武漢肺炎後のテドロス氏の「新しい日常」とは。

WHO=世界保健機関のテドロス事務局長は、世界は新型コロナウイルスが広がる前の姿に戻ることはなく、人々の生活は「新しい日常」を迎えるとの認識を示しました。

世界は私たちがいた元の姿に戻ることはできないでしょう。『新しい日常』になるはずです」(テドロス事務局長)

テドロス事務局長は22日の会見で、新型コロナウイルスとの戦いは長い道のりで、長期間、ウイルスが存在する中で生活することになると述べ、社会的な距離を保つなど感染拡大を抑える取り組みを続ける「新たな日常」を迎えるとの認識を示しました。
一方で、アメリカの一部議員から事務局長の辞任を求められていることについて、テドロス氏は「3年間懸命に働いてきた。さまざまな意見はあるだろうが、いまは命を救うことに集中したい」と答えるにとどまりました。>(以上「TBSニュース」より引用)



 WHO=世界保健機関のテドロス事務局長がいかなる知見に基づいて「世界は新型コロナウイルスが広がる前の姿に戻ることはなく、人々の生活は「新しい日常」を迎える」との認識を示したのか判らない。それとも武漢肺炎の世界的な感染拡大がテドロス氏の正常な判断力を奪っているのだろうか。
 歴史上、人類はこれまで何度も様々な感染症のパンデミックに見舞われてきた。中世のペストやコレラ、さらには第一次世界大戦中のスペイン風邪など、世界規模のパンデミックに人類は何度も見舞われて来た。

 中世欧州を襲ったコレラは欧州の人口の1/3を死に追いやったといわれている。これほどのパンデミックに見舞われて、中世欧州はそれ以前とそれ以後とで歴史を画すほどの劇変があったか、というと結論は「ノー」だ。
 確かに悲劇的な感染症の蔓延だったが、それで人類の死生観や宗教観や哲学に甚大な影響を与えたとか、あるいは都市景観を一変させたという事実はない。確かに、コレラの感染後には欧州全域で下水道の整備が急速に進んだが、人々は「新しい日常」を迎えたわけではない。

 しかし武漢肺炎の収束以後は、それが一年後か二年後かそれとも三年後になるのか、世界はグローバル化から必然的に「自国ファースト」へと政治戦略を改めるだろう。少なくとも中国を「世界の工場」としていたグローバル化の「国際分業」がいかに酷いしっぺ返しを受けるものかを、各国政府と経済人は骨身に沁みて認識したことだろう。
 そうした意味で「中国パス」が起きるのは間違いないし、他の後進国へ企業移転させていたモーメントが衰えるのは間違いないだろう。それこそがテドロス氏にとって中国との個人的な関係が変化せざるを得ないことになり、彼は必然的に「新しい日常」を迎えざるを得ないかも知れないが、それは彼の極めて個人的な問題であって、人類にとってはいささかも問題ではない。

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