「実質CO2の排出ゼロ」を日本政府が掲げる、とは。
<菅義偉首相が温室効果ガス排出量を2050年までに実質ゼロとする目標を宣言した。
環境などの取り組みを重視するESG投資が世界的に広まる中、国として「脱炭素」に踏み切らなければ、経済成長の足かせとなりかねない。それだけに、環境省幹部は「首相が表明する意義は大きい」と強調。温暖化対策の加速化に期待を寄せる。 脱炭素をめぐり、経済界では動きが急速に進む。経団連は二酸化炭素(CO2)排出実質ゼロを目指す「チャレンジ・ゼロ」構想を提唱。銀行も石炭火力発電所向けの融資残高をゼロにする目標を掲げる。 首相表明を機に、こうした動きに弾みがつくとの期待が高まっている。積水ハウスやイオン、富士通など150社以上が参加する企業団体「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」は、「政府の目標を心より歓迎する」との声明を発表。「政策の方向性がより明確になれば、企業は迷いなく脱炭素に向けて積極的に投資し、技術革新に挑戦する」と表明した。 ただ、政策の具体化はこれからだ。特に高コストになりがちな温暖化対策と経済をどう両立させるかとの視点は欠かせない。環境法などが専門の高村ゆかり東京大教授は「洋上風力発電のように、発電コストを下げられる再生可能エネルギーを普及させ、それに合わせて送電線を整備することが重要だ」と話す。温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」を踏まえると、早期の取り組みが必要との声もある。環境NGO「気候ネットワーク」の平田仁子理事は「50年ゼロだけではなく、30年に半減させる必要がある」と指摘。再生エネの導入拡大や石炭火力発電の廃止など、技術革新を待たずに着手できる対策の積極的な実施を求めている>(菅義偉首相が温室効果ガス排出量を2050年までに実質ゼロとする目標を宣言した。
環境などの取り組みを重視するESG投資が世界的に広まる中、国として「脱炭素」に踏み切らなければ、経済成長の足かせとなりかねない。それだけに、環境省幹部は「首相が表明する意義は大きい」と強調。温暖化対策の加速化に期待を寄せる。 脱炭素をめぐり、経済界では動きが急速に進む。経団連は二酸化炭素(CO2)排出実質ゼロを目指す「チャレンジ・ゼロ」構想を提唱。銀行も石炭火力発電所向けの融資残高をゼロにする目標を掲げる。 首相表明を機に、こうした動きに弾みがつくとの期待が高まっている。積水ハウスやイオン、富士通など150社以上が参加する企業団体「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」は、「政府の目標を心より歓迎する」との声明を発表。「政策の方向性がより明確になれば、企業は迷いなく脱炭素に向けて積極的に投資し、技術革新に挑戦する」と表明した。 ただ、政策の具体化はこれからだ。特に高コストになりがちな温暖化対策と経済をどう両立させるかとの視点は欠かせない。環境法などが専門の高村ゆかり東京大教授は「洋上風力発電のように、発電コストを下げられる再生可能エネルギーを普及させ、それに合わせて送電線を整備することが重要だ」と話す。温暖化対策の国際枠組み「パリ協定」を踏まえると、早期の取り組みが必要との声もある。環境NGO「気候ネットワーク」の平田仁子理事は「50年ゼロだけではなく、30年に半減させる必要がある」と指摘。再生エネの導入拡大や石炭火力発電の廃止など、技術革新を待たずに着手できる対策の積極的な実施を求めている>(以上「時事通信」より引用)
引用記事によると「菅義偉首相が温室効果ガス排出量を2050年までに実質ゼロとする目標を宣言した」という。なんという愚かなことだろうか。
実質にせよ、名目にせよ、人が生きて生産活動すれば二酸化炭素(CO2)は必ず排出する。それを森林を造成して、光合成でCO2を吸収させるから「実質ゼロ」だというのは詭弁に過ぎない。
それなら地球的循環で地下資源を利用してCO2を排出したとしても、再び森林やサンゴなどの動物が大循環で石炭や石油になるとしたら「実質ゼロ」ではないか。それこそ詭弁だというのなら、どの規模の時間単位でものを見るかの相違に過ぎない。
質量(物質)不滅の原則、というのは科学的真理だ。ただ一つの例外は核分裂や核融合などの核反応だけだ。それは人為的に神の領域に手を出す愚かな行為でしか成し得ない。
たとえば動物は生きている限り「酸化エネルギー」を利用している。人は呼吸をして体内に酸素を採り入れCO2を排出する。生きている限り、人はCO2を排出する装置の一つといえる。これから北半球は寒い冬を迎えるが、快適な住環境を手に入れるために「暖房」というエネルギー多消費の暮らしを送る。それも人がCO2を排出する行為の一つだ。
そして生産活動を行うには莫大なエネルギーを必要とする。鉄を精製するには莫大なコークスを消費する。原子力だって、ウランを精製するには莫大なエネルギーを消費する。それらもすべてCO2の排出を伴う行為だ。
ガソリン自動車は走る時にCO2を排出するが、電気自動車はCO2を排出しない、というのは原子力発電は発電時にCO2を排出しないだけで、それ以前もそれ以後の放射性物質処理にも莫大なエネルギーを消費する。それは多分にCO2の排出を伴う行為でしかない。
ただ、省資源や省エネによってCO2の排出を削減することは出来る。人類の叡智によってエネルギー効率の良い内燃機関を製造することは出来る。未来の人類に大きな負荷を残す原子力に頼るのではなく、自然エネルギーを人類が利用できる電気エネルギーなどに変換することは出来る。しかし上記で論述したように、たとえ太陽光発電にしても、発電時にはCO2を排出しないが、太陽光パネルを製造する時にも、設置するための施設整備をする時も、最終的に廃棄する際にもCO2の排出を伴うエネルギーを消費する。
人は「質量(物質)不変の原則」の下の地球に生きている。1774年A.L. ラボアジエにより発見されて以来、人は「質量(物質)不変の原則」を高等学校で学んでいるはずだ。しかし、いつの間にか「CO2の排出は悪」とする強迫観念に囚われて「CO2の排出ゼロ」などと叫びだした。
真理でもないことを出来るかのように、政治家が国家目標に掲げることは欺瞞以外の何物でもない。なぜ削減目標を掲げて「達成に全力を傾けよう」と誠実な発言をしないのだろうか。だが、その場合でも「地球温暖化を止めるために」などと発言してはならない。なぜならCO2の排出により地球が温暖化しているといった因果関係が科学的に全く証明されてないからだ。
菅総理の施政方針を受けて「150社以上が参加する企業団体「日本気候リーダーズ・パートナーシップ」は、「政府の目標を心より歓迎する」との声明を発表。「政策の方向性がより明確になれば、企業は迷いなく脱炭素に向けて積極的に投資し、技術革新に挑戦する」と表明した」という。しかし「脱炭素」などと出来もしないことを掲げる団体は不誠実ではないだろうか。
もとより、人の体を形成する元素でCは重要な元素だ。有機物の定義がCを有するかどうかが有機物判定に使われているほどだ。動物はCを体内で合成できない。自然界から捕食などで摂取するしかない。「質量不変の原則」という逃れられない自然サイクルの中で生かされている真実を直視するなら、「CO2の排出ゼロ」などといった出来もしないことを政策目標とすべきではない。それは「CO2地球温暖化」という殆ど集団ヒステリーか或いは、自然界の真理とは無縁な信仰に近い行為でしかないからだ。