9月入学の検討に時間を割くべき時期なのか。

<政府・与党は27日、新型コロナウイルスによる学校休校を受けて検討した2021年度からの「9月入学」の導入を見送る方針を固めた。政府・与党は緊急事態宣言中の授業の遅れを取り戻す方策として検討したが、保育の期間にしわ寄せがいくなど課題が多く、教育現場を混乱させかねないと判断した。安倍晋三首相が夏までに正式判断する。
  自民党の秋季入学制度検討ワーキングチーム(WT、座長・柴山昌彦元文部科学相)は27日、9月入学への移行は一定の準備期間や国民的な合意が欠かせず時期尚早だとする提言骨子案を党幹部に提示した。WTは一方で今年度に限り就学期間を1カ月程度延ばす特例措置の検討を政府に要請し、来年の大学入試も2週間から1カ月程度遅らせるよう求める。公明党も21年度までの9月入学に反対する方針で、山口那津男代表は「時間をかけた十分な議論が必要だ」と述べた。
  9月入学は緊急事態宣言の発令に伴う休校長期化を踏まえ、東京都の小池百合子知事らが提唱した。安倍晋三首相も4月29日の衆院予算委員会で「前広にさまざまな選択肢を検討していきたい」と表明。与党内でも「秋入学が多い欧米への留学促進や国際化につながる」などの賛成意見もあり、文科省は来年9月の導入を前提に入学者を「6歳~7歳5カ月」まで拡大するなど3案を検討した。 
 だが、保育の期間が延び、待機児童が一定程度は増えるなどの懸念が広がり、学校現場や市区町村から慎重論も強まった。就職活動時期や関連法令などの見直しなどの必要もあり、文科省も導入の場合は家庭の追加負担総額が2兆5000億円に上るとの試算を示した。25日に緊急事態宣言が全面解除となり「夏休みを活用するなど学習の遅れを取り戻す議論を優先すべきだ」との意見が強まった。首相も25日の記者会見で「9月入学は有力な選択肢」としながら「慎重に検討していきたい。拙速は避けたい」とトーンダウン。首相はウイルス感染の「第2波」「第3波」で休校期間がさらに延びることを警戒しており、9月入学見送りの正式決定までは時間をかける構えだが、首相側近は「もともと導入は難しいことは分かっていた。特にコロナで大変な時はやるべきではない」と述べた。
  一方で、自民党内では9月入学賛成派も多いことから、政府・与党は将来的な9月入学導入についての議論は続ける構えだ。与党内では一律的な導入は当面見送るものの、独自に9月入学への移行を希望する大学などがあれば支援策を行う案も出ている>(以上「毎日新聞」より引用)



 9月入学などといった愚策に囚われている暇はないはずだ。なぜ一か月半にもわたる休校で教育課程が遅れた児童・生徒の問題に真摯に向き合わないのだろうか。
 むしろ今検討すべきは夏休みも返上して授業を行うための教室などにエアコンを設置すべき、夏休みには給食はないが、これまで一か月半も給食も停止していたことから、夏休みに授業を実施する場合は給食を続けること。そして何よりも「心のケア」に全力を注ぐべきだ。

 一か月半も遅れたのだから、ついでに後一か月半も遅らせて夏休みに入り、9月から新学期としてはどうか、という安易な発想から「9月新学期」が出たのだろうが、そうすると日本の小学校入学の学齢が6歳半と先進諸国では最も遅くなる。
 どうしても「グローバルスタンダート」に合わせたい、というのなら半年早めて9月入学とし、5歳半から小学校入学にすべきだろう。その場合でも慎重な議論を行って、各方面への影響をすべて検討し、段階的に一月ずつ入学を早めて五年程度かけて実施すべきだろう。

 安倍自公政権は何でも「改革」がお好きなようだ。大学共通試験も廃止して、今年から「新しい入学制度」を実施するとしていた。しかし英語の試験を一部民間試験と併用するとし、その試験が受けられない地方の子供たちが不公平ではないか、あるいは数学や国語で記述式の問題を実施する、としていたが、裁定するには千人以上のアルバイトを雇って採点する必要があり、採点の公平性が保てない、とする基本的な「新らしい入試制度」の問題が露呈した。
 なぜ文科省は現在の共通試験を「改革すべき」としたのだろうか。「共通一次試験」の何処に問題があったのだろうか。

 実用英語が入試に必要だ、とは決して思わない。なぜなら英語教育は翻訳家や通訳を養成するものではないからだ。日本語をより深く理解する比較言語としての英語を学ぶのが本来の目的だ。実用英語をどうしても学びたいのなら、そうした大学なり専門学校を選択すれば良い。
 そして記述式問題が学生の能力の判定にどうしても必要だ、というのなら二次で行われる各大学で実施すれば良い話だ。論述や思考過程を「試験」する記述式を極めて少数の教授や専門課程の学生が採点すれば、その大学に入学後に必要とされる学力の判定が確実に出来るだろう。

 改革すれば「良くなる」と考えるのは先人を余りにバカにした発想だ。それぞれの時代で先人たちは叡智を絞って各種制度を設計した。派遣規制もそうだった。労働者をタコ部屋に閉じ込めて、ピンハネしてヤクザが資金源としたため、派遣業を原則禁止したものだった。そうした歴史を知らない世代が多くなると、「自由な働き方」という言葉で派遣業法が次々と緩和された。しかし「自由」の裏側には「自己責任」という義務が張り付いていることを多くの国民は看過した。
 事業の許認可を厳しくしたのも、過当競争でサービスや安全性の低下がないようにするためだった。果たして貸切バスが自由化されると貸切バスの事故が相次いだ。整備不良で高速道路でバスが火を噴く事故も多発した。タクシー運転手の過酷労働も規制緩和によって一層過酷になった。

 改革をするのは問題があるからだろうが、改革をして問題が解消されるとした場合、その結果新たに問題が発生しないか、と子細に検討すべきだ。9月入学がすべて良いことばかりとは思わない。明治初期より続いて来た4月入学を改革するのなら、一世紀近い歴史を変えるのに十分は理由がなければならない。その結果生じる不都合に関しても充分に検討すべきだろう。
 コロナで半年遅らせて9月入学にすれば良い、と安易な発想に迎合すべきではない。それは国家の教育制度全般に関わる重大な「改革」だという認識を持つべきだ。4月入学の何がいけないのか、6歳入学を6歳半入学にする正当性は何かを国民に説明する必要がある。国会議員が「流行」に乗り遅れまい、としてWTを作って検討する、という。今なすべきは「遅れた教育課程」をいかにして取り戻すのか、子供たちの「心のケア」をいかにすべきか、ではないのか。

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