与党と野党の闘いは「グローバル化」と「反・グローバル化」との戦いだ。

 <自民党下村博文政調会長は21日夜のBSフジ番組で、衆院解散・総選挙について「年内にあってもおかしくない」とした上で、「自民党国会議員のほぼ総意、即解散(すべきだ)」との見方を示した。 

 報道各社の世論調査で菅内閣が軒並み6~7割台の高支持率となっていることに触れ、「自民党の支持率も上がっている。自民党の若手はほぼ全員が早く選挙をやってもらいたい(という意見だ)」と指摘した>(以上「時事通信」より引用)




 理由なき支持率高騰はマスメディアの作為か、あるいは有権者の「ご祝儀支持」でしかない。しかしマスメディアの作為なら大問題だが、「ご祝儀支持」としても問題だ。

 マスメディアが何者かに支配されているとしたら、あってはならないことだが、支配している者に都合よく国民を洗脳し、国民な世論を誘導しようとするのも頷ける。しかし有権者による「ご祝儀支持」だとしたら、有権者に政治を観劇か野球観戦と混同しているとしか思えない。


 残念ながら、日本国民には政治家を選ぶ選挙を歌舞伎役者の襲名披露と混同している低レベルの選択基準しか持ち合わせていない者がいる。たとえば安倍晋三なる政治家が誕生したのは父親の安倍晋太郎氏の死去により、同一選挙区から「後継者」として出馬したことによる。

 つまり、安倍晋太郎氏の秘書を務めていたに過ぎない倅が父親の「跡目相続」を狙って立候補したに過ぎない。それだけの政治的に何ら実績のない政治家の倅が突如として有力候補として登場し、有権者は「歌舞伎役者の襲名披露」でも観劇するかのように群がり、圧倒的大差で当選させた。


 それを低レベルと呼ばずして、何と呼べば良いのだろうか。自らが志を立てて政治活動に取り組み、仲間を増やして国会議員に立候補するのなら有権者にも候補者の政治的立場が解る。

 しかし政治家の秘書を務めていただけでは、選挙のやり方は習得できても、政治そのものは秘書として眺めただけに過ぎない。あるいは政策秘書なら政治ロジックの理解は出来ているだろうし、いかにして法律を立案するかが解るだろう。だが父親の秘書を務めていただけで何が解るというのだろうか。


 果たして安倍政権の七年八ヶ月は惨憺たるものでしかなかった。国力は著しく低下し国民は貧困化した。国家の基礎をなすべき食糧安全保障までも危うくしたのは「売国奴」と誹られても仕方ないものだ。

 その責任はマスメディアにもある。彼らは大失敗でしかない安倍氏の経済政策をアベ(私は敢えて「アホ」と呼ぶ)ノミクスと囃し立てた。安倍氏は常々「政治は結果だ」と口にしていたが、安倍氏の七年八ヶ月の平均GDPの伸びは武漢肺炎のマイナス影響を受ける前まででも0.9%程度でしかなかった。世界の平均成長率が3%台であったことに鑑みれば、日本は2%も衰退し続けていたことになる。まさにアホノミクスだ。


 なぜそうなったのか。理由は簡明だ。グローバル化に邁進したからだ。

 グローバル化とは世界基準に合わせる、ということだ。労働者賃金も「世界基準」に合わせられては労働賃金を引き上げるどころではない。そして国際分業により日本国内から大量に製造工場が労働力の安い中国などへ移転すれば、国内雇用は空洞化するし、モノ造りの基礎をなしていた匠の技の継承までも途絶することになる。グローバル投機家に操られた安倍自公政権の成果が現在の日本経済の衰退だ。


 その安倍自公政権の番頭が引き継いだだけの菅政権に「ご祝儀」支持を与えるとは、なんと低レベルな日本国民だろうか。菅氏は日本国民にとって何か良いことをしたのだろうか。

 現在の携帯電話引き下げにしても、それは三業者に命令すべきことではなく、「価格談合」の疑いがあるとしたら、公取委に提訴すべきではないか。民主主義とは「手続きの制度」でもある。手続きを飛び越して政治権力を背景に「命令」するのは独裁者・習近平氏と何ら変わらない。


 マスメディアはそうした政治権力の行使に対して、一切批判しないのは何故だろうか。国民が拍手喝采するから良い、という判断なら、それこそ倫理の荒廃でしかない。リンチで留飲を下げるのではなく、正当な手続きに従って正すべきところを正すべきではないか。

 下村氏がマスメディアに現れた幻想のような支持率に歓喜して「解散総選挙だ」と叫ぶなら、野党は「国民の生活が第一」の政治理念を表明して受けて立つべきだ。チマチマとした枝葉末節に囚われるのではなく、グローバル化か反・グローバル化かという政治路線を問う論争を国民相手に仕掛けることだ。


 「構造改革」はグローバル化そのもので、日本を破壊してハゲ鷹たちに叩き売る動きでしかない。その「構造改革」を菅氏は「改革を行う」と何度も表明している。地銀の数が多いのはケシカランと論理なき感情に訴えている。地銀を叩いた後は中小企業を保護している中小企業法の廃止に着手するのは目に見えている。それが改革とは無縁な日本潰しだということを国民は理解すべきだ。

 中小・零細企業こそが日本の多様性であり、モノ造りの揺籃だということを知らなければならない。彼らの技術やモノ造りの匠の技こそ継承すべきだ。潰してはならない。総選挙で問うべきは経済成長路線へ回帰するか、それとも日本を根底から破壊しモノ造りを叩き潰すかの選択である。桜や「モリ、カケ」を忘れてはならないが、貧困化との戦いはグローバル化との戦いであることを国民に知らしむことだ。そうすれば必ず野党は政権を奪還できる。

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