大学入試改革のドタバタがやっと終わる。

<2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題について、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた。複数の関係者が明らかにした。採点者の質の確保や自己採点の不一致率の高さなどが課題となっており、現状のままでは実施できないと判断した。

 記述式問題をめぐっては、約50万人の受験生の答案を採点するため、民間委託で8千~1万人の採点者が動員される。短期間で正確な採点ができるか懸念があることに加え、特に国語では自己採点が難しく、受験生が実力にあった出願先を選びにくくなるなどの問題点が指摘されていた。

 受験生らの理解が得られないとして、野党が秋の臨時国会で追及。与党内にも見直しや延期を求める声が高まっていた。

 政府は11月1日に共通テストの柱だった英語民間試験の活用の見送りを表明している。もう一つの柱である記述式問題の導入見送りで、大学入試改革は振り出しに戻ることに>(以上「朝日新聞」より引用)


 2020年度から始まる大学入学共通テストで導入される国語と数学の記述式問題について、文部科学省は、来週にも実施の見送りを表明する方針を固めた、という。当然といえば当然の結果だが、これで英語民間試験の活用の見送りに次ぎ、もう一つの柱である記述式問題の導入見送りで、大学入試改革はすべて頓挫したことになる。
 いや頓挫だけなら文科省内のゴタゴタだけで済まされるが、大学入試改革には50万人の受験生がいることを忘れてはならない。来年一月に迫った共通テスト実施のこの時期になるまで結論が出せなかった文科省当局のお粗末さに、受験生も振り回された格好になり、お粗末な大学入試改革騒動を軽視してはならない。

 そもそも英語民間試験の活用などは欠陥だらけではなかっただろうか。当初から実施される試験会場までのアクセスや、受験生すべてが平等に受験できる機会の均等性などの確保をいかにして図るか、といった視点が欠落していた。
 誰のための、何のための大学入試改革だったのだろうか。国数の記述問題導入に到ってはお粗末を越えて欠陥だらけというしかない。記述式はマークシートでないため受験生50万人分の採点をアルバイト2,000人を雇用して採点する、などといった事態を想定すれば、採点のバラツキや採点者の主観の相違による可否などが生じる恐れがあった。

 共通テストはあくまでも二次試験の補助的な試験だ。自身の学力がどの程度かを自己採点で知り、目指す大学へ願書提出の目安にするものだ。そうした全国50万人受験生の中でどの位置に自分がいるかを知る目安ならば、英語の試験で民間試験を利用する必要はないし、国数で記述式テストを実施する必要性もない。
 それぞれの大学で共通テストの結果を参考にして、大学が求める学生を入学させるための試験を工夫すれば良いだけだ。教育課程で英会話が必要な大学なら、面接を英語で行えば良い。文章力が必要なら、課題を与えて作文させれば済む話だ。

 大学入試改革を掲げた政治家は何を目的にしていたのだろうか。まさか英語の民間試験業者と結託していたのではないだろう。50万人受験生の一定割合が受験するとなると、それこそ目が眩むほど巨大な「利権」だ。
 業者にとって巨大な「利権」は受験生にとっては痛い負担だ。ことに地方に暮らす受験生にとっては試験会場のある都会へ移動し、宿泊までしなければならない。一回の受験で数万円を負担する受験生にとって民間試験の導入は受験に機会均等さえ奪いかねない愚策だ。

 安倍自公政権は「改革」と称する「改悪」を悉く繰り返している。その「改革」の流れを加速させているのは安倍ヨイショのマスメディアだ。大学入試改革でも、こうした事態になるのは予想されたことではなかっただろうか。しかしマスメディアに大学入試改革を危ぶむ論調は皆無だった。そして50万人受験生を巻き込んだドタバタが始まったのだ。
 やっとドタバタは終息したようだが、受験「利権」に与かろうとする策動は暫く続くと思われる。マスメディアが目を光らせて政権を見張り監視する役割は必要とされるのだが、自ら安倍友を誇るような腐り切った日本のマスメディアにその役目を求めるのは無理な話ではないだろうか。やはり、ここでも政権交代が必要なようだ。

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