誰が安倍後継総理になろうと、自公政権の政治では日本は衰亡の坂道を転がり落ちるだけだ。

安倍晋三首相の辞任表明を受けて自民党では「ポスト安倍」選びに向けた動きが早くも始まっている。党総裁選をいつ、どのような形で実施するのか。近く正式に決まる見通しだ。
 しかし、まず必要なのは、第2次安倍内閣発足後、7年8カ月に及んだ長期政権の功罪をきちんと検証して総括することだ。それ抜きでは前に進めない。
 安倍政権がなぜ、ここまで続いたのか。最大の要因は、2012年、安倍首相が自民党総裁に返り咲いて以降、計6回の衆参両院選で全て大勝したことだろう。
 ただし勝利の背景には、旧民主党政権が国民の失望を招いた後だったという有利な点が元々あったことを忘れてはならない。安倍首相は「弱い野党」に随分と助けられてきたのである。

対立あおり国民を分断

 ところが首相は、選挙で勝ったのだから全ての政策が信任された――と言わんばかりに強引に突き進んだ。
 再三指摘してきたように、集団的自衛権の行使を一部認めた安全保障法制や、「共謀罪」を創設した改正組織犯罪処罰法など、国民の間に反対論が根強かったにもかかわらず、与党の数の力を頼りに決着させたのが典型だ。
 記憶に残る言葉がある。
 「こんな人たちに負けるわけにはいかない」
 17年夏の東京都議選の街頭演説で、安倍首相は退陣を求めて声をあげる一部の聴衆を指さして、こう言い放った。自分にとって敵か味方か。国民を分断し、対立をあおる言葉だった。
 民主政治は確かに、最終的には多数決で決する仕組みだ。
 だが、その結論に至るまでの十分な議論が欠かせない。そして、国民を分断するのではなく、可能な限り一致点を見いだしていくのが指導者の務めのはずだ。
 異論や批判に耳を傾けず、相手を激しく攻撃して対立をあおる。こんな「分断手法」が続いてきたのは、安倍政治の大きな弊害と言っていい。
 この姿勢が、憲法で「国権の最高機関」と位置づけている国会の著しい軽視につながった。国会をまるで内閣の下請けのようにしてしまった罪は深い。
 そもそも首相には、野党議員も国民に選ばれた代表であるという認識が欠けていた。
 権力の私物化が指摘された「森友・加計」問題や「桜を見る会」の問題を追及する野党に対し、首相は誠実に取り合おうとせず、同じ答弁を繰り返した。
 結局、一連の問題の解明は進まなかった。首相は絶えず「丁寧に説明する」と口にしてきたが、国民に対する説明責任を果たさなかったというほかない。
 官僚が首相におもねる「忖度(そんたく)政治」がはびこっただけでなく、安倍内閣は検事総長人事にも介入しようとした。
 内閣にとって都合がいい人物を捜査当局のトップに据えたかったのだろう。実現はしなかったものの三権分立の大原則をゆがめかねない深刻な事態だった。
 程度の差はあれ、歴代首相は国家権力を抑制的に使おうとしてきた。だが安倍首相は「政治権力は最大限行使すべきだ」と考えていたと思われる。検察人事問題には安倍政治の本質が表れていた。

まずは検証と総括から

 政権末期が近づいてきたのと軌を一にするように、前法相の河井克行衆院議員と妻の案里参院議員の両被告が公職選挙法違反で起訴され、公判が始まるなど自民党に所属していた国会議員の摘発も続いている。
 何をしても許されるに違いないと考えていたのだろう。長期政権は政治家の感覚もマヒさせてしまったのだ。
 司法のあり方も含めて一刻も早く、三権分立がきちんと機能する政治に戻さなくてはならない。
 「安倍1強体制」の下、自民党もかつてのような活発な議論がなくなった。そんな中で迎える党総裁選だ。
 「ポスト安倍」の候補として、菅義偉官房長官や岸田文雄政調会長、石破茂元幹事長らの名が挙がっているが、真っ先に求められていることがある。安倍政治の何を継承して、何を修正するのか。これを明確にすることだ。
 それが、どんな国を目指すのかという具体的な議論につながる。
 まっとうな民主政治を取り戻す道でもある>(以上「毎日新聞」より引用)



 安倍氏が辞任発表して二日にして、やっとまっとうな安倍自公政権の功罪を論評するマスメディアが出て来た。殆どのテレビや新聞などはポスト・アベの予想屋のような記事ばかりだ。
 有体に言えば、現在の自公連立政権で誰が総理大臣に就こうが、政治は大して変わらないだろう。彼らは経団連に代表される財界の御用聞きであり、財務省に操られる緊縮財政論者の塊だからだ。

 誰が安倍氏の後継者になろうと、衰亡の坂道を転がり落ちている安倍自公政権の政治を大きく変革することは出来ない。それは自公政権のスポンサー・財界の意に反することだし、財務省の緊縮財政派の真反対の政策を断行する知力も胆力もない「寄らば大樹の陰」政治家集団だからだ。
 日本を再生し、衰亡の坂道を転がり落ちている日本を再び力強く成長の坂道を上る活力を取り戻すには政策転換を行うしかない。それは自公政治の脱却から始まらなければならない。決して第二自民党的な政権を国民は野党に求めてはいない。

 安倍氏は「蛙の面にションベン」とばかりに、様々な不祥事の追求を口先だけで躱した。「国民に丁寧に説明する」という言葉とは裏腹に、官僚たちは安倍氏を忖度して公文書を隠蔽したり改竄したり、挙句の果てはシュレッダーに掛けたりした。
 その反対に小沢一郎氏は東京地検特捜部により「陸山会事件」をデッチ上げられ、日本のマスメディア総がかりの「政治とカネ」プロパガンダ攻撃であえなく民主党代表を降りた。小沢氏に安倍氏の万分の一でも「厚顔無恥」があったなら、政権交代した民主党の総理大臣として2009民主党マニフェストの「国民の生活が第一」の政治を断行していたなら、少しは現在目にする日本の風景は違ったものになっていたはずだ。

 安倍自公政権は嘘ばかりだった。国土強靭化も大嘘で、民主党政権当時よりも公共事業は削減されている。だから「ダムから人へ」という民主党スローガンを批判するネトウヨの連中はむしろ安倍自公政権を批判すべきだ。結果として、毎年のような相次ぐ水害が国民の財産や命を奪っている。
 2年以内2%インフレも嘘だった。デフレ化経済からの脱却は未だに出来ていない。そして「私の政権で拉致被害者の帰国」も大嘘だった。友人・プーチン氏と話し合って北方領土を取り戻す、という公約も幻想と消えただけではなく、四島一括返還を約束した東京宣言から二島返還へと後退させる大失態を3,000億円もの支援金付きで行うというお粗末ぶりだ。韓国とも「最終合意」なる愚かな妥協を行ったことにより、慰安婦・反日活動を韓国内の慰安婦利権争いにしてしまった。さらに技術研修などと称する外国人を大量にパソナなどの派遣業者を通して国内に入れる、という愚策を実施した。今後とも34.5万人もの外国人労働者を移民させる法律まで作ってしまった。安倍氏こそ日本を解体大バーゲンし、日本国民の混血化とグローバル世界にかき混ぜて無くそうとする亡国政治家ではないか。

 安倍自公政権の足掛け八年に及ぶ治世を検証することは、第二自民党化した野党政治家個々人の内照でもある。小沢一郎氏の尽力で彼らが手にした民主党政権が呆気なく瓦解したのはなぜか。その原因が安倍的な政治の検証から解るはずだ。
 日本を取り戻すには何をすべきか。それは経済成長を復活させることだ。そのためには国際分業といった安易な企業利益実現に走った経営者のサボり癖を叩き直さなければならない。

 企業が持続的に成長するには生産性への投資と新規商品の研究開発しかありえない。そのためには労働者を「工数」と捉えるのではなく、技術・研究開発の仲間だと考えるべきだ。労働者の非正規化など飛んでもない。正規社員として仲間として企業の運命を分かち合う仲間と考えなければならない。
 海外へ移転させた製造部門を国内へ回帰させることだ。そして国内で質の高い労働者とともに成長することに死力を尽くすべきだ。モノ造りを忘れて日本経済の再生などあり得ない。そしてGDPの主力エンジンたる個人消費の足枷となっている消費税保廃止し、法人税の本税を元に戻す必要がある。所得税も「応能負担原則」に戻すべきだ。

 自民党の誰が安倍後継総裁になろうと、衰退する日本を国民の手に取り戻すことは出来ない。なぜなら自公政権の政治が間違っているからだ。消費税廃止と反・グローバル化を推進しない限り、日本は衰亡の坂道を転がり落ちるだけだ。

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