日本の未来のために国会では「失われた30年」の総括と、具体的な経済対策を議論せよ。

中西経団連会長の発言
 経団連の中西宏明会長が、1月27日の連合とのオンライン会議で、「日本の賃金水準がいつの間にか経済協力開発機構(OECD)の中で相当下位になっている」と語った。
 今回は改めて、中西氏の発言はどういう意味を持っているのかを考えてみよう。まず、OECDの実質平均賃金データを確認しておこう。略然たる事実として、日本の順番は、1990年22ヶ国中12位、2000年35ヶ国中15位、2010年35ヶ国中21位、2019年では35ヶ国中24位である。
 1990年当時の22ヶ国でみると、2019年では日本は21位なので、今の日本の順位は、言ってみればOECDに加盟しながらも賃金の低い国に救われているわけだ。1990年当時の22ヶ国で、この30年間の名目賃金と実質賃金の伸びを見てみよう。名目賃金ではほとんどの国で2倍以上になっているが、日本は最低でほぼゼロの伸びで、飛び抜けて低い。
 実質賃金の伸びを50%程度伸びている国が多いが、日本は5%程度であり、これも低い。それぞれの国で名目賃金の伸びと実質賃金の伸びを見ると、相関係数は0.78程度になっている。この観点から言えば、日本の実質賃金の伸びが世界で低いのは、名目賃金の伸びが低いからだ。
 名目賃金は、一人当たり名目GDPと同じ概念なので、名目賃金が低いのは、名目GDPの伸びが低いからとなる。日本の名目GDPが1990年からほとんど伸びていないことは、世界で最も低い伸びであり、先進国の中でも際立っている。そのくらい名目経済が成長していないので、その成果の反映である賃金が伸びていないのは、ある意味当然の結果である。
 
経済と賃金の明確な事実
 労働が経済活動からの派生需要である以上、経済が伸びなければ賃金は伸びない。つまり、賃金が低くなったのは、1990年代から名目成長がなくなったデフレの時代、失われた時代の象徴とも言える。
 1990年代以降、名目成長がなくなったという事実に対して、様々な意見がある。それを議論するだけで、分厚い本ができるくらいだが、筆者の結論は単純だ。この30年間とその前の30年間で比べてみると、名目GDPの伸び率はマネーの伸び率は一貫して相関がある。

 ちなみに、筆者がこれまで調べたものの中で、名目GDPと最も相関が高いのは、マネー伸び率だ。世界各国データでみても、相関係数は0.7~0.8程度もある。筆者は、マネー以外に名目GDP伸び率を長期にわたって上手く説明できる要因を知らない。
 1990年の前の30年間では、日本のマネーの伸び率はそこそこである。データが入手できる113ヶ国中、大きいほうから数えて46位と平均的なところである。しかし、1990年の後の30年間では、日本のマネーの伸び率は、148ヶ国中、最下位である。その結果、名目GDPの伸び率も最下位だ。
 ここで、重要なことは、中央銀行による金融政策でかなりマネーをコントロールできるのだ。要するに、デフレの時代、失われた時代の犯人は中央銀行が主犯であると、筆者は30年近くも言っている。
 改めて言うと、筆者は大蔵官僚時代、バブル崩壊に立ち会ったが、その当時、マスコミは金余りで株価が上昇していると報じていた。それは的外れだったが、今でもまだマスコミは気がついていない。
想定外だったこと
 詳細は、拙著『戦後経済史は嘘ばかり』に書いているので参照してほしいが、ポイントは、株価の上昇は、当時の証券会社が行っていた「営業特金」が違法まがいの取引として横行していたのが主因だ。そこで、その適正化のために、1989年年末に取引規制が行われ、ある意味で「想定どおり」に株価は下がっていった。
 しかし、筆者にとって想定外だったのは、日銀が同じ時期に 「金融引き締め」を行ったことだ。その当時、マスコミは「金余りで株価が上がっている」と報じていた。一方で日銀もさしたる分析もせずに、この俗説を信じていた。
 いちおう、一般物価のほうは、まったく問題はなかった。当時の一般物価を振り返ってみると、1986年6月から1989年3月までの消費者物価指数は、ほぼ0~1%の上昇率(対前年同月比。以下同)。
 1989年4月からは消費税3%が加わるが、それでも1993年10月までの物価上昇率はほぼ1~3%だった。つまり、バブルといわれていた当時の物価は安定していた。にもかかわらず日銀は、そこで金融引き締めを行ってしまった。
 もし、その当時に今のようなインフレ目標が導入されていたらどうだったのか。そもそも金融引き締めの必要性がなかったわけで、日銀が行った金融引き締めは余計だった。
 筆者は、この点を当時から疑問に思っていたので、1998年にプリンストン大学に留学した際、当時のベン・バーナンキ教授(のちにFRB議長)に直接確認した。
 
日銀は間違い続けた
「インフレ目標の枠内のとき、株高になったら、中央銀行が金融引き締めすべきか」と質問したら「株価はインフレ目標の範囲外であるので、金融引き締めをしてはいけない」と明確に述べていた。
 そのときだけの誤りだったら、まだよかった。しかし、日銀は間違いをし続けた。これは、官僚の無謬性である。バブル崩壊時の金融引き締めは「正しかった」ので、その後も金融を引き締め続けたというわけだ。長期にわたる日銀の間違いは極めて強力であったので、上に述べたように、マネー伸び率を世界で圧倒的にビリにするほどだった。
 しかも、その間違いの中、日銀はとんでもないことを言っていた。なんと、マネーは、経済活動の結果であって、管理できないといっていた。マネーの管理を放棄するような中央銀行ははっきり言って落第だ。できないなら中央銀行は不要だからだ。1990年代にはこうした馬鹿げた議論が実際にあった。

 2000年代になっても、日銀はインフレ目標を否定していた。むしろ、デフレを指向していた。いわゆる「いいデフレ論」だ。その代表格が、白川日銀時代だ。リーマンショックですべての先進国が猛烈な金融緩和をする中で、日本だけが金融緩和せずに、猛烈な円高を招き、日本だけが「刷り負け」て、リーマンショックの震源地でもないのに経済不振になってしまった。
 そうした日銀の失敗は徐々に修正されてきた。安倍政権になると、世界の先進国では最後だがようやくインフレ目標が導入され、日本もまともになりだした。2000年代初めのような愚かな議論はなくなった。それでも、デフレとはいえないが、胸を張ってデフレ脱却まではいっていない。いずれにしても、失われた20年はなんとも痛恨だ。
 最近の日銀はかつてのようなチョンボはなくなったが、それでも筆者の基準からみれば、まだいまいちだ。日銀は、18~19日の金融政策決定会合後に政策点検を示すという。
 
「リフレ派」とあれこれ言うのなら
 市場は目先の上場投資信託(ETF)や不動産投資信託(REIT)の買い入れに注目が集まっているが、まだ、デフレ脱却と言えない状況なのに、できないことをまず反省すべきだろう。まして、出口の話は、目標を達成してから言うべき話だ。
 なぜ今点検を行うかと言えば、3月末には、日銀審議委員が櫻井眞氏から野口旭氏に交代になるので、今のうちに執行部に好都合な既成事実を作ろうとしたのだろう。
 日本のマスコミでは、筆者を含めてしばしばリフレ派といわれるが、バーナンキ氏によれば、2000年当時であるが筆者のようなインフレ目標を主張する人はアメリカでは標準的だった。むしろ、どうして特定の名称の「派」というのかと不思議に思われた。
 日本でインフレ目標をいう人が少なく、それらの人をリフレ派というなら、既にインフレ目標は既に世界の標準なので、マスコミは今でもリフレ派というのは適切ではないだろう。
 未だに「リフレ派なんて」と非常識な呼び方をするのが、日本である。リフレ派は、2%程度のインフレ目標を入れて、失業率を最小にした経済成長を目指している。
 こうした基本政策をやらなかったから、失われた20年間でデフレになり、その結果、名目GDP伸び率が世界でビリ、賃金の伸びもビリになった。それが今の現実だ。
 時間をかけて、まともな金融政策を含めたマクロ経済政策をやっていくしかない。日銀の政策検証で必要なことは、過去30年間の日銀の間違いを総括することだ>(以上「現代ビジネス」より引用) >




 失われた30年に対する高橋洋一氏の論評を引用させて頂いた。高橋氏は「失われた30年」などといった文言は一度も上記論評の中で使われていないが、彼が分析している1990年以来日本の労働賃金が上昇しなかった理由こそが「失われた30年」の原因に他ならない。
 日本の労働者賃金がOECDの他の国並みに上昇していたなら、日本の労働者賃金は平均で800万円から1,000万円になっているはずだ。当然ながらGDPも1,200兆円規模になっていて、防衛費1%として現行予算の倍以上の12兆円の防衛予算があって、それほど対中国の脅威に対して汲々としていないはずだ。

 日本経済の最近の30年を失わしめた元凶は何なのか。高橋氏は「(日銀)官僚の無謬性である」と断定している。確かに不動産バブルをマスメディアが連日大々的に報道し、叩きに叩きまくっていた1989年当時、消費者物価は0%~1%と落ち着いていた。ただ不動産価格だけが天井知らずで高騰していただけだった。不動産バブルは怪しからんとマスメディアが大騒ぎするほどのことではなかった。
 マスメディアが批判したのは当の不動産業者と同時に、不動産事業者にジャブジャブと貸し付けている銀行が悪い、という批判が湧き上がり、殆ど狂気じみた異常なほどの「金融引き締め」が断行された。それは「総量規制」と呼ばれ、国の命令で不動産関係に貸し付けている貸付金はすべて停止すると同時に返済を強要する「貸し剥がし」と、新規貸し付けは決して行わない、という狂気の沙汰を日本全国で一斉に実施した。もっと冷静にソフトランディングの方途を取るべきを、「不動産担保」を前提とした銀行貸付の不良債権化を招くだけの、日本経済に甚大な影響を及ぼすハードランディングへと突き進んだ。

 それにより上場株式平均4万円を目前にしていた株式相場が暴落した。もちろん不動産価格もアッという間に取引価格が以前の1/3や1/2といった値を付けた。当然、不動産に貸し付けていた金融機関は抵当に取っている不動産価格が債権割れの「不良債権化」して、金融機関までおかしくなった。
 一斉にマスメディアが叩き出すと碌なことはない。バブル崩壊は果たして正しい選択だったのか、と改めて検証されるべきだ。確かに不労所得に近い「不動産価格上昇」という現象だけで濡れ手に粟の稼ぎを懐に入れるのはモラル的にどうかと首を傾げる所ではある。しかし、それなら株式売買を専らとしている投資家たちはどのようなことになるのだろうか。

 いずれにせよ、1990年前後に演じられたバブル崩壊というハードランディングは金融引き締めによって起きた。だが、当時の日本経済にハードランディングさせるほどのバブル退治の緊急性が必要だったわけではない。当時は消費者物価が高騰していたわけでもなく、激しいインフレが市民生活を直撃していたわけでもない。ただただ日本の総資産の名目価格が肥大化してジャパンアズ・ナンバーワンなどといった米国にとって不愉快な論評が溢れているだけだった。つまり単に金融緩和されたジャブジャブの銀行貸付資金が不動産価格高騰を招いていただけでしかなかった。
 1990年にバブル崩壊して、それから日本の金融政策は常軌を逸した金融引き締めに走る。不動産価格の下落により不良債権化した債務により破綻する銀行が出ようが、構造改革を仕切っていた竹中氏たちは「不良債権だ」と大騒ぎしつつ元凶である金融引き締め策を続けて、銀行を破産状態へと追い込み、破産した銀行に二兆円を超える公的資金を注入して、それを外資に10億円で売り払うという「売国行為」を公然と行ったのもその時期だ。

 高橋氏は「インフレターゲット」を金融当局が持ち込間なったのが間違いだった、と失われた30年を振り返っているが、果たしてそうだろうか。もちろんリーマンショック後に欧米中央銀行は金融緩和に転じて紙幣を刷りまくっていた。それに対して日本は依然として金融引き締め策を持続して「刷り負け」て1ドル70円台に達するまでの円高に悩まされた。
 安倍氏が登場して、やっと黒田氏とタッグを組んで異次元金融緩和に踏み切った。それにより円は1ドル110円ほどに落ち着いたが、彼は致命的な大失政を行った。それは消費増税だ。金融緩和を敢行したのは安倍氏の業績だが、同時に安倍氏は人手不足という業界・経済界の圧力に抗さずに「技術実習生」と称する外国人労働者移民(国連の定義では一年以上その国に定住する外国人は「移民」とされる)を大量に受け入れ、そして現在も五ヶ年計画で34.5万人もの外国人労働者を国内に入れようとしている。
 彼はみすみす生産性向上の端緒になる人手不足を外国人労働者を入れることで乗り切ろうとしている。それは現状の生産性を固定化させる愚策でしかない。生産性の向上こそが日本を蘇らせる原動力になる。高度経済成長期の日本は恒常的に人手不足だった。そのため生産工程の改善やロボット化が進んだ。海外移転の「国際分業」も生産性の固定化を労働力の切り下げで乗り切ろうとする経営者の安易な選択でしかない。

 日本の失われた30年の元凶は消費税だ。そもそも消費税は消費に対する「罰則」に近い税金だ。ご承知の通り日本のGDPの約60%は個人消費だ。個人消費こそが日本経済の主力エンジンだ。その個人消費をターゲットにした税金などデフレ経済下で増税してはならない。むしろ減税かゼロにすべきだ。経済成長すれば自然と税収は増となる。そして経済成長に伴う健全なインフレにより国債残が実質的に償還される効果は計り知れないものがある。
 そして高橋氏の云うインフレはターゲットにすべきではなく、財政拡大策を敢行して、物価が上昇する傾向が現れた際に、金融を引き締め、消費税率を上げる目安とすべき数字だ。現在の日本経済が異次元金融緩和を10年近く続けても、なぜ日本がハイパー・インフレにならないかというと、市場を流通するマネーベースが少ないからだ。

 不思議に思われるかもしれないが、バブル当時に比して、現在のマネーベースの方が少ないのは事実だ。確かに日銀は370兆円以上の姿勢を刷って発行しているが、貨幣を発行するのは日銀だけではない。「ペン・マネー」という言葉をご存知だろうか。銀行が貸し付ける「銀行小切手」を振り出すと同時に、それは同額の貨幣を発行している、ということだ。つまり日銀の紙幣発行とは別に市中銀行が貸付により発行する貨幣がどれだけあるかが問題になる。
 バブル当時、銀行の貸付残は720兆円もあったという。現在は500兆円程度というから、220兆円も当時と比較してマネーベースが低いことになる。だから日銀の異次元金融緩和により貨幣流通量を増やしたとしても、市中銀行が貸し付ける銀行貸出残が少なければ結局市中に流通する貨幣が「カネ余り現象」として現れないことになる。

 労働者賃金を上昇させるには再び経済成長を目指すしかない。そのためには消費税をゼロに下げて、海外へ移転した工場をUターンさせるべく「投資減税」を行い、そして生産性向上のための技術開発や研究開発費の特別税額控除制度を創設することだ。何よりも生産性向上無くして経済成長はあり得ない。
 国民一人当たり830万円もの「国の借金」を返済するには消費税を30%にしなければならない、といった妄言をマスメディアのみならず麻生財務相までノタマっている。つい先日では池上某氏までテレビで同様なことを「そうだったのか」と国民に洗脳していた。しかし経済学を少しでも学んだ者なら、彼らの云う消費増税論はカビの生えた静態経済学でしかなく、現状の生産性とGDPを前提とした机上の空論でしかない。静態的に経済学を論じるのはGDPというパイを固定化した上で、そのパイを国民と財務省とが奪い合う構図を前提とする議論でしかない。前世紀の遺物というべき、カビの生えた代物でしかないと承知すべきだ。

 現在の経済状態を固定して、単に税率を乗じて税額を弾くのは小学低学年程度の算数でしかない。税収がなければ政府借金(国債残は政府借金であって、国民の借金ではない)が返済できないと考えるのは間違っている。
 例えばインフレ率が2%なら、国債残も1200兆円×0.02=24兆円となり、24兆円償還したのと同じことになる。つまり経済成長することによる経済規模の拡大が財政問題を解決する、と考える方が財政論的立場に立ってもよほど健全だ。

 日本は少子高齢化だから経済成長は無理だ、というのは愚か者の戯言だ。18世紀にインドの安価な綿製品に、英国の綿製品が価格競争で勝てたのは産業革命による生産性向上の賜物だ。一人一台の織機を動かしていた家内工業から、蒸気機関による多数の織機の稼働が可能になり、一人が数十台の織機を管理するようになった。それこそが生産性向上の典型だ。
 最後にもう一度繰り返すが、インフレはターゲットとすべき類のものではない。財政出動を実行して景気を刺激し、経済成長策も果敢に実施して、その上で景気が過熱しているかどうかを見極める経済指標の一つとしてインフレ率がある。そのことはMMT理論に中でステファニー・ケルトン教授が述べている。インフレが契機に甚大な影響を与える可能性が出てきたら、消費を抑制する消費税を上げれば良いだけだ。

 接待飲食に現を抜かす総務省の官僚たちが怪しからんのも分かるが、それのみで国会審議が終始するのもいかがなものだろうか。もっと「日本の未来」という広い観点から国会議論は展開されるべきだ。
 日本の未来のために勤労者所得も上げて、日本の国力を再び甦らすための処方箋について熱い議論が国会で行われても良いのではないだろうか。もちろん政治を私物化するのはケシカランし、公務員倫理規定を蔑ろにする不逞の輩は排除されるべきだが、官僚と政治家というコップの中の嵐をいつまでも続けていては国民は蚊帳の外で貧困化するばかりだ。

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