おおさかなおみ氏の森氏評は「少し無知」

<森喜朗元首相は26日夜、東京都内で開かれた河村建夫元官房長官のパーティーで、衆院議員会館の河村氏事務所にいるベテラン女性秘書に触れ「河村さんの部屋に大変なおばちゃんがいる。女性と言うには、あまりにもお年だ」と述べた。女性蔑視発言で東京五輪・パラリンピック組織委員会会長を2月に辞めたばかりで、批判が集まりそうだ。

 森氏は女性秘書に関し、河村氏よりも古くから議員会館で働いていると紹介。「私が河村さんの所を通ると、その女性が外を見ていて『森さん、ちょっといらっしゃい』と呼ばれて、ああだこうだといろいろご注意を頂いた」とも言及した>(以上「共同通信」より引用)




 森会長発言に関して大坂なおみ氏は「少し無知」だと批判したという。「少し」と言ったのは大坂なおみ氏の優しさであって、少しではなく大いに見識を欠くといわざるを得ない。
 高齢女性に対して「女性と言うには、あまりにもお年だ」とは何事だろうか。男性が死ぬまで男性であるなら、女性も死ぬまで女性だ。森氏は女性を何だと思っているのだろうか。

 確かに男女の差異はある。動物としての性による差はある。しかし社会性において、動物としての性差は関係ない。むしろ筋力において勝っている男性が非力な女性をカバーすべきだ。
 お喋りは必ずしも女性の特権ではない。趣味自慢のお喋りは男性にもいる。長々と演説する男性もいる。性別とは関係のないことまで論うのを「見識を欠く」という。

 ただ政府の○○会議の委員の40%は女性とすべき、とする議論には与しない。それも一種の差別でしかないからだ。マスメディアを賑わしてオリンピック組織委員会の会長は女性にすべきだ、とか、オリンピック担当大臣も女性にすべきだ、といった論調がマスメディアに溢れ、果たしてその通りになったが、それこそが日本社会の女性差別の現れではないかと思える。
 なぜ女性にすべき、と多くの人たちがマスメディアで語ったのか。姓ありきの発想でしかない、という自覚がないとは思わなかったのだろうか。適切な人物であれば男女など関係ない、というのが性差別のない社会のあり様ではないだろうか。

 世の中に小心翼々たる男性も珍しくないが、その反対に豪放磊落な女性もいる。まず相手を「性」で見るのではなく、「人物」として見る社会こそが性差別のない社会ではないだろうか。

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