敗北した旧式の技術に過ぎない。いかに意匠をこらそうと、一次エネルギーを使うエンジンと電気という二次エネルギーを使う電気自動車とではエネルギー効率で比較にならない。そうした自然の摂理すら忘れ去った環境マフィアに洗脳された人類は依然として中世のままかと思わざるを得ない。

 経済成長を否定する経済学者など笑いの種でしかないが、それを大真面目に取り上げるマスメディアがあるから困ったものだ。このまま経済成長をしないで、次の失われた10年に突入すると、日本は中国の省の一つになりかねない。本気でそうした危機感を持たなければならない時代に日本は到っている。失われた30年のまま日本国民よ、ねむり続けろ、と優しく子守唄を歌うマスメディアこそ、反日マスメディアだ。

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